2006年05月21日

五島列島の旅(その4)

港から出て行く漁船のエンジン音が、入り江に反響するその音で目が覚めた。うっすらと目を開けると、まだ、あたりは暗かった。 その音を聞きながら、寝ているのか起きているのかよく判らない状態がしばらく続いた。あたりが明るくなってきたのをなんとなく確認して、 起きることにした。時計を見るとまだ、5時前だった。いやぁ、それにしても早く寝付いたなぁと昨日のことを思い起こしながら、 あたりの景色を眺めた。漁船のエンジン音がおもいのほか大きく聞こえるのに興味を引かれて、海岸べりをぶらぶらと歩くことにした。 海岸と言ってもこのあたりは岩場だった。

すぐ近くに赤ダキ断崖とよばれる景勝地があって、船をつなぎ止めるコンクリートの丸い杭の上に腰掛けて、 しばらくその断層と漁船と空に飛び交う鷲と船着き場で準備作業をする漁夫を眺めて過ごした。 背後にはふる里創生事業で廃屋になっているコンクリートの建物があった。ふる里を創生するってぇ何? 公共事業ってぇ何? とそれとなく、 考えさせられた。入り江と漁港と集落と教会が織りなすこんな場所をなんと呼ぶのかなぁ。里山ではなく、「里海」とでも言うのだろうかなぁ、 そんな場所にあっては、実に、痛々しい建物だった。

コーヒーでも飲みたくなったので、キャンプ地に戻った。ガスバーナーに火を付けて、ドリップに落ちるコーヒーの滴を眺めながら、 昨日の教会の光を思いだし、漁船の音を聞いて、対岸の入り江の白い灯台を眺めていると、それが、キリストの像に思えてくるのだった。 そんな単純で気のせいな「私」をおかしく感じながら、コーヒーを飲んだ。

持ってきていた折りたたみ自転車が目の前にあったので、近くの集落までサイクリングしてみた。2、 3メートルの道幅のほどよい曲がり加減が続く道に、向き合うように家々が並んでいて、山の中腹まで続いていた。こじんまりした家々だった。 改装した家や新しい家はサイディング貼りになっているのを眺めていると、職業柄、考え込んでしまう。自分たちのふる里の町並みを造るのは、 どうあれば良いのだろうかなぁ・・・・・と。この上五島の家々を見ていると、自分たちの家より、まず、 教会を造るということにエネルギーと資金を使ったのだろうなぁと思えてしまうのだった。

適当なところまで行って、引き返す事にした。帰り道、村人のおじいちゃんとすれ違ったら、 シボレーの折りたたみ自転車に乗る見ず知らずのあやしい私に向かって、「おはようございます。」と笑顔で丁寧な挨拶をしてくれた。こちらも、 自転車に乗ってゆっくりと通り過ぎながら「おはようございます。」と丁寧に言った。そんな単純な事で、その朝の気分が実に爽快になった。

 

 

投稿者 木村貴一 : 2006年05月21日 10:21 « 五島列島の旅(その5) | メイン | 五島列島の旅(その3) »


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