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2009年12月27日
師走
流石に、師走という言葉が似合う、あわただしい一週間だった。それに、郵政民営化になってから、25日までに、年賀状を届けて下さいという、アナウンスがあって、あれが、どうにも、納得いかないのだけれど、それが余計に、慌ただしさに拍車をかける。
そうそう、そのうえに、23日の祝日というのが、大変有り難くもあり、しかしながら、何というのか、微妙なタイミングでもあって、年末に押し迫った仕事とプライベートとのバランスが、錯綜し、入り乱れる祝日のタイミングな訳で、そんなこんなで、やっぱり師走。
祝日の前日の深夜。高校時代の友人3人で、忘年会をする。35年の歳月があっても、時間と空間をタイムスリップして、何時間も、何の違和感もなく話し続ける訳で、不思議と言えば不思議な現象。昭和町にある、半年先まで予約がいっぱいの串カツ屋さんでの、和むひと時。
祝日の朝。息子が打楽器に興味があって、小さい頃から、だんじりに乗って太鼓や鐘を叩いていて、それで、最近、ドラムを習いたいというので、昔から顔見知りのジャズドラマーのI川さんに、頼んでみると、快く引き受けてくれ、田辺にあるご自宅にお伺いしての初レッスン日が、その祝日だったわけ。兎に角、横で聞いていて、ひとつだけ、ハッキリ解った事は、「オレには、リズム感というものが、全くない」 という事。
この3ヶ月ほど、水曜日の午後からの時間を拘束される用件があって、ところが、たまたま、水曜日にしか休みの取れないお客さんが二組あり、そのどちらの方とも、充分な対応できない状態が続いて、その上、リフォームさせて頂いた、そのお宅のお引き渡し日が先週の水曜日だったわけで、そんな事情で、立ち会う事も出来ず仕舞いになっていた。ところが、まぁ、偶然にも、そのお宅が、そのドラマーのお宅の近くだったので、昼から、引っ越しの最中にも拘わらず、お邪魔した。そして、最後に、皆で記念撮影。「感謝」
その祝日の夜。「神戸のルミナリエ」に行った奥方の友人が、あまりの長蛇の行列で、結局は見る事を断念して、帰ってきたのぉ。という報告を受け、夜の9時頃から、「中之島 光のルネッサンス」を見に行く。意外と人が多いし、意外と素敵。御堂筋を車で走りながら見るイルミネーションがエエ感じ。竹中工務店の簡易的なイルミネーションが「建築的」で流石でもある。
「人と光」を見ていると、なぜ、人は「光」に惹かれるのだろうか・・・・・という、考えが、どこからともなく脳内にやってきて、また去っていった。先週の日曜日のクリスマス礼拝で、教会建築のための祈りというのがあって、その一文に、社会の「光と塩」になれますようにという言葉がある。その「光と塩」という言葉が、引き続いて脳内にやってきて、しばらく留まったあと、気が付いたら走り去っていた。
「光」から帰宅すると、テレビニュースでは、皇居の様子が放映されていた。それを見ていると、国民の幸せを祈ってくれる存在が、何千年間も存在しているという、その事が、とっても不思議な事だな・・・・・という感覚が、やっぱり脳内を走り去った。
24日のクリスマスイブの素敵な出来事は、また何時か、書く機会があれば書くことにしようとおもう。そんな訳で、今年も走り去っていこうとしていて、気が付けば、今年最後のブログになってしまったわけで、それにしても、「静かに、立ち止まる」と、なんとなく感じる見えざる読者の方々に支えられているブログだな。という気持ちがわき上がってくる。一年間ご愛読頂いた皆さん、ほんとうに、感謝です。
木村工務店では、28日に仕事納めをし、29日の午前中は大掃除をした後、皆で、ささやかなお昼の納会をし、一年を終えます。新年は1月6日に清見原神社に参拝をした後、業者の方々も集まって、新年会を催します。営業は1月7日からです。何十年間も変わらない、年末年始のスタイルです。
それでは、皆さん! 良いお年を!
2009年12月20日
この時期
確かに、冬がやってきた。寒い。けど、この身が引き締まるような寒さが時には嬉しい。毎年、この時期になると、丹沢の山小屋からリースを届けてくれるのだけれど、寒さを肌で実感して、ようやくクリスマスの気分になった。
教会建築を施工させて頂いた、森小路教会も新会堂になって、2年目を迎え、本日のクリスマス礼拝に参加した。これで、かれこれ5年近く参加しているわけで、もはや、これに参加しない事には、クリスマスがやってこない気分。それに、久しぶりにお会いする教会員の方々と、笑顔で挨拶を交わし会える事が、何よりも嬉しい事だった。「感謝」
神社建築として、今年は、2年がかりで施工した地元の清見原神社の増改築工事が無事に竣工し、「神」との不思議なご縁が続いた事も、「ありがたい」ことであった。何十年来も続いている、木村工務店としての新年の祈願祭が、過去を継承した拝殿と真新しい吉野檜の神殿との融合に抱かれて執り行われるのも、新年の楽しみのひとつである。
そういえば、今年は、平野郷で、一番古いと伝えられている「門」を持つ、正業寺というお寺のリフォーム工事をさせて頂いた。考えて見れば、教会や神社やお寺を通じて、「神」との関わりを感じながら、「感謝」と「祈り」という機会に巡り会えている事が、なによりもの「感謝」であるのかもしれない・・・・・。
この時期は、年内の「お引き渡し」というのが、何軒かあり、その上、カレンダーをお配りするという、年末の恒例行事もあって、現場や社内ではそれなりのバタバタ感がある。
引き渡し直前のあるお宅に行くと、三木硝子の硝子職人のK合さんの仕事姿に、久しぶりに接する。若い頃は、そのKさんから、硝子の事も教わったが、職人さんとしての心構えや段取りの仕方やその他・・・、エエ職人さんの「体つき」とその振る舞いを学んだ。
久しぶりに現場でその姿に接しながら、ゴジャゴジャと世間話をする。「その技術、誰か継ぐ、若い子いてへんのぉ・・・」「それが、なかなかなぁ・・・・」「ワシは好奇心が旺盛やから、現場に行くと、いろいろな事に興味があって、他の人の仕事も、建築も、何でも興味もって、しっかり見るんや・・・・」「今の若い子には仕事への好奇心がなぁ・・・・・」と。
それを側で、一緒に聞いていたのが、INAXの代理店とサイディングの販売施工をしている東洋スレートのM納さんだった。これはどうしてるんですか・・・・、あれはどうしているんですか・・・・と、好奇心旺盛に、いろんな質問をしていた。
引き渡しの時は、器具の取り扱い説明などを、業者の人に来て頂いて、一カ所づつ説明するのだけれど、その中で、インタホンの使用説明があって、誰かが外に出て、お客さんの役目をしてインタホンを押す。その役目をM納さんが担って、「はいはい」と気さくに、腰軽く、玄関から外へ出て行った・・・。
ところが、暫く待っても、インターホンの音が鳴らない・・・・。何だか、外が、騒がしい・・・・・・。「すいません。すいません。」と賑やかな声が響き渡っている・・・。それで、かなり経ってから、ピンポンという音が鳴ると、「間違って、隣の家のインタホンを押してしまいました。隣の人が出てきて・・・・・」と。好奇心旺盛すぎ・・・・。
いやいや、そんな訳で、このブログの背後では、「M1」選手権がやっていて、笑い飯の「鳥人」という、とんでもないネタを聞いた。「JIN」もこれから始まる・・・・・・・・・。まぁ、「こんな時期」な訳。
良いクリスマスを!
2009年12月13日
忘年会
気が付いたら、「忘年会」という季節になっていて、という事は、もうすぐしたら、お正月がやって来るわけで、それにしても、「そわそわ」するような気分でもなく、それは、「私」だけの事なのか、いやいや、世の中の景気というものが、そうさせているのか、と考えて見るものの、メディアで騒いでいるほどの、「景気」に対する実感に乏しい「私」がいて、きっと、少しずつ、「季節感」と「景気感」を喪失しているのだな・・・・・・。
会社の忘年会があって、いつものように、社員と大工さんと手伝いさんの28名ほどでした。雇用関係としての社員は、その半分ちょっとなのだけれど、大工さんたちとは、言わば、ファミリーのような関係で、やっぱり、一緒でないと、とっても寂しいのだ。
現場で造る、一点ものとしての、「ものづくり」には、「ハート」の結びつきが必要なのだろう。「職人さんたちとのエエ関係なくして、エエ家は出来ない」と、気付かされる事が、今年は、何度かあって、私がこうして、3代目として引き継げているのも、先代と先々代が、長い時間を掛けて培ってきた「職人集団」があっての事だ。と、先代から諭されたのは、つい先日の事だった。
先々代が亡くなる2年ほど前に、今まで「世話になった」協力業者を集めて、一席を持ちたいと号令をかけ、ミナミの寿司屋さんで、ささやかな宴を開いた。その日の事を、ここ最近、思い出すのは、先代の言葉を聞いてからだ・・・・・。
「工務店というのは、桶の「たが」の役目とちゃいまっか」と、協力業者の防水屋さんの社長が、私に諭してくれたのも先日の事だった。我々協力業者は、曲板のようなもので、柾目で丁寧に局面加工された板が、しっかりとまとまり、水一滴も漏らさないで機能するには、「なんぼエエ板使って、丁寧に加工してあっても、「たが」が、しっかりとしてへんかったら、水がだだ漏れでんがなぁ・・・・・」と。
宴会での2時間が、あっというまに過ぎた。数十名での2次会も深夜まで及んだ。3次回も深夜の深夜まで及んだようだ・・・・。時には、馬鹿騒ぎも楽しい・・・。翌朝、いや、正確には、当日の早朝になるのだろう、出社すると、会社の和室で、3名ほどが爆睡していた。3人が交代で3度起こして、ようやく目覚めた後は、爆発した頭髪を気にしながら、元気に現場へ飛び出して行たのは、「若さ」だなぁ・・・・・・。あっ、そうそう、もう既に、若くもない、所帯主のK林さんが、その中に混じっていて、若者以上に元気だったのは、木村工務店の関係者なら、誰でも知っている都市伝説でした・・・・・。
さてと、ドラマは滅多に見ないのだけれど、「JIN」だけは何となく見ていて、初回を見逃していたのが、再放送されたので、先週はそれを見た。やっぱり再放送するぐらいの人気なんだ。今晩、楽しみに、見てみようと思う・・・・・・。
2009年12月06日
モニュメント
今朝、大阪管区気象台跡の顕彰碑記念式典というのがあって、記念碑を建立するという事を「けんしょうひ」と呼ぶのだなと考えながら、心のこもった祝辞の数々を聞いた。
生野区に勝山公園という公園があって、かつては古墳で、昭和40年代までは、大阪管区気象台というのが建っていて、私も、小学生ぐらいに、そのあたりを通ると、巨大なアンテナ塔と、コンクリート建築の独特のムードがその周辺から漂っていて、何だか秘密の実験場みたいだった。と、記憶として残る。
その石碑を造る工事の依頼があり、もちろん、木村工務店は家を造るのがメインだけれど、何よりも、「ものづくり」の会社であって・・・、そんな訳で、工事部長のT桝くんが、要望をお聞きして、製作をする。その石碑の裏面には、かつての気象台の写真が貼り付けてあり、それは昭和初期のコンクリート建築であるらしいのだが、よく見ると、何とも、レトロモダンで、カッコエエ。
祝辞のお話しの中で、「室戸台風、ジェーン台風、第二室戸台風という三代台風をこの気象台が迎え撃った」と、表現された。当時の気象台の館長が、避難をメディアに強く主張し、災害から府民を守ったのだ・・・・と。工務店という仕事に携わる私たちは、いつも、天気予報のお世話になっており、気象台の「おかげ」という事が、たくさんあったのに、そう言えば、感謝する事もなく・・・。そんな訳で、気象台というものの役目を改めて、考えさせられ、そう言う意味では、感謝の石碑でもあるのだ。とおもう。
その「歴史」が、大地の記憶に残された事を、微笑みと共に、ささやかに喜ぶ、気象台OBの年配の人たちの姿が、とっても、印象的だった。
それはそうと、若い人たちの姿がとっても印象的だったのが、先週の日曜日に、ブログを書いた後に訪れた、京都、清水寺の夜景のライトアップだった。
紅葉のライトアップを見た事がなかった。京都の紅葉を真面に見たのも昨年が初めてで、確かに、大徳寺にある高桐院の紅葉は、圧倒的な美しさだった。それで、次は、ライトアップの紅葉でも・・・・・、いや、きっと、内面のある部分が、ブログネタの「取材」として行こうよ。と、そそのかしていたのかも。
少々小雨交じりの清水寺の坂の下に到着したのは午後5時半を廻っていて、まさか、入場するのに、30分以上も並ぶとは思っていなかった。それに、廻りを見渡すと、若い人たちが圧倒的に多い。年配の人たちばかりかと想像していたのだ。「私」の二十歳頃は、紅葉を見に行く事が、デートのひとつには、なかったなぁ・・・・。
ちまちました日本人。というような言葉を聞いたことがある。でも、この清水寺のライトアップに接すると、先人達の、構想力の大きさに感服する。それに大地との関わり方が何とも言えず魅力的。それに、工務店の私たちからすれば、よくも、まぁ、見事に、施工したものだなぁ・・・・と、その「ものづくり」の実行力にも感心する。
もちろん、宗教施設であるのだが、大胆かつ繊細に、大地に刻まれた「ものづくり」の歴史的モニュメントでもあるのだなぁ・・・・と思えてきたのは、今日の顕彰碑記念式典の「おかげ」だとおもう。
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