2005年07月03日

ゴッホ展とゴールデンウィーク

ゴッホ展を見に行った。大阪の中之島にある国立国際美術館だった。最近できた美術館のようだ。 大阪にある大型の公共施設は海外の設計者が意外に多い。どれもが大阪人の肌にあまり合わないなぁ・・・。親しみをあまり感じないなぁ・・・・ 。なんて思ってしまうのは私だけなのだろうか。この美術館も入り口に巨大なステンレスの兜のようなオブジェがあり、何だかピントこない。 まぁそんなことはともかく、ゴッホの絵を家族で見に行ったのだ。昼前に入館したので外で待たされることもなくスーっと入れたのだが、 展示室の中は満員だった。そしてどんどん人が増えてきた。小学生の子供は無料であった。建物を見たときの違和感のある印象とは裏腹に、 「タダ」ということに直ぐ、気分が良くなって、この美術館まで好きになりそうだった。相変わらず、「私」の心理は単純なのだ・・・・・。 解説用のヘッドホンを家族分購入した。確か、500円ぐらいだったかなぁ。「タダ」に気をよくしたと言うこともあったのだが、 解説付きで絵を見たかったのだ。子供にもそれを購入した。そしてそれにはちょっと理由があった。

ゴールデンウィークに東北旅行をした。大阪→北陸道→猪苗代湖→磐梯山→東北自動車道→青森(三内丸山遺跡) →八幡平→乳頭温泉→遠野→花巻→東京→東名自動車道→大阪という3000キロの車の旅だった。 ゴールデンウィークの東北は大阪に住む私にとっては「冬」だった。そんな風には思ってもいなかった。気軽に出掛けた。考えてみれば、 ゴールデンウィークに旅行するときは「南」を目指していた。「南」では「春」はすぎ、もうすぐ「夏」を予感させるような気候だった。しかし 「北」はまだまだ「冬」が残っていた。そして「春」が訪れようとし、「桜」が満開となり始めようとしている頃だった。 仕事を終えてそのまま車で家を飛び出し深夜に北陸道を走り仮眠をとり猪苗代湖に到着したのは昼頃だった。 残雪の磐梯山と猪苗代湖のコンビネーションが美しかった。疲れもあったので猪苗代湖でキャンプをすることにした。 キャンプをしているのはほんの3組ほどだった。そして、猛烈に寒かった。そこで、初めて気づいたのだった。東北はまだまだ「冬」 が残っているのだと言うことに。冬支度はしていなかったので、ありったけの服を重ね着した。 そんなわけでか仕事の疲れも重なってか風邪を引いた。そのうえ猛烈な花粉症にも襲われた。それが今も尾を引き、ちょっと調子が悪い。 しゃべり出すと咳き込んだりする。接客でご迷惑をおかけしているようだなぁ。この場を借りて言い訳を・・・・。

猪苗代湖の湖面は静寂につつまれていた。夕暮れ時。朝日が昇る前。それぞれに湖面の変化が美しかった。 特に朝日が昇るまでの鳥の合唱と湖面と磐梯山のハーモニーが素晴らしかった。そして寒かった。野口英世記念館に行くことにした。 なぜ千円札が野口英世なのかなぁっ・・・・と。なによりも野口英雄の生家のある場所は猪苗代湖と磐梯山が織りなす美しい場であった。 長屋が密集する私の生家の周りとは雲泥の差が・・・。家の床柱に「志を得ざれば 再び此地を踏まず」とナイフで刻んだ決意が残っていたり、 母校で成功の秘訣を聞かれた英世は「目的・正直・忍耐」という言葉を贈っていたりする。 手の火傷をバネにして自己と向き合い医療に励んだ姿が共感を呼ぶのだろう。何だか最近、聞かれなくなったような言葉だったなl。

風邪気味にもかかわらず、朝から温泉に入ろうということになった。裏磐梯を目指す途中の猪苗代アルカリ温泉とやらに浸かった。 休憩室で地元のおばちゃん達の会話に聞き耳をたててみるのだが、「何語をしゃべっているのか」全く理解できなかった。大阪のおばちゃんの、 ちょっと下品な言語に慣れ親しんでいる私の耳は東北弁のズーズーと流れる言語を聞き分けられなかったのだ。 ええように言えばヨーロッパのカフェに迷い込んだ日本人家族のようであった。よくよく辺りを見回すと畳敷きの長机で蕎麦を食べ、弁当を広げ、 湯上がりのほてった顔をタオルでぬぐい、ズーズーとダベる、実に日本的でのどかで、ゆったりとする時間でもあったのだ。 そしてやっぱり会話の内容は全く、ほんとうに全く理解できなかったのだ。

眠気が襲った。仕事を終えた直後からの長距離運転。体調不良。キャンプ。寒さ。なのに温泉。ズーズー弁。 様々な要因が重なって眠気が襲った。裏磐梯にある諸橋近代美術館の駐車場にたどり着き昼寝をすることにした。駐車場には残雪があった。 2時間近くも家族全員で昼寝をしてしまった。目が覚めたのは現場担当の岡村君からの電話があったからだ。ちょっとドキッとした。が、 大事に至るような用件でもなく、かなりほっとした。東北の、 とある駐車場で休み中に働く大阪の現場からの電話に対応するという不思議なシチュエーションにちょっと申し訳なく思いがら、 その労をねぎらった。もう昼も3時近くになっていた。

眠気覚ましも兼ねて、美術館に立ち寄ることにした。何が展示されているかも知らずに。ダリがメインだった。 特別展示としてシャガール展だった。そして今まさに解説員によるシャガールの解説が始まろうとしていたところだった。解説を聞く4、 50人ほどの団体の後ろに何気なく、くっついて行った。ドラマにでも出てきそうな如何にも解説員というような風体の素敵なおじさんだった。 解説付きで絵を見るのが初めてだった。そしてそれが思いもよらず楽しかったのだ。 絵よりもサッカーが大好きな小学生の次男もその解説を楽しく聞いた。最後は皆から大きな拍手が湧き起こった。勿論、 私も奥方もそして次男もしっかりと拍手をしたのだった。そうそう、ダリも良かった。その風刺としゃれっ気が良かった。 それに一つの部屋に20世紀の巨匠20人展と題してセザンヌ・ルノアール・マチス・ピカソ・・・・等々、 1点ずつ展示されているのがそれぞれの個性の違いがわかって良かったなぁ。っと付記しておこう。

いゃあー、話が長くなった。そうだ。解説付きで絵を見るのが楽しかったのだ。それで、 ゴッホ展でヘッドホンの解説を是非聞きたいと思ったのだった。生身の解説ほどではないかもしれないが、 それでも解説付きで絵を見てみたかった。今までは耳を切ったりと精神的に病んだ後半生の印象が強かったのだが、 展示の構成の仕方とその解説に助けられてか、生身のゴッホに触れたような気がしたなぁ。展示されてある創作活動の過程を見ているうちに「守」 「破」「離」という日本古来の、その「道」を極める言葉がちらついた。ゴッホの地道な努力の過程を垣間見て、「私」 までエネルギッシュになった。

投稿者 木村貴一 : 2005年07月03日 16:41 « 西瓜 | メイン | 舞台裏 »


Share (facebook)