2016年03月27日

お山する

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体調不良の二週間が続いたが、回復基調で、今朝、久しぶりに自転車に乗って、峠に登ると、ハァハァと沢山の呼吸をして、吐いて吸って吐い吸ってしているうちに、内に籠もりがちだった気分が、外に向かって流れ出して、山々も芽吹き、黄色と白とピンクの花が咲き乱れて、冬から春に向かって、外にエネルギーを放出しだしているようで、大切なのは、呼吸ではないのか、吐く息ではないのか、とおもったりした。

先週の日曜日の「散歩」の楽しかった後遺症なのか、月曜日の祝日にも「散歩」をしたくなって、なんで、そうなったのか、「情報」というものがそうさせたのだろうが、外国人に人気No1の観光地が伏見稲荷だとあり、ことさら多くの外国人がやってくる昨今、多くの外国人が知っているのに、近くの日本を知らない日本人状態もどうかで、それに、毎年2月に会社で催す初午祭りの総本山は伏見稲荷大社で、なのに、一度も訪れた事がなく、そんなこんなで、体調リハビリも兼ねて、お昼から、夫婦で電車に乗って京都に出かけた。

あの朱色の鳥居が連続する写真を見ていると、少々毒々しい感じがしていたが、実際歩いてみると、天候も良く、日差しが、木漏れ日のように連続する鳥居の隙間を印象的に照らして、不思議な心地良さがあり、それに、本殿を参拝したあと、何気なく稲荷山に歩き出して、連続する鳥居を歩く前後に、西洋人や東洋人の沢山の外国人観光客に取り囲まれていて、私たちだって、初めて訪問する観光地で、まったく同じような日本人の観光客なわけで、そんな国際感覚も、居心地良さのひとつになっていたのだろうが、そういえば、NYの美術館やタイムズスクエアーのような場所で味わった、多様な人種と一緒に、いまとここを共有する居心地良さを想い出していた。

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稲荷山を気軽に散策する気分が、想像以上に登山的であったことが、何よりもの驚きで、何度か途中で止めようかと思ったが、他に観光する予定があるわけでもなく、そのまま稲荷山をぐるりと巡っると、それなりの満足感になり、それを「お山する」というらしいが、すぐに参拝できる本殿とは別に、奥の院のような鳥居が連続する参拝道があって、そこそこの体力と忍耐力を要求される、「お山する」稲荷山そのものが信仰の対象なのだと理解できて、「お稲荷さん」と呼ぶ気分になれたことが、なによりもの収穫だった。

結構歩いたので、珈琲でも飲もうとおもったが、京都の珈琲店をまったく知らず、それで、三条まで電車に乗り、散策しながら、京都の森田さん設計で、うちで施工した、三条のアーバンリサーチを覗き、ついでに、ポールスミスもひやかしてみたりして、イノダ本店でお茶をすることにした。ここ何十年は、珈琲はブラックで飲むが、イノダさんとか大阪の丸福さんとかは、砂糖とミルクを入れて飲むのが、美味しい...とおもうのだった。

本日は、輸入壁紙のワークショップで、輸入壁紙によるインテリアボードの製作と、輸入壁紙を実際に貼る施工体験の二本立てで、女性の参加者ばかりが14名参加されて、ゆったりとものづくりを楽しむ、ものづくり女子のパワーに、こちらも癒やされるワークショップだったが、その途中に、生野区のまち歩きの二つのグループ計40名ほどが立ち寄ってくれて、それは生野区小路の街を「お山する」ようなものかもしれず、なんだかいまという時代の緩やかなムーブメントを感じた日曜日だった。

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20160327_095035648_iOSそうそう、同居する「孫」の食べ初めというのが、今日という日で、蛸を食べるのが習わしなのだが、それは地方によって違うのだと、東北出身の長男の奥さんを通じて、初めて知ることになったのだけれど、何よりもそういう儀式をするにあたって、インターネットを通じて、その作法を知る時代になったのが、革新なのかも知れず、横に置いたipadで、検索した作法を見ながら、儀式を行うわけで、その家の年長者が、孫を抱いて、儀式をするらしく、それが「私」なのだと、あらためて気付かされた事が、ちょっとした驚きで、そんなこんなで、エネルギーを吸って、もらうだけでなく、吐く息とともに、ひとのためにも出すのが、役目な年齢になってきたらしい...。

投稿者 木村貴一 : 2016年03月27日 23:59 « 桜のフォース | メイン | 散歩 »


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