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2014年03月30日

川から海へ

日曜日の朝。目が覚めると、雨。久しぶりに全く予定がない日曜日で、自転車で遠出でもしようかと考えていたが、雨音を聴きながら、自転車に乗る事への諦めムードに、ぶわーっと包み込まれて、夢の中の出来事のように感じながら再び寝る。うとうとしながら目が覚めると午前9時を回っていて、久しぶりに、遅くまで寝ると、療養しているような錯覚になって、とっても爽快な気分で起きた。で、朝風呂に入って、髭を剃って、庇のかかったデッキに出て、イームズの椅子に座り、雨が落ちる様子を眺めながら、パンを食べていると、このブログの事が、ふとよぎる。

ここ二年ほどは、サザエさんを見終わって、家族と夕食を食べ終え、食卓の2400mmの長いテーブルの端のYチェアーに腰掛けて、ブログを書くのだけれど、もちろん、帰宅が遅くなって、書き出すスタートが送れて、翌日にまたぐ事も多々あって、そういえば、23時59分の秘密として、いつぞやのブログにも書いた。ま、もっと前は、朝に、デッキに座って、庭の景色を見ながら書いていたので、その当時の事をなんとなく、おもい浮かべながら、今週は、な~んにも、ブログネタがない、どうしようかと、とっても滑稽な不安に陥りながら、ザザ降りの雨とともに座る日曜日の朝。

そうそう、2004年の1月から、ブログを初めて、ほぼ10年が経過した。その時は不定期に書いていて、途中、2005年の3月4月5月の3ヶ月間だけ休んだが、もちろんそれは、面倒くさいという気持ちとともに、ブログを書くためのシステムが、掲示板のような古い形式で、いわゆる、いま、このブログのシステムに使っている、ムーバブルタイプのようなシステムでなかったので、書きづらい事もあって、それで、その3ヶ月間に、ムーバブルタイプを勉強して、木村工務店のホームページに自らインストールし、「継続」しやすいシステムを構築してから、日曜日にだけ書くことにして、このVoic of 木村工務店のブログ形式になった。とすると、プレオープン2004年1月、ブログ正式オープンは2005年6月になるのかもしれない。

そんなこんなで、いつも心のどこかに、日曜日のこのブログ書きにたいする、切迫感のようなものがあり、例えばランニングや自転車などと同じような「日曜日の継続する遊び」だとおもって、そんな脅迫観念のようなものを右から左に受け流しながら、それなりに楽しんでいるのだけれど、ところが、過去の文章などを振り返ると、当然ながら恥ずかしい気分になって、自己嫌悪のようなものが、忽然と襲ってきて、であれば、過去のことを過度に振り返らないのが、継続のコツのようなものだとおもっていたら、32年間続いた「笑っていいとも」を終えるにあたって、「タモリ」が、継続のコツは「反省しないこと」などと、テレビ言っていたのを、何となく思い出しながら、雨の日曜日の朝に、継続の楽しみと、面倒くささと、ブログネタがみあたらない、という複雑に入り交じった妙な気分と対峙する「私」。

振り返ってみれば、若い頃は、日曜日の朝になると「プライベート」な喜びが、そこわかとなく湧き上がってきて、本やレコードや街歩きやキャンプや登山やキャンピングカーの旅などなど、早朝から、寝る間際まで、というより寝るとプライベートが終わっていくようで、寝たくない気分に襲われながら、深夜まで起きていたものだが、歳を重ねるにつれて、「シゴト」の辛さと共に面白さも徐々に味わうようになり、なによりも、生きていくために、真面目に働く必要性が、猛烈な勢いで、どんどんと迫ってきて、そのうちプライベートが消滅しそうにもなってきて、そうであれば、プライベートとシゴトとが、キッチリと分かれたライフスタイルは、それはそれで、とっても楽しかったけれど、こんな立場になると、シゴトとプライベートが融合したライフスタイルを試してみた方が良さそうに思えてきて、そんなこんなで、ひょっとして、このブログを書き始めた時から、その融合を図っていったのかもしれない。

ま、なんとなくのイメージだが、「川」の右岸が「プライベート」左岸が「シゴト」として、その右岸と左岸を泳いで渡るように、会社と家、朝と夜、平日と日曜日、とを往復しながら、川によって気分も意識も変えて、右岸のプライベートと左岸のシゴトのそれぞれの岸でライフスタイルを楽しみ、苦しみ、生きていたのを、こうなれば、いっそのこと、「川」から「海」に注いで、右岸や左岸に分けた感覚を意識的になくして、大波小波にユラユラ揺られながら、シゴトとプライベートが微妙に入り交じったライフスタイルをやってみると、それはいったい、どんな感じになっていくのだろうか・・・・みたいな。

それはそれとして、うちの庭のピンク色の椿も花びらを落とし、サンシュウの黄色くてカワイイ花がずっと咲いていて、そういえば、自転車で登る十三峠にもサンシュウの木のような黄色い花の群落があって、心を和ませてくれていて、庭のジューンベリーの白い花が、昨日咲いて、ほんの2、3日の開花だけれど、また桜とは違う、春の楽しみのひとつで、昼からは激しく降った春雨も止んで、庭のしだれ桜が7分咲きになり、週末には、社員と職人さんとの恒例の花見の予定があって、それに、この日曜日には、輸入壁紙で造るエコバックのワークショップも、そうそう、なによりも、なんとか、このブログも書き終えて、さてさて、ようやく春ですね・・・。

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2014年03月23日

ほんまもんの暮らし省エネマイスターなのか?

「暮らし省エネマイスター資格」というのがあって、野池さんが主催している事もあり、2013年の2月に試験を受け、そういえば、記述式の試験なんて、大学生の時以来で、かなり、どぎまぎしたが、なんとか合格し、「1985地域アドバイザー拠点」として、認定され、木製の盾が送られてきて、そこにはこんな事が書いてあった。

IMG_5494貴事務所は、家庭での省エネルギーに精通した
暮らし省エネマイスター資格者を有し
気候や風土、ライフスタイルにあわせた
的確なアドバイスができる事務所であることを
ここに認定する

ところが、「知識」としては、それなりに習得しているものの、いまここの私の家と暮らし方が省エネルギーな住まいなのかというと、かなり疑問で、うちの家は2001年にリフォーム工事をし、その時は、断熱気密に特別の施工と考え方を持っていた訳ではなく、そんな意味でもうちの家庭の消費エネルギーには、かなりの問題点があって、省エネなライフスタイルだと宣言するには気恥ずかしい状況で、ま、そんな事もあり、ここに、こうして書く事もせず、1年近くが経過した次第。

そうそう、この暮らし省エネマイスターの資格と1985地域アドバイザー拠点の意図するところは、断熱気密が充実し、日射遮蔽に気づかいし、省エネルギーな設備機器や建具を設置する事で、つまり、そんな様々な建築的な手法を用いて、家づくりをすることで、現在のお住まいの地域と家族人数を考慮した標準的な家庭の消費エネルギーを約2分の1にしようという取り組みで、そうするとその家庭のエネルギー消費量は1985年当時の家庭の消費エネルギーと同じ数値ぐらいになり、そんな家庭の省エネルギーから原子力発電を含む日本のエネルギー問題に貢献していこうという取り組みな訳。

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まず最初にする事が、上のような電気とガスの消費量を月ごとに調べて、表に書き出し、地域と家族人数を表から選択して入力すると、目標値の50%に対して何パーセントになっているのかが表示されるわけで、上が、うちの数値で、かなり恥ずかしい数値なのだけれど、ま、それはそれとして、例えばどんな性能の家であれば、家庭の消費エネルギーが現在の標準家庭の50%以下になるのかといえば・・・

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Q値といわれる、熱が逃げていくスピードの事なのだけれど、それはおもに断熱材の性能によって左右されて、そのQ値が=2.7(次世代省エネレベル)で、給湯器にエコジョーズを使い、給湯の補助に太陽熱給湯器を取り付け、その他、高効率のエアコンや冷蔵庫など家電製品にLEDライトなどが取り付いた家であれば、太陽光発電器を取り付けなくてもエネルギー消費が2分の1になって、そんな家づくりをしていこうというのが、1985地域アドバイザー拠点の取り組みで、断熱性能の高い家と日射遮蔽の技術と高効率省エネ設備機器が取り付いた家づくりをしていこうという提案だといえる。ちなみに、1980年以前の家はQ値が=5.0以上だったりするので、Q値2.7の家は昔の家の2倍近い断熱性能が必要になる。付け加えておくと、Q値は低いほど断熱性能が高い家になる。

エネルギー問題も大きいが、冬と夏の室温の問題も大きな問題で、暖かい部屋から寒い脱衣室に入った時の「ヒートショック」の問題などは、室温の-5度ぐらい、約13度ぐらいが目標値のレベルらしい。「断熱レベルと健康」という問題もあって、寝室など室温は20度前後を保ち、下がっても15度以下にならない方が健康のためには良いらしい。夏の「熱中症」問題もあって、室温を27度前後を目標値にし、32度以上にならないようにするのを室温の目標値にするのが良いらしい・・・・
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imageこんな住宅を造るためには、どんな断熱性能を持った、いわゆるどんなQ値の家が必要かを野池さんが計算していて、私の住む大阪は6地域といわれ「Q値=1.9」が必要であるという。ちなみに、省エネ目標の2.7からすれば、0.8ポイントも低い数値で、かなりの断熱性能が必要になる・・・・。

「我慢」をする省エネな暮らしもそれはそれで、カッコエエが、建築に携わるものとしては、快適な室温と健康状態を保ちながら省エネルギーな家を造るために、建築的な手法である断熱性能や日射遮蔽や省エネ設備機器を考慮しながら、居心地の良い家を造っていきたいわけで、そんなのを研究する会が「1985地域アドバイザー拠点」であり、その西日本の会議が、木村工務店の会議室であったのが、先週の水曜日の出来事だった。ちなみに、「まちのえんがわ」という名前は野池さん主催による野池学校の後の懇親会で生まれたもので、そんな訳で、その日の会議やその後の懇親会でも、「省エネ地域アドバイザー拠点」と「まちのえんがわ」の関係性をわいわいがやがやと話し合ったりした・・・。

ところで、先日ブログに書いた北海道旅行は、断熱気密先進国の北海道から、その施工技術を学ぼうという取り組みで、また、うちの社員ひとりずつが、自宅の一年間の消費エネルギーを調べる取り組みも始めていて、いつか、皆さんに、省エネな家造りへの取り組みをシェア出来ればとおもう・・・。そうそう、自宅を省エネリフォームして、「ほんまもん」の省エネマイスターにならなくてはいけないのが、誰よりも、まず、「私」なのですよ・・・。

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2014年03月16日

菜の花

朝6時前、NHKのラジオが、目覚まし代わりに鳴り、布団に潜り込んだまま、6時のNHKニュースをラジオで聞き終わると、もそもそっと布団から抜け出して、トイレを済ました後、レーパンを履く。自転車用のレーサーパンツで、ピチピチのズボンのお尻にパッドが入っていて、それに、肩に引っかける紐がついたやつをビブショーツというらしいが、そのタイプ。「もっこりぴちぴち」に、ちょっとした抵抗感もあったが、これで自転車に乗りだすと快適なので、街乗り以外はこれを履く。ジャージを着て、ボトルに、キッチンのシーガルフォーの浄水器から水を入れ、SPDのビンディングシューズを履き、タイヤの空気を入れ、ヘルメットを被り、手袋をして、自転車を漕ぎ出す。

「まちのえんがわ」の前から、東の方角に向かって漕ぎ出すと、東に真っ直ぐ延びる小道の両脇に建つ家と家の間に、生駒山が断片的に見えて、丁度、日の出を済ませたばかりのような、ほのかに赤い太陽が、真正面に登っていて、綺麗だなぁ・・・と見ながら走っているうちに、エネルギッシュな気分になってきて、思わず「笑顔」がこぼれる。

そういえば、昨日は建築家のヤベさんのお宅でちょっとした食事会があって、その会話の中で、シャチョウは、日曜日の朝、なるべくはやい時間に、自転車を漕いで、一週間のストレスを解消してはるんですわ。なんて話で盛り上がったのだけれど、確かに、そうで、それがランニングでもエエのだけれど、とにかく、体が長時間「振動」し続ける事で、知らず知らずの間に内部に溜まっていたストレスが、揺り動かされ、表層に放出されるのだとおもう・・・。

IMG_5477暫く東に進むと司馬遼太郎記念館の前に至る。記念館の前には、菜の花の鉢が沢山置いてあって、この冬から春に変わろうとする、この時期の、あの黄色い色には、「希望」のようなものを抱かせる「チカラ」があるのかもしれないと感じながら、ところどころの道にも置いてある菜の花に微笑みをもらって、東に向かう。

第二寝屋川と恩地川の川沿いを走り、東に向かって、外環状線を越えて、ゆるい登りの集落の中を通り抜けると、大竹7丁目交差点に出て、IMG_5478経済法科大学の横を通りながら、本格的な坂道になる。十三峠といわれる坂道で、ヒルクライムの聖地らしい・・・。その交差点から峠の展望駐車場まで、早い人は15分ほどで登るらしいが、その倍近い時間がかかって、よいしょよいしょと登る「私」。一年ちょと前に初めてのロードバイクで連れられたこの坂で、その時は、アドバイス通り、3回休憩して登ったが、1年が経過すると、ゆっくりだが、足をつかずに展望駐車場まで登れるようになっていた、55歳の春。

そうそう、つい数日前に誕生日を迎えて、ここ最近は、フェースブックでお祝いのメッセージをもらうという、生まれた時の世の中では、想像できないようなコミュニケーションの手段が誕生していて、半世紀の時の流れはオモロイなとおもう。そういえば、記念日というものを軽視するつもりはないのだけれど、ここ何十年は、特別にサプライズな出来事をする事もなく、淡々と粛々と迎える事にしていて、それでも、誕生日という、私的な記念日というきっかけを通して、家族以外の人とメッセージのやりとりをするなんて事は、フェースブックのお陰で、それはそれで、新鮮な気分でもある。

IMG_5479展望駐車場で少し休憩してから奈良県側に下って、フラワーロードのアップダウンを通過し、信貴山の赤い橋を眺めながら漕ぎ、のどか村に至る坂道を、よいしょこらしょと登って駐車場で、ひとり休憩する。初めてのロードバイクでもウィリエールのキタムラくんとここで休憩したが、昨年の夏と秋は、近くに住んでいたヨネクラさんと何度も一緒に汗を流しながら葡萄坂を登ってここで休憩したのだけれど、そのヨネクラさんが、アパレルの会社を辞め、奥さんの実家がある熊野の「太地」近くの下草に引っ越したのが2月の出来事。

IMG_5460IMG_5458IMG_5464IMG_5466先週の日曜日は、「まちのえんがわ」関係者の有志、むさ苦しい男5人組で、そのヨネクラさんの新居である熊野まで、日帰りドライブに向かった。なんでも、その新居で、地方で、田舎で、服や雑貨やカフェのお店を夫婦でするのだという、それに、ある種、「まちのえんがわ」熊野のような存在を目指すのだという。そんな話をロードバイクで、峠を登った後の三郷のカフェで話し込んだのが昨年の秋の事だったが、ま、そんな現実化された、「いまここ」のこの家をどのようにリフォームしたら良いのかを、アドバイスがてら、遊びとして、ドライブしようというのが、今回の熊野ツアーだった。

最近読んだ本に、「「場所」に生きる」という章があって、そこに、アメリカ先住民の長老会議での会話がこんなふうに書いてあった。

「いいかい、人間はどこでも一つの場所に長いこといれば、これは白人でも同じだが、霊が語りかけてくるものだ。そいつは、大地からやってくる。霊、すなわち太古の力は消えてしまったわけではない。長いことそこにいてくれる人間を必要としているだけだ。そうすれば地霊はその力を人間に与えてくれるようになる」

そうそう、ヨネクラさんのご両親が歓迎してくれて、勝浦にある食堂で、新鮮な、まぐろや鯨の刺身を食べ、新鮮なトロの赤身のあさりとした旨みを体験すると、「場所」に生きる良さを舌で感じて、ひょっとして、地霊に呼ばれて、「場所」に生きようとする若い世代が、どんどん出てきているのかもしれない・・・。

imageのどか村で休憩しながら、そんなこんなを走馬燈のように思い起こし、柏原の方に下る。岡本ガーデンの前を通過し、そうそう、先日の自然農法の畑はこのあたりかと眺め、これは梅か桜かと、「ピンク色」に咲く花を見て、春が間近にやって来ていることを感じると共に、司馬遼太郎記念館の前の菜の花の「黄色」をフラッシュバックさせながら葡萄坂を下るのだった・・・。

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2014年03月09日

「ジャーン」

表紙の次に見開き白ページがきて、次が見開き黒ページ、その次に見開き白ページがきて、最後に見開き黒ページで裏表紙が付いて、擬音語だけを使い、動物が登場する絵本ワークショップを催したのが、先週の日曜日の事。そういえば、ブッキングの都合で、先々週の板金ワークショップに続いて2週連続のワークショップで、それはそれで、ちょっとハードなスケジュールだった・・・。

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3年目で3回目になる谷口智則さんのワークショップには、「谷口ファン」がそれなりに沢山いて、当日にキャンセルがあって。空きがでた事をフェースブックで告げると、急遽、参加された方が数名いて、その根強い人気に驚くのだけれど、ま、それはともかく、上が谷口さんによる見本の絵本で、谷口さんによるレクチャーの後、「ゴロゴロ」「モソモソ」「グツグツ」などなど擬音語を皆で出しあってワークショップがスタートした。
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マンガ皿のツタイミカさんが、ワークショップに参加してくれて、製作した絵本が上の最後の作品で、猫の姿が登場しない擬音語だけの絵本。その作品を製作している時の彼女の真剣な姿勢と空気感には、ものづくりの心と姿勢のようなものを感じて、その雰囲気に刺激された、まわりのひと達の姿も含めて、そんなのに触れていると、「私」も、真剣に向き合って、「ものづくり」せんとアカンなぁ・・みたいな、製作意欲のようなものが沸々と湧いてきたりするのだった・・・・。
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DSC01310それはそれとして、それぞれの作品は、その作者が、前に出て、朗読し、そのひとつずつの作品に対して、谷口さんがコメントをしてくれたのだけれど、こうやって出来上がった作品を落ち着いて眺めてみると、それぞれが、味わい深く、ま、そんな訳で、今日のブログは、「コトバ」より、それぞれの絵本を、しっくりと眺めて欲しいとおもう、それでは、あらためまして、「ジャーン」。

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2014年03月02日

花粉症

月曜日の朝、鼻に違和感を覚える。なんか、ヘン。夕方になると、鼻がムズムズしてきて、しばらくして、クシャンクシャンと続けてくしゃみをし、鼻がズルズル垂れてきて、ようやく気付いた。花粉症になったのだ。そういえば、昨年はならなかったのに。一昨年は気持ち程度、その前の年は酷かったが、今年は全く油断していたのだ・・・・。火曜日になって、本格的な花粉症だと、はっきりと自覚し、ティッシュを携行しながら、数分間隔で鼻をズルズルさせる私。

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↑ さてさて、水曜日の朝、ピーチに乗って、札幌に向かう。3年連続、この時期に、札幌訪問を続けていて、今年は現場監督のモリタくんを引き連れて、北海道キムラ主催の断熱気密住宅の見学に参加する。1日目は例年のごとく、ドームで建材展を見てから、「すすきの」で飲み食いをするのだけれど、現場監督と一緒に建材を見て回ると、ひとりで見る時とまた違う興味の視点になって面白い。

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↑ 「カネシン」の新しく出た構造金物の「ヘビーコーナー20」について、梁の柱頭柱脚で使用してもOKなのか、カネシンのひとに聞いてみたいわ。とモリタくんがいうので、その質問と応答するやり取りを眺めるていると、以外に楽しめて、きっと、へぇ、なるほどなるほど、と暫しの間でも、現場監督目線になりながら、私の視点が広がったように感じるのが、嬉のだな・・・・。

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↑ じゃぁ、お返しにと、前から気になっていた、「東日本パワーファスニング」の「ビス」のコーナーに連れて行って、これ、現場監督の立場で、どうおもうのかと、そうそう、その間も花粉症の症状を引きずりながら、超鼻声状態で、意見を求めると、説明する人が、大阪営業所の担当者だったこともあって、それなりに話がはずんで、これ、なかなか良さそうなので、これから、試しに使ってみますわ。という事になり、ま、そんなこんなで、まったく好きじゃなかった建材展というものが、いろいろな立ち位置の社員と一緒に、あーだこーだと言いながら見て回ると、以外に楽しいコトに、初めて気付くという、妙な収穫。

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それはそれとして、確かに、この雪の時期のすすきののムードが独特にエエのだ。毎年の冬の恒例行事として、ひとりふたりの社員と一緒に、建材や住宅を見ながら、すすきのの夜をぶらぶらできればと、おもうのだけれど、今回も 「まちのえんがわ」ワークショップに度々参加してくれている北海道キムラのサトウさんに引き連れられて、居酒屋に行くと、名古屋から見学に来ている、ひとたちと合流し、突然、乾杯の挨拶を託されて、サッポロビールの北海道限定クラッシックを片手に持ちながら、超鼻詰まり花粉症声で、乾杯の音頭をとると、いきなりジンギスカンが出てきて、その後に、北海道のお造りが桶に入って沢山出くるという、あれぇ、なんとなく順番が逆のような気もしながら、飛行機旅の後の空腹感に押し切られて、ジンギスカンとお造りを同時にガツガツと食べながら、突き出しやサラダやその他なんだかんだと出て、毛ガニもでて、いかにも北海道らしい肉厚のほっけが美味しくて、いや、まさしく、北海道の食事を満喫したような満腹感。

その後のすすきののスナックでも、ボリューム感のある突き出しがでて、そこに大阪から急ぎの用件の電話が掛かってきて、なんとなく心身共に超満腹状態になり、それでも、恒例のDSC00428「だるま」6・4店の雰囲気で食べるジンギスカンだけは、どうしてもモリタくんに食べさせてあげたいという、サトウ氏の有難いような有り難迷惑のような、お・も・て・な・しがあって、23時代の「だるま」6・4店に行くと、これまた満員で、それで、雪が積もる狭い路地の外に置かれたベンチに並んで待つという、そこまでして、この満腹のなかで、ジンギスカンを食べるのかぁ!みたいな疑問もよぎったが、幸い、その日のサッポロは3月下旬か4月上旬並の暖かい日で、それに、ベンチの座面に暖房が入っていて、それが、おケツの穴まで暖かいという、コートを着て、足下の雪を踏みしめながらの、なんとも言えぬ心地良さがあって、これこそが、「断熱材の効いていない寒い家」での床暖房の快適さなのだと、論じあう余裕すらあった・・・。

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毎年来ても、その炭火とジンギスカン鍋とカウンターのエエ雰囲気には、独特の居心地の良さがあって、地元の老舗店としての良さが滲み出ているのだろうが、それと共に、今年の店内に限っては、若い女性がぐるっとカウンターを取り囲んでいて、やっぱり若いモテそうな現場監督モリタを連れて行った効果。みたいな。人が人を呼び寄せたりするのが、世の中の面白さというものだな・・・・・。

さて、それが、ジンギスカンの最後には、ラーメンかそばで「しめる」というのが、すすきのの夜で、それを是非体験して欲しいという、サトウ氏の超有り難迷惑な満腹おもてなしに対して、拒否せず素直に応えるのが、DSC00464大阪人の礼儀というもので、本日2度目のジンギスカンにプラス大盛りの白ご飯を食べた後に、「しめ」で食べた、そばは、生涯でもっとも辛いそばで、モリタくんの表情にもその複雑な心境がありありとあって、流石に私は、その半分をサトウ氏に分けると、お返しに鞄に入れてあったロート製薬の胃薬パンシロンGを分けてくれて、こんな、札幌のすすきので、大阪の生野区に会社があるロート製薬に助けられるという、妙な同郷の有り難さを飲み込みながら、札幌と大阪の文化の違いを大いに面白がった「すすきの」の夜だった・・・・。

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そうそう、翌日の朝の三五工務店さんの断熱気密住宅のモデルハウスでは、現場監督をしているという社長の息子さんから親切で丁寧な説明を受けて、気密の重要性を教わり、同じ工務店の施工現場では、大工さんの説明で、断熱気密施工に対する職人さんの理解力と意識の高さに、モリタ共々、感心し、そんな新たな視点で、あーだこーだと、言いながら、沢山の住宅を何人かで一緒に見て回るうちに、なんとなく鼻のムズムズが取れてきて、この時期の札幌の気候風土のお陰で、昼過ぎには花粉症がすっかり直っているという、いや、これはひょっとして、花粉症を治すための北海道旅行だったのかもしれない・・・・。

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