2014年09月28日
サンデーモーニングライドと「自転車」とNYの休日7
早朝、久しぶりに自転車に乗ってみる。午前6時前に目が覚めて、久宝寺緑地を抜け、八尾寺内町を抜け、小さな川沿いを走り、柏原の葡萄坂をはっはっいいながら登って、のどか村でジュース飲んで休憩する。猫ちゃんどうしてるかなと辺り見回したけど、まったく気配もなく、それにしても、あまりにも気持ちの良い天気なので、信貴山朝護孫子寺に向かって、自転車を押しながら階段を歩いて参拝した。舞台から眺める朝の太陽と秋晴れの青空と大和の山々の景色が、心を軽やかにさせてくれる・・・。
信貴山から柏原の青谷への下り坂は、ほんとに気持ち良くて、カーブの切れ目から垣間見る山々の景色、山に這いつくばるように建つ集落、葡萄畑の緑とビニールシートの織り成す光景、それらが下り坂の爽快さと共に目の前を映像のように順番に通り過ぎていく、そのシチュエーションがきっと好きなんだろうね。折角下ったのに、ちょっとした登りがまたあって、やぱりはっはっいって登るうちに、丘の上の葡萄販売所と眺望の良い場所に着く。その葡萄畑に下る階段に腰掛けて、霞立つ大和の山々を眺めながら水筒の水を飲んでると、まさしく秋晴れで、一句詠んでみたい爽快でセンチメンタルな気持ちになるのだけれど、ぜーんぜん俳句など湧いてきませんわ。
今日は少し時間があったので、三郷の方におりて行く。歳とってくると、別に大きな目的があるわけでもないのに、祈りたい気分の時があって、ゆるい上り坂を漕いで龍田大社に着き、二礼二拍手一礼の参拝をする。祈るコトバのない祈り。すぐちかくにあるカフェフェンチーナに寄ってひとりでモーニングを食べることにした。近所に住んでいたヨネクラくんとサンデーモーニングライドをしてた時は、ここで一時間ほど四方山話をしたのだけれど、彼は、そんな日々の中で、会社を辞めて独立する事を決断したらしく、奥さんの実家の熊野で、ライフスタイルショップ「compi」をオープンさせて、この9月21日がOpen!!だったらしい。送られてきたカードには「コンピレーションアルバムのような雑貨と洋服」と書かれていた・・・。
そういえば、「NYの休日」で、セントラルパークでレンタサイクルを借りて、セントラルパークの中を自転車で走り抜け、フランクロイドライトのグッケンハイム美術館に行った。サラッと見て移動するつもりだったのに、なんだかとっても居心地が良くて、螺旋の斜路をぐるぐる巡る心地よさと共に、世界からの多民族な人々と美術作品を一緒に共有する事の心地よさなのだろうとおもう。いままで味わったことないような感覚で、あっそういえば、どこか旅した時に、これと似通った場所があったのような気もしたけど、とにかく、MOMAやホイットニー美術館でも同じような雰囲気で、芸術好きでも美術館好きでも、まったくなかったのに、NYの美術館はおもいのほか居心地が良かった・・・。
そこからハドソン川のサイクリングロードをひたすら走ってWTCのグランドゼロを目指す。天気の良い自転車日和で、なかなか気持ちの良い自転車道だったので、途中にあった、「Frying Pan」で休憩がてら食事をとると、川風がとても心地よくて、時差ボケをフワーッと吹き飛ばしてくれたような気がした。パラパラと行き交うサイクリストとすれ違いながら、WTCに着くと、多くの人人人でいっぱいだったのには少々驚いた。槇文彦のWTCビルが長男との共通するお目当てのひとつで、世界からの観光客がその存在に気付かないほど、存在感が希薄で、長男の話によると、如何に存在感を消すかに建築的意識が注がれているらしく、廻りのビルを如何に写し込み、空を如何に写し込み、できるだけ自分の存在を消すか・・・。確かに、如何に存在感を示すかを設計し建てるのとは対局にあるわけで、NYのこの場所に建っている槇文彦設計のWTCを眺めていると、なんだかとっても日本的な美学を感じるのだった・・・。
グランドゼロでは日本的合掌をし、帰り道もハドソン川のサイクリングロードを走りながら、「ハイライン」に立ち寄って散歩した。「グリーン」の使い方がエエ感じなので、うちの庭にも取り入れたいなと想いながら、アイスクリームを食べたりしたのだけれど、考えてみれば、自転車的街歩きがNYで出来るとは思ってなくて、それは長男の「私好み」に対する心遣いとしてのコーディネートだったのだなぁ・・・と、今更ながらだけれど、たまには息子に感謝しておこうとおもう。あっ、これ、神社とお寺での祈りの効果かね・・・。
投稿者 木村貴一 : 2014年09月28日 23:59 « 「人生なんて偶然によって決まる」のかNYの休日8 | メイン | 堀山の家と「JAZZ」とNYの休日6 »