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2005年09月25日
潰れてほしい家電製品
お客様と打ち合わせをしている時のことだ。浴槽の残り湯を汲み上げて洗濯機のところまで持って行くためのホースの話をしていた。 洗濯機側にポンプが付いていてそれを浴槽に差し込むと残り湯が使えるようになっている。という話になった。「えー、 そんなの付いているのですか。うちの洗濯機にはついてないですワ。」と私。「そんはずないですよ。もう何年も前の洗濯機からついてますよ。 たまには奥さんのかわりに洗濯でもして下さいよぉー。」と、やさしく笑って諭された。
確かに、家の洗濯機のスイッチを入れたのはいつの事だろう。そして、今まで何回スイッチを入れたのだろうか?と記憶をまさぐってみた。 うーん、思いつかない。おそらく、二度か三度ほどだろう。それも洗濯機を設置した時ではないのか。 奥方がいない時は実家の世話になっていたなぁ。そう考えると20年以上も前になってしまうのか。恐ろしい。 20年間一度も家の洗濯機にさわったことがなかったのだろうか。いやいやそんなはずはない。そういえば、 数年前にどこかのキャンプ場に行った時、洗濯機のスイッチを入れた覚えが・・・・・と。あー、住宅の設計に携わるものとして、いやぁ、 家族の一員として、こんな事で良いいのだろうかと、流石に反省させられた。
家に帰って洗濯機を確かめてみた。何と、20年前の結婚当初に買った洗濯機をそのまま使っていたのだ。 浴槽の残り湯を汲み上げるポンプという、そんな装置はついていなかった。ご存じの方もいるだろう。洗濯機の中で洗濯物が絡まないようにする 「からまん棒」といううたい文句で、当時としては最新鋭の洗濯機だった。ところが最近はこの、 からまん棒のために余計に洗濯物が絡まるのだった。からまん棒にからまったバスタオルを取りほどきながら、「早くこの洗濯機、 潰れへんかなぁーと嘆いているのよ。」と奥方。買い換えたい家電製品に限って潰れないものなのだ。
奥方の前で、住宅の設計と施工に携わる者として・・・・・何~んて、えらそうな口をきいたものだから、間髪を入れず、「当然、 今日からは洗濯してくれるよねぇ!」と。「えー、それはー、つまりー、一般的心構えとしてぇー」と国会答弁のような歯切れの悪さだった私。
2005年09月18日
中秋の名月
便器に座ると、そ の目の前にカレンダーが飾ってある。24節気・72候歳時記カレンダーという。 もうなんだか忘れてしまいそうな、立秋とか処暑なんていう言葉が出てくる。何でも、9月7日が白露というらしい。 そんな言葉あったのぉーと自分の無知にため息をつく。「秋も本格的になり草葉に露が白く見えるようになる」と書いてあった。 確かに、朝晩が涼しくなってきた。空も秋の気配を感じるなぁ。と便器に座りながら、考えたりするわけだ。俳句も書いてあり、9月・ 長月の横には「菊の香や 奈良には古き 仏達」芭蕉とある。秋に芭蕉は奈良に行ったんだな・・・。そういえば、長い間、 奈良に行っていないなぁ・・・・。久しぶりに奈良公園でも散歩したいなぁ・・・・と思った。 このカレンダーにはいろいろな芭蕉の句が書いてある。それを読むと、その句が詠まれた、 その場所とその時刻に芭蕉は存在し人生を生きていたんだなぁ・・・と。あぁ、なんだか、 わけのわからない表現になってしまったなぁ。言いたいことが上手く表現できないなと思いながら、きばった。
今日は何の日だろうと目を移すと18日は中秋の名月とあり満月の絵が描いてあった。「名月には芋団子枝豆などを供え、芋名月とも。」と書き添えられてあった。そうだ、忘れていたなぁ。 そういえば長い間、月も見ていないなぁ・・・と。そそくさと便器を立ち上がり、 便器の水とともに心の戯れも流した。 テラスに出てみると丁度良い位置に月が出ていた。そうそう、昨日はビールとともに枝豆を食べたなぁ。まぁ、 今日は団子とお茶でお月見といこう!
2005年09月11日
シール
Windows のノートパソコンにはWinsowsXpとかintel とかいうシールが貼ってある。それが、 どうも気にくわないなぁ・・・と思った。マックにはそんなシールなど貼っていない。シールという、そのものが嫌なのか、 それともそのシールのデザインが気にくわないのか、良くわからないままに、兎に角、そのシールを剥がそうとした。結構、強力に付いていて、 剥がれるのは剥がれたのだが、糊だけは、くっきりと残った。なかなかその糊がとれないので、会社にあった、「うすめ液」を使ってみた。 そしたら、糊どころか、何とパソコンの表面の色まで薄くなってしまった。ぎゃぁー。まずい。・・・・・。でも、もう、どうしようもなかった。
我が家の冷蔵庫には、ポケモンのシールがいっぱい貼ってある。息子の友達が集まると、3~4人の子供達が冷蔵庫の前に座り込んで、 シール談義をしている。俺はこのシールを持っている。とか、どのシールと交換してくれぇ。 とか言いながら騒いでいる。その子供達の後ろ姿が意外と、かわいらしいのだ。流石に、 壁にシールを貼られるのはちょっと我慢ができないので、冷蔵庫なら、まぁ、ええかなぁ。と・・・。そう、そう、それに、 階段室にはドラゴンボールのキャラクターがいっぱい置いてある。 テレビの撮影があった時、 気がつくと撮影スタッフによって、冷蔵庫の前には白い板が置かれ、階段室のドラゴンボールのキャラクターグッズはどこか、 目立たないところに移されていた。私はアニメ好きではないし、私の趣味ではないのだが、 今の子供達の趣味嗜好を表現しているとも言える、これら一連のアニメを受け入れないわけにもいかないなぁ・・・と、 常日頃考えていた。ビフォーアフターの家にはちょっと似つかわしくないらしい・・・?
ノートパソコンのシール剥がしに失敗した後、子供達の姿と同じように冷蔵庫の前に座り込んで、ポケモンのシールをよくよく、 観察してみた。なーるほど、結構かわいいのだ。それならと、子供の所有するポケモン図鑑を見る。なるほどなぁ。どうも進化するらしい。 例えば、ソーナノはソーナンスに進化するらしいのだ。 ものを造る立場になって改めて、ポケモン図鑑を眺めてみると、 確かに良くできているなぁ・・・・と感心させられる。昆虫図鑑や花の図鑑を見るように子供達はポケモン図鑑を見ているようだ。
日曜日の朝、7時頃になると小学生の息子はごそごそと起き出して、テレビを付ける。アニメを見るのだ。日曜日の朝から、 たまったものでない。枕元のテレビの音を怒ると、それからは、ひとりで、居間に行き、テレビを見るようになった。日曜日の朝の日課のような、 そんなパターンが、どうも、一般的な小学生のパターンでもあるらしい。そういえば、私が小学生だった頃は、土曜日のお昼に家に帰ると、 決まって、テレビで吉本新喜劇を見た。今日は花紀京が出てくるのかなぁと楽しみにしたものだ。その後に、 松竹新喜劇の藤山甘美もあったのかなぁ・・・。記憶が確かでない・・・・。まぁ、当時の大阪の小学生の一般的なパターンだったのだろう。
アニメという文化は侮れないなぁ・ ・・・。大人が思い描く世界が、知らず知らずに子供に条件付けを与える。理想とする世界観もあれば、歪んだ世界もあるのだろう。 女性や男性に対する考え方も織り込まれる。殺したり殺されたり、恨んだり恨まれたり・・・。案外、 歌ったり踊ったりする姿は少ないのかもしれない。家造りという職業に携わる私たちの社会的責任とはまた少し、趣の違う、 大きな責任がアニメを作るクリエーターの中にも存在するのだなぁ・・・。日本、 ひいては世界の将来を担う子供達のために素敵なアニメを提供してほしいものだなぁ・・・。と、冷蔵庫の前に座って考えた。たまたま、 家には誰もいなかったので良かったが、冷蔵庫の前に座ってシールを眺めて考え込む私のその姿はどうみても、かわいらしいとは言えず、 変な光景だったに違いない。そういえば、宮崎アニメが世界的な賞をもらったとのこと。 子供の成長とアニメの関係性はますます、重要だと言うことだなぁ・・・・・。
そんなことより、ソートパソコンの色落ちを隠すため、冷蔵庫からこっそりとタマザラシのシールを抜き取りノートパソコンに貼り付けることにした。 何でも、タマザラシはトドグラーからトドゼルガーと進化するらしい。 シールが嫌いだったのではないのかぁ・・・と脳裏から声が聞こえてきた。ともかくも、 あの銀色に光り輝くWindowsのシールを嫌がったのではないのかぁ・・・と、右耳の方から叫びが聞こえてきたような気もした。 シールというものが貼られていないノートパソコンを目指したはずではなかったのかぁ・・・・・・・・・と。
2005年09月04日
和菓子
「栗原さんちのおすそわけ とろけるパンナコッタ」 というのを食す。甘いものは好きなのだが朝から別に食べたかった訳ではない。朝食のテーブルの上に置いてあった。日曜日の朝だし、まぁ、 ええか。っていうような感じで食べた。「朝から甘すぎる!」と思いながら、面白いタイトルだなぁ・・・って考え、この商品を売り出すまでの 「流れ」を想像してみた。このタイトルが決まるまでの過程を思い描いてみたのだ。片方では、新聞も眺めていた。
日曜日の朝日新聞の読書という欄の書評は、楽しみのひとつだたりする。「岸和田だんじり祭り・たんじり若頭日記」江弘毅著とあった。 だんじりかぁ、遣り廻しかぁ・・・そういえば、うちの次男は、家でいつも、太鼓と鐘の練習をしている。不思議だなぁ・・・。 と脳味噌が語り出した。そうそう、たんじりとは、神社の神様が外に出歩いて、町の皆に幸を届けに来るのだから、 もっと畏敬の念をもってだんじりを引くべきだぁ・・・・なんて言った人がいたなぁ・・・。と連想が広がる。
次の欄にある、「魂の民主主義」星川淳著という本の書評に興味が引かれた・・・・・と思ったら、頭の中では、そうそう、 選挙が始まるなぁ・・・などと、脳裏が回転しだした。そういえば、長い間、投票したことないなぁ・・・。流石に今回は絶対的に、 投票に行くよなぁ・・・・。などと、脳味噌が呟きだしていた。
同じ新聞の広告欄に千変万化に描く北斎の富嶽三十六景という本の広告があった。私のデスクットップの壁紙と同じ絵だなぁ・・・などと、 またまた、心が呟く。そして、今度は津和野の北斎美術館に行った事を思い出した・・・・。一瞬にして、思い出にはまり込みだしたのだ。
ところが、思い出に浸るまもなく、口元のパンナコッタの甘さが影響し始めた。今度は北斎を見て、日本的と頭が連想し出した。 甘さと日本的の二つの感覚が解け合って、何と、「和菓子」と心が呟いた。その和菓子が、全くどういう訳か、 鶴屋八幡の和菓子に結びついたのだ。鶴屋八幡の和菓子が、O先生という明治生まれのダンディーなおじさんの姿を思い起こさせた。 そして心に何とも言えぬ感情が沸き起こった。
通称O先生は所謂、宗教家だ。詳しい事はよく知らないのだが、御嶽教といわれる宗教に属するらしい。 家も私も全く信心などなかったのだが、私がまだ学生の頃、よく、家に遊びに来ていた。そうそう、まだ、祖父が元気な頃、家には誰かしらが、 遊びに来ていたものだ。学校の試験があろうが、受験であろうが、麻雀の音が鳴りやむ日はなかった。いつもいつも、来客があって賑やかだった。 まぁ、世の中全体がそういう時代だったのだろう。
その客人のひとりにO先生が居た。麻雀に来たわけではないのだが、家に酒を飲みに来て、ぐでんぐでんになりながら、帰って行った。 他の目的もあったのだろう。けっこう偉い宗教家の先生らしいのだが、酒をおいしそうに飲み、豪放な笑いをし、四方山話を聞かせ、そして、 ぐでんぐでんになりながらも、しゃっきりとして歩いて帰っていった。千と千尋の神隠しの神々が癒しに来る湯屋を見た時、 O先生とうちの家との関係性を思い描いたものだ。
どんな時も、山高帽かぶり、仕立てのよい背広を着てダンディーな出で立ちでやってきた。お土産に、 いつも鶴屋八幡の和菓子の詰め合わせを持ってきくれたのだった。日本的な色鮮やかなお菓子の詰め合わせ。 色の付いたお菓子に楊枝を入れるとその中から鮮やかな餡が出てくる。おいしさもさるものだが、お菓子としてのビジュアルも素敵だった。 O先生と話をする事と鶴屋八幡の和菓子は楽しみのひとつだった。ある時、御嶽山に一緒に登ろうと誘われ、登山した。そして、 新幹線の食堂車に連れて行かれて、ビーフシチューをご馳走になったのだ。帝王学や気学を教えるぞ!というその事は、 もう 亡くなってしまったので、叶わぬ夢になってしまったのだが、ダンディーにそして一生懸命「生きる」 というその姿が印象としてハートに深く刻まれた事は確かだ。
な~んだ。思わぬ旅になってしまった。外は猛烈な大雨が降る狐の嫁入りだった。
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