2006年03月26日

シーン

福留が目の覚めるような起死回生のホームランを打った韓国戦のその時、車を運転しながら、 カーナビから聞こえるテレビのアナウンサーの興奮した音声で、そのシーンを聴いていた。タイミングよく、現場の前に到着し、車を停め、 カーナビに映し出されるプレイバックによって、そのシーンを画面で見た。

キューバ戦で、WBCの優勝が決定したその瞬間の映像は、お客様の応接間で、リフォームの話をしながら、テレビ画面で見て、 優勝の喜びを分かち合った。キューバに6対5と追いつかれて、いやぁーなムードになった、その時、うちの奥方は家でテレビ見ていて、「あー、 またやぁー」とうねり声をあげながら、心配で、テレビを見てられなくなり、スイッチを消したらしい・・・・・。私は移動中の車の中で、 カーナビの音声を聞いて、ドキドキしていた。そして、9回表のイチローのヒットに、車の中で、ひとり、うなり声をあげて、興奮した。奥方は、 そのイチローのシーンは、テレビを消していて、見逃し、暫くしてからテレビをつけてみると、10点を取っていた事に安堵して、次男と一緒に、 優勝シーンを見て、喜びを分かち合ったらしい。

うちの長男は、優勝シーンを屋久島から鹿児島へ向かうフェリーの中で、見たらしい。6人の同級生で、ヒッチハイクをしながら、 屋久島をキャンプして過ごした、その帰りでの「遭遇」だったようだ。ちなみに、次男が産まれるまで(長男と次男は10歳離れている)の間、 夏期休暇とゴールデンウィークを利用して、キャンピングカーで、日本各地を旅した。家族3人の時もあれば、 私の友人や長男の友達がゲスト参加して、狭いキャンピングカーの中で、窮屈な思いをしながら、「旅」をしたのだった。そんな中で、 長男の一番良かった思い出の場所が、屋久島らしい。そんな11年前の記憶の場所を、髭も生やし、見上げて、 話かけなければならないようになってしまった19歳の若者が、友達を引き連れて、旅に出かけて行った。11年前の旅で、 縄文杉を見た帰りのトロッコ道をべそをかきながら歩いていた、長男のそのシーンが蘇った。

帰ってきてからの話によると、6人で縄文杉を見に行ったその日は、大雨だったらしい。食料調達を忘れ、食べ物を何も持たずに登り、 空腹と雨で、心身とも疲れ果て、ひとりはウイルソン株で断念した。縄文杉を見た帰りにウイルソン株まで戻ると、そのひとりは、登山をする 「おばちゃん」から弁当を丸ごともらい、にこやかな笑顔でウイルソン株に座っていた。道行く「おばちゃん」達が、6人皆に、 食べ物を分け与えてくれたとのこと・・・。そういえば、6人の出発を見送った奥方曰く、まるで、ミナミか堀江に遊びに行くような出で立ちで、 出かけていったでぇ・・・・と。太古から続く縄文の森に、都会の出で立ちで迷い込んだ「若者」達を「おばちゃん」 達は親切に暖かく接してくれたようだった。親の顔が見てみたいワ・・・・何て、言われなかったかなぁ・・・。親としてお礼申し上げます。

一昨日、家に帰ると、長男の友達3人とその家族3名が遊びに来ていた。そのなかの二人は高校1年生の夏休みに、 一緒に四万十川を旅したメンバーだった。四万十川の源流地点に足跡を残したあと、川で泳いだり、カヌーに乗ったりしながら、 ハイエースにぎゅうぎゅう詰めになって6人乗り込み、キャンプをして、川を下り、最後は四万十川が注ぎ込む土佐湾の太平洋で泳いだ。まぁ、 格好良く言えば、岩からしみだす一滴の滴が、せせらぎの水となり、渓流や支流として徐々に水量を増やし、それらが集まって、 豊かな水流と川幅に恵まれた清流となって流れ、やがて、ゆったりと海に注ぎ込む。そして、どんどんと広がり、世界の海へとつながる・・・・・ 。そんなふうに、その3人が育って欲しいなぁ・・・・・と。

その日は、それぞれが、現役や浪人などを経て、大学に合格した喜びをお互いに祝福し合う集まりだった。あそこで、食べた鰻、 おいしかったなぁ・・・。今度は、カヌーで上から下まで下りきろう・・・。帰りに高知の朝市に行ったなぁ・・・・。台風が接近する海で、 波に巻き込まれ、パンツが脱げて、パンツが海にさらわれ、素っ裸で波打ち際にしゃがみ込むそのシーンが笑えたなぁ・・・・。来年、また、 四万十川に集まろうかぁ・・・・。と、久しぶりに顔を合わす若者と、思い出話しに花を咲かせながら、子供から青年へと成長していく、 その姿が、嬉しかった。

若者のエネルギーを浴びて話に夢中になり、気がつくと居間の東向きのハイサイドの窓から、朝日が差し込んでいた。 話題のひとつに愛国心があった。それはWBCでのイチローの魅せる、格好良いシーンのおかげでもあった。それぞれが、 それぞれのシチュエーションで、決勝戦を見た。そして、その夜に繰り返し繰り返し放映されるニュースを見て、 様々な印象をそれぞれがそれぞれなりのスタンスで受け取っていたのだ。少なくとも、私が30年ほど前になる19歳の頃、 友達同士の会話に愛国心なる言葉が話題に出るなんて事は考えられなかった。その頃の私たちは、カリフォルニアがぁ・・・とか、 サーフィンがぁ・・・とか、シェラデザインのディパックがぁ・・とか、ナイキのスニーカーがぁ・・・とか、リーバイス501がぁ・・・とか、 テニスがぁ・・・とか、まぁ、そんな調子だった。

日本という国を大なり小なり、何らかの思いで、それぞれの若者が考えているようだった。ほんの数時間だけれど、 その若者のエネルギーによって、一緒に「日本」という国を考える時間を持てた。ありがとう・・・・。四万十川や屋久島のように豊かな「自然」 も残るこの国。その「風土」の上に生きていく私たち、「人」。人と人とが一緒に生活することにより、その人間関係によって生じる、 様々な出来事や理想。そして、それらを包み込む小さな器としての「家」。そしてそして、大きな器としての「国家」。「家」も「国家」も 「自然」と「人間」の事を忘れずに考えていきたいものだなぁ・・・・・・と。

そうそう、ちなみに、四万十川の旅で太平洋の海にパンツを失い失笑をかったのは私だった。あのパンツ、 アメリカまで流れ着いているのだろうかなぁ・・・・・。

 

投稿者 木村貴一 : 2006年03月26日 19:27 « ナチュラルミスティック | メイン | スイセン »


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