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2007年12月30日
年末に祖父に会った
年末ぎりぎりに住んでもらえる事になった新築のお宅にお伺いすると、お祖母さんから、 引っ越しの時に出てきた写真を見て欲しいと、手渡された。地鎮祭を写した写真で、よく見ると、 手前に鍬を持っているのは私の祖父で、弊社の初代社長の姿だった。久しぶりに、おじいちゃんに会ったなぁ・・・と感激した。
私の祖父と父が、40年近く前に新築した数寄屋風の木造住宅だった、手入れすれば、 まだまだ50年以上は十分に使える状態だったのだけれど、駅近くの市街地だったので、近隣にスーパーが出来、真横に高い商業ビルが建ち、 深夜のカラオケが騒音となり、日光が入らない薄暗い状態になっていた。近々、南側には、マンションも建つという・・・・。
息子さん夫婦との4世代に渡る同居という家族構成の変化に伴い、リフォームを検討したものの、家族の皆が愛する「座敷」 をそのままの寸法で残すという事で、母屋としての木造住宅をコンクリート造の新築として建て替える事になる。
座敷を残すために生じる耐震の問題、深夜のカラオケの騒音、断熱、 太陽光等々の様々な問題を考慮して、コンクリート造の外断熱工法で造る事となった。地鎮祭の時は、 私の父でもある弊社会長も参加し、私が鍬を持つ役目を務めた。 そんな事がその祖父の写真を見ながら猛スピードでフラッシュバックした。
そういえば、年末に、弊社で施工した、 石井良平氏設計による目神山に建つ外断熱のコンクリート造住宅にお邪魔する機会があった。床暖房だけで、全室が暖かく、 内部に見えるコンクリトー打放しが、手で触っても冷たくなく、おもいのほか快適な事を居間で談笑しながら、体感した。
外断熱と外張り断熱の違いはグーグルの検索に譲る事にしておこう。
蛇足ながら、石井良平氏の父でもある石井修氏の「石井修さんを偲ぶ会」が、この20日、関西の著名な建築家が一堂に会して、 賑やかにおこなわれた。
石井修氏最後の作品となった目神山の家22に携われたのも様々な「縁」が重なっての事だ。その家の竣工パーティーの席で、 対面に座る石井修先生が仰った「それが、正直な住宅なんだ!」という言葉をしっかりと噛み締めながら住宅を創っていきたいと願う。合掌。
そうそう今年最後の上棟式が22日の雨の降りしきる中であった。最近話題の確認申請の問題で着工が遅れた木造3階建て住宅で、 プレカットを止めて、うちの大工で手加工をして造った。数日前から建てておいて、ブルーシートで全面を囲っていたので、 雨の中でもそれなりに、快適な上棟式となった。 写真が薄暗いのはご勘弁を。
上棟の宴席で、施主の子供さん達が、大工さんの肩をもんでくれたり、ダンスを披露してくれたりと、私たちも楽しませてもらった。感謝。
そんなこんなの年末であったのだけれど、最後は、会社の年末の様子を伝えて、今年の最後のブログにしたいとおもう。
29日の午前中は、大掃除という年末の最後を飾る恒例の行事と、一本締めで、 この一年を締めくくった。
その行事とともに、カレンダーを配るという年末恒例の行事もあって、持って行くと、待ってましたと喜んでいただいたりして、 私たちとしても、大変有り難いことだった。
こんなふうに書くと、これを読んでおられるOBのお客様の中で、今年は、届いていないよ! とおもっておられる方がいらっしゃるかもしれない・・・・。来年からは、ここ10年ほどの方に、まんべんなく行き渡るよう、 社内の作業内容を整えますので、年末最後の反省としてお許しを。
木村工務店では、12月30日から1月5日まで、お正月休暇です。1月6日は初出と新年会のみで、 通常営業は1月7日からです。本年も一年間お世話になり有り難うございました。来年もまたご愛顧を賜りますよう宜しくお願い致します。
それでは、良いお年を!
2007年12月23日
教会で過ごすクリスマス2
木村工務店で、初めて手がけた設計と施工による森小路教会の建て替え工事が、先月の末に竣工し、 その新しい教会での初めてのクリスマス礼拝が本日あった。昨年、初めて体験した教会でのクリスマスは、 おもいのほか心地よい体験だった。今年は、その体験を分かち合うために、奥方と一緒に参加することにした。というよりも、 新しい教会がうまく機能しているのかどうかが、何よりも気がかりだった。
「昔の面影を残して欲しい」 それが新しい教会を建てるにあたっての一番大きな要望だようにおもう。その事がうまく反映されたのかどうか、いまだに、そして、 これから先も心配なのだけれど、大きな花束を皆さんから頂戴し、その事で、それなりの安堵感と、 教会の皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいになった。
改修工事によって、外観は変更されていたが、ヴォーリスが設計した内装が教会の皆さんのお気に入りだった。 正面の聖壇の奥にある壁の赤い布クロスは、赤いレンガタイルになり、袖壁の節のある松の板材は、無節の吉野杉になり、 腰板や床板も依然と同じように木で造ることになった。
平面上の大きさは依然と全く変わらないのだけれど、室内高は以前の1.5倍ほどとなった。教会の光の「暗さ」に、 ある種のあこがれがあるのだが、「聖書を読むためには、手元が明るくなくては・・・」というのもはっきりとした要望のひとつだった。 特に高齢者が増えた教会にとっては、大切な要素のようだった。そういえば、以前訪れた五島列島の教会では、 暗い教会の中に雰囲気にそぐわないような蛍光灯が沢山ぶら下がっていたのを思い起こさせた。
教会を「生活の一部」として過ごす教会の皆さんにとっては、「機能」として必要な要素が、それなりに沢山ある事に、 はじめて気付かされた。また、打ち合わせの前に必ず行われる祈祷は、「施主がイエスキリスト」でもあるのだと、徐々に、 気付かされることになる。
目に見えない力の存在。そんな事を考えさせられた教会建築だった。
(追記)
12月24日の夜は森小路教会でキャンドルサービスがあった。
森小路教会のパンフレットには、
「どうぞ、教会で、昔ながらの、そして本当のクリスマスをお祝いしましょう。
お仕事の帰りにぜひお立ち寄り下さい。ご家族で、あるいは愛する人やお友達と一緒にお越し下さい。
神様があなたを待っておられます。」
と、書かれてある。教会の皆さんの歌声が礼拝室に響きわたる「き~よし・こ~のよる~~」を聞くだけでもそれなりの感動があり、 心が洗われる・・・・。
木村工務店で家を建てさせていただいた方で(別に、そうでなくても良いのだけれど)これを読んでおられるのなら、是非、 来年のクリスマスは森小路教会でのキャンドルサービスを体験してみては如何でしょうか!
私は、昨年に続いての2度めの経験だった。クリスチャンでもなく、かといって仏教徒だとも胸を張って言えず、神道とも、言い難い「私」 が、新年を神社で、お参りし、仏壇にも両手をあわすという年始の行事に、年末のクリスマスには、教会で過ごすという新たな楽しみが加わった。
2007年12月16日
一枚
ブログを書くようになってから、デジカメを携行するようになった。といっても撮り忘れる事も多い。それに構えて撮るというよりは、 瞬間をスナップする。で、いつもブレブレの写真・・・・。
(↑写真左)先週末に忘年会があった。皆の笑顔を撮ろうと思っていたのに、忘れた。カメラに残ったのは、一本締めの後、
皆が帰りかけている時に、「あっ、撮影、忘れた」と気付いて、パシャッと撮った一枚。今年は万歳三唱でなく一本締めで終わったのだなぁ・・・
・と、今、おもった。
(↑写真右)忘年会のもう一枚は、深夜のスナックの帰り。皆と別れて、「あっ、写真、撮るの、忘れた」と、やっぱり、おもむろに気付いて、
道を振り返りながら、撮った一枚。写真の時刻を見ると2時32分となっていた・・・・・。その日の忘年会を今、思い出す。そうそう、
今となっては、笑い話なのだけれど、ちょっと恥ずかしい出来事もあったっけ・・・・・。
(↑写真左)月曜日に、例の確認申請の問題が絡んで、ようやく申請がおりた木造3階建て住宅の地鎮祭があった。その敷地に行く道中の「道角」
が、ええ感じに思えた。それで、歩きながら、一枚。
(↑写真右)長屋の間を切り取って、両脇の家の壁を補修して、ようやく地鎮祭となる。長屋の隙間に立つ紅白の幕を張ったテント。 地鎮祭の竹。自転車でやってきたご夫婦の自転車。そして朝の日差し。新しい家の2階のLDKの窓から、朝日が差し込みそうだなぁ・・・・と、 思って一枚。
(↑写真左)目神山の近くに建つマンションのリフォーム工事があって、その社内検査に行く前に、所用があって、7月に竣工した目神山の家22に立ち寄る。
工事中の情景(↑写真中)を思い返しながら、建物への斜面に対するアプローチ階段の設計とその美しさに、あらためて、感心しながら一枚。
(↑写真右)生憎、施主は留守だったのだけれど、無性に、階段を上りたくなったので、玄関まで、登って、直ぐにぐるっと反転して、 その階段を下る。その時の階段の美しさと紅葉と兜山に魅とれて一枚。
(↑写真左と右)目神山近くのマンションのリフォームは、某大手ゼネコンの設計に携わる方の自邸。社内検査と言っても、まだ、
仕上げの珪藻土を塗る前で、塗装屋さんが入っている最中だったのだけれど、その収まりのシンプルさと美しさに思いをはせながら一枚。
(↑写真左と右)大阪市内の阿倍野区に住みたいと言うことで、土地探しからお手伝いをして、中古の一戸建てを探しながら、
様々な物件を見て回わり、一時は、長屋続きの一戸建てを買う寸前まで行ったのを、取りやめにし、最終的には、
中古分譲マンションの8階の一室を買って全面リフォームをして住む事になる。その引き渡しが金曜日にあって、
トーヨーキッチンや電気屋さんや水道屋さんやガス屋さんの器具説明を聞きながら一枚。
(↑写真)上町台地の高台に建つ8階の一室で、施主の希望であった床のチーク材の上に、大阪湾からの夕方の日差しが差し込んでくる。
その方角を見ると、新しくミナミに出来たばかりのフリーフォールなども見えて、
う~ん、都心の眺めの良い中古マンションを買って、気に入った素材やキッチンや照明器具などに囲まれたリフォームをして、生活するのも
「ええなぁ・・・」と思いながら何気なく撮ってしまった一枚。
(↑写真左)和歌山の橋本でのリフォームの打ち合わせがあって、お伺いすると、前にも書いたけれど、やっぱり、
里山には四季の移り変わりがあって、ええなぁ・・・・と、一枚。
(↑写真右)やがて燃やされる、薪の小口の集積を見て、面白いなぁ・・・・と一枚。
(↑写真左)和歌山から、会社に帰って、1階の加工場で、大工さんが、この材料専用に工夫して作った加工台を使って、
檜材を製材していてる様子を眺めながら一枚。
(↑写真右)先ほど和歌山で見た、薪の小口を思い出しながら、やがて円形に製材される事になる八角形の檜材の小口を見て一枚。
(↑写真上左と右)設計施工によるコンクリート造の新築住宅の竣工が迫っていて、現場に行くと、 建て替え前の和室の寸法をそのまま再現し、新しい材料で造作した和室が、仕上げの聚楽壁塗りと建具だけを残した状態だった。 ヤングダイクスの別處くんが、じっくりと造作をした。きっちりとしたオーソドックスな和室を造るのは久しぶりの事だなぁ・・・・ と思って一枚。
(↑写真下左)そういえば、先週末、堺の浜寺で、設計事務所によるリフォーム工事の引き渡しがあって、 和室をそのまま残したリフォームだった。やっぱり和室もいいなぁ・・・・と思って一枚。
(↑写真下右)そうそう、先月、八尾で引き渡した設計施工のリフォームも和室をそのまま残した。 オーソドックスな和室をリフォームした部屋から眺めるのもいいなぁ・・・・と思った事を、今、新築の和室の写真を見ながら思い出した。 その引き渡し時に撮った写真をここに引っ張り出して、一枚。
(↑写真上左)土曜日、林敬一さん設計による京都銀閣寺近くの住宅の引き渡しがあった。それは、 オーソドックスな空間とは対極をなす空間だった。階段から2階に上がろうとすると不思議な光が真っ白な部屋の中に差し込んでいた。 その不思議な世界を想像して一枚。
(↑写真上右)2階に上がると、見たこともない空間だった。どんなふうに施主が住まうのか楽しみだなぁ・・・と思い描いてみて一枚。
(↑写真下左)玄関を入って、いきなりキッチンが現れる。それも見たこともないようなレイアウト。冷蔵庫が飛び出している。 へぇーとおもって、一枚。
(↑写真下右)アメリカ製のガスレンジらしい。使用説明を聞いた後、日本とアメリカの文化とデザインの違いを考えながら一枚。
(↑写真)会社で、昼食に行く時、応接室の扉が開いていて、冬の日差しが差し込んでいた。それを見て、なぜが一枚。
木曜日、耐震改修の講習があった。同じ建物を調査しても、その考え方によって、耐震診断の数値が大きく違ってくることに、驚いて、 一枚。
(↑写真)この夏休み、
大雨の中、屋久杉登山をした時、ウエストポーチに入れていたiPodがびしょ濡れになって、動作しなくなった。しまったと後悔した。
今朝、もう捨てるつもりだったので、その前に、何気なくドックに差し込んでみた。え、ぇ、動いた! 嬉しかったので、おもわず、
真空管の電源をオンにして音を出してみた。復活を記念して、一枚。
(↑写真左)そうそう、iPodに手を触れるきっかけは、暖炉に火が入る季節になると、なぜか、JAZZが聞きたくなる。それで、
関東から友人が来た事もあって、今となっては、古いJAZZをじっくりと聞く。その時聞いたCDが順番に、山積みにされたまま残っていた。
それを片付けるために、部屋に入って、そのCDの横で、3ヶ月間死んだ状態だったiPodを手にとって・・・・すると・・・というのが、
上記の件。その復活記念の一枚を撮った後に、ついでに、その時聞いたCDジャケットを記録として撮影して、一枚。
(↑写真右)そのついでのついでに、テレビとスピーカーを撮って一枚。
こうやって、書いてみると、写真を撮る動機って、様々だなぁ・・・・。
2007年12月09日
樹
12月だというのに、それも、9日も過ぎたのに、紅葉した葉が落ちずに、木々に葉っぱが、 しがみついているよに見える。いつもは、クリスマスのための電飾の飾り付けをする時期なのに飾り付けができない・ ・・・。昨年のブログを見ると12月1日に飾り付けをしていた。 「地球温暖化」というものが、顕著になってきているのかな。と、 テレビニュースに映し出されるバリ会議の様子を見ながらおもった。
そういえば、金曜日、「樹」を見に、富田林の古川庭樹園に行った。「木」と「樹」。確かに、神宿る「木」も、「木材」 に変身する「木」も良いが、目を潤わし心を和ませる「樹」も単純にええなぁ・・・・。
うちの家の庭や弊社の手がける家の造園をしてもらっている海平造園の海平さんと連れだっての訪問だった。 ちなみに、私にとって、沖棟梁が「木」の師匠だとすれば、「樹」の師匠は海平さんだ。 イサムノグチアトリエの和泉さんを紹介してもらったのも海平さんだった。
それまで、盆栽のように刈り込まれていた庭の「樹」が、海平さんの登場によって、自然な樹形の「樹」に変身していった。 奥の葉が手前の葉っぱごしに透けて見えるように、一本ずつの枝の葉を丁寧にカットしていくのが、コツのようだ・・・。
数年ぶりで訪れた古川庭樹園で、日本列島植木植物園というものがあると知った。 日本列島植木植物園とは植木屋さんの植物園を全国的なネットでつなげていこうとする動きの事らしい。 散歩がてら、森林浴がてらに、訪れるのには最適だな・・・・。年々整備され、公園のようになってていくのだが、古川社長曰く 「あんまり、綺麗にしすぎてもアカンのやな。あくまで、植木屋さんやからな。」と、丁度、頃合いが良いらしい。確かに。
それはそうと、ここも、「まだ」、紅葉だったのだ。
今回は主に、カエデ、モミジ、ソヨゴ、トネリコ、ヤマボ ウシ、オリー ブを見る。 ものすごい数のオリーブが植えられているのには驚いた。独特の形とグリーンの色合いの葉っぱ。「流行り」でもあるらしい。 そんな事を加味してかどうか、今、新築中の家の前には、そのオリーブとソヨゴが植えられることになる・・・・。
2007年12月02日
手加工で行こう!
チョンナ始めという儀式があって、それは、これから木を刻み始めるための最初の儀式の事だ。木を刻むためだけに、 儀式を執り行うというのは、考えてみれば、不思議な事だと思う。きっと、古来の人々は「木」 とうものに対する畏敬の念のようなものを抱いていたのだろう。「木」を生き物として、いやぁ、ひょっとして、 神が宿るものとして認識していたのかもしれない。
月曜日の朝、清見原神社の改築に伴い、 うちの加工場で、その儀式は執り行われた。ネットで調べると、チョンナとはチョウナとも呼ばれ、手斧とか釿という漢字を使うらしい。 皮がついた丸太を削るために使う、柄がぐにゃっとひん曲がった先に鉄の刃がついている道具の事だ。
儀式の後、本格的にチョンナを使って丸太をはつる作業が始まった。そうそう、ベレー帽を愛用する沖棟梁が、 若い大工と一緒に横並びに並んで、お互いのリズムを合わせながら「チョンナは削るのではない、はつるのやぁ、削ろうとしたらアカン。打て」 と教えていた。
午前中、私用があって休んでいた大工のS木くんが、昼からやってきて、その様子を見て、むずむずし出し、ジーパンで、 飛び入り参加して、指導を受けた。恥ずかしながら、私もチャレンジしたのだ・・・・・・。それぐらい、興味のそそる光景であり、何よりも、 チョンナで丸太を打つ時の音とリズムが素敵だった。それは素晴らしい「演奏」だったのだ。
そんな話を弊社の会長でもある父にすると、「それは、ゴルフのアイアンと同じやなぁ。サンドウエッジみたいのもんや。 上げにいったらアカン。打ち込まなアカンのと一緒やな、打ち込んだら上に上がるのや。」 おぉぉ、そんな例えになるかぁ・・・・・。
確かに、チョンナは木に刃が立たないように、 刃が「ねる」ような角度で柄が付いていた。「打つ」事によって、刃が滑って、 木を綺麗に削れるような不思議な形の道具として作られているのだ。
そういえば、散髪屋さんで髭を剃ってもらうと、上手な人は刃が「ねて」いるのだけれど、ヘタな人は刃が立って、皮膚が削れて、 痛くて仕方がない。まぁ、様々なところに、共通項を見いだせるものだなぁ・・・・。
「森林」で育てられた「木」が、製材所の人や大工の手によって、「木から木材」に変貌していく。その「木材」 が仕口の加工という大工の技によって「木材が木組み」にまで進化し、やがて住宅として完成される。そして、また、山に木が植えられる・・・・ ・・。
木組みというものに存在する、そういう地球的な規模の循環が、格好いいなぁ・・・と思う。日本的な何かを感じる。そして、 何だかその背後には「森の思想」 というものも見え隠れしているのかもしれない・・・・・。
ベレー帽の沖語録によると、「今という時代、チョンナで、こうして削らしてもらえるのは、大変贅沢な事やわな。有り難いことや。 電気の機械で、バァーっと削ったらおしまいやけど、やっぱり、日本文化も守っていきたいからな。」
6月の建築基準法の法改正によって、確認申請が大幅に遅れだした。弊社でも2件の木造3階建ての住宅の着工が大きく遅れた。 世の中全体に住宅の着工数が激減しているらしい。ひとつの大きなギャップだな。
弊社では、ここ10年ほど、木造はプレカット(機会工場加工)を中心に仕事をしてきた。そんな風に大工の段取りが回っていた。そこに、 このギャップだ。大工の流れも変わる。この機会を利用して、プレカット工場に「機械」に費用を費やすより、手加工する事によて、大工さんに 「人」に費用を費やそうと思う。
プレカットに比べると手加工の費用は坪当たりおよそ1万円ほど高くなるのだけれど、企業努力と大工さんの努力で、 なるべくその差を少なくしたいとおもう。幸いにも、うちの若い大工さんは、手加工をしたくて、うずうずしているようだ・・・・。
それに、ひょっとすれば、プレカット加工より手加工の方が、圧倒的にCO2の排出量が少ないのかもしれない・・・。 地球温暖化防止に貢献している事になるのかも・・・・。それに、手加工が、 日本文化を守り育てていくことに貢献している事にもなるのかもしれない・・・・。ついでに、 そういうふうにして持続可能な企業として納税していくことが、年金問題等、間接的な貢献になるのかもしれない・・・・。 家を建てる費用が間接的に様々な貢献を果たせば良いのだが・・・。
と、ちょっと大上段に構えすぎてしまったのだけれど、まぁ、これからは、出来るかぎり、手加工をしていこうとおもう。 くだんの二件の木造3階建ても、化粧の木組みが見えるわけでもなく、プレカットで十分で、その方が費用も安くすむのだけれど、ここは、 敢えて、手加工で行こう!
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