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2015年11月29日
まな板のカニ
舞鶴でカニを食べる。京都宮津で、セカンドハウスのリフォームを見て欲しいと、奥方の友人の友人から依頼があって、勿論、木村工務店のある大阪の生野区からは、かなりの遠方故に、工事が出来るとは思わないのだが、ま、その友人家族とうちの家族6人で、ドライブがてら遊びに行くことにした。
今週は、偶然にも、和歌山県の椿で、セカンドハウスの土地を見に行く用件があり、それは海に面した土地で、こんなところに住むのも確かに羨ましく思えたわけで、今日は今日で、天橋立近くの里山で、敷地内に小川があり、ここはここで、やっぱり羨ましくおもうわけで、3名の奥さまが週末を遊びにこられていて、セカンドハウスを持つという2拠点住居という考え方も確かに良さそうだが、費用や維持費などを考えると、誰もが簡単にできる事ではなく、それなら先週見たシエアーハウスを想いかえすと、1年間だけ、都会や田舎のシエアーハウスに入居してみるとか、そんなこと、今まで考えた事もなかったが、この2週間に立て続けにこんなのを見ると、妙なリアリティーを感じたりしてくるから不思議。
午前中に宮津での打ち合わせというか見学が終わって、お昼をどうしようかと、ちょっと悩んでみたりすると、当然ながら頭には「カニ」が思い浮かぶわけで、それで、一緒に行った、奥方の友人の娘さんのアーちゃんが、こないだテレビに出てたカニ屋さんをダメ元で電話してみるわ!と、問い合わせてくれて、そうすると、昼夜予約限定4組らしいが、本日は夜がなく、3時半からなら6人いけますよ!という、思いもかけぬ返答があり、それはそれでドギマギしながら、そんなお金を持ってきてたかなと財布の中身を心配したりして、とにもかくにも全くの偶然性のおかげで、めでたくも「カニ」にありつく事になった。
お昼から2時間ほど時間調整も兼ねて、天橋立を散策し、お腹を空かしきって、午後3時30分からの昼夜兼用のカニを「竹林茶屋」というところで食べると、そこのご主人が、生きたカニを目の前でさばいて、造りにして出してくれるわけで、カニの造りってこうやって造るのかと、見て、食べる、体験が新鮮で、それ故に、美味し!と誰もが叫ぶアクションがあり、間人(たいざ)蟹の「よ志のや」さんもそれはそれで良かったが、ここの「カニ体験」は、足が動いているカニをテーブルの前のまな板の上で亭主自らがさばくというプレゼンテーションによって、冷凍でない、ほんまもんの、活きた、新鮮なカニを「いま」食べているのだという「リアリティ」のようなものが、カニの造りや生のカニ味噌や心臓の特別な旨味をそれなりの良心価格で食したのだという満足感に繋がったりし、世の中には、ビジネスとして考えても、オモロイ人がいるなぁ…と、おもった。
そうそう、京都の宮津も和歌山の椿も、大阪からの高速道路が便利に繋がって、どちらも2時間30分ほどで、おもいのほか「身近」な時間で行けるようになって、そのうえ、古いナビには乗っていない「新鮮」な高速道路をグーグルの地図がすぐにサポートしナビゲートしてくれるわけで、イタリアドライブ旅行でも、ipadとwifiに繋がったグーグルマップが、日本語で案内してくれたおかげで、辺鄙な山岳都市を意外とスムーズな行程で楽しめて、「日本や世界を身近にする」さまざまな技術や整備が、「軽やか」な行動を助長して、そんなのが、あらたな経済活動を生み出し始めているのだろうなぁ…。
2015年11月22日
「加工場」と「写真」
月夜の晩に、写真家のトクヤマくんが、カメラが入ったキャリーケースを颯爽と引きながら帰って行って、今日の長い長い日曜日の一日が終わって、ノートパソコンの前に座りながらこうしてブログを書いている「私」なのだけれど、「まちのえんがわ」では、生野区小路出身で、単身NYのブルックリンに渡って、そこで写真を学び、ナイキやコカコーラやユニクロなどの写真撮影をしている写真家のトクヤマくんが、NYから地元の小路に帰ってきて、フラリと「まちのえんがわ」に遊びに来てくれたのが「縁」で、親しくなり、一日だけのトクヤマくんの写真展とBARをやろうという事になったのが今日の日曜日だった。
今年は木村家本舗をやらなかったが、その経験があったので、一日だけでもやるからには格好良くやろうよということになって、加工場にビテ足場を持ち込み、大きな写真展示を社員の皆が手伝ってくれたおかげで、それなりの雰囲気になった。夜遅くには、トクヤマくんの地元の同級生が、写真を見に集まってきてくれて、そのなかのひとりは、この加工場のトクヤマくんの写真の前で、一緒に連れて来た彼女を前にして、サプライズのプロポーズをした。それは、わたしたちにとっても、生で、他人のプロポーズを見るという貴重な体験で、会場の誰もが、ちょっと緊張しながら、その様子を見守って、皆でプロポーズの成功を祝った。
この加工場は、木材を加工し、大工さんたちが、構造材を手加工で刻んで、家の木組みを造る場所で、当然ながら、実際の木組みは、お客さんの土地で建てるのだけれど、そんな加工場で、ふたりの人生の門出のための宣言と約束の場として利用してもらった事は、加工場にとっても一生に一度の経験で、きっと加工場さんも喜んでくれているだろうなぁ…。
今日のお昼からは、関西大学の建築学科の学生25人ほどと一緒に、建築家、石井修さん設計で、うちで施工した目神山22番の家を見学に行って、建築家が設計した家を実際に見て、触れて、座れる体験は、ほんとうに貴重な機会で、毎年毎年施主のご厚意で見学させて頂いて、あらためてこの場を借りてお礼を申し上げておきたい。今年はあまりにも多くの人数で目神山の12番坂をブラブラ歩きながら目的の家に向かったので、近隣から苦情が出て、オートバイに乗った警察官に注意されるという一幕もあって、大人数での見学というのは、確かに迷惑で、良くない事だと反省した…。
帰り道では、建築家の石川さん設計で、うちで施工したR邸で、感謝祭を催しているという事で、帰り道がてら、大人数でお邪魔して、家の見学と共に、記念撮影に参加するという、サプライズな出来事があって、学生も家の格好良さだけでなくパーティーのエエ雰囲気も含めて、特別な体験をした目神山の一日だった。
甲陽園駅近くの旅館リノベーションコンペで、関西大学の学生が、シェアハウスにリノベーションする案で賞をもらって、実際に完成したそのリノベーションを見学したのだけれど、プレ入居という事で、応募者を募って、なんでも20代男女、30代男女、40代男性、60代女性が、シェアしているらしく、それがなかなか良い雰囲気で、その様子を聞くと、あっ、確かに、60歳になって、3ヶ月ほど、シェア-ハウスに入居してくるわ…。なんていうのも、「私」もやってみたい気がして、若者だけや、高齢者住宅と違う面白さがあって、共用のキッチンやダイニングは勿論だが、地下の防音室や外のひとが入れるバーもあり、各世代が入居するシエアーハウスというのにリアリティーを感じる時代背景なのだろう…。
こんな刺激的な見学ツアー終了後の「まちのえんがわ」ギャラリー&バーで、お客さんが帰った後の深夜に、私よりずっと若いトクヤマくんから、NYで、カメラマンとして、ナイキの仕事をするまでに至った刺激的な体験談を聞いて、とっても爽快な気分をもらいながら、「まちのえんがわ」が縁となって、「加工場」と「写真」が誘発したさまざまなコミュニケーションと一日の出来事の面白さに、なんとなく微笑んでしまった…。
2015年11月15日
モーダルコーダルなイス
小雨な日曜日の朝。こんな日はダラダラ寝るのが嬉しかったりする。お昼からは建築家の矢部さんによるケンチク椅子ワークショップがあって、今年で4年目になり、3年連続参加の女性もいて、それなりの人気で、19名の参加者とその同伴者が助け合いながら作業をするなか、うちの大工3名がサポートをしてくて、終始和やかなムードと、誰もが真剣に一生懸命取り組んでいる姿が、エエ感じに相まって、ものづくりの作業音だけが響く、独特の静けさが加工場を包み、そんなのが心地良かったりした。
「仕口がない。トメがない。仕上げがない。」という、ヤベさんがレクチャーで語るケンチク椅子の「コード」に従って設計された椅子を製作すると、初めてビス留め作業をする人であれ、プロの大工であれ、誰もがある一定以上のレベルで造れる椅子で、それを「ケンチク椅子」とヤベさんが名付けて、裏返せば、プロの大工の仕事は、「仕口」といわれる、パズルのような木組みの技術を使って、木と木を繋ぎ合わせて、ビスを使わないのが技術だったりするわけで、また、木の「小口」を見せないようにするために、45度斜めで木と木とを繋ぎ合わせる「トメ加工」といわれる技術を使うのが大工の基本でもあり、それに、木に鉋(カンナ)をかけて「仕上げる」技術は、職人の腕の見せ所でもあり、手鉋をかけた木は独特の艶々した光沢があって美しく、日本の伝統技術で、また、ペーパーで磨くことで、木の触り心地が格段に良くなって、それが安全や気持ち良さにつながるのだけれど、そんなプロの技術を全く使わないで製作する椅子が、「ケンチク椅子」だといえる。
ケンチク椅子のスタンダードなスタイルに、毎年少しの変化をつけて、それを「モード」と呼ぶなら、昨年は座面にクッションを付けるモードで、今年は、脚の一部に白いペンキを塗った白いソックスのモードで、ケンチク椅子というある決まり事をケンチク椅子「コード」と捉えると、そのコードによって造られた「スタンダード」な椅子に、その年の流行のモードを組みあわすというのが、ヤベスタイルなケンチク椅子ワークショップで、さてさて来年はどんなケンチク椅子「モード」が生まれるのか楽しみだなぁ…。
ものづくりの後に、沸き起こるような笑顔になれるのが、独特の喜びだったりする。
2015年11月08日
Fun to home
今週の金曜日、野池さんが主催する1985省エネミーティングが長野市であり、個人で設計事務所をしているウエノくんとナカノくんの3人で車に乗って向かい、中央道で長野県に入ると、ま、なんと、山々が紅葉で美しいことか…。
中央道沿いのほとんどの山々が、赤や黄色やオレンジ色が混ざり合って、それを観ている私の「眼」が、鮮やかな色を観て、喜んでいるような感じがして、雲ひとつない青空と相まって、楽しいドライブで、ちょっと、野郎3人のドライブでは、もったいないと思えたほど、女子と分かち合いたい美しさだった。それにしても、杉や檜などの針葉樹の植林された山々がほとんどなく、広葉樹の雑木林ばかりだからこんなに美しいのだろう…。
女性の長野県副知事がプレゼンテーションする、建物の省エネに関する長野県の取り組みが、とっても興味深く、長野県では、冬の死亡率が高くて、お風呂などで、ヒートショック亡くなる人が多いらしい。それで、家を高断熱高気密化することによって、家の中の温度むらを少なくし、ヒートショックの予防に役立て、暖房費の省エネにも貢献しようと、省エネ「設計」をする事を義務化しているそうで、省エネな工事をするかどうかは、金銭的問題を中心に、さまざまな都合やメンタリティーが関与するので、まずは、関心をもってもらうために、省エネ設計を義務化しているのだという…。
そういえば、道中の車の中で、例えば、プリウスに300万円をかけて、ガソリンの省エネに貢献して、Fun to Draive を楽しむのも確かに悪くないが、日本人の気持ちを再びドライブに誘うのではなく、省エネな家に300万円を費やして、室内の温度むらが少なく、省エネで快適な my home で暮らす、Fun to home に誘うのが、原子力問題を含めた、21世紀的有り様でないのかと…、5時間半に及ぶ道中で、話題が途切れる事なく、あーだこーだうだうだと、ドライブよりホームだぁ…と語り合いながらも、紅葉の中を快適に走り抜ける Fun to Draive を楽しんでいる、かなり矛盾したオトコ3人の車中だった。
2015年11月01日
シエアーホーム
布施の映画館の無料券の期限が、10月31日土曜日で、それが3枚有り、奥方が、土曜日の夜の8時が最終上映やし、期限ぎりぎりやから、映画でも見に行こっ!。というので、何となく了解し、それで、私と奥方だけなら1枚余るので、それなら、只今同居中の長男のお嫁さんと3人で行こう!ということになったが、取り敢えず長男にも声をかけると、一応行くことにしとこかな…みたいな、ひとりだけ、つまはじきにされるのも、いややわ!的曖昧な返事があり、そんなこんなで、観客が10人ほどしかいない映画館のど真ん中の席に、左から私、奥方、長男、長男のお嫁さんの順に座って、ポップコーンとコーラというお決まりのセットを膝に置きながら映画を見たわけで、ま、昔から布施の映画館は家庭的な雰囲気で、寅さんを合唱したこともあるぐらいなので、なんか、家族で、居間の延長線上で、テレビを見ているような感覚で、それにしても長男と一緒に映画を見たのが小学生の何時で、どんな映画だったのか全く思い出せない。
まさか、長男と長男のお嫁さんと「同居」なんていうのを経験するとは、昨年の今頃には、考えてもみなかった出来事で、それより「同居」というか「シエアーホーム」というか、そんなことが、若い夫婦も私たち50代の夫婦もお互いに受け入れられるのは、今住んでいる家の間取りが、食事は一緒にして、それぞれの寝室は、プライバシーが守れる程度に独立してあり、洗面浴室が2カ所あったりして、そんな条件が偶然に整っていたからだろうが、ま、でも、それ以上に、時代背景も大きく、「震災」なんていう出来事が、「集まって住む」や「省エネな暮らし」へのきっかけになっているのだろう。世の中の「経済情勢」も、特に若い世代の将来に対する経済的不安なムードが、どんよりとた状態としてあるからだろうし、そうであれば、なるべく無駄なお金を使わないという「シエアーホーム」とか「シエアーハウス」を選択肢として受け入れるのは、21世紀的世界の傾向なのかもしれない…。
ところで、4人一緒に観たのは、三谷幸喜のギャラクシー街道という映画で、あんなくだらない映画を大まじめに、よく創ったな!と、なかば呆れて感心するほどの映画で、映画館では全く笑えず、家に帰ってから、そのばかばかしさのあまり、お金無駄やったな!と、笑いのカタルシスが出来なかったことに対する不満を抱きながら、でも、あんなばかばかしい映画あらへんでぇ!…と、誰かに愚痴をこぼし、話題にして、くすくすと笑ってしまうという、そんな映画で、それに、こんな4人で大まじめに並んで観ていた光景を思い返すと、そのばかばかしさにも、おもわず微笑んでしまうというオマケまでついてくるのだった…。
そういえば、ほかの観客の笑い声がまったく起こらなかった映画にもかかわらず、奥方は、2回だけ、映画館の中に響くほどの声で笑い声をだして、ちょっと恥ずかしいなぁ…とおもうほどで、なのに映画終了後、あ~ぁ、おもんなかったわ!と映画館の出口に向かいながら、大阪のおばちゃんらしく、大きくため息をつくわけで、それに対しては、長男も私も思わず同時に、あんただけ、大声で笑ってたやん!と突っ込みを入れるのが、大阪人の習性なのだろう…。
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