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2008年01月27日
お餅つきという文化
40年ほど前までは、会社で、年末にお餅つきをしていたのだけれど、いつしかそういう習慣がなくなった・・・・・。うちの子供も含めて、
社員の子供達もお餅つきの経験がない。それよりも、なによりうちの社員で、その経験があるものは、ほとんどいない。そこで、
「お餅つきという文化」を学んで、受け継いでみようという事になった。
そんな大上段に構えてるわけではないのだけれど、毎年、新年に、地元の小学校でお餅つき大会があり、 それに使う薪を提供している事もあって、4、5年前から、何時か会社でもやろうよ!と話していた。
それで、まず、何時、お餅つきをするかが、問題だった。年末が理想なのだけれど、年末には、そんな余裕がない。29日が仕事納めで、 大掃除で、その日が良いのだけれど、9のつく日は「苦をつく」といって、「ついたら絶対にアカンでぇ」 と年寄り連中から口をすっぱくいわれ続けた。そんなところにも餅つきという「文化」の一端があった。
それで、社員の家族と一緒に新年会を予定していた1月19日(土)がどうかという話になった。弊社のOBで、 お餅つきのベテランYさんに、指導をして欲しいと頼んだ。そしたら、「9がつくからアカン。次の週にしぃや」と・・・。
「えぇ、12月の9だけでなく1月の9もアカンのぉ」「そりゃ、やっぱり9は9やでぇ」なんていう、へんな会話を社内でしながら、 26日(土)に日程が決定された。私は、あんまり、そういう事柄には拘らないのだけれど、ここは、ひとつ、長老の意見に従う事にした。
お餅つきの指導をしてもらうというのも、おかしな話なのだけれど、やはりそこには知らない、技術や文化があるのだろう・・・・。 そんな訳で、会社の倉庫をひっくりかえしながら、道具を探した。石臼とその台はあったのだけれど、杵がなかった。
「
かけや」で代用したらどやぁ・・・。なんていう話は工務店的な会話だと思う。大阪の道具屋筋で、新たに買ってきた杵と比べると、
確かに、同じような道具でもその用途によって、頭や柄の長さ、大きさが全く違った。
木の蒸籠(せいろ)が出てきた。古い「木村」の刻印があった。ところが、 上蓋も蒸気が出る下蓋もなかった。どうしようかと、大工に話すと、沖棟梁が、「ワシがつくったるワ」といって、「本気」 で作りだしたのだ。
「蟻」とい仕口を使った本格的なものだった。ビスを使ったら・・・と言うと、そりゃぁ、やっぱり、高温で蒸したりするから、アカン。
とスッパっと言い切られた。会社の刻印を押したのは、いつも、こだりの見積書を作る弊社のT桝氏だ。
釜で沸かしたお湯を水蒸気として吹き出させる下蓋の穴の大きさが問題だった。こんな小さな穴で・・・・というと、「5分(ぶ)穴やぁ、 これでないとアカン」という。5分とは約15mmの事だ。「もう少し大きい方が・・・」「いやいや、皆はそういうけど、そやないんや・・・」 と。「講釈をいうとやなぁ・・・・」という具合だった。
かつて、さまざまな地方で、さまざまな職人さんが、その穴の大きさについて、講釈をタレながら、愉快に論議している姿を想像してみた・ ・・・・。それはそれで、楽しそうじゃないかぁ・・・・・。
前日に餅米を洗っておけ!という指示が出た。なるほど、確かに。一升五合ほどのお米を洗うのも大変だなぁ・・・と、考えていると、 親父が、近くの寿司屋さんに掛け合って、米の洗い器を調達して来てくれた。これは、なかなか、便利だった。お礼にお寿司をとることにした。
お湯は、杵や臼を暖めたりするための釜と、蒸すための釜の二つが必要だった。さぁ、何で、お湯を沸かすのか・・・・。ガス・・・。 いやいやそれは・・・。工務店だから薪は豊富だった。煙突付きの鋳物製の窯を買おうか・・・・。ひとつは、それも良しとして、やっぱり、 蒸す方の釜はブロックで窯を作ろう・・・・。
どんな「流儀」でブロックの窯をつくるのか・・・・。確かに、キャンプでの最も大きな楽しみは、焚き火だった。 その焚き火をどうやって燃やすのか・・・。どんな囲いを作るのか・・・・。おそらく、アウトドアーの達人の間に様々な「流派」 があるのだろう・・・・。
その流派の議論をしだすと、これまた、火を燃やすまでに何時間もかかってしまいそうだった。今回は沖流を基本にして、 冨桝流を付け加えた木村工務店流という事で、決着する。きっちりと、ブロックの間にスノコをはさんで、板金を切って蓋をし、 安全のための塩もきっちりと配した。「正統派」ということにしておいて頂こう。
出来上がった窯に、真っ先に、無言で、すぅっと陣取ったのは、弊社の会長だった。 最初から最後までその座を明け渡すことは、ついぞなかった。こだわりのT桝氏がつくった竹の酒かんを竹のおちょこで、 ちびりちびりとやりながら・・・・・。
ところが、お餅をつけるようになるまでが、なかなかだった。待つ間、おでんの味見をしながら、にこにこするK原くん。
豚汁をつくろうと、女性陣が下ごしらえなどもしていた。ウダウダ、グタグタしている間に、ようやく餅米が蒸し上がる。最初の餅は私がつく。
出来上がった餅を皆で丸める。ちなみに、お餅を丸める台もT桝氏の指示に従って、シナベニヤで大工さんが製作する・・・・。 子供と一緒におもちを丸める。丸め方を教えあう。餡をつめる。綺麗に丸めることができたお餅を自慢しあう。できたてをうまいうまいと食べる。 子供と一緒に餅をつく。社員ひとりずつが餅をつく。かけ声。食べる。飲む。にこにこ。にこにこ。・・・・・・。 ちょこっとしたコミュニケーションの場があちこちに出来る・・・・。
と、確かに、お餅つきには、協働作業を共にして、皆を「笑顔」にさせる、「元気」が宿っていた。
この楽しい経験をわかちあえるよう、来年は、今まで、工事をさせて頂いた方々をお誘いできればと思う・・・・・・。
2008年01月20日
運命
リフォームの相談にお伺いすると、30年以上前のキッチンをそのまま使っておられた。 よく見ると、ガスレンジが格好エエやん! 外国製かな?と、脳が反応し、昨年暮れにお引き渡しをした、 林敬一設計による京都銀閣寺近くの家のガスレンジの姿(右の写真)が一瞬、脳裏をよぎる・・・・。
よく見ると、サンウエーブ製だった。シンプルで使いやすそうだ。掃除だってしやすそうだ。いわゆる皿が付いていない。 今のガラストップタイプのガスレンジと同じような仕組みだが、こちらはステンレスで、五徳も大きくて、何だかカッコイイ。
今のデザインに目が慣れてくると、昔のデザインが新鮮におもえるのか。それともやはり、しっかりした設計デザインは、 何時の時代でも人の心を動かすのだろうか。そのデザイナーを想像してみる・・・・・。
デザインの進化ってなんだろうなぁと、おもわず考えこんでしまう・・・・・。
今、会社の加工場で、吉野檜を加工している。大工さんが、「木を削っていると、散弾銃の弾が出てきたでぇ!、刃、いかれてしもた!」 と笑顔で話す。今までも何度か、そういう事があったと。
それで、少し、想像してみた。
吉野の奥深い急峻な山で、植林され、何百年も育てられた檜。その檜の木の前を通り抜けようとしたシカ。そのシカを猟師が猟銃を構え、 散弾銃で、狙い撃つ。命中したのだろうか。そのあたりの檜の木に散弾銃が無作為に撃ち込まれる。
ある日、その檜の木が、山から切り出され、吉野の山奥から奈良桜井の製材所に運ばれる。そして、加工され、木が木材となる。今度は、 奈良桜井から大阪のこの下町まで運び込まれる。大工さんが、その木材を構造材や化粧材とするべく、手加工を施す。あっ、「木」 の中から散弾銃が・・・・。
もう暫くすると、その木は、神社の骨組みとなって、何百年間、建物を支え続けことになる。 神社のお参りをする人々の心の支えとしての役割を担うのかもしれない。いやぁ、木にも不思議な運命があるものだなぁ・・・。
そうそう、あのカッコエエガスレンジの運命はどうなっていくのだろう・・・・。
そういえば、先日、奥方が、「たいへん、たいへん、銀行で、ガラガラ回したら、特等賞が出て、それで、加湿器が当たってん!」 「やっぱり待ち受け画面にミワサンの金運画像使ったからやわぁ!凄いわ!」と。
何が凄いねん。ついに三輪山にある三輪神社が、お守りだけでなく待ち受け画面をつくったのかと思って、 長~い話をよくよく聞くと、美輪明宏の写真が数種類あって、それを待ち受け画面に使うと、運が良くなるらしい。 その写真を待ち受け画面に使った、その五日後に大当たりをしたのだと。ほんまかいなぁ・・・・。
運命とは不思議なものだなぁ・・・・。
2008年01月13日
家守り・会社守り
今週の仕事始めは、挨拶まわりで始まり、挨拶回りで終わった。ほとんどがメンテや改修工事をさせていただいてる企業さんばかりだった。
その家のメンテを含め、維持管理し、その手助けをするのを「家守り」と呼ぶらしい。同じような事が、会社のメンテにもあって、それは 「会社守り」と呼ぶのかどうか知らないが、そういう、会社をゴソゴソと改修する仕事を長年やってきている。
中小企業がひしめく大阪では、家と会社は相関しながら動いているように見える。今話題の大阪府知事選なども「元気を取り戻す」 というのがテーマのようで、中小企業の事務所の改装や工場の機械の入れ替え等々、そういうゴソゴソとした改装工事が、 そのバロメーターのひとつだとすると、確かに元気がないか・・・・・。
「もう工場は廃業して、住居にリフォームしますわー」というのが、どれほど多いか・・・・。そういえば、以前に出演したテレビ、 ビフォーアフターの「220歳の家」も職住一体型で、鼻緒屋さんの仕事場と住居が一緒になっていた。昨年末にお邪魔すると、 ご主人がお亡くなりになり、高齢の職人さんも仕事が出来なくなって、仕事を止めておられた。ちょっと寂しかった。
鼻緒をトントンと叩く音と日常生活が同居し、その生活の中に少しばかり和める庭もあって、 そういう職住一体型で、少しばかり良質の家があれば・・・・と。そういう生活スタイルにもそれなりの良さがあるとおもえるのだ。 職住一体型でないと出来ないような「ものづくり」も、もう一度見直しても良いのかもしれない・・・・。
20代の現場監督をしていた時から、 そのお宅のメンテナンス工事や所有しておられる賃貸マンションのメンテや改修工事をさせていただいているお得意さんのお宅に、 新年の挨拶にお伺いすると、ネズミの絵柄の羊羹が出てきた。
そうそう、今年はねずみ年なんだ。ネットで調べると「試行錯誤、葛藤などを経験しながら、成長をしていく年となる事がほとんどです。」 とあった。そんな年になる事を願って・・・・・。
2008年01月06日
量より質
一年に一度だけ使う座敷で、朝、新年の「おとそ」をする。家族同士があらたまった挨拶をするのは、この時だけだなぁ。 両親を含めた家族の間での毎年の変わらぬ行事。
若い頃は、その習慣に反抗し、何度か「逃亡」した。長男が東京から帰省するという父の立場になると、 これも楽しみな行事だとおもえるのは、やはり「とし」のせいか。けっこう白髪も増えてきたしね。今思えば、 当時の祖父母や両親に寂しい思いをさせたなぁ・・・・・・・・。
1月1日の朝8時頃、庭続きにある両親の母屋に行くため、 息子の部屋を覗くと、 6畳ほどのその部屋に、5人の二十歳をこす、むさくるしい若者が寝ていた。元旦の深夜の初詣の帰りに、皆で「仮眠」したらしい。
それぞれの家族の元旦の行事のために、一月一日の朝8時、我が家の玄関から、「おめでとうございます」と言葉をかけて、 ほんの少々のお年玉を手渡ししながら、寝ぼけ眼の4人の若者を、我が家から送り出す光景は、意外と滑稽なシチエーションだなぁ・・・・・。
そういえば、昨年はテレビで話題になっている有名料亭Kのおせちだった。流石に今年は、たのめない。今年のおせちを「眺め」
そして食べながら、残していきたい習慣や伝統と新たに再構築したい「こと」。
そんな事が頭をよぎっていく・・・・・。
今年の大阪の元日は意外と風が強かった。次男がたこ揚げをしようというので、 一月一日から開いているジャパンとい店に行って、ゲリラカイトを買う。意外と、簡単に大空に舞う。確かに、 糸から伝わる風のエネルギーを体で感じるのが心地良い。と同時に、怖い感じもする。その勢いに翻弄されて、 おもわず手から糸を放してしまう気持ちもわからないではない。その結末は、・・・・?
3日、日帰りでスキーに行く。突然の寒波。たっぷりの新雪。不思議な事に、うちの庭のモミジは黄色く紅葉したままで、未だ、
散っていない。そういえば、新春の新聞やテレビには地球温暖化の話題が多かった。そんな事を考慮した家づくりが必要だなぁ・・・と、
いまさらながら、あらためて、考えてしまう。
それにしても、ちょっと滑っただけなのに、節々が、痛い。家の近くまで帰ってから、スーパー銭湯に入る。この正月休みに、3回、
その銭湯に通った。いつもいっぱいだったのには驚かされる。近場で、温泉気分ってとこかな。お風呂上がりのまわりの人々の、
まったりとした笑顔が良かった。
4日、昨年の暮れに竣工したばかりの森小路教会で、ニューイヤーコンサートがあった。 東京音楽大学声楽科出身の3名のプロのソプラノ女性歌手が開いたコンサートだった。
そのうちのひとりの方が教会員で、体を弱らせているその方のお父さんを励ますためのコンサートでもあった。何でも、 その3名が学生時代、あるコンサートに行って感動した事をそのお父さんに伝えると、「今、学校では技術を学んでいるのだけれど、 その感動は心が伝わったことによるもので・・・・・・」と言って、そのお父さんがホームコンサートを開いてくれ、緊張しながら、 歌う練習をしたのだと。そして、それが彼女たちの音楽の原点なのだと・・・・。
ホールに美しく響く、マイクを通さない生の肉声。それが、何とも素敵で、凄い。心底のふりしぼる声を聞くと、一瞬、鳥肌がたった。 コンサートの後、そのお父さんを囲んで涙する3名の女性の姿が、何よりも美しく思えた・・・・。
政府の新たな住宅政策は「量から質へ」だという。その「質」は「技術」だけでなく「心」の質も大切なんだ・・・・。と、 そんなメッセージをもらったコンサートだった。
社員、大工、業者の方々70名ほどで、この混沌とした変化の時代を一生懸命生きて行こう! と、その絆と親交を深めあう。
あらためまして、新年明けましておめでとうございます。
本年も木村工務店をご愛顧賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
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