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2009年10月25日
歴史と人柄
へんな一週間もある。ゴルフをするのはおそらく年に4回で、それもプライベートで行くこともなく、全てコンペ。それも、うちの協力業者の会が、年2回あって、その第78回目のコンペが、今週にあった。もう一つ、年に2回開催される、とある上場企業PI社の協力業者のコンペがあって、それも年に2回で、その第74回目のコンペが、やっぱり、今週にあった。一週間に2回もゴルフしたことあったけ・・・・・。1週間に2回もゴルフをしたからといって、上手くなるわけもなく、ますます、妙なスイングの深みにはまり込んでいくばかり。そんな訳で、成績の事は、聞かないで欲しい・・・・・。
ところで、どちらのコンペも、70回を超えていて、年に2回で、35年間以上も続いているという事になり、ゴルフコンペという、親睦と呼べば良いのか、コミュニケーションと呼べば良いのか、いや、やっぱり、れっきとしたスポーツなのだけれど、それにしても、何とも不思議な親睦の世界だなぁ・・・・とおもう。
うちの会社のゴルフコンペは、10年ほど前に、世間の風潮もあり、また、「私」が、そんなに好きでないという事もあって、4年間ほど、中止をしていたので、計算してみれば、ほとんど、もう40年ほど前から続いているわけで、はたして、これが、自慢できることなのかどうか・・・・。
「私」は木村工務店の3代目で、初代の、つまり、私の祖父の趣味が高じて、始まったコンペであって、祖父が、協力業者の皆に、強くゴルフを勧めて、始めたのだと聞く。その、45年前から、うちのコンペに参加している協力業者にD社がある。そのD社と、うちの会社が一緒に、出入りして、工事をさせて頂いている、とある上場企業PI社の親睦コンペには、D社と共々、74回も一緒に、そのゴルフコンペに参加しているのであって、その二つのコンペが今週に重なったという訳。
もちろん、どちらも、好き嫌いを別にして、断れない事情が絡みついていて、それに、やるからには、嫌々やる訳でもなく、それはそれなりに、ヘタクソはヘタクソなりに、結構、楽しんでいるのだ。
そのD社の先代の社長が私に、中断していたコンペを復活しろよ!と、強く引っ張ってくれて、再開し、やってみればやってみたで、確かに、皆と親しくなれて、それに、それなりに業者の皆さんも楽しみにしてくれていて、とってもエエ、コミュニケーションの場となっているのは確かだ。とおもう。それで、やっぱりそのD社の勧めと、我が社の2代目、つまり、私の親父の薦めもあって、2年ほどまえから、「私」がそのPI社のコンペに参加している。
そのD社が、先々週に、突然、廃業をすると言い出した・・・・・。もっとも付き合いの古い協力業者のひとつでもある訳で、勿論、仕事上も困るのだけれど、それ以上の、何か、「歴史」というものが、途切れる寂しさ・・・・。
それを、うちの協力業者の何社かが、同じ事を感じたのだ。ゴルフコンペの終了後に、奈良から、うちの会社のある小路まで戻って、小料理屋で、D社を交えての、会合が開かれた。そういう時の、70歳を超えた、数名の長老の、「歴史」を踏まえた意見は、なかなか、貴重な見解であって、それは、「叱咤激励」であった。といえる。
少し、形は違ったが、同じような事が、PI社のコンペ終了後にも、D社に対しての、意見交換の場があった。それは、D社の「歴史」と「人柄」がそうさせたのであろう。D社の前社長は、ゴルフを通じてのコミュニケーションをもっとも愛した人だった。おそらく、その思いというのか、魂のようなものが、今回の解散発表の日時と、ゴルフコンペの日取りの関わりを、その後の会合と、意見交換の場を、引き寄せたのでは・・・・・・・と、感じる。ゴルフコンペがコミュニケーションの場を助けたようだ。
「歴史」や「伝統」が重荷になる事があるかもしれない。「歴史認識」なんていう騒がしい問題もある。「歴史」と「伝統」が「新生」を妨げている場合も沢山ありそうだ。いや、「歴史」と「伝統」が身を助ける事もある。「歴史」と「伝統」がモチベーションとなる事もある。「歴史、いや、そんなの関係ない!」と、ポーズをとる事だって、きっとあるに違いない。それでも「歴史」を知っておく事は、大切な事なのだ。
というような思考が、今後、ゴルフを続けていくのには、習うべきか習わざるべきかと、少々悔悟する気持ちに、覆い被さるような勢いで、「歴史認識の問題」が私の内面の中で、勃発しているという、ヘンな一週間のお話し。
そうそう、そう言えば、滅多にいかないゴルフ場で、小中学校の時の同級生の、それも女子に、バッタリと出くわしたのには、驚いたなぁ・・・も含めての、ヘンな一週間だった。
2009年10月18日
読書の秋
それが、ここ10年ほど、本をあまり読んでいなかったのだけれど、施工をさせて頂いた、「コトバノイエ」の施主のKさんの企画に乗っかって、「コトバノイエの30冊」を選んでから、そのコトバノイエのKさんに影響されて、また、本が、無性に読みたくなった。
30冊の中に、選んでおきながら、読んでいない本が、何冊かあって、とりあえず、手始めに、「澁澤龍彦の高丘親王航海記」を読むことにした。数日間、不思議なファンタジーにずるずると引きずり込まれてしまい、幻想を創り出しながら、時代考証や自分の事、風刺・・・、小説の表現方法って、やっぱり、面白いなぁ・・・と、あらためて、おもった。それが、再び本をよもうとする、口火を切ったのだとおもう。
続いて「山本健吉のいのちとかたち」を読むことにしたのだが、未だに、読了できず、思い出したように、そのハードカバーの本を手に取ってみては、格闘し続けるものの、やっぱり、進まず、もう、ひょっとして、挫折するのかも・・・・・。っていうのも、本を読んでると、まま、あることだな。
そういえば、その前に、「中村英樹著の北斎万華鏡」という本をKさんから、勧めてもらった。いままで、葛飾北斎に抱いていた、私のイメージと同じようなイメージが、その中に表現されてあって、きっと、それが、あのゴールデンウィークの「北斎と富士とB級グルメの旅」につながったのだとおもう。そうそう、それで、旅行から帰ってきて、暫くしてから、澁澤龍彦を読んだのだ。
そんな訳で、少しずつ、手元にある本で、まだ読んでいなかった本を読むようになった。ある日のコトバノイエのブログの本の紹介に「隆慶一郎の吉原御免状」の紹介があった。読んだことはなかったが、松岡正剛の千夜千冊に掲載されていた、うっすらとした記憶があって、コトバノイエには売っていなかったので、アマゾンで、早速、購入してみる。
読み出すと、一気に引き込まれた。お昼休みの数分間にも、その続きを読みたい・・・・・と、お昼休みの時間が、楽しみになった。夜、家に早く帰れた時は、食事が済むと、いつもは、テレビニュースなどを見るのだが、その時ばかりは、その本を読むのが、何よりもの楽しみだった。食卓のテーブルを前にして読んだ。ソファーに座って読んだ。ソファーにゴロゴロとしながら読んだ。ソファーから、ずるずるとずり落ちて、ソファーの座面を背にして、床の上に寝転がりながら読んだ。独り用のソファータイプの椅子に座って読んだ。デッキの椅子に座って読んだ。
久しぶりに、そういう、本の読み方をした。本の内容は各個人によって、好き嫌いがあって、まま、いろいろあると、おもうのだけれど、そんなふうに本を読める「時間と空間」が、「本を読む」という、何ともいえない、幸せな時間だぁ・・・・と、あらためて思う。やっぱり、いろいろな態勢で、本が読める家を造りたいものだなぁ・・・・・。
先週の日曜日、息子が、「ふるいち」に行こうと言う。「古本市場」のことをそう呼ぶらしい。それで、一緒に行ってみる。まぁ、これで、3度目の事。1階がゲームとCDで、2階の売り場が古本になっていたので、直ぐに2階に行く。それが、不思議な事に、なぜか、まず、頭に浮かんだのが、「隆慶一郎」だった。売り場を探すと、あっ、あった。あった。3冊ほど。それで、「死ぬことと見つけたり」を上下で買うことにする。
あまりの本の山に、まったく、買いたい作家の名前がピントこず、うろうろと、本棚の間を彷徨っていた。岩波文庫の古本が数冊だけあって、「ダーウィンの種の起源」に目が止まる。それは、先日のシルバーウィークに、山小屋に宿泊したのだけれど、そこに、お医者さんのDr.Aさんが居て、昆虫のマニアでもあって、いろいろな会話を、長らくする。そんな会話の中の言葉に、人間は、「霊長類」で・・・・、なんて言う、長い間、忘れていた言葉が出てきた。それに、「ダーウィン」という言葉も。きっと、それが、頭のどこかに残っていたのだ。420円ほどなので、買った。いつか読もうとおもう。
同じ岩波文庫のその本の隣に「フィッツジェラルド短編集」という本が目に止まる。久しぶりに、アメリカを読んでみたいな、となぜか思った。もちろんフィッツジェラルドのアメリカを良しとするかどうかは別にして・・・・。350円で買う。
そういえば、毎年、日本ミツバチの蜂蜜を届けてくれるひとが、居て、そのひとと話をしていると、今年はミツバチが非常に少なくて、蜂蜜があまり取れなかったのだ。とお聞きする。その話に触発されて、「ローワン・ジェイコブセンのハチはなぜ大量死したのか」をアマゾンで買った。新刊で1905円。そして、少しずつ読み進む。
もう「秋」だ。今日の大阪は、気持ちの良い秋の日曜日だった。この小路周辺では、先日から秋祭りがあって、だんじりが、会社の前を練り歩いていた。本日は生野祭りというのもあって、毎年、影ながら、その舞台を造る仕事をしている。そんな、うららかな秋の日曜日。奥方が、布団を干していた。それが、とっても気持ち良さそうだった。その気持ち良さに誘われて、太陽を浴びているその布団の上にゴロとして、本を手に取ると、フィッツジェラルドだった。おもむろに短編を読んでみる。やっぱり、このアメリカでないアメリカの方が好きだなぁ・・・・。
それで、一編だけを読んで、その横の本を手に取ると、「隆慶一郎の死ぬことと見つけたり」だった。葉隠武士の物語であるらしい・・・。なのに第一話に入る前の前書きが、隆慶一郎の二十歳と戦争体験の語りから始まった。その語りが、何とも、泣かせる・・・。
そんな訳で、「読書の秋」を満喫してみようかとおもう。
2009年10月11日
間伐
岐阜の山の中で、間伐を見学した。現場で携わる林野庁の方からの説明を直接聞くと、なんだか説得力があって、山を育て、守っている人たちは、素敵だなぁとおもえた。
これを書きながら、CO2を吸って光合成をし、酸素を出してくれる木々を、敢えて、間伐する方が、結果的に、CO2の削減につながるのだと、林野庁のホームページで確認していると、唐突にも、お金でCO2の取引量を売買しようとする話が、頭をよぎってしまい、CO2の話も、少々、胡散臭く思えて気そう・・・・・・。
それは、ともかくとしても、人の手入れが必要な森林では、「間伐」が森林を豊かにするのだと、現地を目の前にして、まるで講義ごとく、お聞きするのは、貴重な体験だった。それに、 ハーベスタと呼ばれる、ガンダムのような機械が、伐採されて手元まで引き寄せられた20m近い木を、ものの見事に、枝払いをし、3、4mごとに、切り落としていく姿は、圧巻だった。いやいや、もちろん、その前に、山の職人さんが、チェーンソーを使って、一本の木を、ものの見事に、切り倒した時には、見学者から拍手喝采が巻き起こって、素朴な山の職人さんの照れくさそうで、嬉しそうな姿が、印象的だったなぁ・・・・。
そう言えば、スイングヤーダというウインチのようなものを使って切り倒された木材を集積する作業を見ていると、頭の中では、諏訪の御柱祭の映像がおもい浮かんでいた。木の上に人々が乗って坂道を勇壮にかけ下っていく姿の木落という映像だ。それに、5年ほど前に訪れた、茅野にある尖石遺跡の前庭にあった御柱祭の柱のモデルを見た事も思い出していた。
今、このブログを書いている、その遠くから、秋祭りのための、だんじりの鐘と太鼓の練習音が聞こえてくる。地方によって、だんじり、だったり、御神輿だったり、その他、様々な祭りの形態があるのだろうけれど、木を集積するために、ワイヤーに引っ張られた木が、山の傾斜を、ずるずると、勢いよく、下り、引き出されるその様子を間近で見ると、山で、一本の「木」を切り出して、山だしをし、「柱」とする祭り、そういううものが、産み出された雰囲気を、何となく感じ取れたような気がした。きっと、そんな祭りを通して、木を大切にし、森を大切にしてきたのだなぁ・・・とおもう。
山で一本ずつ植えられた、苗木が、下刈りや間伐という地道な作業を通して、「木」として成長し、山から引き出され、製材所で製材されて、「木材」となる。それが、やがて、設計と施工によって「木組み」として、成就する。それらを一連の流れとして、現地で、全て、体験できたのは、素敵な体験だった。
家づくりの過程の中の、その「木組み」に支払われた、施主のお金というものが、勿論、床板や壁材や天井材などの無垢の板材も含まれているのだけれど、そういう費用が、間接的には、山の一本の苗木や、「間伐」の作業費となっている訳で、そのお金が、山を育て、森を育み、ひいては、川を育て、海を育て、山の幸、海の幸の恵みを与えてくれているとも言える、そういうダイナミズムな関係性の中で、貢献出来る企業でありたいなぁ・・・・と、あらためて願った。勿論、少々怪しげな、CO2削減にも協力出来るという訳。
今回の岐阜の旅行では、グリーンウッドワークという取り組みに出会う。 建設業界では、乾燥されていない木をグリーン材というような呼び方をするのだけれど、グリーンウッドのグリーンとは、生木の事を指すのだという。
「削り馬」や「足踏みロクロ」と呼ばれる、手作りの道具を使って、機械を使わずに、「生木」を加工する事で、木のスプーンやお椀、椅子などを造る、取り組みだそうだ。
「生木」の方が木を加工しやすくて、細い部材で椅子などを造れるし、誰もでが簡単に取り組めるのだと聞くと、とっても新鮮な感覚を持った。大工が身近にいる環境で育つと、大工というものは、プロのスポーツ選手のように、出来るだけ早い時期から、体で覚えることによって、通用し、人様からお金を頂戴できるのだぁ。というような、雰囲気が、あって、「木」を扱う世界というのは、職人的なイメージが強い。
確かに、大工は、「生木」を嫌い、「乾燥した木」を頼むでぇ。と、口癖のように言う。人工乾燥すら、嫌い、天然乾燥でないと・・・・・という大工もいる。それだけに、木工、乾燥、職人、というイメージの結びつき強かった。
「間伐」材などの生木を有効に利用しつつ、誰もが簡単に「木工」が出来る取り組みが、「グリーンウッドワーク」という意味でもあるらしい。「私」も少し体験してみると、実に、「おもろい」。技術も勿論必要なのだろうけれど、どちらかと言えば、木の陶芸のような感覚で、時間を忘れて、没頭していきそうな印象だった。
大工のような職人的な世界と、素人が簡単に木工が出来る、このような世界が、「乾燥材」と「生木」という考え方や、「木」というものの利用方法や価値観に対して、また、職人的な技で造られた家具と、素人的に造られた家具が、お互いに補完しあうような関係性になれば、いろいろな幅が出来て、楽しいだろうなぁ・・・・。
うちの会社でも、大工さんに、「足踏みロクロ」や「削り馬」を作ってもらって、素人的な木工にも取り組んでみようかなと思う。施主の方が、完成した自分の家のテーブルの前に、自分で、造った、素朴な椅子に座る姿を想像してみる・・・・・・。
それは、そうと、森林を育てる、下刈りは、人間の赤ちゃんと同じように、最初の方が、手間がかかって、大変なんだと聞くと、なるほど、と妙に、納得する。間伐だって、間伐をしないと、お互いが窮屈になって、光が差し込まなくなって、木の成長が止まっていくのだという。その話を思い出した今、あーー、うちの家の中も、そろそろ、「間伐」せんとアカンものが、いろいろと、あふれ出していて・・・と、いま、まわりを眺め始めた。ところ。
2009年10月04日
心のどこかに
気が付いたら、もう秋。ここ数日、雨模様で、外部の工事がうまく進まない現場があって、そういうのは、何とも気がかりで、心の中のどこかに、引っ掛かったままで、物事が流れていく・・・・。
それにしても、そんな事を忘れさせるぐらいの天晴れな秋晴れ。近くの小学校からの運動会の音楽とピストルの音と歓声が聞こえてくる。子供達の歓声というのは、「元気」を与えてくれるものだなぁ・・・と、思うのは、歳のせいかね。
そうそう、そう言えば、満員電車に乗っていて、目の前の席が空いて、座ろうとすると、隣で立っていた若いカップルの男子が、私と同時に、席に座ろうとした。お互い、顔を見合わせて、「どうぞどうぞ」と席を譲り合う。私が、「遠慮せんと、どうぞ」と言うと、その男子が、「私の方が、まだまだ、若いですから、お先にどうぞ」と言って、私が座るようになった・・。嬉しいやら嬉しくないやら。オレって、もう、そんな歳。っと、歳を感じたなぁ・・・。
この天気と、子供達の歓声に誘われて、外に出かけてみたいなぁ・・・と、周囲を見渡せば、息子も奥方もそれぞれが出掛けた後で、ひとり、家に取り残されて、デッキに出て、コンピューターの前で、この調子で、こんな事を書いている、いまここの「私」。
そんな、シチュエーションのせいか、いままでの写真をパラパラと眺めていると、そうそう、ほんの些細な事だけれど、心ののどこかに引っ掛かっていた写真が何枚か・・・・。
キャンプ場から海水浴場に向かう朝。車の助手席に座って、数十分ほど走ってから気付く。あれっ、雨よけに、蛙が・・・・・。そのまま動くなよ。頑張れよ。と思った瞬間、あっ、蛙が落ちた・・・・。サイドミラーを覗く。あの蛙、どうなったのだろうか・・・・・。
伊予、大洲にある「臥龍山荘」に行くと、石垣から木がニョキッと出て、石臼が埋め込まれてあった。デザインの過程や施工の過程も、気に掛かるのだが、施主と設計者と現場監督と職人さんとの間で、意見の対立も含めた、コミュニケーションが沢山あって、やがて、それらが何らかの「合意」を得て、これが、完成したのだろう。そういう、「コミュニケーション」と「合意」の過程はどんなのだったのか・・・と、想像をしてみたくなる。
案外、「面白い(オモロイ)でんなぁ、ほなら、やりまひょかぁ」と大阪弁では言わないだろうけれど、すんなりと「合意」されていたりして・・・・・。現場監督にしても、職人さんにしても、「面白い」という気持ちを持てるかどうかは、案外大切な事なのかも。
南予にある「内子町」の古い町並みを歩く。意外と、全国各地に古い町並みも残っていて、「またか」という感じも、しないわけではない。道に面した、いわゆる民家の縁側のような場所に、座布団の上にネコが、気持ちよさそうに居眠りしている・・・・・・・・・・。
あれぇ、置物なのぉ。と見間違うほどの本物。
ネコが気持ち良さそうだったので、写真に収めたのだけれど、家で、何度かこの写真眺めていると、何かが心の中に引っ掛かっていた・・・・・・。
それが、先日、建築学科の大学院生と会話をする機会があって、気付いた。いま、私が住んでいるような、大阪の下町や、新しい住宅地などなどで、道に面して、「自分の家の一部」を、外の人と、分かち合える場所として提供すると、町はどうなって行くのだろう・・・・・? いまと言う時代、 コミュニケーションというものが生まれるのだろうか? 高齢化を迎えている町に、あればどうなるのぉ? お役所の公共工事に頼らずに、それぞれの普通の家が、皆と分かち合える場所を、様々な個性で、提供をしていくのも、エコ? エコという言葉の乱用が、ちょいと気恥ずかしいけれどね。
この不況といわれている時代、そんな事より、自分の事で、精一杯で、それに小さな家の一部を人に提供できる、スペースも余裕もなく、また、モラルの問題や安全性や社会性や国民性や何だかんだ、心に引っ掛かる事が、ぞろぞろと、いっぱいいっぱい、尾ひれを付けて、くっついて来そう・・・・・・。それに、他人とコミュニケーションする事が、必要な事なのかどうか、という、根本的な問いかけもありそう・・・・・。
インターネットやブログのように、まず、自分たちの家の、一部を、何らかの形で、公共に提供するって事は、勿論、家のデザインや木々がそうなのだけれど、そういう事だけではなく、コミュニケーションが生まれる場所として・・・・。相互依存の関係性。なんて事を学生と話してみて考えたのは、普段の「会社生活」では、稀少なことで、感謝。です。
相変わらず、小学校の運動会の子供達の歌声と歓声が聞こえてきて、それが、今日のこのブログのバックグラウンドミュージックとして流れる。それは、町にまで元気が届く。
・・・・・・・・・
それは、そうと、心のどこかに、何となく気になって、引っ掛かっている事って、皆さん、ありません? まま、あるよなぁ・・・・・・。
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