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2004年05月23日

拉致被害者家族と泥棒

テレビを見ていた。拉致被害者の家族を乗せたバスがホテルに到着しようとしたまさにその時、家の前の通りから女の人の叫ぶ声がした。 「ドロボー!!」「はやく捕まえてぇ!!」・・・・・

一体何が起こったかわからなかった。でも兎に角、外に出た。通りをバタバタと人が駆ける音。何だかわからない叫び声。 その騒々しい方向に駆けて行く。何人かの男の人が家から飛び出して追いかけていく。 携帯電話で警察に連絡を取りながら状況を説明している女の人を追い越す。兎に角、走る。前に男の人が数人走っている。 自転車で走ってくる女の人もいる。やはり、携帯電話で警察に「早く来て」「ここは小路東のどこどこ・・・」「どこどこの前・・・・」 という叫び声。騒々しい足音・・・。しばらくして、「捕まえたぞー」という大きな声。

近づいてみると数人の男性がドロボーを取り押さえていた。小柄で若い男だった。被害にあった女の人が駆け寄ってきた。 通りを歩いていて鞄をひったくられたらしい。足下をみると靴は脱げて裸足だった。 ドロボーを捕まえた男の人はパンツいっちょうで家から飛び出し、追いかけて、ドロボーを捕まえたようだった。ちなみに、 熊のプーさんの絵柄のパンツだった。

数十メートルの間に何軒もの長屋が並ぶこの町では、このドロボーは何十世帯もの間を通り抜けたことになる。 声を聞きつけてすぐ外に出てきた人は数十人ほど。郊外の町なら数世帯しかないので、追いかける人も少なかったと思う。警察が来るまで、 ドロボーが逃げないように周りを取り囲む。と、そこに突然、「何奴がドロボーやぁ。」と言って駆けつけて来た男の人が、 いきなりそのドロボーに殴りかかった。慌てて、周りの人皆でその男の人をとり抑える。「警察が来るからそれまで、ちょっとまっときぃやぁ。」 「殴ったらアカンアカン。」と言う声。声。ドロボーは息をきらして下を向き、かんねんした様子だった。

それにしても、ひったくりにあった女の人は、よくもあんなに大きな声を出せたものだ。その勇気と叫び声がよかった。 裸足の被害者の女の人を見て、誰かが家からスッリッパを持ってきた。親切だなぁ。どこからともなく自転車で女の人がやって来て、 被害にあった女の人に、「脱げた靴はどこそこによけて置いたのでぇ・・・」と伝えた。

そうこうしているうちに自転車に乗った3人のお巡りさんが到着した。「ドロボーはどこやぁ。」「被害者はどこやぁ。」・・・・・。 それを見て、まわりの皆が安堵した。追いかけた人々は三々五々家に帰っていった。帰り道、近所の人が言った。 「ドロボーするような奴にはみえへんのになぁ・・・」と。間の抜けたようなタイミングでパトカーのサイレン音が近づいてきた。 家に帰って再びテレビを見る。既に拉致被害者の家族はホテルに到着した後だった。

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2004年05月17日

ゴールデンウィーク有田への旅(その2)

有田の泉山駐車場にハイエースのキャンピングカーを泊めて一夜を明かした。前日の寝不足と疲れのせいもあり熟睡した。朝6時頃、 駐車場の管理人の車をトントンと叩く音で目が覚めた。夜中に到着して駐車代金を払っていなかったので、催促に来たらしかった。 流石に夜中には2~3台ほどしか車がなかったのだが、辺りを見てみると沢山の車で埋め尽くされていた。

生憎の小雨がパラパラとする天気だった。40リットルのリュックを私と妻のそれぞれが担いで、軍手なども忍ばせ、 雨具の用意を携えて歩き始めることにした。朝も早いこともあり、まだ店は準備中だった。有田陶器祭りの案内所で地図をもらい、 ついでにトンバイ塀の通りはどこかと訪ねると、道を教えてくれたついでに「朝ご飯がまだなら、 トンバイ塀の裏通りを歩いていくと商工会議所に着くので、そこなら朝ご飯食べられますよ。」と親切に教えてくれた。 朝の散歩もかねて裏通りをぶらつきながら朝食を食べに行こうということになった。

裏通りは小川も流れる静かな通りだった。ブラブラ歩きながら有田は山あいにある町なんだなぁとあらためて思った。 細く曲がりくねった道とトンバイ塀。道沿いに並ぶ民家と陶器工場。小川のせせらぎ。町の背後にある山。 登り窯の不要になったレンガや窯道具を使って造られたトンバイ塀の独特の質感。こんな雰囲気と質感の壁を住宅建築で使えたらいいのになぁ・・ ・・と。先日、本屋で手にしたルイスカーンの住宅の中にある石造りの暖炉の壁。イサムノグチの庭園美術館の塀。岡山にある閑谷学校の石塀。 そんなのをフラッシュバックさせながら歩いた。

裏通りから路地を覗くと表通りの店先に陶器を並べはじめている様子が伺えた。そろそろ町が動き出してきたとい雰囲気だった。 その様子につられてか、眠たそうにして歩いていた奥方が、突如として活動的になり、裏通りから見ても何となく雰囲気のある店構えの「つじ信」 というお店に路地裏から飛び込んでいった。

一番最初にゲットした陶器はその店で目に付いた60センチほども長さのある船型の真っ白な器であった。 これをかわきりに沢山の陶器を買うことになってしまった。 帰りがけにはそれぞれの40リットルのリュックが満杯になり両手には袋と箱を携えていた。帰り道、 登山の時よりも重たい荷物を担いで歩いているお互いの姿を笑い合いながら、何でカートを持ってこなかったのかと、お互いのせいにして、 ようやく駐車場にたどり着いたのだった。

今回の陶器市では「白」の器を探そうということになった。絵柄があってもごく控えめな絵柄。そういえば巷では、「白」 が流行っているのかもしれない。車にしてもホワイトエディションなんてあり、家電製品もホワイトで統一されたシリーズがある。 建築でも感じの良い白い部屋や白い建物も多い。

そうそう、話は戻って、駐車場に紅白の幕を張った商工会議所の食事スペースで手作りのおにぎりとおでんとうどんの朝食をとり、 食堂の人達の明るく元気な声に送り出されて、買い物モードへと突入していった。ふったりやんだりの小雨にもかかわらず人出は多い。 何でもこの日は18万人だったそうだ。

人気のある深川製磁や香蘭社は人でごった返していた。建物や内装の雰囲気もいいので、人が多くても案外、居心地は良かったりする。 賑やかな店が立ち並ぶ通りの中で静寂な雰囲気の「辻絵具店」という店が気になって吸い込まれるように入った。独特の「赤」 を使った茶器が印象的だった。暫く眺めていると、ご主人らしき人が話しかけてきた。恐ろしく澄んだ目をした人だった。 職人気質のかたまりのような風貌と目。大工の中でも腕だけでなく人格にもたけた棟梁が持つような身のこなしと雰囲気が漂っていた。「赤」 の絵の具に関する製造やそれにまつわるエピソードを聞かせていただいた。今回の旅行での最も印象深い人との出会いであった。 辻昇楽さんという息子さんが制作した湯飲みがあった。深川製磁にある上品で繊細なタッチと色づかいの有田焼とはまた違う、 自由で太いタッチの赤絵の湯飲みだった。その店を出た後もその赤の絵の具の話が気になって仕方がなかった。 一通り陶器市を見終わった帰りがけにもう一度その店に立ち寄りその湯飲みを買った。それが、今回の陶器市での一番高い買い物でもあった。 家に帰ってから、手に入れた陶器を全部並べてみた。受験を控えて家で留守番をしていた長男に、ひとつだけ好きなものをあげるから選んだら・・ ・と言うと、直ぐにその赤絵の湯飲みを指さした。それはちょっと・・・・・。

私たち夫婦にとっては楽しかった陶器市なのだが、一緒に連れてこられた小学校2年生の息子にとっては、どんな印象を残したのだろうか?。 最初の1時間を過ぎたあたりからダダをこねだした。「あーしんどい。」「もーいやや。」「もう絶対行かへんでぇ。」その度に、 小さなおもちゃを買い与えたり、ラムネを買ったり、アイスクリームを買ったり、ポテト、かき氷・あ~・・・・ その辺で見つけた子供の喜びそうでチープなものは何でも買い与え、なだめすかした。それでも、 香蘭社では気に入ったデザインのお茶碗をちゃっかりと自分で選び、今では毎日の食事に使っていたりするのだ。かれこれ6時間ほど経過した頃、 息子は「もぉー、絶対、温泉に行く!」と強くアピールした。そうだ。荷物も肩にくい込んで痛い。そろそ引っ返して、ゆっくりと休みたい。 私も温泉につかりたい。

山を歩いている時は「なんでこんなしんどいことを・・・」といつもブツクサ言う奥方は町歩きではなぜか軽快である。 まだまだ陶器市に未練があるらしい。そういえば、7年ほど前、屋久島で7時間ほどトロッコ道を歩いて縄文杉を見に行って以来、 山歩きは引退すると宣言した。ところが町歩きは7時間歩いても一向に疲れないらしい。ちょっと口惜しそうだったのだが、 流石に荷物が肩にくい込んで、畑仕事をして荷物を背負って家路にかえるおばあさんのような歩き方になっていた。荷物の重さには弱いらしい。 ようやく、3人の意見がまとまり駐車場に向かうことになった。それでも、気になる店に寄りながら帰るものだから、息子は「約束が違う、 まっすぐ車に帰ると言ったやろ!」と・・・・・・。

今回の陶器市は上有田駅から有田駅まで歩いて、帰りは電車で戻ろうと計画していたのだ。しかし有田駅まではたどり着けず、 市役所まで歩いて駐車場に引き返すということで、私たちの陶器市は終わった。有田陶器市の何が楽しいのか良くわからないのだが、兎に角、 不思議に何だか楽しかったのだ。

有田から30分ほどのところにある武雄温泉に行くことになった。ゆっくりと、長い時間、温泉につかりながら次の予定を考えた。息子は、 旅行に来て、まだ、全然遊んでいないと言う。そうだ。子供にとって遊ぶと言うことは自然の中で動き回る事なのだ。 私も山々や木々に囲まれてゆったりと時間を過ごしたい。やっぱりキャンプだなぁ。それじゃぁ、阿蘇までへ行こう。ということで、 明日も雨模様なのだが、阿蘇の大自然に包まれて過ごすことになった。 (おわり)

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2004年05月09日

ゴールデンウィーク有田への旅(その1)


佐賀県有田の陶器市に行くため5月30日の夜、大阪を出発した。途中、広島県のサービスエリアで仮眠をとり、明け方、本州の西の端、 下関に到着した。

このまま一気に有田まで行こうかとも考えたのだが、8年前に初めて陶器市に行ったときの混雑した記憶が残っていたので、 今回は早朝に有田に到着して、たっぷりと一日、陶器市を楽しみたいと考えた。そこで、取り敢えず下関海峡を渡って、 門司を見学していこうということになった。今回の旅は私と妻と次男の3人、車はハイエースを改造したキャンピングカーだ。

駐車場に車を止めて門司レトロと呼ばれているあたりを散策した。アルトロッジが設計したホテルも見てみたかった。やっぱり、 日本人とは全く違う感性だなぁ・・・と感じながら、ホテルのロビーなども覗いてみた。500キロほど車に乗っていたことと、 天気が良かったことが幸いして、朝の散策は心地よかった。門司駅のレトロな建物とその構内、到着した電車と人の流れ、 それらが醸し出す雰囲気も心地良かった。

黒川紀章が設計したという高層マンションの展望台から下関海峡を眺めているうちに、なぜか、レンタサイクルを借りて、 門司の古い町並を走ってみようということになった。大人用は電動アシスト付きの自転車なので坂道も快適だった。 それを横目に見ながら小学校2年になる息子は、「なんで僕だけしんどいのやぁ」とダダをこねながら門司の路地裏の坂道をこいでいた。 私が住む大阪の下町と同じような長屋が続く裏通りがあり、細く曲がりくねった坂道が続く一角に民家を改造した雑貨屋があった。 そこに吸い込まれるように入ってしまった。店員がどこから来たのですかと言うので、大阪だと応えると、なぜかここは、 大阪から来る人が多いのですよね。長屋とかの光景が似ているからでしょうかねぇと言いながら、 お茶でも飲んでいってくださいと言ってお茶をだしてくれた。別に飲む気もなかったのだが、まぁいいかぁと思って座ったら、 息子がお腹がすいたと言いだし、ハヤシライスを注文する羽目になった。なんだか、 ヘンなところに吸い寄せられたなぁと一連の流れをニタニタして思い浮かべながら、注文はハヤシライス一つだけにして、そそくさと立ち去った。

海沿いを走っていると、船に自転車を乗せて九州の門司から下関海峡を渡って本州の下関まで10分ほどで行けることを知った。じゃぁ、 そうしよう。と話が直ぐにまとまった。息子にとってはちょっとした冒険旅行のような気分で、楽しそうだったに違いない。 船は思っていた以上のスピードを出して、波をバンバンかき分けて進んで行った。静かな九州門司の街から対岸の本州下関に渡ってみると、 賑やかなことに驚いた。唐子市場という市場の前ではお祭りをやっていて、ほんと賑やかだった。唐子市場ではとりたての鮮魚を売っていて、 造りにしたり、天ぷらにしたりして、その場で食べることも出来た。ちょうどお腹もすいていたので、 人混みをかき分けながらマグロや穴子の天ぷら、白子のみそ汁などなど、適当に買い込んで、海沿いのデッキまで持ち出し、食べることにした。 下関海峡を隔てる門司と下関の雰囲気の違い。海を隔てることによってうまれる文化の違いなどに思いを寄せながら下関海峡を眺めた。 こういう食事は、うちの奥方の満足度を高めるようだ。思わぬ出会いに喜んで、結構食べたはずなのに、 またも造りなどを買い足しに走っていった。ダイエットをするとか言う話はどこへいったんやぁ。

下関から門司へ戻るのには歩行者用の関門トンネル渡ることにした。自転車も乗せることが出来るエレベータで一気に地下まで下り、 海底トンネルを自転車で渡った。門司側についてエレベーターで地上まであがり、今、自転車で渡ってきた海峡を振り返って眺めると、なんだか、 妙な満足度が沸いてきた。下関海峡をぐるりと巡るサイクリングが、私に思わぬ印象を与えてくれた。

三時間ほどしか寝ていないのと、前日の仕事の疲れ、それに下関海峡を巡るサイクリングの疲れがたまって、急に眠たくなってきた。 疲れを癒すにはやっぱり温泉だなぁということになり、門司から近い北九州の山間にある温泉に行くことになった。途中、 持参したノートブックVAIOの液晶画面から表示が突然消えた。そういえば、そんな兆候がなかったわけではない、 1週間ほど前から液晶画面に時々横線が走っていたのだ。どうもハードディスクは大丈夫そうだが液晶画面が死んでしまったような・・・。少し、 憂鬱がもたげてきた。休み明けの仕事が出来なくて困るではないか・・・と。まぁ、しかし今更どうなるものでもない、 山の木々を眺めながら露天風呂に浸かり、ゆったりとした時の流れに身をまかし、疲れを癒すことにした・・・・。

午後も4時頃になり、そろそろ有田に向けて出発するため高速道路に乗ろうとすると、事故で九州道が通行止めになっていた。 渋滞の中で時間が過ぎていくのも辛いので、どうしようかと相談しているうちに、そうだ、博多の屋台でラーメンを食べようといいだした。 街歩きと食べ物のことになると奥方の実行力と決断は早い。

福岡・博多に行くのは初めてだった。空港と街が意外に近いのだなぁ思った。繁華街の中の駐車場に車を止めて、 もうほとんど暗くなってしまった博多の街をブラブラと歩いた。そうそう、キャナルシティの中庭も建築的な意味合いでは、体験してみたかった。 川沿いを歩いているうちに屋台の並んでいる一角に出くわした。予備知識もなく、どこが有名で美味しいのかもわからないまま、 今日は行列の出来る店で待つほどの忍耐力を持ち合わせていなかったので、たまたま席が空いていた屋台でラーメンを食べることにした。屋台・ 川縁の席・川・ネオン・対岸の店舗・川をゆっくりと進む座敷船・人混み、それらが醸し出す雰囲気のせいもあってか、おでんも、 ラーメンも牛タンも美味しかった。食べ終わってから、やぱり奥方は、追加でぇ・・・とか言いながら注文を繰り返していた。 今日は天気で良かった。

キャナルシティーに足を向けた。アルトロッジといい、外国の設計者による建物の色づかいは独特で、その感性の違いは面白い。西洋の設計者は、 様々な素材を組み合わせた上に、こだわりのソースで味付けされたフランス料理のような、素材と色づかいが多い。 それに比べて日本の設計者は日本料理のように、 素材の持っている良さと色合いだけを最大限に生かして隠し味をちりばめて空間を表現しようとする傾向にあるのかもしれない・・・・。 なんてことを考えて中庭のベンチに腰掛けているうちに、お便所に行きたくなってきた。そうだ、昨日から一度も大便をしていなかった。 それに今日はチープなグルメを食べ過ぎて・・・・。皆さんはどうだかしれないが、私は、 自分の家以外の便所に行くとどうも用を足せない傾向にある。旅行に行くたびに、住宅の便所の設計は大切にせんとあかんなぁ。と考えるのだが、 実際、便所の設計に注ぐエネルギーは少ない傾向になってしまうことが多い。そんなことを反省しながらキャナルシティーの便所に入ってみると、 以外と綺麗で落ち着いた雰囲気だったので、それなりに事がスムーズに運んだのだった。めでたしめでたし。

夜も9時を回てしまった。今度こそ有田に向かうのだ。と言い聞かせて駐車場に向かった。途中、道を間違えて、 いかがわしい店と呼び込みの店員が待ち伏せている通りに入り込んでしまった。小学校2年生の息子が歩くにはまだまだ早すぎる通りだ。 きっとキョトンとした顔で歩いていたに違いない。こちらもバツが悪そうな顔をしながらわき目もふらず急ぎ足で通りを駆け抜けて行った。後で、 息子は私に、「変なとおりに迷い込んだなぁ。」と呟いた。きっと、息子も10年後には、 あのときの通りがどんな道だったかに密かにほくそ笑みながら、同じような通りをぶらつく時もあるのだろうなぁ・・・。 と考えながら歩いているうちに駐車場に着いた。 夜の高速道路を飛ばして有田に向かう前に川縁にあるスターバックスでキャラメルマキアートを飲んで福岡の街を後にした。

(つづく)


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