2015年09月05日

「コトバノイエ」と「建築の力」

コトバノイエ9.5周年パーティーというのが、時折激しく雨が降る兵庫県川西で催されて、矢部達也さん設計で、木村工務店で施工した住宅のことで、その住人というか、お施主さんがカトウさんで、本好きが高じて、本棚が構造体になった平屋のその住宅の名称を「コトバノイエ」と呼んでいて、この住宅ができて、そのお宅の部屋やデッキでソトメシと呼ばれる宴を催すようになり、その宴に誘われて、「私」も参加するようになってから、施主と設計者と施工者のあらたな関係性のようなものが始まって、きっと、この住宅がなければ、木村家本舗も始まらなかったし、「まちのえんがわ」も誕生しなかったとおもう…。

この住宅が出来るまでは、施主と設計者と施工者の関係性は、はっきりとしたビジネス上の一線が引かれた状態で、どことなくビジネスライクだったが、ソトメシの宴に度々参加するうちに、その一線がうっすらとした線になって、というより、川岸の右岸と左岸に分かれてお互いに川を行ったり来たりしているような、川というはっきりとした一線があるような関係性だったのが、なんとなく、川から海に濯いで、一隻の船に一緒に乗りながら大波小波に揺られて漂っているような関係性になって、勿論オトナとしてのお互いの立場の違いは守りながら、遊びも含めたさまざまな事を一緒にやるようになってきて、その関係性があってこそ、カトウさんやヤベさんと一緒に木村家本舗というオープンホームなイベントを催すようになり、その経験がオープンカンパニーのような「まちのえんがわ」に繋がっていったのだとおもう。

25坪ほどの平屋の住宅におそらく百人近い人たちが出入りした賑やかなパーティーで、特別イベントごとがあるわけでもなく、立食形式で食べたり飲んだりしながら、あれやこれやと、時間と空間を共有し、たわいもないコミュニケーションをすることそのものが、楽しいことだと伝えてくれたりする訳で、それに間接的には「建築の力」のようなもの、それはこのコトバノイエという建築が巻き起こしたコミュニケーションでもある訳で、「建築」という行為の面白さを伝えてくれているともいえる訳で、勿論、いままでの反省として、建築によって、クレームのような不愉快なおもいを作り出してしまった経験もあって、あらためて、「建築の力」に身が引き締まるおもいがした。

そうそう、本日は住宅相談会の日でもあり、午前中のAさんは、男性ひとり住まいの住宅の建て替え工事の計画案の打ち合わせで、間口2間奥行き4間ほどの住宅の間取りに、さほどバリエーションがあるようにはおもえないが、それでも、現在のライフスタイルとこれからのライフスタイルをまじめに考える事が、その住まい手に相応しいプランを作り出したりする訳で、まさしくコトバノイエは、カトウさんの本読みのライフスタイルをしっかりと考慮して設計したヤベさんのプランが、今日のようなイベントに繋がったのだとおもう。

お昼からは、造園家のイエタニさん夫妻と建築家のオカさん夫妻とうちの夫婦とステンドグラス作家のトモコちゃんとで、大丸の味吉兆で、食事会をする事になっていて、それは、近く大丸が取り壊される事になって、その味吉兆の庭を設計施工したイエタニさんが、とり壊される前に食事をしようよと呼びかけてくれて、ま、そんな「建築の力」的な食事会で、ところが、東京にひとり住まいする次男が、一昨日に、風邪とアレルギーが突発して、急遽大阪に帰ってきて、その看病で、うちの奥方が出席出来なくなり、その代わりに9月1日から木村工務店に入社する事になった長男が代役となって、食事会に出席するというドタバタがあったりして、それでも、きりっとした料理でランチを共にしながらのコミュニケーションは独特に楽しい。

午後3時からのBさんは、3階建ての3階に自宅のある計3戸の小さな共同住宅の計画案の打ち合わせで、そのBさんが、「イタリア中世の山岳都市」という本を私に勧めてくれて、まったくイタリアの建築に興味を持っていなかった私に、山岳都市の魅力を教えてくれたその縁が、イタリア山岳都市建築旅行に繋がったりし、あらためて、「建築の力」に驚いたりしたわけで、ま、その話はまたいつかするとして、とにかく、この打ち合わせが終わって、「まちのえんがわ」のスタッフのアオキさんや、トンちゃんや、ソンさんと一緒に、ワイワイ言いながらコトバノイエに向かったりし、なんか、とっても沢山の方々と、さまざまなコミュニケーションをした一日だったなぁ…。

投稿者 木村貴一 : 2015年09月05日 23:59 « 「広場」と「オープンスペース」 | メイン | 「流しソーメン」と「ソトメシ」 »


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