2014年02月16日
侘びてどうする寂びてどうする
大阪の千日前に味園ビルというのがあって、昔からその前は何度も何度も通っていたが、入るのは実は初めてで、10代や20代の頃は、オトナのオッサンが遊ぶ、ちょっとH系な場所だと思っていて、いつかは、おじさんの諸先輩に連れられて、一度は行きたいお店だったが、1990年代の、私にとっての30代になると、そういうお店そのものが衰退していき、興味の対象にすらならなくなって、行く機会を失っていた。
ウィッキペディアによると・・・
1956年に建設された。 当時としてはモダンで高級感のある外観が評判を呼び、高度経済成長期の好景気も手伝ってかビル内のキャバレー、スナック、ダンスホール、宴会場、サウナは連日の大繁盛をおさめた。1970年代にはインパクトの強いCM放映により関西圏で知名度を強めていった。その後も1980年代のバブル経済期まではミナミ、千日前の歓楽街を代表する存在だったが1990年代半ばから低迷。一時期は2階テナントフロアの大半が空き物件という状況になったが、2004年に運営会社の方針でテナント料を大幅に下げ、若いオーナーが中心のバーや飲食店を誘致。東京の新宿ゴールデン街と並んで日本のサブカルチャー、アンダーグラウンド文化の発信地としても注目されるようになった。かつてはキャバレー「ユニバース」もあったが、2011年3月15日に営業を終了し、貸ホールになっている。
それが、うちの長男が20代になった頃から、大阪のサブカルチャーの発信地として、オモロイ存在として、アンダーグランド的な人気が出てきたらしく、長男を通じて、その存在を再認識し、そのうち、うちの社員からも、遊びに行って、面白かったわ。と聞いて、機会があれば、行こうと思っていたが、そんな時に、家谷植景研究所のイエタニさんが、そのお店の前に大きなプランターを設置する工事を依頼されて、その仕事をした縁で、イエタニさん主催による「味園ビル建築探訪」という、お遊びのツアーが企画されて、それが、金曜日の夜の事だった。
ところが、その日の夜は、打ち合わせが二つも重なっていて、どんなにあがいても無理なシチュエーションで、そのツアーには行かれへんわ。というコトになっていたのだが、前日から雪が降って、しかも、道に積もるほどの雪で、大阪では珍しい雪景色になった。いわゆる、「お足元がお悪い」状況が、突発的に発生し、それが引き金となって、二つの予定が、急遽キャンセルになるという、嬉しくないような嬉しいような複雑な心境が同時多発して、味園ビルの前に立つ私の姿を発見する「私」に至るのだった。
誰もが入れる場所はそれ相応に見学したのだけれど、このツアーでは、バックヤードに案内してもらえたのが、オモロイ経験で、今は、倉庫件工作場として使われているホールに案内してもらった時には、かつて「LIFE」紙の取材を受けた時の写真を見せてもらって、あっ、当時、大まじめに、本気で造った建築だったのだ。と、妙な認識を持ち、「水中エアーステーションのあべのプール」が、同じ経営者だったと、そのポスターと共に知らされて、へぇーっという、妙なオドロキまで持った。ちなみに、小学生中学生の頃は、友達同士で、あべのプールに遊びに行くコトは、ちょっとした冒険的楽しみで、監視員の目を盗んでプールに飛び込んで、潜って、水中エアーステーションに入って、その中で数回呼吸をして、勢いよく水面に浮上した時の、その空と監視員とプール全体の光景が、うっすらとした記憶とともに蘇った。
今は倉庫になっている、洞窟のようなサウナでは、8割がゲイの人ばかりになってしまいましたわ。なんていうエピソードがあったりし、微妙な気分を味わいながら、洞窟探検をしたような錯覚に陥り、その後に案内された部屋では、新築当時の味園ビルを再現した模型を見せられて、その精巧な出来映えに驚くと共に、その模型を製作した大工さんが登場してきて、説明とそのお顔を拝見していると、あっ、ものづくりの好きな、社長さんと職人さんが、面白がりながら造った大まじめなビルだったのだと、今まで漠然と抱いていたチープで模造なビルだという誤解を改めた。
大工さんの、ものづくり独特の、エエムードが漂う加工場に案内してもらって、木で造った精巧な電車の模型を見ているうちに、この味園ビルは、建築好きな社長と、ものづくりの方法を熟知した番頭さんがいて、それを支える、ものづくりの好きな職人さんや協力業者もいて、皆で集まって、本気で造った建築だったのだ・・・と。正統的な日本的数寄屋建築とは正反対な数寄的建築で、「わびさび」を追求するアカデミックな感覚より、「侘びてどうする寂びてどうする」的ムードがプンプン漂っていて、世間的に「粋」な建築と言われるより、私が好きなものを、面白いとおもうものを、本気で大まじめに、ちゃんとした素材を使って、キッチリと造って、そんな自分好みを、皆にオモロイなぁと感じてもらいながら、喜んでもらおうとした、サービス精神旺盛な建築ではないのかと、想像してみた。
そんなケンチクが、「時間」というフィルターを通過しながらも、「存続」できたコトで、「ものづくりの心」として、「建築のチカラ」として、ある種の感動すら与える建築になっているのかもしれない・・・・。
そうそう、ツアーの最後に、大宴会場の間仕切りをフルオープンにして、たった14人だけのVIP宴会がセッティングされていて、そんなところにも、味園ビルオーナーの独特な「粋」に魅せられた。
投稿者 木村貴一 : 2014年02月16日 23:59 « ブリキcafe | メイン | 職人宴と建築家宴 »