2013年11月24日

道を尋ねるというコト

西淀川の歌島あたりで、方向感覚を失い道に迷う。普通ならiphoneの地図を見れば良いのだが、そのiphoneを出掛ける前に、玄関に置き忘れてしまった。地図のソフトも立ち上げ、いつものようにrunkeeperで記録もとる準備をし、指先が寒いので、手袋をし、iphoneを操作すると、動かない。そうそう、つい最近までは、指先が出るタイプの手袋をしていたので、そりゃそうだと、その指先がでる手袋を取りに行って履き替えたが、やっぱ、寒いので、普通の手袋にはめ変えて、さぁ、出発と、自転車で飛び出して、大阪城のお堀の周りの紅葉が綺麗なので、写真でも撮ろうかと思った時に気がついた。

5kmほど進んだだけなので、一度戻ろうかと思ったが、ま、ええかぁ、携帯がなかったら、どうなるのか・・・、みたいなノリで、そのまま進む。母が入院している病院が西淀川区にあって、天候も穏やかで、最高の天気なので、自転車で出掛ける事にした。15kmの距離なので、ヘルメットも被らず、レーパンも履かず、チノパン。上着だけは自転車用のジャージとサコッシュに母へのお菓子だけを入れて、軽い気持ちで、家を出たのが朝の9時のことだった。

携帯電話がなく、事故でもしたらどうしようか・・とか、奥方と、途中に連絡をとる事になっていて、そうそう、公衆電話を探してみたが、世の中から、公衆電話が消えている・・・。それで、川にぶつかり、高速道路や電車が横切り、道をふさぎ、東西南北にほとんど通っていない歌島あたりで、まったく方向感覚を見失い、途中の大野川緑陰道路という快適な自転車道路に迷い込んで、あまりにも気持ちが良いので、淀川まで行ってしまい、今、地図で見ると、正反対の方角だった。

もはや、誰かに尋ねるしかないのだ。大阪のオバチャンのように、あたりかまわず誰にでも道を聞ければ良いが、それが、なかなか出来ない。道を尋ねる時に、誰に聞こうかなぁと思いながら、それなりに躊躇する気持ちが芽生えるのは、これ、いったい何なんだろうかねぇ・・・。そういえば、家族旅行で、携帯もナビもなく、地図を車に積んでいなかったりする時代。そんな自動車旅行中で、道に迷い、母親が、誰かに、道を尋ねたらと言うと、父が、なんとかなるわ。とか言いながら、道を聞くことに躊躇する姿があって、そんなのを後部座席から眺めながら、兄弟それぞれが、尋ねぇな、ほっとけ、みたいな野次を飛ばしたりする光景があって、そんなのも、今となっては懐かしい想い出。

小学生ぐらいの子供が2人連れで自転車に乗っていた。丁度、同時に信号待ちになった時に、「この辺に○○病院という大きな病院があるとおもうけど、知ってるぅ?」と、丁寧に聞くと、「この道をそのまま、まっすぐに行ったら、右側にあります。(暫く間があって)一緒について行きましょうかぁ」という、泣けるではないか・・・。「ありがとう。お願いするゎ」といって、子供用のMTBに乗る2人に先導され、ゆっくり漕ぎながらロードバイクに乗る54のオッサン。無事到着し、ありがとう!と右手を挙げて感謝を伝え、それに対して、軽く会釈する少年。

天候がすこぶる良く、快適な自転車道路に遭遇し、心地良く快走して、気持ちの良い淀川河口で休憩し、少年の親切な心に接して心が開き、母も体調を回復していて、直ぐに「私」の顔を認識し、手を握って、喜んでくれ、久しぶりに二人っきりの数十分を過ごして、心がほぐれ。こんなコトが重なったお陰で、「気」が溢れたのだとおもう。ここ西淀川区の歌島から、西宮の苦楽園にある「kica」まで15kmほど、家とは、正反対の方向に行く事にする。「kica」のママには、木村家本舗でお世話になり、今は「まちのえんがわ」の棚には、kicaの商品が並んでいて、それに、木村家本舗の打ち上げでは、うちの会社の和室で寝て帰るという、オモロイママで、そのお店に、まだ、行ったコトがなく、そんなあれやこれやの事情があった。

1456116_606899429367015_941573502_n伊藤 泰子さんの写真伊藤 泰子さんの写真伊藤 泰子さんの写真

iphoneがないので地図がなく、頭の地図は大きな国道しか認識されず、後ろから車がどんどん追い越していく国道2号線をひたすら走り続け、夙川沿いを北上し、無事にkikaに到着する。携帯電話を忘れた旨を伝えると、Facebook上で、「まちのえんがわ」や奥方に向け、メッセージを発信してくれて、ま、こういう時代なのだ。こんなふうに、行く先々で、誰かが連絡をしてくれるのなら、携帯を持っていないのも、気楽でエエか・・・。でも、何度か、脇道の交差点で、横切る車や自転車にヒヤッとするたびに、この先でアクシデントがあればどうしよ・・・という不安が、時々、心の中を横切るのも事実。

写真のように女子に囲まれ、珈琲とおいしいケーキで、甘い気分になり、とっても気分良く送り出してくれたので、きっと気分が高揚していたのだとおもう。おじさんになると、以外と単純な事で、エネルギーが湧いてくるものなのだ。西宮の苦楽園から北上して、川西の一の鳥居にあるコトバノイエまで、25kmほど、やっぱり家と正反対の方向に向かう事にする。「コトバノイエ」は、月に何度か、古本店としてオープンしていて、今日の日曜日が、そのオープン日で、「私」個人の事情としても、まったく予定がない、こんな土日の祝日は久しぶりで、それに、この天候とこの気分。このチャンスを逃すと・・・・。地図がないのが不安だけれど、向かった。

なんとなく知っている道なのに、自動車で走れば、まったく、不安にならないのに、携帯の地図がなしで自転車で走ると、不安な気分が時々襲ってくる。仁川近辺で、一の鳥居までどうやって行けばいいですかと、道行く人に尋ねる訳にもいかなく、はっきりと目的の場所を伝えにくい漠然とした状況なので、それで、コンビニに入り、飲み物を買って、地図を見る事にする。久しぶりにマップル関西版の地図本を広げて行く先を確認するが、どうも、ハッキリとした映像で頭に入らない。歳のせいだな。そんなこんなで、阪神競馬場、宝塚市役所、176号線を通って、川西市街にはいると、偶然にも、南花屋敷に住む妹の家の近くに迷い込んでしまった。それで、突撃訪問することにして、チャイムを鳴らした。

インターホーン越しの、驚いた声と、自転車の姿をみて、アホちゃうという、有難いお言葉を頂戴したのだけれど、母の面倒を見てくれている主治医が、妹の旦那で、そんな事もあって、今日の病院での出来事を説明する。それに、この家はうちで、新築したのだけれど、最近、ちょっとしたリフォーム工事をして、それが、身内の方が、打ち合わせ不足や、所謂、「なあなあ」に、陥り易く、それで、それなりのご迷惑を掛けていて、そんな事情もあって、ちょっとした謝罪の機会を与えられたようで、休憩と共に冷たい飲み物やスープやチャーハンをご馳走してもらいながら謝罪するという妙なシチュエーション。

すでに午後3時頃になっていて、「これから坂もあるし、もぉ、大阪に帰った方がエエでぇ・・」と強く勧められたが、妹のご主人に、お礼と謝罪を当時に出来る偶然の機会が巡ってきて、そのお陰で、ちょっと気になっていた心のモヤモヤが晴れて、すっきりしたのが良かったのだとおもう。川西の一の鳥居のコトバノ家まで向かうことにした。何度か通っていて、車なら間違わない道なのに、なんとなく猪名川に向かう坂道を登ってしまい、その途中で気がついた。引っ返そうとおもったが、この坂道を登り切りたいという、欲望のようなものが湧いてきて、それに裏道のようなものがあるはずで・・・。

登り切った鴬ケ丘の交差点手前で、偶然歩いてきた、ハイキング姿のおじさんに、道を尋ねる事にした。「方角は、あっちの方角なんやけど、この道をこのままではアカンわ。」と指をさしながら、、「右折し、坂道を下って、鴬の森の駅まで行って、国道に出る事やね。」と教えてくれる。「携帯電話を忘れて、地図が見れないのです」と、それなりの言い訳しながら、「ありがとうございました」と、お礼のコトバを言って、右折するも、折角汗をかいて登ってきた高度を失っていく、何ともいえぬ虚しさ・・・。今、地図を見ると、抜けていける道はあるが、確かに、教えるのが、ムツカシかったのだろうなぁ・・・。

写真: 生野の社長さん、ただ今到着デス〜能勢街道のだらっと登る坂道を上がり、一の鳥居の駅前から住宅街に入るための急坂を汗をかきながら登り切って、コトバノイエに到着した。コトバノイエオープン日の常連メンバーが居て、突然の子供連れ家族の訪問もあったりして、建築家が設計した家で、普段、住んでいる家の古本屋さんっていうのは、とっても珍しいし、独特の落ち着いた居心地の良いムードがあって、勇気がいるかもしれないが、是非、機会があれば、訪問して欲しいとおもう・・・・。そんな訳で、居心地良く1時間ほど過ごす。わざわざタオルを提供してくれて汗を拭いたり、冷たいお茶やスープやオードブルやコーラをもらったりし、Facebookで状況を伝えてくれたりと、親切を頂戴したのだけれど、夕方の5時を過ぎ、暗くなってきて、これから家まで35kmほどもあり、それにこのブログを書くという、「仕事」のようなプレッシャーもあって、これからはじまりそうな宴会に後ろ髪を引かれながら、生野区小路を目指すことにした。

事前にiphoneの地図を見て176号線をなるべく通らない道を頭にいれようとしたが、やっぱり全然ダメで、ぼやっとした映像しか入らず、庄内近辺の住宅街の中で迷う。もう真っ暗で、人通りも少なく、なんとなく道を尋ね易そうな人にも出会わず、やっぱりコンビニかなと、コンビニの駐車場に入ると、偶然、タクシーの運転手が、入り口から出てきて、車の扉を開けようとした時に、条件反射のように、道を尋ねた。「スミマセン、十三までの道を教えて欲しいのですけど、携帯電話を忘れたんです・・・」と言うと、人柄の良さそうな運転手さんで、ニタッと笑いながら、「このまま真っ直ぐ行って、島江町の交差点を左折れするのがエエけど、それより、そのまま、真っ直ぐ行くと、阪急電車にあたるから、それ沿いの道を進むのがエエとおもうわ」と、流石、タクシーの運転手で、今、地図を見ると、遠回りだけれど、自転車を考慮した親切で、改めて感謝の気持ちがわく・・・。

神崎川あたりで、工事中の迂回があって、大丈夫だと思いながらも、初めての道なので、暗闇と共に不安も押し寄せてきて、迂回路の交通整理をするカードマンのおちゃんに、確認することにした。建築という職業柄、なんとなく、親しみが湧くのだ。それに、偶然、目の前に、しっかりしてそうな、若いガードマンが立っていたので、「十三に行くのどっちですか」「このまま電車沿いに行ったら大丈夫、踏切越えて、そのまま」「ありがとう。携帯忘れて、道がわかれへんねん!」「あっはは」と吉本新喜劇のように笑顔で受け止めてくれたのが、気分を晴れやかにしてくれた。

そんなこんなで、無事に帰宅し、それでも、「まちのえんがわ」閉店の午後7時には間に合わなかった事が、ちょっと残念だったのだけれど、それにしても、お見舞いに行って、すぐに帰るつもりが、携帯電話を忘れる事で、道を尋ねて、多くの「親切」を頂戴したのが、気持ちを高揚させてくれたのだとおもう。嬉しかったなぁ・・・。thanks。

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投稿者 木村貴一 : 2013年11月24日 23:59 « 繋ぐ | メイン | 月夜の晩と日の出の朝の出来事 »


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