2007年09月16日

建築家という生き方

「つまり、それが、正直な家なんだ」と、7月の竣工パーティーの宴席で、教えていただいた、建築家の石井修さんが、85歳で、 お亡くなりになられた。そのお話しを聞いたのは、つい先日の事だったのに・・・・。

石井修さん最後の作品となった家を施工させて頂いたのも何かの縁だと思う。 もともとの繋がりは石井修さんの初期の弟子の芳村設計研究所の芳村英敏さんとの縁が始まりだった。その後、 石井修門下生の方々との縁が次々と生まれる。アートプランの吉田節男さん設計の家を施工をさせていただき、 Ms建築設計事務所の三澤康彦さんの施工をする。そして、石井修さんの息子さんである石井良平建築研究の石井良平さんの施工をし・・・・・・ と続く。そんないろいろな繋がりの経緯を経て、施工をさせていただく事になった、 目神山のT邸が石井修さんとの最初で最後のお付き合いとなってしまった。

病院で治療することを拒否し、「緑の美しい季節にどうして、病院のベットで寝なくてはいけないのか」と言って、 目神山の自邸の暖炉の前にベットを置いて、美しい緑を眺めて過ごしていた。という、お通夜での心のこもったお話し。

目神山のT邸を担当した、うちの現場監督の春元くんが、先日、石井先生の自邸でお会いした時、「雨が降った時、 T邸の寝室の前の水はけは、大丈夫ですか・・・」と、心配してはりました。最後まで建築のお話しをされてました。凄いですね。と、 お通夜の席で私に語ってくれた。

85歳で、お亡くなりになる、2ヶ月前まで現役で設計をし、しかも現場まで何度も出向いて、監理もきっちりし・・・・。 建築家という生き方を最後まで生ききって、ひとつのお手本を残していただいたのだなぁ・・・・・とおもう。合掌。

   geijyutusinncyo7.2007[1]

ちょうど取材の日に、目神山のT邸が施工中だったので、その施工の様子が右下の写真 として写っている。

投稿者 木村貴一 : 2007年09月16日 00:05 « 間伐 | メイン | 残暑 »


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