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2007年08月26日
木山水海(屋久島その3)
屋久島を車で走っていると、道路端のカジュマルの木の木陰に、ソファーが置いてあった。そこに座っている様子を想像すると、
気持ちええやろなぁ・・・と、おもった。木陰の下で、腰をおろし、風がスーっと抜ける、その心地よさを思い浮かべてみた。
木組みの家の良さは、そんな良さだろなぁ・・・と思う。そんな心地よい家造りができればなぁ・・・・・。そういえば、 ブッダはそんな木陰で悟りを開いたという事をふっと思い出した。木とその木陰には心地良い「何か」が宿っているのだろうなぁ・・・・・。
屋久島の西部林道を走っていると、「緑」の美しさに心を奪われる。あれぇ、どこかで、 見た葉っぱ。そうそう、うちのクワズイモのプランターと同じだ。へぇ、こんなふうに自生しているのか・・・。ほんの2ヶ月ほど 前にグリーンショップで手に入れたクワズイモのプランターだが、葉っぱを成長させて、大きく育ちだした。でも、しょっちゅう、 水を入れてあげないとすぐに、元気がなくなってしまう。そう考えると、それだけ、屋久島は水が豊富なのだなぁ。 海の直ぐ近くに2000メートル級の山があって、雨が沢山降り、杉がいっぱい生い茂り、保水し、木々に潤いを与え、 光合成をして酸素を出し・・・・。
やっぱり西部林道を 走りながら、どこかで見た光景。斜面に生えるシダ類が美しい。 あれはどこやったかなぁ・・・。そうそう、6月に社員旅行をした時に行った21世紀美術館の中庭の壁だなぁ・・・・。そういえば、 館員の人が上からいつも水を流しています・・・・と説明してくれた。屋久島の豊かな自然を支える豊かな水。それを支える、 海と山と木。そして21世紀美術館の芸術としてのシダの壁面。様々な思いが錯綜した。
屋久島の帰り、お土産物屋さんで一冊の本を見つけた、帰りの飛行機で読む。 そんな豊かな自然を守るために、 杉を山を守るために、人の手仕事が支えているのだなぁ・・・と読む。 ブツクサ言いながら歩いたトロッコ道だって、まだ現役で木を運ぶために使われているのだ。「山守」って、いい言葉だなぁ・・・・。
それにしても、先日の新聞の報道では、杉花粉をなくすために杉を伐採するのにかなりのお金を費やすらしい。方や、山を守るために、 杉を植林する事も必要だと・・・。あらためて、地球環境に何が起こっているのだろうなぁ・・・・とおもう。 絶妙なバランスというものがとれないものかねぇ・・・・。
2007年08月19日
屋久島その2
10年ぶりに履く、奥方の登山靴がこんな問題を引き起こすとは・・・。奥方だけでなく、 私も想像しえなかった。その日、縄文杉を見に行くのに、普通のホテルに泊まって、朝の3時45分に起きるのは、 ちょっと異常だなぁと思いながら外の天候を見た。あー、雨が降っている・・・・。
今は、荒川登山口まで自家用車では行けないらしい。それで、縄文自然館の駐車場からシャトルバスが出るとの事。借りたレンタカーで、 4時40分に駐車場に着くと、なんとなんと、既に50人以上の登山客が行列をなしていた。中高年より若いカップルが圧倒的に多い。暗闇の中、 雨がだんだん激しくなってくる。5時頃には150人ほどの列に・・・。奥方が、「ちょっと、異様な光景」と呟きながら、 自分の靴の紐を締め直すと、なんと、靴底のラバーがパカッとはずれた。「えー、大 変・・・」と、奥方と共に私も動揺したが、 ちょうどその時、バスが到着した。2台目のバスに乗車して下さいという、アナウンスと周囲の勢いに押されて、とにかく、 バスに乗ってしまった。
道路の崩落箇所を通過するため、途中で、小さなバスに乗り換えて、ようやく、登山口まで到着した。意外と、バス代金が高いなぁ・・・・ とおもいながらバスを降りると、どしゃ降りの雨になっていた。奥方の靴底がはずれてたので、靴ひもを解いて、底にぐるっと回して、 靴底を固定することにした。暗闇、どしゃぶりの雨、靴底のトラブル、不穏な空気を感じ取ったのか、息子が、えー、こんな雨で、歩くのぉー、 と言い出した。
とにかく、周囲の勢いに後押しされながら、歩き出すことにした。雨の勢いは衰える様子もなく、川を見ると、 その激しさに圧倒されそうだった。パカパカと口が開いた靴で、奥方は歩いていた。わりと、その様子は滑稽なのだが、 笑っている場合ではなかった。一応、登山届けを出すようになっているので、気軽な気持ちすぎても、ちょっとまずい。
小杉谷集落跡までは、意外と早かったが、トロッコ軌道の終点、大株歩道入り口までが長かった。途中、奥方が、靴の異常を訴える。あー、 なんと、もう片方の靴底もパカッと開いたのだ。軌道の脇に腰掛けて、リュックの中のスタッフバックの紐を抜き取って、靴を縛ることにした。 そして、再び歩き出す。沢山の人が追い越していった。単調な道が延々と続く、次のコーナーを曲がり終えたら、休憩地点かな・・・ と何度もおもう。暫くして、その単調さと大雨と奥方の姿に嫌気をさしたのか、息子が、もう歩かへん。と言い出した。確かに、 奥方が両方の靴をパカパカとさせて歩く様子も不憫だし、この先、あの靴で、山道を登れるかも不安だった。
それで、「このへんで、無理せんと、引き返そうか」と言うと、「少なくともウィルソン株までは、なんとしても歩くワー」と奥方がいう。 息子のためにも歩こうと思ったのか、インターハイ出場の体育会系の根性がムクムクと湧いてきたのか、そのあたりの心境は定かではないが、 このまま続行することになった。息子は渋々、歩き出した。といいながらも、暗いムードでもなく、意外と陽気だった。 沢山の人が歩いているのが、心強くし、助けになったのだろう。10年前のように、ほんの数組だけの静かなトレッキングであれば、 中止していたかもしれない。
トロッコ道から山道に入ると、息子のペースが一気に上がった。アスレチックのように楽しみながら勢いよく登りだした。奥方は、 何度も靴の紐を締め直しながら、慎重に登った。同じような靴底はがれ仲間を発見して、少しは慰めになったのか、辛抱しながら歩いていた。
9時過ぎ、歩き出して3時間ほどかかって、ウイルソン株まで、到着した。ここで、奥方を置いて、縄文杉まで行こうとすると、息子が、 「おかあさん、一緒に上まで行こうよ」と言い出した。この雨の中で、ここでじっと待つのも同じように辛いと思ったのか、「じゃぁ、歩くワ」 と、やっぱり3人で歩くこにした。
それから、約1時間30分、縄文杉にようやく到着する。相変わらずの雨が激しく降る中、そこだけは、 光が差し込む明るい神秘的な「スペース」だった。10年前に訪れた時は、木肌に触れ、横から眺めると、 前方にかなり傾いて立っているのが、縄文杉の意外な印象だった。
公園のように綺麗に整備されたデッキの展望台から沢山の人が雨に打たれながら眺めていた。その様子を眺めながら、 この縄文登山は富士登山と同じように、もはや、一種の「信仰」だなぁ・・・とおもった。居間から眺める、 北向きの庭と同じようなシチュエーションがそこにあった。特徴的な大きさや形をもつ「杉」は様々な所にあるけれど、 この縄文杉が育つ場所には一種独特の「場所性」というのか「空間性」というのか、そういったものがあるのかな・・・・と、眺めた。
帰りはウイルソン株まで、一気に下る。そこで、ホテルでの朝食の代わりに用意してくれた弁当を食べた。相変わらずのどしゃ降りの雨。 そんなにお腹が空いていたわけでもないのだが、食べ出すと、美味しい。こんな時は、バナナやミカンの「甘み」がありがたいなぁ・・・・・。
小杉谷集落までのダラダラと続くトロッコ道で、息子のペースが一気に落ちた。靴が痛い、 もう歩くのは・・・・と。靴の中に水がびっしょりと入り込み、靴下が濡れて足がむくんでいた。2度ほど、靴を 脱がして足をマッサージし、足も、心もほぐす。方や奥方の靴の開きはますます大きくなり、道中、 同じように靴のゴムがはがれた人と慰め合っていた。
多くの人に追い抜かれながら、スローペースで、歩く。歩き続けたら、何時かは到着するだろう・・・・と、ゆっくりと歩き続ける。時折、 梢から日が差し込む。と思ったら、また、激しく雨が降る。天候の変化が激しい。3度ほど、シカに出会う。次のコーナーを曲がると、 小杉谷集落か。次のコーナーを曲がると到着か・・・と、繰り返しながら3時45分、ようやく到着した。約10時間のトレッキングだった。
到着後、奥方の顔にも、息子の顔にも、それなりの充実感を見た。諦めずに、最後まで行ってよかった・・・。ホテルに着いて、奥方の、 紐でがんじがらめに結んだ靴を脱がす。水に濡れて紐が締まって簡単にははずれない。それで、ハサミで切ることにした。それが、冒頭の写真だ。
靴を脱ぎ、その靴を屋久島で捨てた後、なお一層の達成感と開放感が奥方の顔に広がった。おそらく、 奥方は二度と登山靴を買うことはないとおもうなぁ・・・・・。
2007年08月12日
お盆休み(屋久島その1)
10年前に屋久島の縄文杉を見に行った。それは、長男が4年生の時で、帰りのトロッコ道を泣く泣く歩き終えた喜びが、 小さいときの楽しい思い出のひとつだと、18才頃に語った。
歩き終えた荒川登山口の誰もいない満天の星空の駐車場で、バーベキューをして、キャンピングカーで寝て、 次の日の早朝に尾之間温泉に行って、入った温泉の熱かったこと。前の日の筋肉痛と相まって、その熱い熱い温泉に浸かった記憶が体に宿る。
それで、10歳離れた次男が5年生になったので、このお盆休みに、屋久島に連れて行って、縄文杉を見に行こうと計画した。 のんびりとくつろいで、楽しいお盆休み・・・・、のはずなのだが、お盆が近づくにつれて、何となく奥方の顔と態度に緊張が見える・・・・。
そういえば、奥方は、10年前の縄文登山の後、「もう「歩き」はこれで、終了。ショッピングやったら、なんぼでも歩くけど・・・、 山歩きはおしまい」と宣言し、他のどんな事より、それだけは忠実に守っている。
あのダラダラと続くトロッコ道の枕木に歩幅をあわせて歩く苦痛・・・。行きはまだしも、帰りのあの距離の長さ・・・。その事が、 記憶として強烈に残っているらしい。それに、あれから10年。気がつくと、40台の後半だ。最近、運動もしていないし。自分自身を眺めると、 ダイエットが必要な体かも、ビリーさんのキャンプに入隊したいワ。と嘆きが入る。
今回は、飛行機で行って、ホテルに泊まって、ゆったりと縄文杉を見に行くワ。と、10年ぶりに履く登山靴を出しながら、 次男のためにと、無理矢理、自分に言い聞かせている姿が、なんとも可笑しい。時折、二人だけで行ってきてぇ。私はホテルで待つワ。と、 やっぱり泣きが入る。確かに、10年前と比べて、老化に向かう自分自身の身体をお互いに、ひしひしと感じているのだ。
そんな訳で、今、屋久島のホテルにいる。出発の日の朝の大阪は快晴で、暑かったのに、鹿児島あたりで、雨になり、屋久島に着くと、 曇っていた。地球儀で見れば、小さい日本。それでも、飛行機で移動して、天気の変化を見ると、日本も広い。と感じる。
夜の9時。外はかなりの雨が降っている。明日、登山の予定だけれど、いったいどうなるのだろうか・・・・?。経験したが故に、 1回目より2回目のほうが、気が重くなる。っていう物事って、多々あるよなぁ・・・。顛末は、後日、報告するかもしれない?
という事で、木村工務店では、8月12日(日)から16日(木)まで、お盆休暇を頂戴しております。お問い合わせ等は17日以降に、 よろしくお願い致します。
2007年08月05日
響き
朝、アブラゼミの大合唱が始まった。 今年の大阪は、蝉が異常発生する年だと、新聞にあった。 なぜ蝉が鳴くのかとグーグルで検索すると、雄が雌に求愛しているとある。雌は良い雄かどうか判断してから交尾するらしい・・・。 それにしても、朝っぱらから、派手な、求愛だなぁ・・・・。
夏に、風鈴の音を聞くと、その音と共に心の中のざわめきや暑さをスーッと運んで、 消え去らしてくれるように感じる。夏の大阪は、路地の間から吹く、西風が心地よい。左側のイルカの風鈴は、確か、 沖縄の水族館で買ったものだ。ガラスとガラスが触れあって、優しい、つつましやかな音色がする。右側の黒い石の風鈴は、 サヌカイト石で出来ている。すごく乾いた独特の音色を響かす。四国うどんツアーに行った帰りに、 高松の屋島で手に入れたものだ。
風鈴の音色に比べて、アブラゼミの鳴き声は、心のブツクサを無理矢理、ガバッとかき消し、 考えることすら許されないくらいの大きな音をがなり立て、否応なしに、黙らさせられるようなイメージだ。まるで、ロックだな。そういえば、 先日の目神山の引き渡しでは、ヒグラシの涼しい鳴き声を聞いた。アブラゼミと比べれば、神秘的な感じすらする。そうそう、芭蕉も「静けさや、 岩に・・・・蝉の声」という有名な句を残したなぁと、思い出した。どちらにしても、セミの声は、その空間に漂う「響き」としても、面白い。
室内も見た目の印象とともに、「響き」のようなものがあって、室内に使われる、床材や壁材や天井材などの素材の組み合わせによって、 実に違った印象があるとおもう。
ここ2ヶ月ほどの間で引き渡しをした家の素材を振り返ってみると、床材は、杉板、タイル、大理石、コルク、ヒバ、チーク、パイン、 既製フロアー、畳と様々だなぁ・・・。壁は、珪藻土、漆喰ペンキ、ペンキ、クロス、珪藻土クロス、チャフウォール、杉板・・・・。天井は、 ペンキ、クロス、チャフウォール、杉板、シナベニヤ、ラワンベニヤ、・・・・。
家は、窓や天井の高さによって、その印象が、大きく影響されるのだけれど、素材とその組み合わせという事に焦点を絞ってみても、家の 「響き」が随分と違ってくるのが面白い。ひとそれぞれ、素材とその組み合わせによって、 そのひとの感性に合うのかどうかも千差万別だとおもう。そんなことを考えると、住まい手の「肌に合う家」を造っていきたいものだなぁ・・・・ とおもう。
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