2014年09月14日

津軽と「スーパームーン」とNYの休日5

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スーパームーンなんていうコトバを聞くようになったのは最近の事で、月が地球に接近して普段より明るく大きく見える満月のことらしく、通常の満月に比べて、大きさが14%、明るさが30%増しだそうだ。この9月の十六夜がスーパームーンで、その前日の中秋の名月の日、うちの会社で設計を手伝ってくれている青森弘前出身のササオさんという女性がいて、彼女の実家がリンゴ農園で、段ボール箱に入った採れたての「津軽」というリンゴを会社に届けてくれた。

なんでも、少し傷があるだけで、値段が落ちるらしく、そんなのって、日本人のヘンな潔癖症のような気がするのだけれど、ま、それはともかく、そのリンゴの濃厚で美味しそうに見える色を見て、「祖母」がフラッシュバックした。そういやぁ、おばあちゃんは、市場の果物屋さんにリンゴを買いに行って、手搾りのリンゴジュースをよく作ってくれた。あの独特の甘みと旨みと喉ごしのすっきりとした感覚が、おばあちゃんの「はんなりした」柔らかい大阪弁のコトバと共に蘇る。


それで、自らリンゴを搾って満月を見ながら次男と奥方に飲んでもらったのだけれど、そういやぁ、まだ私が小学校の5年生の時に祖父と祖母がアメリカのロサンゼルスに旅行することになり、もちろん、まだ海外旅行が一大事だった時代で、祖母が私を一緒に連れて行くと言ってくれた。一週間ぐらい学校など休んでもかまへん。とそんな風に言っていた。ちなみに祖父は木村工務店の創業者なのだけれど、「勉強をし過ぎるとアホになるから、おまえ、あんまり勉強するな」とそんコトバを何度か私にかけた。そんな祖父と祖母に孫というより子供のように可愛がられたが、いや、それで、父と母は、見聞を広めるのは良く解るが、学校を休んでまで「遊び」に行ったらアカン。と反対されて、私のアメリカ本土上陸は実現しなかった。

いま、気付いたけれど、それが、トラウマになっていたのかもしれない。結婚してからの20代に、ハワイには1度だけ行ったが、アメリカ本土に上陸したのは、なんと、55歳になったこの「NYの休日」が初体験で、11歳のあの時から数えて44年後の実現だった。

ちょうどNYに到着したのは現地8月10日の夕方で、8月11日午前3時がNYのスーパームーンらしく、夜の8時過ぎに大衆的なペンシルベニヤホテルにチェックインし、早速、夕食を食べるためにNYの街に繰り出すと、ライトアップされたエンパイヤステートビルが見え、その横に、もうすぐスーパームーンになる満月が、ビルの間から見え隠れしながら、尖った姿のエンパイヤステートビルと、まんまるのいつもより明るいスーパームーンが横に並んで佇む姿がとっても印象的で、初めてのアメリカなのだけれど、日本と同じ姿の月が、いまとここに心を落ち着かせてくれたのだとおもう・・・。

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タイムズスクエアーに向かって歩くに連れて、ネオンサインが沢山増えてきらびやかに輝き、人もどんどん増えてきて、まるでお祭り騒ぎの夜の街のようで、タイムズスクエアのステージのような階段に世界からの観光客が、ただただ座って、光り輝く街を眺めている姿は、確かに東京や道頓堀とは全く違う、「インターナショナル」な気分を感じさせる不思議な街だった・・・。。

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「津軽」という美味しいリンゴジュースの味が、おばあちゃんの記憶を蘇らせてくれて、それが偶然にも「スーパームーン」と結びついて、まだ昨日の鮮明な記憶のようなNYの摩天楼と月の姿が蘇り、それとともにあのタイムズスクエアーの喧噪も再び肌で感じられて、それにそれら全てが混ざり合うコトで、11歳のあの時のなんともいえない感覚まで蘇って、それは、「津軽」と「満月」と「NY」の合わさった力なのかね・・・・。

投稿者 木村貴一 : 2014年09月14日 01:29 « 堀山の家と「JAZZ」とNYの休日6 | メイン | 住宅相談会と「グーグルマップ」とNYの休日4 »


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