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2006年04月30日

ほろほろと やまぶき散るか 滝の音

前にも書いたことがあるのだが、便器の前に歳時記カレンダーというのが貼ってある。4月18日と19日の間に芭蕉の句が書いてあった。 「ほろほろと やまぶき散るか 滝の音」 そんな句に触発されたのだ。といえば、ええ格好しすぎになるので、まぁ、それはともかくとして、 いろいろな用件が絡んで、神奈川県の丹沢に行った。

椿と山桜が山道に散っていた。しかに出会った。新緑が美しかった。早朝、ま白な雪におおわれた富士山が見えた。・・・・と、 冬の名残と新緑の春が同居していて、携帯電話のカメラでパシャパシャと収めた・・・・。と書いたところで、突然、眠気が襲ってきた。 今回のブログはここらでやめて、寝ることにしよう。たまには、「おやすみ」という言葉で終わってみるのもええではないのかなぁ・・・・と。

そうそう、木村工務店のゴールデンウイークは5月3日から5月7日まで、5日間のお休みを頂戴します。5月8日からまた、ぼちぼちと、 でも、元気をだしてやっていきますので、かわらぬご愛顧をお願いいたします。じゃぁ、本日は「おやすみなさい」

 

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2006年04月23日

よーい、どん

2階にLDKがあると、新聞を取りに行くのがめんどくさいなぁと思う時がある。日曜日なら、子供に、「新聞取って来てぇー」と頼む。 「えー、なんでぇー」と反発した答えが返ってくる時もあるが、今日は「取りに行くから何秒かかるか、数えてやぁー」と答えが返ってきた。 「よーい、どん」と言いながら、ちょっと、えー加減に数える。「1・2・・・・・8910」と、だいたい、いつもいつも「10」なのだ。

そういやぁ、私も小さい頃、近くのタバコ屋さんまで、タバコを買いに走ったなぁ・・・・。いつも何秒か数えてもらっていた。その時も、 だいたいいつもいつも「10」だった。たまに「8」なんてのがあったかもしれない・・・。親になった今、このことを一体、 どう解釈すれば良いものかぁ・・・・・。

昨日、リフォームの引き渡しがあって、賑やかに、子供が走り回っていた光景と重なってそんなことを思った。

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2006年04月16日

いの一番

RIMG0025木造住宅で木組みを造るために木材を手加工することを「刻み」と呼んでいる。 最近は手で加工するよりも機械で加工することの方が多い。それを、プレカット加工と呼んでRIMG24いて、コンピューターを入力する担当者と打ち合わせをするのに時間がかかるものの、 あっという間に機械加工された木材が出来上がってしまうのだ。まぁ、お金の話をするのもなんなのだが、例えば、 プレカットが1坪あたり、8000円だとすると、人間の手で加工すれば通常はその倍以上の単価がかかってしまう。そんな訳で、 今やほとんどの木組みがプレカットで加工されることになってしまう・・・・・。

うちの若い大工が、どうしても手加工したいのだ。機械と同じ単価で良いから、どうしても自分たちの手で「刻み」たいのだ。 と言ってきた。嬉しい話ではあるが、お客様に迷惑をかけるわけにもいかない。「えー、あのぉー、機械加工から、手加工に変えたので、 単価を少し上げて頂いてぇ・・・・」などと、言える訳もなく、どうしようかと、少し悩んでもみたのだが、まぁ、調度、 大工の時間的な余裕もあったので、「刻み」をすることにした。

RIMG28いわゆる、70歳をすぎた棟梁に指導をしてもらって・・・と言うと、いやいや、 親父に教えてもらうは・・・どうも・・・。自分たちでやりたいのだぁ・・・・・。というわけで、先日から「刻み」が始まった。 RIMG0026プレカットの時はコンピュータで書く加工図を刻みの時は「図板」とか「看板板」 とか呼び慣わされている板の上に墨で、柱の位置や梁の大きさを書く。それを見ながら木材に墨で印を付ける。いわゆる、 番付けとよばれていて、南東の角の柱に「いの一番」と呼ばれる墨が書かれるたりするのだ。

木に鑿(のみ)を使って「ほぞ穴」と呼ばれる穴を掘る。その時の「音」が素敵だなぁ・・・。実に、リズミカルで美しい。 「トントントントン」と響く。そうだなぁ、「音」というよりは、「響き」が素敵なのだ。1階の加工場の上が事務所になっている。 事務所で仕事をしている時に聞く、久しぶりの「響き」だった。考えてみれば、小さい頃からそんな音を聞いて育ってきたのだなぁ・・・・と、 ちょっと、昔を振り返ってみる・・・。金槌で鑿の頭を叩く、その鑿の先が木を「刻む」時に、奏でる響きが「トントントントン」 と空気の中に漂い広がっていく・・・・そんな感じがすごく心地よいと感じるのだなぁ・・・。のこぎりで木を切る「ゴシゴシゴシ」 という音も素敵なのだが、今や聞こえてくるのは「ぎょわーーん」という、電動鋸(のこ)が金切り声をあげて叫ぶ音だった。それにしても、 「いの一番」という言葉の響きもええもんだなぁ・・・・・とおもう。

 

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2006年04月09日

hanami2006

ここ数年、恒例になっている、花見をすることになった。日程を決めるのが難しい・・・・。社員の立場に立ってみると、 金曜日や土曜日の夜と言うことになるのだけれど、今年の、大阪の、しかも社長宅の、庭のしだれ桜が語りかけてくる声に耳を傾けてみると、 その日の私は、まだまだ、蕾ですよ!というわけだった。それで、皆の仕事の予定を調整してみるのだが、なかなか日程が決まらない。 隔週の火曜日の夜に行っている、社員ミーティングが確実に全員が勢揃いするなぁ・・・・。というわけで、今回のミーティングのテーマは 「花見」ということにして、4月4日の火曜日の夜ということに決まった。まぁ、そんなに忙しいわけでもないしなぁ・・・。

ところが、その日の天気予報によると夕方から雨らしい・・・。さぁ、どうする・・・?ということになる。週末に日程をずらそうか・・・ ? どうも、大阪は週末が満開らしい・・・? と迷いながらも、雨天決行。と決めてしまう。そしたら、今度は、雨の中、どうやって、 花見をするのか、ということになる。とりあえず、花を見ながら焼き肉食べて、雨が降ってきたら、会社のガレージまで、移動しようかな・・・?  とか、言っているうちに、誰かが地鎮祭用のテントを持ち込んできた。それで、地べたに座ると、やっぱり雨が降ってくると大変だなぁ。 ということで、今度はテーブルと椅子をかき集めてきた。ライティングなんかもしてみたりして・・・。まぁ、まぁ、そんなわけで、 かなりの雨が降るなかの愉快な花見と相成った。

仕事もこれぐらい工夫して、一生懸命楽しんで、やれよな! という外野の声が聞こえてきたかな・・・・・。

 

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2006年04月02日

ナチュラルミスティック

なぜ、大安という日が存在し、その日が目出度い催し事をするのに良い日なのぉ・・・と、問われると、よくわからない。 目出度い催し事の日程を決めかねている優柔不断な「私」にとっては、時として好都合だなぁ・・・という程度にその件は留めておくとして、 先日の大安に地鎮祭があった。いつも、思うのだけれど、神主さんが正方形に切った紙切れを四方に撒く、 その紙切れがヒラヒラと舞い散る様子が美しいなぁ・・・・と思うのだ。桜の花びらが散る様にも似ている。「もののあはれ」なんてものを、 なぜか、感じる。

それにしても、都会に住んでいると、「土地」というものが、「自然」からの恵みものであるなぁ・・・と、ほんの一瞬だけれど、 思い起こさせてくれる機会があるとすれば、地鎮祭の時ぐらいかなぁ。親から譲り受けたり、不動産屋さんから難儀して、手に入れたりするので、 「大地の恵み」なんてものとは、ほど遠い感覚かもしれない。縄文時代ぐらいの昔を思い描いてみれば、土地の持ち主を「自然」と呼んだのか 「神」と呼んだのかよくわからないけれど、誰のものでもなかったのだろうなぁ・・・・・。

キャンプ場に行って、フリーサイトと呼ばれる自由にテントを張ることを許される場所でテントを張っていると、時として、混雑してきて、 私たちが眺めている海や山の前にテントを張る人が現れてくる。思わず、「俺の場所を勝手に・・・」と叫びたくなる。 「俺が先にきていたのだから・・・・」と利権も主張したくなるのだ・・・。それに、「ここまでは、俺の場所!」 と領有権も主張したくなるのだなぁ・・・・・。かといって、10m四方に区画されたテントサイトも、キャンプ場に来てまで、 土地を手に入れるのぉ・・・・と、複雑な心境に陥ることにも確かだ。そんな訳で、「自然」や「神」になかなか感謝出来る心境にならない「私」 がそこにいたりする。最近話題の近隣諸国との領有権問題も確かに複雑だなぁ・・・と、人ごとのように思っていてはいけないのだろうなぁ・・・ ・・。

世界の国々には地鎮祭と似たような儀式があるのだろうか?。まぁ、そんなふうに考えると、一度、パリやニューヨークで、地鎮祭をして、 上棟式をして、という家造りで、家を建ててみたいものだなぁと、思えてくる。世界の人々はいったい、どう感じるのだろう・・・・。そうそう、 先日、19歳になる長男の友人3人と話をした時の事、イチローの話が愛国心の話になり、天皇の話にも飛び移った。その時、ひとりが、 世の中の神秘なるものの象徴としての天皇であったら、まぁ、わかりやすいかな・・・・というような事を言っていた。なるほどなぁと思って、 聞いた。かなりミーハー的になるが、ボブマレーというレゲエの歌手は、ナチュラルミスティックがこのまわりに満ちている・・・なんて、 ピョンコピョンコと踊りながら歌っていたなぁ・・・・と19歳の頃に見に行った大阪公演を思い出した。

土地・地鎮祭・神道・天皇というのがいかなる結びつきで、いかなるものかは、よく理解できないけれど、ついつい忘れがちになる、 「自然」とか「神秘」なるものを考えたり感じたりする機会にはなっているかもしれないなぁ。と、神主さんの手のひらから放たれて、 ヒラヒラ舞い散る紙切れや、ウォーーォーーという神主さんの雄叫びや、パンパンという暖かい音色の神主さんの拍手を眺めながら、 地鎮祭とは実に不可思議な儀式だなぁ・・・・・・と思うのだった。

 

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