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2011年06月26日
節電技術
暑い。もうすでに、夏だなぁ・・・。
弊社の1階の作業場にある職人事務所には、毎朝、7時前から手伝い職のマツモトさんやドウニシさんやタナカさんやヨッシヤンが待機して、現場に向けて出発の準備をしている。おはよう!っと言い合うのが、毎日の朝の日課で、時には、職人さんから反ってくる、おはようございます。の挨拶から、元気をもらう。
ここ数日は、加工場で、木造住宅の構造材を大工が手刻みをしているので、フミノ棟梁と毎朝、顔をあわす。そういえば、清見原神社の手加工をしている時は、沖棟梁と顔をあわすのが、毎日の楽しみと日課で、それが約一年間続いた。大工の手加工の時は、加工場に、杉や檜の構造材の香りがほんのりと香り、鑿(ノミ)と金槌と木が奏でる「音」が響く。その「音」には人間味があって、どんな演奏家にも出せない「音」で、ある意味、幸せを感じる「音」だとおもう・・・・。
朝、フミノ大工と顔を合わす。「暑いねぇ。」「昨晩は、クーラーがないと我慢でけへんかったなぁ」と、お互いに話し合う。どちらも大阪市内に住んでいて、「電気のありがたさが、わかるねぇ・・・・」と。クーラーを使うことに少々の罪悪感のようなものを感じる雰囲気があって、気はつかっているけど・・・とお互いに共感しながら、「何とか我慢したい気持ちはあるけど、我慢できませんわ」と棟梁が語る。確かに、大工さんは、加工場の熱気の中で、じわっと汗をかきながら、黙々と作業をしている訳で、家に帰っても、暑いのは辛いだろう・・・・。
弊社2階にある事務所では、クーラーをかける台数を減らして、如何に、省エネすれば良いのかを、皆で、工夫をしていて、それに、インターネット上に掲載されている、省エネ実験を読んでは、「よしずを窓の外に置くと、約20%の省エネになると書いてあるでぇ。さぁ、よしず、よしず、何とか、窓の前に取り付けるでぇ・・・」と、大声で、鼓舞しているものの、そうそう簡単単純には進行しない。そんな訳で、作業場に比べれば、メチャクチャに涼しい事務所に帰ってきた社員の何人かは、「天国やな」と呟く。そんな天国にいる「私」と「棟梁」との我慢度の差は歴然としているだろう・・・・・。
「Forward to 1985」という省エネなプロジェクトに参加している「私」である割には、うちの家の電気消費は、贅沢な部類に入るとのだとおもう。誰よりも、このプロジェクトの成果を出さなければいけないのは、うちの家なんだろう。もちろん、3年ほど前から、そのことに気付いていて、2年ほど前に、省エネ改修をしようよ。と試みたものの、子供の学費に回すので、ちょっと後回しやね。と奥方が呟き続けている間に、「3・11」が勃発した。
その3年前のうちの家の省エネ目標は、断熱材の強化。窓硝子のペアガラス化。フイルム式の電気床暖房をガス温水床暖房に変更。太陽熱温水器の設置。エコウィル。木製の雨戸の板をよしずに変更。価格が安くなれば太陽光発電とかエネファームだった。太陽熱温水器とガス給湯器の組合せを見学するために、長府まで行ったが、この3年間で、実際に行った省エネは、25年間使ったクーラーを新品にしたことと、夏の間のクーラーの効率をあげるために、午前9時頃から午後4時頃まで、南面の窓の障子を閉める事だった。本当は、障子を閉める代わりに、木製のよしず雨戸を窓硝子の外に設置する「つもり」だった・・・。
そうそう、そういえば、最近、土の庭に、シロツメクサを植えて、一面グリーンにした。これによって、省エネ効果が、どれほど、うまれるのだろうか・・・・
この「3・11」以降の今、現状のうちの家で、そんなに予算をかけずに出来る省エネの優先度を考えると、ほとんどが白熱電球である照明器具を、まず、LED電気に変更する事なのだろうと考えて、各メーカーのカタログを取り寄せて調べてみるものの、硝子面積が小さくて、変な、「がたい」が付いている、そのデザインになじめず。また、E26とE17の口金があって、どれがどれであれがこれでと調べて分けるのもめんどくさくなり。その上ルーメン表示もややこしくて、60Wの電球を取り替えるのには、800ルーメンほどが必要らしく、それには電球色はなく昼光色ばかりで、60Wのまん丸い白熱級と同じデザインのLEDはないのかねぇ・・・・。
なんて、考えている間に、ほんまもんの夏がやってきた。クーラーの温度を下げたり、我慢してクーラーをかけないでいると、白熱球の電球がとっても熱く感じる昨今。そんな訳で、密集した都会に住んでいると、「電気のありがたさ」を痛感する訳で、かといって、原子力発電のあの恐ろしさを容認する気持ちには到底なれず。趣味的な感覚であった「省エネ」がリアルな社会問題としてたたきつけられている今、「あなたは、この夏をどう工夫するのですか?」と背後から声が聞こえる・・・・。えっ、大阪人は素直にお上には従いませんでぇ・・・・とかなんとか、言いながらも、会話する大阪のおっちゃんもおばちゃんも誰もが、「Setuden」をそれなりに真面目に考えている事は確か。
そうそう、大阪のおばちゃんの我が家の夏の節電技術は、昼間のクーラーが効いた喫茶店で、長時間ねばる技術らしい・・・・。この夏は、「私」も私なりの節電技術を工夫して、楽しんでみようとおもう。
2011年06月19日
くだらない話
どんよりした空、降りそうで降らない雨。と思っていたら、雨が降り出して、あっ、やっぱり雨かぁ。降り出したな。と呟くと、暫くして、止む。そして、やっぱりどんよりした空、降りそうで降らない雨。と思っていたら・・・・と、同じ光景が何度か続く。
雨なら、ランニングはやめて、寝ようと考えて、朝、目が覚めると、例のどんよりした・・・の光景だった。それで、いつものようにランニングをする。大阪城内や途中の道でも、ウオーキングやランニングの人たちが、何人もいて、妙な仲間意識を感じたりするのが不思議だなぁ・・・。ランニングを終えて、2、3回に1度、高井田のユーバスというスーパー銭湯に行く。7時30分過ぎのことで、今日は、珍しく、奥方も一緒に行くという。
男湯女湯が分かれるところで、待ち合わせの時間を決めて、お風呂に入ることにしたのだけれど、これって、現代版の神田川なのかぁ? それは、あまりにも、照れくさい。私の学生時代の卒業設計は、「The 松の湯」という、大型のお風呂屋さんで、当時は、スーパー銭湯というコトバもなく、まして、大型銭湯が出来るなど、想像も出来ない時代で、それはそれなりの評価であった。
「松の湯」という名称は、当時のテレビ番組で、堺正章主演で森光子とか浅田美代子が出演していた「時間ですよ!」のお風呂屋さんの名称から拝借したもので、大阪市内の生野区には、今でも、銭湯がそれなりの数が残っていて、小学生の頃は、家にお風呂はあったものの、おかみさん時間ですよの雰囲気のように、たまに友達と行く銭湯は楽しみのひとつだった。そう言えば、最近は、近くの戎湯さんが、省エネも兼ねて、うちの廃材を取りに来て、ボイラーを燃やしている・・・・。
卒業してからは、そんないきがかり上、いちおう、各地の露天風呂や温泉を興味を持って、入ってきた。いま、ぱっと思いつくのは、そうそう、知床のカムイワッカ湯の滝。30分ほど川を遡上して、その水がだんだんに温かくなり、滝壺のようなところで、入浴した思い出。川を上った身体感覚と共に、20年ほど前の記憶として残る。そう言えば、長男はそんな影響か、大阪に帰ってくると、久しぶりに会う友達と一緒に必ず銭湯に通う。
そんなこんなで、それなりのお風呂好きで、まぁ、お風呂に、どんな順番で、どう入るか。なんていうのは、メチャクチャに、くだらない話なのだけれど、時には、お風呂帰りの車の中で、そういう話をする訳で、今日は、電気風呂に入る話をする。昔から、大阪の銭湯には電気風呂というのがあって、小さい頃は、なんだか感電死しそうな気がして、入る勇気がなかって、足をちょとだけ軽く浸けて、ウワー怖わー。とかなとか言いながら、皆で大騒ぎして楽しんだのだが、最近は、ランニング後のマッサージも兼ねて、好んで入る。体中の筋肉が自分の意志とは関係なく、ぶるぶるびりびりする感覚が、とっても大好き。
奥方に、以前、その話をした時は、いやぁ、気持ち悪いわ。とかなんとか言っていたのが、今日などは、試しに電気風呂に入ってみると、体中ビリビリ来て、家の前にあるマッサージ屋さんの電気よりきつくて、凄かったわ。なんて言う。そうそう、塩サウナで、隣に座った全然知らん、おばちゃんが、背中に塩、もんであげるわ。っと言って、塩を体に付けてくれて・・・。ほんと、下町やなぁ・・・と実感するわ。とエエ意味で呟く。ちなみに、奥方の実家は、ニュータウンの住宅地で、銭湯の経験がない。
朝のランニングの時に、昨晩にテレビを見ながら「おかき」を食べすぎた影響で、走り出して、急に、気分が悪くなり、100mほど、嘔吐(えずき)ながら走ったので、朝から近所迷惑やろなぁと、車の中で語ると、そういやぁ、家に居ている時に、外で、自転車に乗って、ゲボー、とかなんとか大きな声で言いながら、通り過ぎるおっさんが、たまに居て、こんなん、神戸方面やニュータウンでは、絶対いてへんし、下町やなぁ・・。と、あまり好ましくない雰囲気で呟く。そんなことが、下町を実感する要因なのだと、結婚して25年目にして、朝風呂帰りの車の中で、知るのだった。
それにしても、「節電」が、お上からの御達しになると、電気風呂は、御法度なのでしょうかねぇ・・・・。という、支離滅裂な、とってもくだらない話。
2011年06月12日
五月晴れの四国吉野川
会社の社員と協力業者で行く研修旅行で、「ラフティング」をしようという事になったのは、毎回、詰め込みの研修旅行も辛い・・・、時には、楽しいイベントを! という要望が多くあって、以前、家族で四国のうどんツアーをした時に、四国吉野川の大歩危小歩危でのラフティングをチラッと見て、何時かは、やってみたいと考えていた。それで、3年ほど前から、そんな話は、チラチラとしていたのだけれど、それでは、今年にそれを・・・という事になり、題して、「ラフティングと安藤建築と金刀比羅宮の旅」
異常気象なのか、梅雨入りが2週間も早く、前日まで、大歩危ラフティング半日ツアーの川は、雨の予報だった。精親会という名称で、55回目を迎えるこのバスツアーは、雨の経験がない、珍しいジンクスなのだけれど、流石に、今年は、雨だなぁ・・・。と、皆も諦めムードであった。ところが、当日は、青空が見えて、エエ天気。そのうえ、インストラクターのリーダーが言うのには、先週から降り続いた雨で、水量が多く、川もちょい激流で、ラフティングにはもってこいのコンディションで、天気も最高。おそらく今シーズンで最高の日だと、陽気な笑顔で、皆の前で語る。
今年は、あの震災や、それに仕事の状況もなかなか厳しい環境下のもと、旅行に行くような雰囲気でもなく、中止するのもありかな。という迷いがなかった訳ではない。ただ、社員や業者の意向は、行こうよ!という流れであって、その皆の思いに乗っかるカタチで、実施する事にしたことが、天気を晴れに導いてくれたのだろう・・・・。
6月5日の日曜日の朝、社員、大工、手伝い、専門工事業者の56名が大型バスに乗って、生野区小路を出発し、淡路島に向かった。まぁ、研修旅行という名目ながら、慰安旅行という名目もあって、どちらが、表の名目か裏かは、確かに判断に困る。兎に角、大量のビールとお酒が積み込まれ、大量に消費されていくのだった。あっ、いま、反省すると、東北地方のお酒を積むべきだったなぁ・・・・・。
淡路夢舞台で安藤建築を見学する。2班に分かれて、係員の人に案内をしてもらうと、なるほど、そうなのぉ。なんていう部分が何カ所かあって、例えば、あの楕円の広場の最上部の手摺りは水辺線の形と高さに合っているのだそうです・・・。なるほど、ほんと、そうやな。いやぁ、そんなところまで、考えていたのか・・・と。国際会議場や茶室を見学出来たのも、意外な収穫だった。そうそう、型枠大工のモモヤマさんも旅行に参加していて、このコンクリートの「トッカド」は、カドの型枠がバレないように「セパ」をこうとって、こうして、ベニヤの小口にもテープを貼って・・・、などなどと、職人さんの解説付きもあり、こういうのが、団体旅行の面白さであるとおもう。
昼からは、四国、金比羅温泉に到着し、金刀比羅宮に参拝をする。案内人の軽妙なダジャレを聴きながら歩く。もちろん、生粋の大阪人の大工フミノくんは、お笑いへの礼儀として、そのダジャレに突っ込みを入れる事を忘れない・・・。おかげで、600段以上の階段の登りは、汗をかきながらであったけれど、笑いが絶えない、楽しい参拝になった。今回の旅行の最大の収穫は、ラフティングによってうまれた、妙な「絆」であったけれど、金刀比羅宮で、出会った、鈴木了二設計による社務所と緑黛殿の良さには、独特の感動があって、私にとっては、隠れた、大収穫でもあった。
神社の伝統的な木製の手摺りと階段。それと不思議な調和を持つ、鉄の階段と手摺とコールテン鋼の錆びたデッキ。それに鉄のH鋼の柱とその柱の上に伝統的な斗栱(ときょう)をのせて、オーソドックスな木組みの垂木と屋根が浮く。ブルーの扉と木々の緑。
参拝者の誰もが、何の違和感もなく、すぅーっと通り過ぎる建築であるのだけれど、建築的にやっている事は、ちょっとやそっとでは真似の出来ない凄みを感じた・・・・。そんな事を設計のヤマガタくんや、現場監督のモリタくんらと、その建築を眺めながら、アレヤコレヤと語り合う。学生の頃から、鈴木了二さんの「物質思考」というのを興味を持って見ていたけれど、いまいち、ピンと来なかったが、この階段の光景を見て、物質思考というコトバの持つ力を再考できる機会を得て、有り難かった・・・・・。
夜は、ちょっとした総会と宴会。うちの総会は、名ばかりな感じがして、これで、エエのかと、社長としての自己反省もあるのだけれど、何よりも、オーソドックスな宴会のスタイルが、若い人や私にとっても、非日常的であり、独特の楽しさと、独特のコミュニティー感があって、緊張感を伴った親近感がうまれるのが、エエのだとおもう・・・・。
そして、6月6日の月曜日の朝が、今回の旅行のメインイベントのラフティングだった。「五月晴れ」。56名中46名、26才から70才までの幅広い年齢層が、7艇のゴムボートに分乗して吉野川に乗り出す。勿論、インストラクターが、キッチリと付いて、後で舵を取ってくれるので安心。
70才になる仮設資材の中村建機のナカムラ社長は、ゴルフもシングルの腕前なのだけれど、ラフティングに参加し、その上、3メートルの岩場から、飛び込みにも挑戦したのだった。ビッグスマイルという会社でラフティングに乗ったが、飛び込みは、その会社の高齢者記録だそうだ。ちなみに、ピースをして飛んでいるのは現場監督のモリタくんで、その横で70才のナカムラさんが飛ぶ。
60才になる弊社相談役のムラカミさんは、この10年間で、最も楽しい出来事で、兎に角、笑った笑った、オモロかったオモロかった。と子供のように騒ぐ。ボートの先端で、サングラスをかけてオールで漕ぐ姿を見て、誰かが、村上水軍の到来だぁ・・・と叫んでいた。
50才後半の増田タイルのマスダさんは、ボートに乗るまでが大騒ぎ。100kg以上ある、体重とお腹のため、ウエットスーツのチャックが締められず、何人かで手助けをするが、ダメだった・・・。ヘルメットも合うヘルメットがなく、インストラクターの帽子を特別に借りる。その姿がなんとも滑稽で、皆の爆笑を誘っていた。体重をものともせず、飛び込みにも果敢に挑戦し、ドボ~ンという巨大な音と強大な波しぶきが巻き起こり、いっそうの笑いを誘う。今日は1年分、笑ったでぇ。と大きな笑顔で語るが、いや、実は、皆から、1年分、笑われたのだとおもう・・・・。ありがとう。
ちなみに、冒頭2枚目の写真は、最終飛び込み者として岩から飛ぶ「私」
そんなこんなで、20代30代40代や50代60代70代が、子供のように、大はしゃぎし、吉野川の渓谷に、ウォーとか、ウヮーとかいう、おっさんの声が響き渡り、それはまるで7艇の海賊船のようで、誰もが、パイレーツ・オブ・カリビアの、あの海賊船が島に上陸するシーンを思いだしていたのだとおもう・・・・。
そうそう、芭蕉の句を思いだした。「五月雨をあつめて早し吉野川」 やったっけ・・・・。
2011年06月05日
木の文化とは
「木のいえ整備促進事業」というのがあって、木造の長期優良住宅を建設する時に100万円の補助金が出て、それに地域認証材を一定量使うと20万円プラスされ、合計で120万円の補助金が出る。年間50棟以下の工務店で、1社5戸までの数量制限があるのだけれど、その地域認証材を使う住宅を初めて建てることになった。
お施主さんと設計担当者と現場監督と材木屋さんで、地域認証材を取得している、吉野の阪口製材まで、杉の構造材の「木取り」に行く。木取りというは、木材をどの箇所に、どの向きに、どの面を見せて使うのかを決める作業で、ワイワイガヤガヤと、この面を下端にして、こちらがわを「に」の「6番」に使うわ。なんていう具合に決めていく。以前にも書いたが、「い」の「1」といわれる箇所が、所謂「いの一番」。この阪口製材の天然乾燥された杉は、独特の光沢があって、美しい。阪口製材の社長は、天然乾燥に拘る。
そういえば、先日、豊中でリフォームしたお宅で、設計担当と現場監督と大工と私が食事に招待して頂いて、その席で、話題にのぼったのが、光る杉柱。建物の構造の都合で、抜くことが出来なかった米栂の柱を杉の柱に入れ替えた。その1本の柱を大工のササキが、1日かけて、鉋がけをした。ササキ大工に聞くと、ここ最近、長い間、鉋がけをしてなかったので、どうしても鉋をかけたくて、かけたくて、我慢できなくなり、朝から午後3時頃まで、一心不乱に、杉の柱に鉋がけをしたのだそうだ。確かに、独特の光沢で、杉柱が光る。それにしても、こういう大工の心意気はカッコエエねぇ・・・。
一本の杉。その杉の苗を山に植え、育て、間伐し、伐採し、運搬し、乾燥し、製材をし、家の構造材となる。、それを先日のように木取りをして、大工が手加工をする。ある日、上棟式を迎えて、竣工し、家となり、やがてマイホームとして、家族の生活を黙って見守り続ける。その一本の木に愛着をもって関わる様々な人々。「木の文化」とは、何なのだろうかねぇ・・・。
そうそう、本日の6月5日日曜日と明日6日月曜日は社員と協力業者の研修旅行のため、臨時休業をします。ご理解のほどよろしくお願い致します。
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