2016年04月17日

「まち」

早朝から、熊本の震災に思いを馳せるような、しとしととした雨が降っていて、流石に自転車に乗る天気でもなく、朝から夫婦でスーパー銭湯に出かけて、雨上がりのどんよりとした空の露天風呂に浸かり、電気風呂で体に電気を通して、サウナで汗流し、塩サウナで体を塩もみして、外に出ると、エエ天気になっていた。

20160417_023803744_iOSその足で母の入院する病院に行くと、窓の外には、春祭りの地車が、鐘と太鼓のリズムで、春の訪れを祝うかのように「まち」を練り歩いていて、「病院の窓の外には春祭り」などと、俳句など歌った事など一度もないのに、写真と一句を興じてみたい、ちょっとセンチメンタルな気分にさせる一瞬があった。

雨上がりの陽気に誘われて、「まちのえんがわ」には、自転車でフラリと夫婦でお越しになるお客さんがあって、スタッフのアオキさんが私に取り次いで、自宅から縁側に出向いてお話を聞くと、まだ、土地も中古住宅も、取得していないが、ガレージハウスをつくりたいという要望で、自動車を持たないと決断する若い方もいれば、車と共に過ごしたいという方もいて、そういう、それぞれのライフスタイルの違いを伺って、仲良く話すご夫妻に、建築的なアドバイスとともに、笑いも交えながらコミュニケーションができるのが楽しい時間だったが、そういうライフスタイルとか愛情とか笑いとかがある、なんでもない生活が、有り難い事なのだと、熊本の震災映像が繰り返される度に、そんなふうにおもえてくる日曜日でもあった。

夕方には、生野区の郷土史家のアジロさんが「まちのえんがわ」に自転車でお越しになって、小路や大瀬や片江や中川や猪飼野など旧来の地名と「まち」の成り立ちの説明をしてくださり、清見原神社の合祀の資料なども持参されて、そんな話がどんどん展開し、物部氏と磐船と交野のものづくりの話。神武東征や大和や出雲や吉備の話。アマテラスやスサノオやオオクニヌシやイザナミ、イザナギなどなど、神話級の多彩な人物が登場したオモロイ話は尽きず、「まちのえんがわ」の閉店と共に話を中断して、「続く」をもって、お別れしたが、多くの外国人がやってくる昨今、日本の事を知らない日本人のままもアカン事態なのだろう....。

13日の水曜日に、吉野檜の坂本林業さんに、ヒノキ材の見学に、ササオさんとタカノリとで行く所用があって、ついでに、終わりかけだが、吉野の桜の花見に誘って頂いた。地元のひとはタクシーを予約して、上千本まで行くらしく、終点の金峯神社まで、タクシーで行き、高城展望台からは歩いて水分神社(みくまり神社と読むらしい)、花矢倉展望台から竹林院、吉水神社、金峯山寺まで、たっぷり歩きながら、製材所と吉野が初めての若い二人に、サクラと共に、ヒノキとスギとコウヤマキの違いの講義をサカモトさんがしてくれた。そんなこんなで、神社建築や庭や山岳集落という「まち」を見ながらの建築花見となって、帰りには、丸岡製材さんの吉野杉の床材や坂口製材さんの杉の構造材とショールームを見学し、最後には、横内さん設計によるサカモトさんの自邸で、ヒノキの家を見学するという桜三昧建築三昧の一日となった。

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吉野花矢倉展望台から眺めると、桜の美しさだけでなく、吉野は、古来からの山岳都市で、それは、イタリアの山岳都市巡りの旅をした時の、カルカータやサンチミジアーノやアッシジなどと同じタイプの「まち」で、吉野山の桜の魅力は、山と桜の関係性の美しさだけでなく、その根底には山と集落と人との関係性の良さがあるのだと思えて、ただ、日本では、街並みを考慮して建築をするという意識に乏しく、ヨーロッパのような美しい山岳都市ではないのが残念で、いや、それは、実際の家をつくる工務店のかかえる問題点でもあって、それなりに反省しながら眺めたりした。

震災に強い「まち」とか、美しい「まち」並とか、「まち」と「空き家」とか、「まち」と「ひと」との関わり方とか、そんなのを考えさせられたweekだった。

投稿者 木村貴一 : 2016年04月17日 23:59 « カメラオブスキュラという「まち遊び」 | メイン | だるまさん »


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