2014年01月12日
年始の伝統のようなもの
1月6日が木村工務店の初出で、例え、6日が日曜日でも、初出なのだと、ま、そんなのが伝統なんだろが、確かに、理由は定かでないのだけれど、なんとなく「イエス」と言って、従う事にしてきた。きっと、工務店という仕事内容とお正月休暇との試行錯誤の末、丁度良い加減のバランスとして休暇日数がそうなったのだろう。6日は、ネクタイをした正装で、普段よりかなり遅い出社として、9時に集合するのも、これもひとつの伝統になっていて、3階にある会議室で社員が集まって新年の挨拶をし、それぞれの年末年始の過ごし方や、この一年の豊富をお互いに語り合い、新しい1年がスタートをする。
午後11時過ぎになると、氏神さまの清見原神社に参拝に行く。社員大工全員と協力会社有志が参加して、神主さんによるお祓いの後、数人の代表が玉串を奉奠し、1年の無事を祈り、それぞれが御神酒を頂戴して、神事による木村工務店としての新年がスタートをする。この神社の増改築工事をして完成したのが2009年で、5年の歳月が立つと、吉野檜の床も落ち着いた光沢を放ちだし、歳月による木の美しさの変化が面白く、1年に1度、拝殿から幣殿を眺めながら、窓から差し込む朝日によって美しく光る木の光沢の変化と共に、時の流れを感じ、世の中の変化を感じ、木村工務店の変化を感じ、私の変化を感じると共に、「いまここ」に毎年毎年同じように座り続けて、何かを見守り続ける「私」の存在のような、「変わらぬ何か」も感じたりするのだった・・・・。
お昼からは、これも長く続く伝統として、新年会をする。勿論、数十年前は、そんなの無駄な経費で、必要ないと考えた時期をあったが、70人近くの、ものづくりの仲間たちが一緒に集まって、新年の挨拶を交わす事で、それぞれが、お互いに新年の挨拶回りに奔走するという、無駄が省けて、有難いことだと気付いたのはここ数年の事。それに賀詞交換会ではなく、宴会をし、「膝をついて杯を酌み交わす」コトに拘るのは、弊社の会長で、お酒に関してはまったく省エネルギーな私なのだけれど、そんな「私」でも、膝を付き合わして杯を酌み交わすという作法によるコミュニケーションの親密さは、大いに面白く感じ、1人ずつ全員にお酒をついで廻るのが、新年の「私」の大切な「シゴト」でもある。
そういえば、シャチョウになってからは、もうひとつ新年早々の大切なシゴトがあって、それは新年の挨拶として、年頭所感のようなものを15分間ほど話す事になっていて、勿論、徐々に場慣れのようなものはしてくるので、人前で話す事への緊張感は薄らいでいくのだけれど、流石に話す内容は、その場のアドリブで話すほど、ビジネス的ボキャブラリーが豊富でなく、適度に「ネタ」を集めて整理しておく必要があって、年末の29、30、31の三日間は、家庭の年末シゴトをそれとなくこなしながら、暖炉に火をくべ、ソファーに腰掛け、床にごろごろし、数冊の本を読んで、大まかな方向を決めるのが、年末の楽しみのようなシゴトのようなもの。それで、新年の3、4、5の三日間は、スキーをし、カニを食べながらも、どこかに新年の挨拶へのちょっとしたプレッシャーを感じていて、ふとした瞬間に「ネタ」を考える切迫感が襲ってくるのは、新年の挨拶という伝統のようなものを受け継ぎ継続するための、どこかにあるエネルギー源から、その緊張感が放たれているのかもしれないと想像するのだった・・・。
新年会が終わると午後4時前で、しゃぶしゃぶの木曽路のマイクロバスに送られて会社に到着し、その後、数十名が居残って、加工場のカマドと囲炉裏で2次会が催されるようになったのは、昨年からの事。これが、新たな、年始の伝統のようなものに加わるのかどうか、まだまだ解らないが、意外な盛り上がりをみせる。そういえば、清見原神社を造った大工の沖棟梁が2次会にも参加していて、年月が経つと共に檜の床が光るのは、鉋で木を削り光らすという、日本文化としての道具と技術の伝統があるからだ・・・。という話で盛り上がったのだけれど、大工仕事によって、日本文化を伝えるために、海外でシゴトをしたいのだ!。と蕩々と語るのだった。何とかして、「私」に、海外で日本の文化を伝えるための大工シゴトを取ってきて欲しいとヨッパラウのだった・・・。そうそう、オキ棟梁は、茶室を造るのに、茶事を習わなくて、どうするのだ!というひとで、茶道にも精通していて、「まちのえんがわ」ワークショップで、茶会をしたいという直々のオファーもあって、今年の秋にはワークショップとして、大工棟梁による茶会を開こうとおもう・・・。
「年始の伝統のようなもの」といえば、建材商社イナバによる新年初荷の「337拍子」があって、最近は、初荷を持って来ることは、流石になくなったが、それでも新年の景気付けのために、若い社員たちが伝統を受け継いでいて、笛と太鼓を打ち鳴らし、扇子を両手に持って大声を張り上げて、「アホ」なコトをする訳で、大阪弁の「アホやなぁ・・・」は最高の褒めコトバでもあって、こんなアホ伝統は必ず守り続けて欲しいとおもう・・・。
「商売繁盛で笹もってこい」の戎っさんに行くのも、大阪人にとっては「年始の伝統のようなもの」で、今宮戎に行く時もあるが、最近は、布施の戎っさんに、夫婦で詣でるのだけれど、それなりに高い値段の笹を買いながら、こんな戎っさんのような、儲かるエエ商売せなアカンなぁ・・・などと、少々えげつないコトバを発しながらも、お互いの商売繁盛を願うのが大阪人の年始なんだとおもう・・・・。
そうそう、3年目を迎えた「まちのえんがわ」では、突然、新年会のようなものを開くコトになって、寒い中、引き戸を全開にして、ストーブをガンガンと炊きながら、20名ほどで、ワイワイガヤガヤと狭い空間の中で、ひしめきながら、親睦を深めた。いずれ、こんなのも、継続されて、新たな「年始の伝統のようなもの」の仲間入りになればとおもう・・・。
ま、右肩上がりの成長戦略も羨ましい限りだが、伝統を受け継ぐという成長、継続するという成長、持続しているという成長、もはやそんなのは成長戦略とは呼べないのかもしれないが、アベノミクスの3本目の矢としての成長戦略は、それぞれの会社なりの、ささやかな成長戦略を自主的に考えるのが良さそうにおもうのだ・・・・。
投稿者 木村貴一 : 2014年01月12日 23:59 « ついて、まるめて、たべる。 | メイン | 行く年来る年 »