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2008年06月29日
大阪
梅雨だ。そして、蒸し蒸しする。そう感じながら、デッキで、朝から新聞を眺める。 『ヒートアイランドで「熱い夏」。暑苦しさは大阪が一位』とあった。
読むと、『那覇は熱帯夜は多いが昼間は比較的過ごしやすい。名古屋や京都は昼間は暑いが夜は新潟と変わらない。 大阪は昼も夜も逃げ場のない暑さが続いている』と。う~ん、確かに。
「逃げ場のない」という言葉に、経済も含めて、何とも言えない大阪の雰囲気が漂うではないか・・・・。よく読むと、『幸い、 大阪平野は大阪湾からの海風が流れ込む地形だ。強いときは夏の昼間、上空で、5,6メートルに達する。』 西風ってやつだな。
そうそう、小さい頃、おばあちゃんが、いつも、「西からエエアンバイの風が吹いてきまっせ。」と、言って、 路地に面した窓を開けていた。確かに、心地良い風が吹いていたとおもうが、下水の臭気も、ほのかに漂っていような記憶が・・・・・。
と、書いていると、奥方が、「同窓会。これから同窓会やねん。この服でエエかな。今日は蒸し暑いし。どう?どうおもう?」 と尋ねてくる。こういう時は、微妙なのだ。エエ加減な返答をすると、「真剣に答えてヘンやん!」と、怒られ。自分の趣味を言うと、 何だかんだ大阪弁でぐつぐつ言って、着替えながら、結局は、最初に自分が選んだ服を着てるやん!
と、心の中で強く叫ぶものの、そんな事を音声として発しなくなったのは、私が、大人になってきたからなのか・・・・。それとも、 奥方が、大阪のおばちゃんとしての、太刀打ちできない風格が漂いだしているからなのか・・・・・。
そういえば、奥方と昼食を食べながらテレビを見ていると、札幌人と福岡人と大阪人の女性の比較をやっていて、 好みの男性はという質問に、札幌と福岡は、男らしさとか・・・と、なるほど、そうかとおもう、一般的な内容だった。
大阪は、1、笑いのセンス。2、お金。3、その場の空気をよめる。で、それを見て、奥方は、笑いながら、わかる。わかる。 を連発していた。続いて、女性の行ってみたい憧れの都市は?という質問に、札幌と福岡は大阪や東京や京都だったのに、大阪人の女の子は、 ハワイ、パリ、ニューヨーク、ドバイ。だって?!
大阪の西風の話なのだ。かつては、街の路地が、西風を導く、風の道としての役目もになっていたのだろう。私の小さい頃は、 そんな路地を「かくれんぼ」や「探偵ごご」をして遊ぶ、逃げ道として、走り回った。今や路地は、空調の室外機置き場かな。 路地の窓を開けると、室外機の熱気がむんむん・・・・。過去のブログの「残暑」 や「響き」 にも、そんな話を書いたような。
新聞の大阪市の暑さ分布の地図をよく見ると、私の住む生野区は、東住吉区や住吉区と共に、「暑い」地域だと。どうも、「生野区」 という響きは、暑さ分布からしても、大阪人の印象からしても、あまりよくないような・・・・。
それで、最近の施工した住宅を振り返ってみる。
東住吉区の間口3640のイエは、打合せの時から、「西からエエ風が吹くので・・・」という事だった。それで、 2階の西側にあるキッチンの西窓を少し大きく造って、東側のリビングのもっと大きめの窓から風が通り抜ける・・・。
やっぱり東住吉区で造った木造2階建ての木づくりのイエでは、自然素材の心地良さと共に、心地良い風が通り抜ける家づくりが、 奥さんからの要望だった。キッチンの西と北にある窓から風が入り、東の居間にあるデッキの窓に風が抜ける。 玄関扉に取り付けられた網戸からも玄関土間をとおして、風を呼び込み、居間の高窓から風が抜ける・・・・。
今年初めにお引き渡しをした東大阪の密集地でのコンクリート住宅は、コンクリートに外断熱を施した。居間の吹き抜けは、屋上緑化をし、 開閉式の天窓を取り付けた。寝室の窓からは、コンクリートの照り返しがない、居間吹き抜けの屋上緑化を眺める。そして、やっぱり、長い庇。 初めての夏を迎える今年、大阪の熱帯夜に、どんな効果を発揮するのだろうか・・・・。
「環境ルネサンス」だと新聞にある。洞爺湖サミットも、もうすぐだ。木村工務店では、とにかく、まずは、「シンプルなエコ」 を積み重ねていこうとおもう。そういえば、作夏、今年からは、会社で、「打ち水」をするのに、 雨水を貯めるタンクを設置しようと言っていたけれど、忘れていたな。もう、梅雨も後半だ。どうしよう・・・・・。
なんて、ブログを書きながら、肌で感じている感覚は、それにしても、今日の大阪は、蒸し暑い。なのだ。
2008年06月22日
人間として
大工さんの作業を見ながら、「エエ仕事してるなぁ・・・・」と何気なく声をかけると、「そぉやろぉ、人間として、しあわせやわぁ・・・ ・」と、徳島訛りの言葉で、黙々と作業をしながら、ぼそぉっとした音声で、言い放った。
その大工さんが素朴に発声した「人間として」という言葉に、しばし沈黙してしまった・・・・。「しあわせ」という言葉以上に、 「人間として」と言う言葉に「感じて」しまったのは、きっと、秋葉原で起こった事件などが、心のどこかに引っ掛かっていたからかもしれない・ ・・・。
普段、ブツクサブツクサ冗談ばっかり言っているその大工さんからの意外な言葉を聞いて、作業所内に、暖かい笑いが、ブワーっと、 広がった。その笑い声を聞いて、大工さんが、照れながら、「2階の事務所で、皆に、言わんといてやぁー。きっと、皆に、ひやかされるけん」 と。
あっ、今、言ってしまった・・・・。
そうそう、こんな事をなんとなく思い出したのは、先週から今週にかけて、テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」 に出演していた拉致被害者家族の話を聞いて、涙し。「ザ・マジックアワー」を奥方と映画館で、見て、笑い、涙し。「すべらない話」を見て、 笑い。「探偵ナイトスクープ」のグランドアカデミー大賞を見て、笑い。と、なんだか「人間ぽい」映像を立て続けに観たからかもしれない・・・ ・・。
外では、雨が急に激しくなってきた。今日は、打ち合わせがあったのだけれど、かなり蒸し暑かったなぁ・・・・。そうそう、 最近のブログでは、研修旅行の話ばかりしていて、あまり、仕事の話がなかったような気がする・・・・それではっと。(桂小枝風に)
先週の土曜日、雑誌の写真撮影があって、お伺いすると、撮影終了後に、
住まい手へのインタビューがあった。そしたら、そのインタビューの待ち時間を利用して、突然、カメラマンが、
ライトをセッティングして、そのお宅の娘さんをモデルにして、撮影会をはじめたのだ・・・・・。
娘さん、ラッキーやったね。
風が通り抜けて欲しい・・というのが、打ち合わせ時にあって、西の小さな窓から東の大きな窓に向けて、そよ風が通り抜けて・・・、
ほっとした。
子供室の一角に出来たフリースペースの本棚には、絵本やらがいっぱい並んでいて、撮影の合間も娘さんが杉板の上に座って、本を読んでいると、
レースのカーテンが風をはらんで、ふわっと揺らいだ。そんなのが、意外に、心地良かったりして・・・・。
雑誌社のスタッフが、男の子の部屋のブースに入って、椅子に座り。
落ち着くなぁ・・・っと言いながら暫し瞑想的に・・・・。
先週、I井設計事務所へ見積図面を貰いに行って、その建物の模型をサッと撮影して、会社でその写真を見てみると、模型より、
赤い服の事務所のスタッフの姿にピントが合っていた・・・。え?、それがどぉしたのぉ・・・と、言われても・・・、別に・・・・、ただ、
写真のムードが、独特だったので・・・。
H敬一さん設計の現場を覗くと、丁度、カスタム工房のH川さんがキッチンを施工中だった。スキッと綺麗に見せるために、
下地の調整作業を繰り返していた。職人さんは、隠れたところで、努力しているのだなぁ・・・・・と。その背後の窓に、忍者のように、
我が現場監督のT田くんが静かに作業を見守っていた・・・・・。その姿に、ちょっとビックリ。
もう、先々週の事になる。地鎮祭で、
お饅頭を食べた家の上棟式があった。プレカットをするんやったら、手加工をさせて欲しい!と、
自分の描いたかんばん板を手にして叫ぶ、大工S木くんの、その心意気を記念写真として、パチリ。
やっぱり、先々週の事だ。和歌山の橋本で、いわゆる、古民家再生工事の引き渡しがあった。ガラスの入った障子の建具が、少し、「浮き気味」
だったかもしれないなぁ・・・・と思っていると、お施っさんが、開口一番、「自分の要望通りに建具を造ってくれて、よかったワー」っと。
そう言われると、やっぱり、その住まい手好みに造る、「好き家造り」
というのが、一番エエのでワーっと、おもえてきた・・・・・。
家の前では田植えをしていた。このお宅で、一番最初に工事をさせていただいた、長屋門を壊して造った、新築住宅を、 田んぼ越しに眺めながら、この5年ほどの間に、新築とは別に、3カ所もリフォームさせていただいたのだなぁ・・・・。と、 お庭のにゃんこちゃんに、お礼の言葉を述べさせて頂こうとおもう。
2008年06月15日
古式に則った左回りの旋回
古式に則って、左回りに旋回してから正面の鳥居をくぐります。と、 船長のアナウンスがあって、船が、ゆっくりと海の上を進む。
宴会が終わった後に、自由参加で催した厳島神社ナイトクルージングは、間近に見る鳥居の柱が、想像以上に大きかったなぁ・・・・と、 何人かのひとと、思い出しながら話し合っていると、社員のTくんは、鳥居をくぐった記憶など、ほとんどない・・・・。と言い張る。 そういえば、船のデッキの上で、大の字になって、気持ちよさそうに寝ていたなぁ・・・。
平家や源氏の時代に、丁髷を結って、鎧甲を着た武士が、櫓をこぎながら和船に乗って、その、古式と言われる左旋回をしたあと、 厳粛な面持ちで、鳥居をくくった姿を想像する・・・・・。
そんな、緊張感のある情景からすると、浴衣、ジーパン、酔っぱらいの観光船は、チャラチャラして、不謹慎きわまりないのかもしれない。 それでも、それでもそれなりの厳粛な空気がその観光船の中に漂っていて、アナウンスに従って、乗船者全員で、二礼二拍手一礼をして、 船上から鳥居をくぐる。
穏やかな海の上を漂う、船の緩やかな揺れを体で感じながら、ライトアップされて、 オレンジ色に光る鳥居を眺めていると、目でとらえるオレンジ色の鳥居という「モノ」とともに、その背後に潜む目に見えない「何か」 、「厳粛な雰囲気」みたいなものを、感覚としてとらえていたようにおもう・・・・。それは、厳島神社のもつ「厳」粛なのか・・・ ・ 。私たちの中にもつ遺伝的な何かなのか・・・・。
今、こうしてブログを書きながら振り返ってみると、「自然」とのこういう関係性を構築した厳島神社の、 創建当時の施主もプロデューサーも設計者も施工者も格好エエなぁ・・・・とおもう。そんな遺伝子が「私」にも宿っているのだと、今一度、 そんな何かを思い起こす事が出来れば・・・・・・と、願う。
そうそう、快晴の前日は、閑谷学校のあとに、錦帯橋を見学する。現在施工中の地元、 清見原神社の木材を納入してもらっている奈良桜井の金幸さんが、錦帯橋に吉野材を納入した縁で、錦帯橋の棟梁の海老崎さんを紹介してもらう。
棟梁から解説をしてもらう前に、棟梁を交えて、皆で記念写真を一枚。
あれぇ、2名ほどいない・・・・。社員のツジピーと大工のセンさんが、錦帯橋の橋の下で、大の字になって眺めていた・・・というより、
酔っぱらって寝ていた。が、その二人は、下から眺めて、橋の構造を研究していたのだぁ・・・・と、言い張る。まぁ、いつの時代にも、
集合写真の横に黒枠の顔写真で写る人間はいるもんだよなぁ・・・・。
海老崎棟梁の解説を聞きながら橋を渡る。
海の上に浮かぶような神社を造ろうとした厳島神社の人々も、木造で、吊り橋でない、アーチ橋を造ろうとした錦帯橋の人々も、
その心意気が素敵だなとおもう。そして、それを受け継ぐ人々のその心意気も。
古式に則った左回りの旋回が、自分たちのDNAの中に眠る、「自然」に対する心意気のようなものを、じんわりと、 目覚めさせてくれたのかもしれない・・・・・・・。かな?
2008年06月08日
DNA
安芸の宮島から呉港まで高速船に乗っていると、誰かが、「潜水艦や!」と叫ぶ。 船のデッキから左舷11時の方向を見ると、鯨のような黒い物体が静かに堂々と近づいてきた。
誰かが、そして、私も「カッコエエなぁ!」とおもわず声を出す。船室にいる人もデッキにいる人も、そして、船長までもが、 その方向に身を乗り出して、後方に過ぎ去るまで見届ける。デッキから潜水艦に向かって、手を振ると、手を振り替えしてくれたような気がした。
海で見る潜水艦は、独特の格好良さがあった。確かに、この言葉は不謹慎かもしれない。 その背景にある、戦争とか、平和とか、建造費とか、必要性とか、憲法とか・・・。その他、様々な諸問題を考慮すると、 このコトバに、コメンナサイと謝るしかない。
ただ「モノ」として、「乗りモノ」として、実物の動く姿を目の前で見ると、乗ってみたい・・・と、ちょっと憧れる。それは、 私だけの事なのかもしれないし、「男のDNA」の中にある「潜在的な何か」なのかもしれない。
戦時中の何人かの若者が、「モノ」としての格好良さに憧れて、戦艦大和や零戦に乗った人もいるのだろうなぁ・・・・。 なんて事を感じたのは、その日が初めてだった。そして、じっくりと、「その背景」を考えると、やっぱり、複雑な気持ちになる・・・・・・。
瀬戸内の島々と、何隻もの軍艦を見ながら、小雨降る、大和ミュージアムの前に船が着いた。 今回の研修旅行のメインテーマが閑谷学校と錦帯橋と厳島神社だとすると、戦艦大和を見ることは付録のようなものだった。
ボランティアの説明員の人が渾身の力を振り絞りながら、1時間、朗朗と、「モノ」として、 「モノ造り」としての大和と、「その背景」を説明してくれる。
当時の最新の技術を結集して造った大和の技術が、現代にも様々なところに、 活かされているのだぁ・・・・と。そうそう、そう言えば、グレーチングが最初に使われたのは、大和だったと語っていた。
そんな中で、戦艦大和乗組員の戦没者名簿の前に立って、「小学校の時の担任の先生の名前が、ここにあったワ!」と、指をさしながら、 「その背景」を語ってくれたのは、今回の「研修旅行の乗組員」でもある、弊社の会長だった。まぁ、私の親父としての関係性もあるわけだ。
期待をして訪れた大和ミュージアムではなかったのだけれど、「モノ造り」としての戦艦大和。その背後に潜む「複雑怪奇な背景」 をもつ戦艦大和。いやぁ、今という時代に戦艦大和をどうとらえるのか・・・・・。そんな問題意識が芽生えたことは確かだ。 それなりに良かった。
今回の研修旅行は、大阪(地下鉄小路駅)→閑谷学校→錦帯橋→厳島神社→大和ミュージアム→大阪(地下鉄小路駅)という行程で、 日曜日の早朝、バス一台に社員や大工や協力業者の面々53名と、ビールや酎ハイが十ケースほどに、焼酎やおつまみやその他諸々を混載して、 出発する。
二日間のバス旅行で、何リッターのガソリンが消費され、それが、原油価格の高騰で、幾らほどの金額になるのかと、 ちょっとした興味がわくのだが、研修旅行の乗組員によって、バスの中だけで消費されるアルコール量が、単純計算でも84リッターほどになり、 それが、いったいぜんたい、多いのか、少ないのか、省エネなのか、そうでないのか・・・・・。ちなみに、私のアールコール貢献度は低い。 アルコールに関しては省エネな体の造りだと、付け加えておこう。
岡山県にある、閑谷学校
(しずたにがっこう)に到着する。個人的には2度目なのだけれど、様々な職種の人たちと一緒に、「建築」
を見ながらワイワイガヤガヤ言うのが楽しい事だな。と知る。
屋根屋の瓦寅さん曰く。瓦の下に水抜き用の小さな丸い陶管が何カ所も埋め込まれていて、 軒先の鼻隠しが腐るのを防いでいるのだと。
皆に、解説をしてくれる。
山本左官さんが携帯で写真を撮りながら言うのには、懸魚 や蛙股が漆喰で出来ていて、
「型板を大工に造ってもらい、それに縄を撒いて、3、4ヶ月ぐらいかけて、じっくりと造っていくのやでぇ・・・」と。
大工さん達が集まって、床下を覗きながら何やら談義をしていた。「この床板、どうやって、留めているのやろ。」「この木の継ぎ手の位置、
これで、ええんやろかぁ。オレやったら悩むとこやな」 ・・・・と。
海平造園さんの若い職人さんSくんが石垣と小高い火除け山との細い道を歩きながら、 携帯写真を連写し、戻ってきてから、「格好ええなぁ」
を連発する。
材木屋の伸ちゃんが部屋に林立する丸太をじっくりっと眺めていた・・・・・。「構造補強せぇ!といわれたらこの建物、 台無しになるんとちゃう。」と、大工さんと話していた・・・・。
現場監督や設計部が一緒になったり、 ひとりになったりしながら、あちらこちらを眺めて、
ワイワイガヤガヤ・・・。
この学校は、江戸時代に造られたという。いわゆる、「ええ仕事」をしてあるのだが、そんな、細部よりも、全体的なムードが心地良い。
自然環境と一体となるような構想。きっと、私たちのDNAの中にもそんな発想力が、受け継がれているはずなのだが・・・・・・。
2008年06月01日
伝統的な
M r.E教授のお誘いで、丹波の佐治青垣へ行く。人通りのない閑散とした伝統的な町並み。
今となっては、なつかしい雰囲気の店の看板があちらこちらにチラホラ・・・。近くに山と川があり、上空を見上げると、
パラグライダーで、空中散歩をしている人が・・・・。
「新築を超えるリフォーム」なんていうキャッチコピーがあったけれど、こんな「町並み」が、リニューアルされて、 新しい住人がやって来る「新興住宅地を越える伝統的住宅地」として、復活するのも良いのでは・・・・と、おもった。
会社に帰ると、若い大工が棟梁から教えてもらいながら、刃を研いだり、斗栱(ときょう)とよばれる伝統的な木組みの斗(ます)や肘木 (ひじき)を造っていた。今の時代、そんなものを造れるのは、一生に一度のチャンスかもしれないという、若い大工の「もの静かな気迫」 が伝わる。
プレカット加工(工場機械加工)のかわりに手加工をさせて欲しいという若い大工もいて、 「若い大工」さん達も、「今という時代」と「伝統的な技術」との狭間で、「葛藤」しているのだなぁ・・・・・。 自分たちのもつDNAが騒ぎだしているのかもしれないなぁ・・・・・・。と。
そんな姿を見ていると、伝統的な技術を今の住宅に、もっともっと活かせる方法って、ないのかねぇ・・・・・と、おもう。
ちょっとこじつけがましい前振りになってしまったのですが、今日と明日、社員と協力業者で、閑谷学校、錦帯橋、厳島神社と、 過去の伝統的な建築遺産を見る研修旅行(まぁ、たんなる慰安旅行だともいいますが・・・)に行きます。それで、2日(月)の営業は、 お休みをしますので、工事中や打ち合わせ中の皆さん、よろしくお願い致します。
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