2009年07月12日

鰻 「北斎と富士とB級グルメの旅7」

鰻が好きか? と問われれば、素直に、「好きだ」と答えたくないのだけれど、まぁ、好きな方だ。「私」は、どちらかと言えば、グルメという訳でもなく、カレーで充分。うどんで充分。確かに讃岐うどんツアーをしてみて、「こし」のあるうどんを食べて、「旨い」と唸ったのだけれど、出汁をすすりながら食べる、あの「へなへなにょろにょろ」のうどんも好きで、それを食べる事の方が、圧倒的に多い。

出汁をすすった瞬間、出汁の味が、目にしみ込みそうになって、ぐぅっと眼をつぶりながら、また、出汁をすすりながら、にょろにょろのうどんを食べる時のあの感覚がエエなぁとおもう。まあ、それは、地域性とその地域特有の文化の違いにもよるのだろう。

この数日前、浜松の白焼きの鰻を頂戴し、食べる機会が二度ほどあって、どれも美味しかった。それを食べながら、「鰻」をおもう。それは、ゴールデンウィークの「北斎と富士とB級グルメの旅」で、三島の鰻屋さんに行ったのだけれど、その事の潜在意識の中には、様々な「鰻」にまつわる出来事が絡み合っていて、「鰻」を食べると、支離滅裂な「私と鰻」を想うことになるのだった。

堺で鰻屋「竹うち」を営む友人が居て、最近は、改装工事をお手伝いさせても頂いているのだけれど、大学生の頃、そのお店とその階上にある住まいに、よく、遊びに行った。そこの、鰻が好きだ。石畳敷きの土間に、そのままの鰻を入れたケースが何段も高く積み上げてあって、井戸水をくみ上げた水を、上から、ちょろちょろと24時間落とし続けている。その水の流れる音が、ピチャピチャと土間に響く。そして、備長炭の炭火の熱気とカラカラという音。

鰻屋の店主であり、今は亡きその友人の父親が、「鰻」が好きかと聞くので、「大好き」と、その時は、素直に答える。そして、どこが美味しかったのかと聞かれる・・・・・。祖父と旅行をする度に、その地域の通ではない、大衆的に有名で、流行っている鰻屋さんに連れてもらっていたので、伊勢の「川はち」とか。三島の「うなよし」の話をし、人がいっぱいで・・・、なんて話をする。何度も断っておくけれど、私は、単なる鰻好きで、グルメではなく、味をよく知っている訳でもない。学生の頃は、なおのこと、そうだ。

小学生の頃に、確か、誕生日か何かのお祝いついでに、祖父に、お寿司屋さんに連れて行ってもらうと、鰻だけを15皿ほど頼んだ記憶がある。今から思えば、よくも、まぁ、黙って、見逃してくれたものだとおうも。この歳になると、そういう事に対する、少しばかりの、感謝の念もわく。まぁ、そういう、単なる、鰻好きな訳け。

13才前後の4、5年間ほど、伊豆に、富士山の見える小さな小屋があって、夏休みの3週間ほどを、そこで、祖父や祖母や兄弟と過ごした。それで、たまに、三島まで行き、「うなよしの鰻」を食べた。旨かったという記憶より、流行っていたという記憶が大きい。何時の時か、小学校の時の友人Uくんを連れだって、その伊豆に、遊びに行った時があり、やっぱり、三島で鰻を食べた。

その時、そのUくんは、鰻の骨が喉に刺さるのが「イヤヤねん」と、言いながら、一本ずつ、鰻の骨を抜き取って、丁寧?に食べる。その滑稽な記憶が、映像として鮮明に残り、時として、今でも、鰻を食べる度に、その記憶が蘇り、ひとりで、ほくそ笑む。もし、私が鰻を食べていて、独り笑いをしていたら、その記憶が蘇っているのだとおもってもらって、間違いない。

ついでに言うと、そのUくんとは、高校生の頃、スケートボードが、まだ、日本で、ほとんど売られてなかった頃に、一緒に遊ぶ。Uくんが言うのには、スケートボードをするのに相応しい場所がなく、探したあげく、何百メートルもの直線が続く、大阪の地下街の虹の町を、思いつき、人通りが少なくなる、閉店間際を狙って、ガードマンに追いかけながら駆け抜ける時のスリル。「たまらんわーー」と。彼はいま、生野区の巽北で、鉄板焼きの店MUDDYを営む。

それで、その、三島の鰻屋さんと、それにまつわる、鰻の骨を含めた「鰻の話」を友人の親父である鰻屋のご主人にする。そして、数ヶ月後のある日、その親父さんに会うと、「親子で、新幹線に乗って、三島まで、鰻、食べに行ってきましたでぇ」と、職人さんの、商売人の、独特の大阪弁のイントネーションで、いう。そして、「まぁまぁやな」・・・・・と、ほんの短いセンテンスと余韻だけを残して、その話題の全てが終わった。

働くようになって、「鰻」を食べながら、時として、その時の「まぁまぁやな・・・・」を思い出す。それは、その三島の鰻屋さんにたいする言葉というよりは、自分の店と自分の店の鰻に対する、職人として、そして店主としての自負であり、姿勢なのではなかったのかと・・・・・。

 

「北斎と富士とB級グルメの旅7」
「私」も店主となった今、その「まぁまぁやな」に含まれた、様々なニュアンスの全てを、何時か、確かめてみたいと思っていた。そして、今となっては、かなわない事だけれど、出来れば、その体験をネタにして、その親父さんと、語り合えれば嬉しいのに。とも、おもう。

それで、三島で鰻を食べる。狭い階段に、前後身動き出来ない状態で、もたれかけながら、30分以上も待って、ようやく、鰻にありつく。大阪では、考えられヘン事。とにかく、繁昌している。繁昌しているというその事そのものが凄い事だとおもう。「鰻」の事は、「まぁまぁやな」の件は、鰻屋「竹うち」の親父の後を継いでいる、私の友人と、何時か、語り合おうとおもう・・・・・。

そうそう、家族3人で、食べ終わったら、既に、午後8時を廻っていた。
ここまで、来たのだから、ついでに、「伊豆の家」に立ち寄る。
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DSC07927「手入れをしない家」というものが如何に、容易く、朽ちて行くものか、と、この目ではっきりと、確認する・・・・・・。そして、不覚にも、12才頃の自分自信の「頭」に出会う。不思議な感覚。なぜか、ジャイアンツの帽子だった。きっと、たまたま、三島で買った帽子が、ジャイアンツだったのだろうか・・・・。記憶がない・・・・・。

早朝、鮮やかな富士山ではないけれど、富士山は見えていた。それで、急いで、富士宮市に向かい、「山下白雨」だけは、何とか撮影したいと願った。


PS
それにしても、今日は、暑い。朝、セミの声も聞いた。夏がやって来たのだ。 そうそう、土用の丑だ。大阪府 堺市 鰻(うなぎ)料理(蒲焼)専門 鰻や 竹うちは、如何ですか!

投稿者 木村貴一 : 2009年07月12日 14:39 « インタホーンとお茶と北斎と富士とB級グルメの旅とその8(完) | メイン | いのち »


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