2013年06月09日
3秒前に戻したい出来事。
月に1回、「住宅相談会」という、イベントを継続的に実施していて、基本的には3組限定で、約2時間ほどの打ち合わせをする。先月は5月12日で、それはとっても印象深い出来事が起こった日でもあった。
ここ数年、プライベートと仕事の境界が曖昧で、それは、プライベートと仕事がハッキリと分かれている状況を、川の流れの両岸に例えるとするのなら、右岸が仕事なら左岸がプライベートになるわけで、その間に、川の流れがあって、川の流れと対抗して、一生懸命渡りながら、仕事とプライベートの間を行き来していたような、そんな感覚なのかもしれない。それが、学校を卒業して、仕事を始めてからの感覚なのだろう。
ところが、数年前から、もちろん、それなりに意識的ではあるのだけれど、川から海に注いだような感覚があって、なんというのか、仕事とプライベートの境界線が曖昧になって、仕事とプライベートの両岸に分かれていた河口から、海に注ぐように、仕事岸とプライベート岸が渾然一体となりながら入り交じって、川から徐々に遠く離れて、仕事とプライベートが入り交じった船で、海を漂い出したような感じ・・・。
そんな訳で、住宅相談会は、それはそれなりのビジネスとしてやっているものの、住宅の相談にのる個人的「趣味」みたいな感覚も大いにあるわけで。とは言うものの、何かの「バランス」をとろうとするバランス感覚もそれなりに働いて、それは、どちらかと言えば、仕事側に傾いている、住宅相談会に対して、プライベート側に傾いているランニングとかロードバイクとかで、プライベートと仕事が渾然一体となった船のバランスをとろうとする意識が、住宅相談会の早朝には、突き上げてくるように、やって来て、それで、ほんの1時間だけでも、そんな身体を動かす事をして、仕事とプライベートが入り交じった船が転覆しないように、バランスをとろうとする、そんな意識なのかとおもう・・・。
その5月12日日曜日の早朝は突き上げてくる何かに従って、ロードバイクに乗ることにした。家から清見原神社に参拝し、コーリアタウンと鶴橋の商店街を抜けて、上町台地から、ミナミの周防町やアメリカ村を走り抜け、弁天町の商店街を通って、安治川の川底の地下道を渡っるためにエレベータに乗る。川底を自転車を押して渡って、地上に出てからは、川沿いを走りながら、北港のヨットハーバーで、休憩をする。それから、舞洲に橋を渡って、ぐるっと一周してから、またユニバーサルスタジオに橋を渡りなおして、今度は、天保山の舟渡に乗ろうとするところで道に迷った。倉庫街に迷い込んで、行き止まりになってしまった。
道幅は10メートル以上もあって、行き止まりなので、車は一台も来ない。それで、iphoneをポケットから取り出して、片手でゆっくりと運転しながら、地図を見ている時、それは、ほんとうに一瞬の出来事だった。自転車が、払われたように、ステンと横倒して転けた。アスファルトとアスファルトの継ぎ目の目地材のエアスタイトが一部だけ切れていたのだ。そこに、ロードバイクの細いタイヤがはまり込んで、まるで、柔道の出足払いのように、横払いに払われて、転んだのだ。片手にはipohone、足にはビンディングをはめているので、為すがままの見事な横転。
倒れて、ワンバウンドして、次の瞬間、カシャーンと音がして、ロードバイクのカーボンが割れた音だと思ったら、肩に鈍痛のような重みがドーンとのし掛かって、左肩を触ると、なんだか、骨が折れているよう感じで、あれは鎖骨が折れた音だったのだ・・・。普段、シャチョウとして、社員のTくんに、横柄な態度をしてたら、アカンでぇ・・・と言っていたのに、ちょっと横着をして、自転車を停めずに、iphoneを見たがための出来事。きっと、まるで落とし穴に、はまるべくしてはまった、内的な状況があったのだろう・・・。次の日の月曜日の朝、この顛末を社員に話すと、皆から失笑をかう始末で、なによりも、Tくんには、それなりに、クスクスと笑われるのだった・・・・。
あの瞬間。その日の相談会の事、その後の奥方と約束していた結婚記念日のコンサートの事、あれやこれやの仕事の事、次の日曜日のワークショップの事、その次の月曜日のセミナーの事、3週間後の会社の慰安旅行の事、ありとあらゆる事が走馬燈のようにぐるぐると回る。そして、何とか、あの瞬間の3秒前に戻す方法がないのかと、後悔と共に、その方法を模索する、不思議なマインド。自転車を片手で運転しながら、弁天町まで戻る間に、幾度も、あの3秒前に戻りたいと、マインドが呟いていたことか・・・。それにしても、確かに、今からおもうと、自転車に対して、ちょっと浮き足ぎみで、調子に乗っていたのだな。プライベートに傾きすぎて、船のバランスを失った、ほとんど転覆状態。
これが、骨折した鎖骨と手術後の金物補強の写真。まるで、家の構造補強のようだな。そういえば、日ごとに、左肩に血が通い出すような感覚があって、「内」から、徐々に、左肩を感じられるようになってきた。事故のその瞬間から手術前までの数日間、手術後からの日々、そこには、人間という、刻々と変化する、身体の不思議を、「内」から、肌身で感じとっている、特異な日々な訳で、もちろん現在進行中でもある・・・・。
振り返ってみれば、社員や、なによりも奥方に、多大な迷惑をかけながら、手術や、会社の行事を、どうにかこうにか、無事にこなし、なんとか「いま」を生きる日々。先週の日曜日は、社員と協力会社の旅行で、英虞湾二人乗りシーカヤックツアーを55人ほどで体験したのだけれど、「私」のパートナーには、運動神経抜群の手伝い職のドウニシさんが、快く引き受けてくれて、そのお陰もあって、シーカヤックが、左肩のリハビリにも役だってくれたようで、その後の病院検査では、それなりに順調な回復だという診断。
そんなこんなで、あの瞬間の3秒前に戻りたいと願った日曜日から、1ヶ月が経過した。本日の相談会がある日曜日は、ようやくロードバイクに乗れる回復状態にまでなってきて、15分ほどだけ慎重にロードバイクに乗って、左肩のリハビリをした。それは、お尻より、肩の筋肉で、タイヤから伝わる衝撃のほとんどを吸収しているのだ。という、左肩が驚いて、どぎまぎしている、妙に居心地の悪い感覚と共に、あのちょっとしたトラウマまでも蘇ってくるリハビリだった。
まぁ、それはそれとして、そんな個人的な出来事より、本日の住宅相談会に、わざわざ参加して頂いた、とっても個性的な3組の皆さん、ほんとうに、ありがとうございました。
投稿者 木村貴一 : 2013年06月09日 23:57 « ものづくりの記憶 | メイン | 「見立て」の旅 »