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2007年09月30日
お彼岸
日曜日の今朝、起きると、肌寒い。ようやく秋がやてきたなぁと、肌で感じる。暫くすると、しっかりと雨が降り出した。 息子の運動会なのに・・・・。
運動会は中止で、でも、本日の日曜は通常通りの授業をして、明日、月曜日は休みで、火曜日に運動会を延期する。らしい。 奥方は朝からお弁当を作っていた。私も今日のために予定を空けていた。子供達も楽しみにしていたろう・・。学校の先生も・・・。 PTA役員の人たちも・・・。子供達の両親やそのおじいちゃんおばあちゃんも・・・。無情の雨というやつだなぁ・・・。まぁ、でも、 それはそれでねぇ・・・・・。
こんなムードが、静かに振り返って見るという気持ちにさせたのだろうなぁ。先週の休日を思い起こさせた。先週は、 秋分の日だというのにまだ夏を感じさせる陽気だった。「お彼岸やでぇ」という奥方の言葉で、ようやく、「あっ、そうそう・・」と気付く。
ブログを書くようになってから、あらためて、言葉の意味を確かめてみようと言う気になってきたので、インターネットで検索する。 これも静かな雨がもたらす影響だよな。
『ウィキペディア(Wikipedia)』によると
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彼岸
(ひがん)とは雑節の一つで、
春分・
秋分を中日とし、
前後各3日を合わせた7日間のこと。また、この期間に行われる仏事(彼岸会)のこと。
最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「はしりくち」という。
元々は煩悩を脱した悟りの境地のことで、
煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」
(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。しかし彼岸は本来日願であり、
仏教伝来以前からの日本古来の太陽や祖霊信仰が深く息づいている。
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仏教と仏教以前の日本古来の信仰が融合されているのだなぁ。日本古来って、縄文?、それともそれ以前? 日本的って、 どこまでさかのぼって・・・、なんて考え出すと、日曜日がだいなしになりそうなので、このあたりで、コーヒーでも飲む。
さらにインターネットで検索すると
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お彼岸は、春三月の春分の日、
秋九月の秋分の日をそれぞれ中心として、その前後三日間を合わせた一週間を、春のお彼岸、秋のお彼岸と呼んでいます。最初の日を、
彼岸の入り、まん中の春分の日・秋分の日を、中日、そして、最後の日を、彼岸明けといいます。
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奥方の言葉に気付かされて、久しぶりに、家族4人が揃ったので、彼岸の中日の次の日に、墓参りをすることにした。それは、 木村工務店の創業者の眠る墓でもあって、まぁ、とにかく、「祈」った。
お彼岸の中日の夜、長男の友達がやってきて、一緒に、デッキで、焼き肉をしているうちに、 話がはずんで、 居間に移って、ガンガンと音楽を聞く事になった。時にはDJの役割になり、時には聞き手となり、 時にはいまの音楽を教えてもらい。と、気がついたら12時をまわったいた。
墓参りの後、奥方の実家によって、ご飯を食べていると、これまた話がはずんで、義父が「深夜特急」 のテレビドラマのビデオを写しだした。74歳になるのに、そのビデオをもう既に5回も見ているという。 長男が1ヶ月ほどインド旅行をして帰ってきた直後だという事もあって、その映像を見ながら話がはずんだ。
義父は車いすの生活を余儀なくされているのだが、それでも、一年に数回、海外旅行に行っている。きっと、いいホテルに泊まっては、 行けないような場所。車いすの制約があって、行けない場所。混沌とした場所。に、思いをはせているのだろうなぁ・・・。 6人でご飯を食べながら、孫の旅の話とドラマの場面が微妙に錯綜し、旅の憧れと恐れが、6人のそれぞれの心の中で行き交っていたのだと思う。 年取ってから深夜特急のような旅をするのもええかなぁ・・・と思えた。
お彼岸明けの次の日が中秋の名月だったのか。え、日付の表現が、ややこしくなってきた。 都会で生活していると、月の事、忘れてしまいそうになる。「私」は、自然の中の一員であるという事など、 すっかり忘れているのだなぁ・・・。珍しく、くっきりと月が見えたこともあって、望遠鏡で覗いてみた。 レンズにデジカメを直接あてて、記念撮影をこころみた。
彼岸も明け、名月も過ぎ去った、水曜日は「秋晴れ」だった。門真で、地鎮祭があった。 秋の空と紅白の幕のコントラストが美しいなぁ・・・・。紅白の幕に写る竹の影も美しいな・・・・と思った。
6月の建築基準法の改正以降、新築の確認申請が、なかなか降りない。役所が握る民営化の手綱。なかなか、バランスよく、 いかないものだなぁ・・・。バランスというのは微妙な力加減が必要だなぁ・・・。リラックスが必要だなぁ・・・と、いつも思う。
秋分の日も、お彼岸も、お月見も、地鎮祭も過ぎた、9月26日、今年も青すじアゲハが、部屋に迷い込んできた。次男が発見し、 「お父さん、また、チョウチョが部屋に入ってきたでぇ!」という言葉で、おもわず、カメラを持って、走った。今年は、 ホワイトアッシュで出来た、食事室のベンチの背もたれにとまっていた。自分のブログを検索してみると、 2006年の7月と2004年の9月13日に記事を見つけた。何年か続くと、親近感を覚えるよなぁ。素敵な訪問者だなぁ・・・・。
そうそうこのチョウチョウを撮影できたのは、 弊社会長の瑞宝双光章を祝う会が保護司の人たちを中心としてあって、 その会に出席するため、背広を着替えに家へ帰ってきた時に、 青すじくんと遭遇したのだった。
保護観察官の方のスピーチで、「人は変わることが出来るのだという信念の元・・・・・」という言葉が、印象的だった。帰りがけに、 その方とそのお話しをすると、「それと、愛が必要なんですよね・・・」と、大まじめに、大きな笑顔と共に、ピカッと光る頭で、 語られたその様子が印象として刻まれた。
お彼岸を前後して、いろいろな「遭遇」があったなぁ・・・と振り返った。あれやこれや、だらだら書いていても、やっぱり、静かに雨は、 降り続いたままだ。
2007年09月23日
間伐
先週、山道を歩いていると、台風の影響か、小枝が沢山、登山道に落ちていた。杉の葉が付いた小枝が沢山落ちていた道が、 上に登るに従って、檜の枝が落ちた道に変化する。それを踏みしめながら、山道の左右に広がる「植林」について思い描いてみた。
下山の時 、木々の間から日が差し込んできた。光と影のコントラストが美しい。どこかで見た、 光景。そうそう、屋久島のカジュマルの木の下のソファーに差し込む日の光と同じだなぁ・
・・。
木々のざわめきの音と共に、木々の間から吹く風が心地良い。
そういえば、この道は20年以上も前から歩いている道で、1年に1度か2度は歩く。 考えてみればいつ頃から日が差し込むようになったのだろうか・・・? ほんのここ数年の事ではないかなぁ。それまでは、 うっそうとした山道だった。日が差し込む余地がないほど、木々が多い茂っていた。
「間伐」が為されたのだなぁ・・・。と思った。
『ウィキペディア(Wikipedia)』によると
間伐とは
間伐は、樹木の生長に伴って混み合ってきたが主伐には至らない森林で、 樹木の生育を促すために間引くための伐採であり、収入を得る事を目的とする。また、林床に太陽光線が届くようになり、 下草が生育しやすい環境ができ、土壌の流出防止にも繋がることから、土砂災害防止のためにも重要視される保育作業である。
人工林や里山など人の手が入った天然林で行われる。 樹木相互の競争に負けた劣勢木を中心に伐採し、将来木材としての利用価値が高いと思われる樹木を残すなどする定性間伐と、 伐採経費を抑えるために機械的に一定量を伐採する定量間伐とに大別される。
全国森林組合連合会のホームページによると
間伐とは・・・混みあった森林から曲がったり弱ったりしているスギやヒノキなどの針葉樹を抜きぎり、
森林の中を明るく保ち、 真っ直ぐ育てる為に必要な作業です。
間伐を行わない森林では樹木の生長がにぶく、根を張ることも難しくなります。
森林の中は暗いため下生えも生えないので、水源涵養力、土壌保全能力の低い森林になります。
とあった。
ここ数年、急速に森林に対する意識が変化してきたという事なのか・・・・・。エントロピーの法則を思い出す。そのまま放置すれば、
乱雑さを増していく森を人間の意識がエントロピーを減少させる方向に向かわせていると考えて良いのだろうか・・・・。
今月の初めに、
神社の改修工事に使うための檜で製材された材木の検品に奈良県の桜井の製材所まで出向いた。節のない見事な檜材だった。
そういえば、昨年の12月にはまだ、
皮が着いた状態のいわゆる原木を見た。その時の「木」が製材という過程を経て、「木材」 として変身を遂げたわけだ。
小さな小さな苗木の状態から想像すれば、山で苗木として植えられ、成長し、真っ直ぐとした大木になるために、「間伐」 や枝打ちを繰り返し、何百年もの年輪を積み重ねて成長した「木」。その「木」が、ある日、山師によって伐採される。 傷も付かない見事な搬出と運搬作業を経て、原木として製材所で、乾燥されるのだ。
製材所で、「木」が八角形の「木材」として変身する。さらに、大工の手で、八角形が十六角形になり、やがて丸太へと、 さらなる変身を遂げる。その丸太に、木と木を繋ぐための「仕口」という伝統的な加工が施され、やがて、木組みという伝統的軸組として、 ハレの上棟を迎える日がやってくる。
一本の「木」が沢山の人の手によって、「木組み」へと変身する。そして、新たな苗木が山に、また、植えられる。まるで、 昆虫が変態を繰り返し成長するかのようだ。上棟を祝うと言う事はそんな「木」の成長を祝い感謝する事につながっているのだろうなぁ・・・。 木組みという地球規模の循環システムには、日本的な文化が宿っているのだろうなぁ・・・・・。
2007年09月16日
建築家という生き方
「つまり、それが、正直な家なんだ」と、7月の竣工パーティーの宴席で、教えていただいた、建築家の石井修さんが、85歳で、 お亡くなりになられた。そのお話しを聞いたのは、つい先日の事だったのに・・・・。
石井修さん最後の作品となった家を施工させて頂いたのも何かの縁だと思う。 もともとの繋がりは石井修さんの初期の弟子の芳村設計研究所の芳村英敏さんとの縁が始まりだった。その後、 石井修門下生の方々との縁が次々と生まれる。アートプランの吉田節男さん設計の家を施工をさせていただき、 Ms建築設計事務所の三澤康彦さんの施工をする。そして、石井修さんの息子さんである石井良平建築研究の石井良平さんの施工をし・・・・・・ と続く。そんないろいろな繋がりの経緯を経て、施工をさせていただく事になった、 目神山のT邸が石井修さんとの最初で最後のお付き合いとなってしまった。
病院で治療することを拒否し、「緑の美しい季節にどうして、病院のベットで寝なくてはいけないのか」と言って、 目神山の自邸の暖炉の前にベットを置いて、美しい緑を眺めて過ごしていた。という、お通夜での心のこもったお話し。
目神山のT邸を担当した、うちの現場監督の春元くんが、先日、石井先生の自邸でお会いした時、「雨が降った時、 T邸の寝室の前の水はけは、大丈夫ですか・・・」と、心配してはりました。最後まで建築のお話しをされてました。凄いですね。と、 お通夜の席で私に語ってくれた。
85歳で、お亡くなりになる、2ヶ月前まで現役で設計をし、しかも現場まで何度も出向いて、監理もきっちりし・・・・。 建築家という生き方を最後まで生ききって、ひとつのお手本を残していただいたのだなぁ・・・・・とおもう。合掌。
ちょうど取材の日に、目神山のT邸が施工中だったので、その施工の様子が右下の写真 として写っている。
2007年09月09日
残暑
「残暑お見舞い申し上げます。」
何通かの暑中お見舞いや残暑お見舞いを頂いた。この場をお借りして、お礼申し上げます。それにしても、残暑が厳しい。今年、 私が住む大阪市は、日本で一番暑い街で、日本一、熱帯夜が多かったそうだ。
そういえば、20年来使っていたエアコンが2台ともほぼ同時に壊れてしまった。生暖かい風が吹くエアコンを付けては、 冷気がやってこない事で、より一層、暑く思い、暫くすると故障が直るのとちゃう・・・と期待して、時間をおいて何度が試すものの、 無情にも期待はずれに終わり、その事で、もっと暑いなぁと思ってしまう、妙な人間の心理状態を笑いつつ、9月になれば涼しくなるから、 冬の安い時期にエアコンを買い換えようかと思うものの、この残暑だ・・・・。クーラーなしで、何とかならないものか・・・・。
「路地から涼しい風が吹いてきて・・・」というのはもはや昔の話かな。今は路地に置かれた室外機の熱気が路地に充満し、 路地裏から生暖かい熱気が立ちこめる時代なのだ。
かといって、風が吹いていないかといえば、そんな事もなく、先日、リフォームの依頼でお邪魔した大阪市内の長屋の家は、平屋で、 坪庭があって、クーラーなしで、扇風機で、開けっ放しの窓からの風だけ。打ち合わせの最中、時折、風が流れてくると、「ええ風やね・・・」 と称え合う。「ごく普通の家で、ええのです・・・」という言葉が印象的だった。
夏の早朝、毎日のように、母は、会社の前の道路に水を撒く。それは、
掃除をしているというだけでなく、「打ち水」なのだ。と、最近ようやく、理解した。「大阪打ち水大作戦」
なんていうサイトもあって、
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たったそれだけのことで、真夏の気温を下げられる。
たったそれだけのことで、ヒートアイランド対策に効果をあげる。
たったそれだけのことで、真夏の電力エネルギーの節約になる。
たったそれだけのことで、地球にやさしい人になれる。
たったそれだけのことで、体も気持ちも爽やかになれる。
たったそれだけのことで、コミュニティがひとつになれる。
たったそれだけのことで、みんながハッピーになれる。
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と書かれてあった。確かに、素朴な生活の知恵って大切だなぁ。人間の事だけでなく、地球の事も考える知恵が大切だなぁ・・・・・と、
日本一の熱帯夜とクーラーの故障を体験して、ようやく気付く。
8月31日発売の「住まいnet関西」
に
木村工務店で設計と施工をした実例が掲載中です。
ちょっとした読み物にもなっていますので、
機会があれば、是非、お読み下さい。
2007年09月02日
大阪世界陸上
朝、目が覚めると、なぜか、女子マラソンの事が頭に浮かんだ。そうそう、昨日の帰りがけに、設計のT中くんが、「シャチョウは、明日、 マラソン、見に行けヘンのですか?」「僕は行こうと思ってるんですよぉ」という会話を思い出した。それで、テレビを付けると、暫くして、 スタートがきられた。
日本人選手も交えて、一団のグループとなって走っている様子を眺めているうちに、「見にいこかぁ」と言い出すと、奥方は「そやね」、 次男は「見てもしゃぁないでぇ、テレビのほうが、ええんとちゃぅ」と言った。
そういえば、小学校から無料で長居競技場に連れて行ってもらえるのに、参加した人数は、おおよそ、25/180 だったらしい。 うちの子も、「やっぱり止めにしとくワ」と言うのを強引に行かせた。帰ってきたら、行って良かったワ。凄かったワ。と、 夜のテレビを見ながら、昼間のシーンを解説してくれた。
そうそう、世界陸上が始まる前に、前売りを買って欲しいと、誘いがあった。売れ行きが、もうひとつだったらしい。それで、まぁ、 家族分を前売りで買おうとすると、昼と夜の部が別々の販売で、夜の指定B席は、一枚7500円ほどした。子供割引なし。3人で行くと、 22500円もする。えー、それはないよなぁ・・・・・。 自由席でも夜は6000円と子供3000円 4人家族なら2万円近くになるじゃないかぁ・・・と、びっくりして、買うことをやめた。 それにしても、ちょっと高いような気がするなぁ・・・・・。そんなこんなで、ここ数日、なんとなく夜のテレビで、走る様子を眺めていた。
まぁ、とにかく、自転車で実物を見に行くことにした。15分ほど走れば、 勝山通りから今里筋に曲がる大池橋の交差点に着いた。ただ、立っているだけでも汗が出た。暑い。
ワンセグ携帯で、今、走っている状況を確認しなが ら待つ。隣のおっちゃんが、「いま、 どのへんやぁ。もうくるかぁ」どれどれ、と。別のおっちゃんも一緒に覗き込んできて、「おー、明るうすぎて、 ちょっと見にくいなぁ・・・」「日本選手がんばってるやん」「もうすぐ来よるなぁ・・・」と、妙なコミュニケーションで、 やってくる選手を笑顔で待つ。
ヘリコプターが近づいてきて、パトカーが通過して、「まもな く選手来ますぅ」 というアナウンスがあって、トラックが通過すると、それはカメラマンを乗せたトラックだった。見たこともないような光景。 息子からも奥方からも、おもわず、「わー、す~ごいカメラ」と言葉が出る。
あー、っという間に、先頭集団がやって来る。土佐選手が先頭だ。息づかいが聞こえてきそうだ。気がついたら「がんばれぇ!」と、 叫んでいた。不思議だ。まわりから「がんばれ!がんばれ!」という大きな声援が、あちらこちらで起こる。
先頭集団の様子をなんとなくワンセグ携帯で確認しながら、その場に居続けて、通過する選手に声援を送る。皆が、「がんばれぇ」 と送る声援が自然な発声で、心地良い。テレビではわからなかった事だ。
その結果が気になりながらも、その場に居る事を選ぶ。遅れた選手がどんどん通過する。暫くすると、かなり、選手間の間が空く。 そうこうしているうちに、土佐選手が三位になった事をワンセグで知る。
が、まわりの人た ちは、そんな事にお構いなく、 遅れてくる選手を待ち続け、 その人たちに声援を送る。通過する度に旗を振り、「がんばれぇ!」とか「ファイト!」と、あちらこちらから声がかかる。 勝敗に関係ない人たちがいっぱいいて、誰が何位になったかも知らないまま、応援をし続けるのだ。なかなかええ光景だなぁ・・・・。
それはそうと、選手の肉体美には、惚れ惚れとした。無駄な筋肉がないというのかなぁ・・・。無駄がなさ過ぎてぇ、 ちょっとは無駄も必要だなぁ・・・・と、思わないでもないが、それにしてもやっぱり凄い。筋肉の躍動が目で見えるのが、なんとも驚異的だ。
西洋人、アジア人、黒人によって、身体のデザインが違うのも面白い。特に黒人の走る姿を見ていると、おもわず魅とれてしまう。 奥方から、「何、魅とれてんのぉ!」と言われて、我に返った。
頭と体と足の割合のデザインが良いというのかなぁ。木造で言う、カッコイイ木組みというのか、 木組みの組み方とその割合が違うというのか、土台から胴までの寸法と胴から桁天までの寸法の割合がカッコイイというの、 そのプロポーションが良いというのか、とにかく骨組みそのものがカッコイイなぁと思う。日本人ランナーもスマートで、 筋肉のデザインも美しいのだけれど、黒人ランナーはそのうえ、骨格というのかなぁ、構造体そのもののデザインが、美しいなぁ・・・・。
あまりのスマートさにびっくりした奥方は、先日の縄文杉登山の経験をさしおいて、「これからは、やっぱり、ランニングやワー」 「帰りは、走って帰るワー」とのたまった。確かにランナーとの後ろ姿には歴然とした差があるよなぁ・・・・。
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