2011年11月27日

分岐点

地下鉄千日前線の小路駅は、大阪の下町のごく普通のおっちゃんおばちゃんが乗り降りする駅で、うちの会社と家がある駅。奥方と二人で、その小路駅から、難波に向かい、地下鉄御堂筋線に乗り換えて梅田で降りる。梅田から阪急神戸線で、夙川に向かう。出発待ちの電車の座席に座わっていると、地下鉄の乗客と比べて、何となく、雰囲気が上品。

阪急甲陽線に乗り換えるために、夙川駅で降りると、駅の中に、スーパーの成城石井が入っていて、それを見るなり、奥方が、うわー、駅ナカに、成城石井があるわ、凄いわ。流石、ちょっと違うわ。という。なんだか田舎もんのようだけど、めったに、二人で、電車に乗ることがない上に、奥方は、夙川駅で降りるのも、甲陽線に乗るのも初めて。

出発待ちの電車の座席に二人並んで座って、待っていると、乗客は、梅田より、もっともっと上品な感じがする。暫くして、電車が走り出して、その窓から流れていく光景が、夙川の並木と、閑静な住宅の景色で、それに、停車する駅で、乗り降りする乗客や駅のムードも。やぱり上品。

電車が動きだして、暫くすると、奥方が、どこで道間違ったのかなぁ・・・と呟く。え、それ、何のコト。と返すと、大学生の頃は、結婚したら、この阪急沿線で住む予定やったけれど、なんで、大阪の生野区の小路になってしまったのかなぁ・・・・。そうそう、今、ここで、人生を振り返って、ちゃんと、「検証」してみようよ!!と言う。もうお互いに、50歳を超えたのだ。

今や、すっかり、大阪のおばちゃんとなって、小路や布施や今里の下町周辺を自転車でブイブイと乗り回し、それも、それなりに、ご機嫌な様子で、ママチャリを乗っている姿を見ているのだけれど、たしかに、こんな日和りの良い日に、この電車の雰囲気ならば、本当は、この周辺の駅を乗り降りする私の姿があって、ママチャリを乗り回す今の私の姿と、目の前の乗客とを置き換えて眺めているのだろう・・・・。どこで、人生の間違いが起こったのかと、「私」に問う。もちろん笑顔ですけど、30年ほど前に戻って検証せよ。と笑顔で訴求するのだった。

確か、それは、大阪、ミナミの、アメリカ村と呼ばれるあたりでのコトで、今は、アップルのお店が建っている角のあたりから、北側の歩道を三角公園の方角に向けて歩いている、3、4人の女性のグループがいて、それは、当時二十前の女子グループ。

当時のアメリカ村には、ギャラップとか、マイウエイとか、ペパーミントとか、いう古着屋さんが数件と、エルパソとか、パームスという喫茶店とか、数件のディスコとか、とにかく数件のお店がパラパラとしかなく、ガランとした状態で、学校なども残っていて、でも、心斎橋筋の押し合いへし合いしながら歩く、賑やかなムードとは全く違う、独特の、のんびりとした、エエムードがあって、それを、当時の、若い世代が好んだのだとおもう。

密集して店舗が並ぶ心斎橋と違い、通りをかなり、歩いて、ポツンポツンと、店舗があるのを、のんびりと、たわいもない話をしながら、若い故に、ふざけたりもしながら、ぶらぶらと歩いて、店を回わって、服や靴を探し、喫茶店に入るのが、楽しかったのだと、今、振り返って、おもう。限りなく上向きに進み続けると思われた経済情勢と、世の中のアメリカ文化迎合的雰囲気が、学生をそんなムードにさせたのかもしれない・・・・。

確か、「私」は、そのアメリカ村の南側の通りを、三角公園の方角から、御堂筋と心斎橋を横切って、周防町筋にある、喫茶店に向かうために、歩いていたのだ。誰と待ち合わせしていたのかは、思い出せないが、少し、急ぎ気味に、歩いて、西から東に向かっていた。道路を挟んで、北側の歩道を東から西に、ぺちゃくちゃしゃべりながら歩く女性グループがあって、そこに目を向けると、その中に、大学で建築学科の同級生の友人の彼女がいて、お互いに目が合って、通りを挟んで、声を掛け合う。

それは、ほとんど、すれ違い状態で、「私」からすれば、一対多の状況だったので、その時、その当時の奥方の顔を見たのかどうか、それに、その姿の記憶もないが、そのグループの中にいたのだ。という存在の記憶と、その時の状況だけは、はっきりと、克明に記憶に残っていて、今でも、そのアメリカ村の通りを歩くと、時々、その記憶が蘇ってくる。奥方も、そうそうと頷く。

甲陽園駅に向かう、阪急電車の座席に二人並んで腰掛けて、走馬燈のように流れる上品なムードの車窓をながめながら、その記憶が蘇って、その話をすると、そうそう、それそれ、あの時、あの瞬間、あれ、あれ、、あれが、分岐点やったのね。この阪急甲陽線に乗るかもしれなかった私と、地下鉄千日前線に乗る私。成城石井で買い物をするかもしれなかった私と布施のスーパー万代で買い物をしている私。苦楽園や目神山の邸宅に住むかもしれなかった私と生野区小路の長屋をリフォームして住んでいる私。あの一瞬に「分岐点」があったのね・・・・・・と。

それは、先々週の日曜日に催された石井良平さんによる、「ヤネメシ」パーティへ向かう電車での出来事だった。この週の23日の祝日には、矢部達也さん設計で、弊社で施工した「コトバノイエ」で、「特別理由のないオープンコトバノイエ」という、かれこれ6年目を迎える家でのオープンハウスがあって、木村家本舗でお会いした多くの人を含む、50人近い人たちと、飲んだり食べたり話しをしたりと、楽しい時間を過ごした。

その帰り道の事。奥方と二人で、今回も、やっぱり、初めて乗る、能勢電鉄妙見線の、夜の、小雨まじりの、一の鳥居駅の、プラットホームで、二人並んで、座って、電車を待つ、その時に、向かいのプラットホームの、椅子を眺めていると、なぜか、あの「分岐点」が、蘇った。

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投稿者 木村貴一 : 2011年11月27日 23:50 « Making of 住宅風呂巡礼 | メイン | ヒューマンウエア »


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