2005年07月24日
臨場感
小学校3年の息子はサッカーが好きでサッカークラブに入っている。私は嫌いではないが・・・・。という程度だった。海の日の事だ。 試合があるので見に来い。と目で「命令」された。今まで一度も俺のサッカーをしている姿を見ていないのは一体どういう事だ。と。「父親」 として、いたいどういう事なんだ・・・・。そんなような事を目で訴えてきた。私にとって海の日は山の日でもあって、丹沢に誘われていて・・・ ・・。そういえば、お前とも昨年の海の日には一緒に丹沢に行ったではないか・・・・と。目で強く訴えかけたつもりなのだが、 全く通じそうにもなかった。当然見に来るやろな。と。そんな空気が充満した。それで、海の日の連休を利用してどこかに遊びに行こうよ。 というその事を言葉に出そうとしたら、「そやな、サッカーしてる姿見に行くワ。」と喋っていた「私」。
海の日の前の週のセレッソ大阪とアルビレックス新潟の試合のチケットを貰った。平日の夜、長居競技場での試合だ。仕事もある。 そんなに上手く時間がとれる訳がない。ぼく、プロのサッカーの試合、ほんまもん、一度も見たことないワ。と訴えかける息子。 そしたら私連れて行くワ。と言いながらも、もの凄い流し目で私の目を見て、「父親」やったら、子供のために見に行ってあげたらぁ・・・・・・ ・。と。そういえば、長男と一緒にサッカーを見に行ったことあったよねぇ。と。目を見ずそれとなく言い放つ。まぁ、 ちょっとした高等テクニック?を駆使しながらも訴えかける奥方。「も、も、勿論行くでぇ・・・」と思わず答えてしまっている「私」。
競技場に入った瞬間。サッカーを映像としてしか見ていなかった私の脳は、ライトアップされた美しい芝生。応援団の大きな声。 スタンドの蒸し暑さ。ビール売りの声。試合開始を待つ観客の動き。臭い。喉の渇き。っと。五感でサッカーを見た。そして、その「臨場感」 に心地よさを感じた・・・・・。でも、この表現は何とも可笑しな表現かもしれないなぁ。映像や音をより「リアル」なものに近づけようと、 技術を駆使し、臨場感のある液晶画面。とか臨場感のあるスピーカー。なんて表現される事が多い。現実のサッカー場に居て、「臨場感」 が素晴らしい。なんて表現するのはやはり変なのかもしれない。それだけバーチャルな世界に取り囲まれていて、 バーチャルなものの中にリアルなものを感じようとし、リアルなものを見てバーチャルな・・・・・・。あー、わけがわからなくなってきた。 そんな事、もうどうでも良いかぁ。兎に角、気がついたら、にわかセレッソ大阪ファンになって、「セレッソ大阪!セレッソ大阪!」 と一緒に応援し、得点が入ると「ワー」と席から立ち上がり、拳をあげていたりするのだった。子供のことや奥方のことはそっちのけで、 充分楽しんだ。
海の日、初めて、子供のサッカーの試合を見る。小学校の校庭には砂埃が舞い。兎に角、暑い一日だった。 自分の息子がベンチスタートだったりすると、何でぇ・・・・、なんて思う気持ちがわき上がってきたりした。へぇ、親の気持ちって、 そんなもんなんだなぁ・・・と。ボールを持ったら、行け行けと叫び。得点を入れようものなら、思わず大声で歓喜していた。そして、 そういう私の感情の往来を面白く思い。体験した。いつものように、試合の結果報告を聞くのとは、「臨場感」が違った。やはり、 五感でスポーツを観戦した。子供達と同じように喉が渇き、喉を潤した。
唐突だが、建築の「現場」が面白い。やはり「臨場感」があるのだ。体験がある。「設計」といものがもてはやされる世の中だが、より
「リアル」なものが現場にはある。「職人」とそれを見守る「現場監督」。現場監督も素敵な職業なのだと思うが、どうもいまひとつ人気がない。
キムタクがドラマの主人公で現場監督を演じてくれればきっと人気も出ると思うのだが・・・・・・・。えー、そんなことはないってかぁ・・・・
。現場がコンピューターのように、指示するだけで完成されていくと、錯覚してしまいがちだ。しかし、なぜか、必ず、誰か、「見守る」
存在が必要だたりするのだ。やっぱり、リアルな世界は不思議だなぁ。「見守る存在」によって物事がようやく完成されていく。
そしてそんな過程を体験する事が面白い事だたりするのだ。辛い事もいっぱいだけどね。まぁでも、「生きているなぁ・・・・」
と実感したりするのもそんな時かもしれない。なぜか、「臨場感」を欲するのだと言う話。
投稿者 木村貴一 : 2005年07月24日 17:53 « ツーショット | メイン | ウインク »