2014年01月05日
行く年来る年
新年、あけましておめでとうございます。
2014年になって、急に、物事のすべてが変化し、魔法のような、劇的な何かが起こるとは、思えないが、紅白歌合戦で、泉谷しげるが、熱唱していて、確かに、今日で、全てが終わり、変わり、むくわれ、始まる、ような気にさせられたりしたのは、「歌の力」だな・・・。そういえば、綾瀬はるかの「花は咲く」に、不意をつかれたように涙を誘われたのも、「女優の力」なのだろう・・・。そうであれば、私たちは「建築の力」で貢献できればとおもう。
大晦日は、木村家の恒例行事として、毎年毎年、黒門市場と鶴橋市場で、お正月の食材を買う。大学生になって車の免許を取った時は、祖父や祖母の運転手として、買い物に付き合っていたが、暫くして、行かなくなった・・・。祖父が亡くなり、祖母が亡くなり、それでもその不思議な伝統は引き継がれ、3年前までは、父が運転手となり、母やうちの奥方や弟の嫁さんと一緒に年末の市場に行っていた。一昨年の暮れは、なぜか親父の代わりに何十年ぶりかで「私」が運転手となり、母と奥方と弟の奥さんとの4人で、出向いた。ところが、この年末は、母が入院し、父も胃の手術後で、体調が優れず、「私」と奥方の2人で、「クロモンとツルハシ」に行くコトになったが、偶然帰阪した長男が同行してくれて、全く新しい組み合わせで、その「伝統」を引き継ぐコトになった。
中沢新一著の「大阪アースダイバー」には・・・
カマドはいろいろなものが、大きな転換をおこすのである。薪は火となって燃え、灰となって崩れる。鍋の中の水は煮え立って、生のものが、調理されたものへと、姿をかえる、カマドはかつて家の中心におかれて、そこで食材も人生も転換をおこした。
(中略)
「都市のカマド」といえば、それは古来から市場ときまっていた。マーケットとバザールと呼ばれる市場は、じっさいカマドと同じように、さまざまなものの転換がおこる場所である。市場に運び込まれたいりいろな食材は、そこで交換されて、家庭の台所に持ち込まれる。大地と海がもたらした恵み(贈与物)は、市場でお金に換算されて交換されるが、家庭の台所で調理されて、みんなの健康をささえる恵みに姿を変える。都市を大きな家に例えれば、確かに市場は都市のカマドにあたっている。
(中略)
東京からやってきた私にとって、大阪でのなによりうれしい発見は、そこで転換装置であった頃の記憶を保っている、そのような市場がまだ健在であることを知ったことである、私は黒門市場のことを話そうとしている。いまでは「大阪の市場」と言えば、黒門市場と鶴橋市場と相場が決まっている。この市場の繁栄ぶりに比べると・・・・・・、・・・・・。
(中略)
庶民は食べることで自分たちの身体に入れる食材の出てくる土地についての、直接的な感覚を保っていたい、と考えるので、市場で買い物をするのを好む。食材は土地からの贈り物であり、それをありがたくいただくのが、人間のまっとうな生き方であるとするのなら、出所もわからない外国産の食材やら、信用もできない人たちが心をこめないでつくったものを、自分の口に入れたくないという、庶民は潜在的な反TPP派である。
黒門市場のようなほんまもんの市場では、自然のもたらす富と経済の交換が直接に出会って、転換をおこしている。そこで売られている魚も野菜も、もともとは太陽のエネルギーと海と大地がいっしょになって生み出した、自然からの贈り物だ。ここのような野性的な市場では、自然のおこなう贈与の現場である海や畑と、そこからの作物がお金を仲立ちにして交換される現場とが、直接に触れ合っている。だから庶民は、市場の向こうに、海や土の広がっているのが感じられるような、そういう市場で買い物をするのが好きである。
明治生まれの祖父と大正生まれの祖母は、おそらく、このような感覚を持って、クロモンとツルハシに、普段から通っていたのだな、と思った。そして、いよいよ「私」たちとこれからの若い世代が、それを引き継ぐ順番が廻ってきたのだ。暮れに、市場で新鮮な食材を売る威勢の良いかけ声を聞きながら、人混みに揉まれ、立ち止まって鮮魚を買い、また人混みに揉まれる。そこには独特の心地よさがあって、それは、行く年来る年の転換が起こる「市場経済」としての「カマド」だったのだな・・・。
新年は、朝、8時過ぎから、一年に一度しか使わない数寄屋造りの座敷で、「おとそ」をする。長男は友達たちと恒例のように三輪神社に参拝に行っていたし、次男も友達数人と天満宮に初詣に出掛けていたが、なんとしてもこの時間に戻ってきて、「おとそ」をするのが、木村家の新年の「しきたり」で、私も結婚するまでは、毎年のように、同級生数人と初詣をし、ミナミで遊んだ後、この時間に滑り込むように戻ってきたものだった。今年は親父と、うちの家族4人の計5人による、おとそで、最も少ない人数だったのかもしれないが、この座敷が、家族の行く末を見守ってくれているのだとおもう・・・・。
私たち夫婦は、紅白を見終わったあと、午前零時に氏神様であり弊社で建てた清見原神社に参拝し、宮司さんと新年の挨拶をかわして、新年を迎え、朝の「おとそ」に臨んだ。そうそう、会社にお稲荷さんがあって、新年には親父が蝋燭に火をともしてお参りをしていたのだけれど、今年はその役目を「私」に託されて、それで、新年の朝、会社に行くと、なんと、現場監督のオオムラくんが、出社していて、新年から図面を書いてるのだという・・・。これには驚いた。新年初オドロキだった。「おとそ」が終わった後の座敷に誘って、うちの家族と一緒に、おとそをし、おせちを一緒に食べながら語り合うという、今までとはちょっと違う、新年の幕開けとなった。
3日は、長男次男と私の3人でハチ北高原でスキーをし、リフト開始から午後1時まで滑べって、丹後半島の間人(たいざ)まで移動し、奥方と合流して、「間人がに」を食べた。これが値段相応なのか、よくわからないが、かに刺し、カニみそスープ、かにすきと、今までで、最も美味しかったことは確か。それにしても、料理を出す時に、仲居さんでなく、若い男性が、親切に、料理やその歴史を説明してくれて、雑炊の作り方も丁寧に指導してくれながら作ってくれたのが、美味しい食材を食べる+αがあって、それが間人がにをより印象深くする役目を担っていて、そんなのが、以外と参考になったなぁ・・・・。
そんなこんなの行く年来る年であって、明日、1月6日(月)は、初出と参拝と新年会で、木村工務店2014が始動致します。本年も、このブログ共々、木村工務店と「まちのえんがわ」をご愛顧くださいますよう、よろしくお願い致します。
投稿者 木村貴一 : 2014年01月05日 23:23 « 年始の伝統のようなもの | メイン | 23時59分の秘密 »