2010年09月05日
走る。
突然、「走る」ことにした。
もはや、たんに暑いというだけでなく、異常に暑いのだ。日本で一番暑い都市が、大阪らしい。大阪の下町の小路で、寝る、私は、8月の全日が真夏日だったという、この夏の夜を、クーラーなしでは、到底乗り切れなかった。
それに、今年の暑さを体感すると、以前から、なんとなく思っていた、断熱改修を、来年こそは、絶対的に、実行して、快適な温熱環境を実験してみるのだ。という。「意志」のようなものが、着実に芽生え、育っている。
そのクーラーの影響なのだろうか、私の寝る左側からクーラーの冷気がきて、左足と左腰が痛いと感じだしたのが、週初めの事で、靴下をはく動作が簡単に出来ない。いや、それにしても、これは、クーラーの影響だけでなく、運動不足が原因でもあるのだ。と、うすうす気付く・・・・。奥方が、お盆の海水浴の私の体型を見て、「ぼてぼて」という表現を大笑いしながら使いだし、その「ぼてぼて」も、心のどこかにひっかかっていた。
そんなこんなで、3日前に「走る」宣言をすると、奥方が、どこを、どこまで、というので、家から、東成の旧街道を通り、大阪城まで、4kmほど。とかえすと、一緒に走るわ。と言ったのは、意外な事だった。そうそう、口には出さなかったが、「ぼてぼて」という表現は、奥方にもそのまま、そっくりお返ししたい気分でもあって、お互いに、このままの「肉体」では、かなりまずい。と気付きだしていたのだろう・・・・・。
朝5時過ぎに起き、Tシャツと短パンにランニングシューズを履いて、5時30分に家を出る。この暑さを考えると、7時すぎには、家に帰り着きたい気分。どうやら息子も一緒に走るというので、3人で、まず、道すがらにある、弊社で施工をした、清見原神社まで走り、参拝をする。この神社から大阪城までは、旧街道が続いていて、車では、一方通行になる道が、東西南北に対して斜めに横切って長々と大阪城や難波の宮まで続く。
その街道は、このお盆の旅行で訪れた、長野の「小布施」の町並みに比べれば、情緒というものには、欠けるし、観光客が大挙して訪れ、歩き、見学し、食べる。そんな町並みではないものの、独特の「ゴチャゴチャ感」があって、戦前の長屋風の建物から、鉄骨3階建ての建物やマンションや小さな町工場や神社や商店街などなど、1500年ほど続く、街道でもあるわけで、時代の建築をゴチャゴチャと素直に反映しているのだろう・・・。個人的には、好きな道であって、弊社で施工した数件の家や事務所の前を、その無事を願いながら、通過する。
よくよく考えると、高校生の時以来、「走る」という記憶がなく、大阪城までの4kmほどは、しっかりと走ったものの、あとは、走ると歩くが交互。「走る」というのは、なかなかたいへんな運動だな。とあらためておもうし、8kmあたりからは、私の肉体は、走ろうともせず、ただただ歩くのだった。
それにしても、大阪城の天守閣前の広場に行ったのは、小学生の時、以来かも知れない。よく、自転車で遊びに行った記憶はあるのだけれど、それ以降の記憶が全くない。6時30分に天守閣前の広場に着くと、ラジオ体操が始まりだし、ついでと、成り行きと、物珍しさが合わさって、参加し、一緒にやってみる。これも、小学校以来の出来事か。
そんなこんなで、奥方と息子は、大阪城から電車に乗って帰るわ。と、あっさりとした決断を下す。私は難波の宮の中心で、大きく深呼吸をし、玉造の町並みや東成の商店街を抜け、独特の朝の雰囲気が漂う今里新地の中を、通過し、帰宅する。ほとんど、走れず、歩く状態。
このブログを書いている、いま、私の肉体の下半身は、悲鳴を上げている状況であって、折り返しを後悔する気持ち半分。すがすがしい気持ち半分。まま、複雑な状況。息子はそのまま元気よく遊びに出掛け、その若さに、羨望する状況。奥方に至っては、ぐっすりと寝ていて、起きてもポォーとしている状況なのだ。
「走る」とはオモロイ状況を露呈させるものだな・・・・。
投稿者 木村貴一 : 2010年09月05日 12:21 « サヌカイト石の風鈴 | メイン | 朝マックならぬ朝カニ。 »