2006年05月07日
五島列島の旅(その1)
五島列島に上五島と呼ばれる島々の集まった地区があり、 そんな小さな島に29もの教会があると知ったのは、 インターネットのおかげだった。なんで、 五島列島に教会を見に行くことになったのかと言えば、それは、 前にもブログに書いたのだけれど、ひょんな事から、クリスマスを教会で過ごし、 それが、それなりに良かったことと、その教会がヴォーリスが造った木造の小さくてかわいらしい教会だったことがきっかけだった。 それで、モダンな教会ではない、そして古い、しかも日本的な教会を見てみたかった。
3・4・5の三日間でどうやって、大阪から五島列島まで行って戻ってこれるのか、 調べてみた。あいにく、6日には同窓会があって、どうしても、大阪に戻る必要があった。1週間ほど前にフェリーの予約を調べてみると、 長崎から五島市がある福江島と呼ばれるメインの島に行くめぼしい便は、 どれも満席だった。それで、仕方なく、福江島を諦めて、佐世保から上五島を往復するフェリーに決めた。
3日の朝8時の便に乗るため、2日の夕方、大阪を出て、佐世保まで、730キロほど、走った。 佐世保港から 五島列島の有川港までフェリーで2時間30分ほどかかる。出航してまもなく、海がしけていて、かなり揺れた。 到着も10分ほど遅れた。息子は、酔って、吐いたらしい。私はそんなことも知らず、運転の疲れもあってか、まるで、 揺りかごにゆられているような気分になって、ぐっすりと眠りこんでしまった。
そうそう、どの教会を回るかが、なかなか問題だった。事前にインターネットから調べてみると、小さな島だけれど、 三日間で29もの教会をまわるのは、どうも無理そうだった。それで、どの教会を回ろうかとチェックしていくうちに、今、 文化遺産として登録しようとする動きがあり、その主だった教会を造っているのが鉄川与助という人物であるということを初めて知った。 その孫さんが制作しているホームページがあり、 設計施工という立場で教会を造っているのだと知ると、なんだか、私たち工務店と同じ立場の大先輩だと判ってきて、いっそう、 親近感がわいてきた。まぁ、そんなわけで、とりあえず、上五島にある鉄川与助が造った教会を全て見て回ることで、 今回の旅は良しとしようかなぁ・・・ということになった。
まず、頭ヶ島教会を目指した。石造りの教会らしい。途中にあった黒崎峠という所で休憩をして、島を眺めることにした。
展望台で広場を見つけた息子は、いきなり階段を引き返して、サッカーボールを取りに車に戻った。そして、
広場でサッカーのパスをさせられたのだぁ・・・。到着して、まだ、船に乗っているような気分がつづく中、
父親家業というのもなかなか辛いものがあるなぁ・・・とぶつくさおもいながらボールを蹴っているうちに、船酔い気分もとれて、それはそれで、
スカッとしてきたのだ。以降、「教会を見るのは遊びじゃぁないでぇ」と、まぁ、子供にとっては、しごく、
当たり前の正論をまっ正面からぶつけられ、各地で広場を見つけるたびに、
サッカーかキャッチボールかフリスビーのいずれかをすることとなった。
頭ヶ島教会は海岸のすぐ近くの山あいにある石造りの教会だった。あいにく、 工事中で足場におおわれていた。「ついてないなー」
なんて思いながら近づくと、石造りといいながらも、実に、 かわいらしい、 大きさと形の教会だった。いわゆる、
アカデミックな建築とは言えないのだろうが、写真で見る以上に、 かわいらしいスケールなのだ。 1919年(大正8年)
に落成とある。それにしても、こんなへんぴな場所に、よくもまぁ、 これだけのものを造ったなぁ・・・ と感心する。
確かに神社もお寺もへんぴな所にあるよなぁ。工務店という立場で考えてみると、
神社仏閣のように伝統的な手法とその職人技だけに頼る事が出来ず、
全く新しい教会建築をこんな場所でチャレンジしていくということを考えてみると、職人さんも大変やったろうなぁ・・・
現場監督も苦労したやろうなぁ・・・お金の工面も大変やろうなぁ・・・と、以後、鉄川与助の造った全ての建物と立地条件を見て、
そう思うこととなる。
中に入るとミサをやっていた。前に立っている牧師さんはどこかで見たことのあるような・・・、
と思っていると、奥方が、「フェリーに乗ってた人」そうそういえば、前に座っていたなぁ・・・。
マイクロバスで数十人と巡礼をしているらしい。以降、何カ所かですれ違うことになる。
内部は石組みの上にハンマービーム架構と呼ばれる木組みが表されており屋根を支えているらしい。それにしても、
なぜ祭壇の正面に窓がないのだろうか・・・・とちょっと違和感を憶えた。外に出て、ぐるっと回ってみると、窓を埋めた後が・・・。
建築中にな~んか、あったんやろうなぁ・・・と想像を巡らしてみた。
頭ヶ島教会の目の前は海だった。ちょっと散歩してみると、白浜遺跡と書いてある石碑があった。何でも、
縄文時代の遺骨と土器が発見されたらしい。こんな所にも縄文人が住んでいたのか・・・とおもった。まぁ、いつも思うのだが、
縄文の遺構のある所は、のどかで、平和な感じの場所が多いなぁ・・・と。近くに、小さな公園もあった。そんなわけで、息子から今度は、
グローブとボールを手渡された。まぁ、「イエス」というしかなかった。素直な「私」は教会でお祈りした効果かもしれない・・・・。
そんなわけで、奮発して、海岸べりで、サッカーもし、フリスビーもしたのだった。
お腹が空いてきた。五島うどんでも食べに行こうということになった。五島うどんは日本の三大うどんのひとつらしい。 五島列島を知るまで、そんな事は、全く知らなかった。フェリー乗り場まで戻れば、大きなうどん屋さんがあるという。 今きた道を戻ることにした。帰り道の坂から再び頭ヶ島教会を眺めた。
(つづく)
投稿者 木村貴一 : 21:10
2006年05月08日
五島列島の旅(その2)
五島うどんを食べた後、大曾教会を目指した。もうすでに2時をまわっていたのに、 1件しか教会をまわれていなかった。そもそも、五島うどんの里がいっぱいで、 なかなか順番が回ってこなかったのだ。 振り返ってみれば、今回の旅では、そもそも、カフェなんてものがなかったし、 コヒーが飲めそうな感じの良さそうな喫茶店すら見つけられなかった。 コンビニも2件ほど、見かけただけだ。 食事が出来そうなところも、あまり見つけられなかった。洒落た旅館もなさそうだったなぁ。
先ほど、頭ヶ島教会で会ったマイクロバスで巡礼している人たちが、先に食事をしていた。他にも客がいて満席だった。 とりあえず、土産物屋さんに立ち寄った。鯨を売っていた。 フェリー乗り場には鯨ミュージアムとやらもあり、鯨漁が盛んだったらしい。話しかけてみると、鯨の刺身が人気らしい、 パックになっていて、 ひとパック900円ほどだった。今夜のキャンプの食料に買った。ついでに、 他に食べるところがあるかと店の人に聞くと、 近くの商店街においしい店があるという。散歩がてら歩いて行くことにした。 なんとなく、奇妙な商店街だった。 アーケードがないからかなぁ、閑散としていた。まぁ、でも、そんな地元的な場所に、 よそものとして、突然、迷い込むそういう感覚が大好きだ。
囲碁屋さんの親父が店の前に出て、あんたがた、だれ? なんて表情で私たちの動きを見ていた。その近くに何となく、 おいしそうな店構えの料理屋があった。教えてもらった店だった。入ろうとしたら、本日は予約客でいっぱいです。と断られてしまった。えー、 折角、お腹空かして、歩いて来たのに・・・・。 大阪からわざわざ来てぇ・・・。なんて言う泣き脅しが通じそうにもなかったので、 そそくさと引き上げた。 やっぱり五島うどんの里に戻ることになってしまった。そんなわけで、かれこれ40分ほど待って、ようやく、 五島うどんにありつけたのだった。
意外に五島うどんは旨かった。 あまり期待していなかったのだが、讃岐うどんのような、 こしがしっかりしたうどんとは、全く違って、細麺で、しっとりとした、さわやかな食感だった。アゴだしというトビウオでとったダシを使い、 小麦粉のかわりに椿油を使って麺をのばしていくらしい。塩は五島の海岸で造られる天然塩を使う。土産物として売られている塩をなめてみると、 何ともおかしな表現だが、塩に甘みを感じるのだ。しょっぱいけれど、甘い、これを旨味と表現するのかなぁ・・・そんなわけで、五島うどんは、 おもいのほか、上品な味だった。
そういやぁ、時間がおしたもうひとつは、頭ヶ島教会からの帰り道に坂本龍馬ゆかりの広場というのがあり、 そこに立ち寄ったのだ。しかし、龍馬さんもどこにでも出没する人だなぁ・・・。その昔は、遣唐使として、空海もこの島に立ち寄ったらしい・・ ・。今回の旅ではそこまでは、追っかけられなかった。そんなわけで、時間を気にしながらも、スーパーに寄って、 今夜のキャンプの食材を買うことにした。ゆっくりとキャンプする時間もなさそうなので、今夜のメニューは白いご飯にお造りということで、 新鮮な地元のお造りを買い求めた。
何度か道に迷いながら、漁港が連なる海岸線を走ていると、
漁船越しにそれらしき建物が見えてきた。そうそう、この旅には、いつも教会を発見する喜びがあった。「あっ、見つけたぁ!」
と家族の誰かが叫ぶのだった。
大曾教会に着いたのは3時を回っていた。教会の扉を開けたその瞬間、感動がはした。 祭壇の上部にあるステンドガラスに夕日が差し込み、
神秘的な光が祭壇にそそいでいたのだ。時間帯も良かったのかもしれない、空間的な感動がそこにあった。そして、
ステンドグラス越しに見える海がまた、何とも言えない雰囲気を出していたのだ。
次の教会を見に行くことなど、
すっかり、忘れてしまって、椅子に座った。
しばらくの間、時間が止まってしまったのだ。
このままここに留まりたいという
誘惑を振りほどいて、
次の教会を目指すことにした。
そして、何よりも、そろそろ、
今日のキャンプをする場所を
探さなければならなかった。
投稿者 木村貴一 : 21:10
2006年05月14日
五島列島の旅(その3)
海岸べりを車で走っていると、奥方が「あっ、みつけた」と叫んだ。 入り江越しに青砂ヶ浦教会が見えた。レンガ造りの美しい教会だった。国の重要文化財指定とある。大曾教会を見た直後であったので、 内部のリブ・ヴォールト天井とよばれる天井の形状と高さに、似通ってはいるものの、かなりの違いがあることを初めて知った。 今回の旅では、鉄川与助の造った教会を数えてみれば、10件も見たのだが、同じ天井のものはひとつとしてなく、 それぞれがそれなりにバリエーションが違っていた。
もうすでに、夕方の4時半を回っていた。見学をしていると、信者の方々が集まりだした。なにやら、毎日、夕方からミサがあるらしい。 村全体が、教会を中心とした、生活のリズムが出来上がっているようだった。奥方がなにげなく言った。「ここには、 不良とよばれるような子供はいてへんのかなぁ・・・」「うちの子に足らんのはお祈りなんかなぁ」なんて言うつぶやきを聞いたのだろうか、 息子が姿をくらました・・・・・。
背後から、息子がカメラをかして、と声をかけてきた。 そして私を撮った写真がこれだ。 大曾教会では正面から夕方の光が差し込んでいたのに対して、青砂ヶ浦教会では背後からステンドガラス越しに、神秘的な光 が差し込んでいたのだ。
外に出てみると、ぞろぞろと、村の人々が教会の坂を
立ち話をしながらゆくりと登ってきていた。
一緒にミサでも受けたいという気持ちもあったのだが、
息子はもう、教会巡りは限界のようだった。
それで、キャンプ地を目指すことにした。
新魚目のふれ合いランドとい所に着いた。近くに温泉もあるらしい。きれいな公園だった。 息子は爆発したかのように公園を駆けめぐり出した。その間、管理室を探して、オートキャンプが出来るかどうか聞いてみた。どうも、 テント泊かロッジだけらしい。あいにく、今回はテントを持ってこなかった。もう一度掛け合ってみると、「駐車場ならOK。 洗い場を使わないのならタダでいいよ。使うなら500円」と素朴でやさしそうな管理人が言った。
もう5時半になっていたので、駐車場で、十分だった。それに、けっこう、 それなりに素敵な場所だった。キャンプをする人からは邪道だと罵られせそうだが、時間をかけたくない時は、炊飯器を使う。 15年ほど前に、仕事の出入り業者のガス屋さんにプロパンガス用の3合焚きの炊飯器を探して貰った。それに、 キャンピングガスのボンベをつないで、炊く。まぁ、15分ほどで、できあがるのだ。そりゃぁ、飯ごう炊さんの旨さにはかなわないけれどね。
お刺身にご飯という簡素な食事だけれど、自然の中で食べていると、旨いなぁと言いながら、 皆が食べてくれるのが、 それなりに嬉かったりするのだ。まぁ、それが、やっぱり、しんどいめをしても、 キャンプに来て良かったなぁと思える瞬間かな・・・・・。
夕焼けが始まった。そんなショーがはじまるような感覚だった。海岸まで散歩して、眺めた。「月と夕焼けやなぁ」と息子がつぶやいた。 ほんとうは、どこにでも、ある光景なのだろうが、都会に住んでいると、夕焼けの存在すら忘れてしまうのだなぁ・・・・。
車に戻ると夕闇の中で、いきなり、足下にサッカーボールのパスがきた。 ええっと思いながらも、思い切り蹴り返した。数十分後、本日最後の「お勤め」を無事終えて、空を見上げると、星空だった。しかし、 今日の一日は様々な「光」を見たなぁ・・・・・
とおもいながら、8時すぎにはぐっすりと眠っていた。
(つづく)
投稿者 木村貴一 : 21:10
2006年05月21日
五島列島の旅(その4)
港から出て行く漁船のエンジン音が、入り江に反響するその音で目が覚めた。うっすらと目を開けると、まだ、あたりは暗かった。 その音を聞きながら、寝ているのか起きているのかよく判らない状態がしばらく続いた。あたりが明るくなってきたのをなんとなく確認して、 起きることにした。時計を見るとまだ、5時前だった。いやぁ、それにしても早く寝付いたなぁと昨日のことを思い起こしながら、 あたりの景色を眺めた。漁船のエンジン音がおもいのほか大きく聞こえるのに興味を引かれて、海岸べりをぶらぶらと歩くことにした。 海岸と言ってもこのあたりは岩場だった。
すぐ近くに赤ダキ断崖とよばれる景勝地があって、船をつなぎ止めるコンクリートの丸い杭の上に腰掛けて、 しばらくその断層と漁船と空に飛び交う鷲と船着き場で準備作業をする漁夫を眺めて過ごした。 背後にはふる里創生事業で廃屋になっているコンクリートの建物があった。ふる里を創生するってぇ何? 公共事業ってぇ何? とそれとなく、 考えさせられた。入り江と漁港と集落と教会が織りなすこんな場所をなんと呼ぶのかなぁ。里山ではなく、「里海」とでも言うのだろうかなぁ、 そんな場所にあっては、実に、痛々しい建物だった。
コーヒーでも飲みたくなったので、キャンプ地に戻った。ガスバーナーに火を付けて、ドリップに落ちるコーヒーの滴を眺めながら、 昨日の教会の光を思いだし、漁船の音を聞いて、対岸の入り江の白い灯台を眺めていると、それが、キリストの像に思えてくるのだった。 そんな単純で気のせいな「私」をおかしく感じながら、コーヒーを飲んだ。
持ってきていた折りたたみ自転車が目の前にあったので、近くの集落までサイクリングしてみた。2、 3メートルの道幅のほどよい曲がり加減が続く道に、向き合うように家々が並んでいて、山の中腹まで続いていた。こじんまりした家々だった。 改装した家や新しい家はサイディング貼りになっているのを眺めていると、職業柄、考え込んでしまう。自分たちのふる里の町並みを造るのは、 どうあれば良いのだろうかなぁ・・・・・と。この上五島の家々を見ていると、自分たちの家より、まず、 教会を造るということにエネルギーと資金を使ったのだろうなぁと思えてしまうのだった。
適当なところまで行って、引き返す事にした。帰り道、村人のおじいちゃんとすれ違ったら、 シボレーの折りたたみ自転車に乗る見ず知らずのあやしい私に向かって、「おはようございます。」と笑顔で丁寧な挨拶をしてくれた。こちらも、 自転車に乗ってゆっくりと通り過ぎながら「おはようございます。」と丁寧に言った。そんな単純な事で、その朝の気分が実に爽快になった。
投稿者 木村貴一 : 10:21
2006年05月28日
五島列島の旅(その5)
朝食を食べた後、このキャンプ場で、一日中、テニスとローラースケートをするのだぁ。 と言い張っている息子を 強 引に車に押し込んで、 出発することにした。結果として、 それが子供にとって良かったのかどうか、未だに、葛藤もあるのだが、まぁ、とにかく親の身勝手で、そうすることに決めた。 最初に訪れた頭が島教会で29の教会を巡るスタンプ帳を手に入れた息子は、それを押すのがひとつの楽しみでもあった。 そんな事も少しは手助けとなって、しぶしぶ車に乗り込んだ。
出発してほどなく、昨日の巡礼者達のマイクロバスとすれ違った。ということは、私たちも巡礼者かな、なんてうっすらと考えながら、 車を運転した。この島に着く前に想像していた道路より、アップダウンと曲がりくねりがきつく続く山道を、現存する木造教会の中では、 県内でも最も古いといわれているらしい、江袋教会を目指した。
道中でコンクリートの教会を三つほど見た。意外なところに建っていたりするので、 探し当てる喜びはそれなりにあって、楽しかったのだが、 ひとつ間違えるとレゲエバーとか体育館とか結婚式場にもなりかねない危うさと、ちょっとした喪失感も感じてしまうのは、 鉄川与助の教会が、表面に見える空間以上に、その背後に潜む、職人の手仕事による努力と、 そのものづくりの苦労の過程を想像してしまうからなのかなぁ・・・・・。
朝の江袋教会には静謐なムードがあった。里山というか里海というか、 そういうシチュエーションの中にそれほど教会らしくない外観が、 謙虚に建っていた。花と山と海に囲まれた周辺の雰囲気も、 すごく、良かった。
家族で椅子に座って、少しの時間だが静かに過ごした。その中に置いてある絵本を奥方が手にとって、子供に読んで聞かせた。 がさつなうちの子供も静かに聞こうとするムードがその教会にはあった。
和室の長押の上にボールト天井が乗っかっている。そんなイメージだった。 色ガラスの上に欄間を作る要領で模様がデザインされいるそんな感じだった。大工と一緒に相談して作ったのかどうか定かではないが、西洋風の、 そして教会風の天井を作るのに、「座敷の竿縁天井の竿をボールト状に曲げて、天井板を貼ったら上手いこといくのとちゃうかぁー。 そんなことぐらい、ワシらの腕やったら、へのカッパやでぇー。」なんて、大阪弁での大工との会話があろうはずはないが、きっと、そんな感じで、 工夫と苦労を重ねて、作ったのではないのかなぁ・・・・・・。完成したときの「職人さんの笑み」が見えてきそうだった。
背面の出入り口の両脇に「ほほえみ」と書かれた額が飾ってあった。薄暗い教会から外に出ると、雲ひとつない青空。
山間から見える真っ青な海。集落。花。と、ほんとうに、微笑むような雰囲気だった。思わず、今日の天気に感謝した。
教会の坂道の脇の家の破風に黄色や緑の色が塗られていた。それが、妙に、印象に残ってしまった。そういえば、
頭が島教会の脇にある家も石造りで興味深かったなぁ・・・・。頭ヶ島も江袋も石垣の雰囲気が素朴で良いなぁ・・・などと思い起こしながら、
この島の最北端にある津和崎を目指すことにした。
(つづく)
投稿者 木村貴一 : 11:19
2006年06月04日
五島列島の旅(その6-4)
(その6をアップしようとしたら、なぜか、うまくアップ出来なかった。そんなわけで、四つに分割することにした。 順序がいれかわるのが、すごく残念だけれど、とりあえずということで・・・・、6-1から読んでよね。)
お昼を過ぎていた。お腹が空いてきたので、鞄にしのばせた、食パンを食べることにした。 教会の鐘の基礎に座って、丘の上から、海を眺めながら、家族で食パンを食べた。聖書の一場面にこんなシーンがあったかなぁ・・・、 そんなの、あるはずはないが、教会と偶然の食パンが聖書を思い起こさせたのだ。
下に見える学校のようなところに行ってみることにした。廃校となった小学校が自然学習塾として使われているらしい。ここでも、 ネットフェンスをくぐって、敷地の中に入る。そのことが、何とも不思議な印象を残した。校庭から丘の上を眺める。古い木造の校舎と木造の炊事場と、 まだ新しそうなコンクリート造の便所が建ち並ぶ運動場の丘の上に、明治時代のレンガ造りの教会が建っていた。 その横にはダム建設によって山を切り崩したのか、それとも盛り土されたのか、 緑のネットで覆わ れた丘があった。「環境と建築」 の関係性はどのようにあれば良いのだろうかなぁ・・・・。と、 家族とデッキに寝転がりながら、ボーッと眺めた。
それにしても、雑多なことなど、どーでも良いな、と思わせるぐらい、素敵な場所だった。
それは、 この島に来る前後の船での息子のビフォーアフターを見てほしい。 島に行く時は船の中で、
ふてくされた表情をしていたのだが、 島を離れる時には、船のデッキに出て、
船が引き裂く風と戯れて遊んでいるという変わりようだった。その姿は、まるで、
カモメのジョナサンが風と戯れるような光景を連想させた。 そんなふうに人を変える力がその島にはあったのだとおもう・・・・・。
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(つづく)
投稿者 木村貴一 : 08:00
五島列島の旅(その6-3)
教会の正面に回った。赤い屋根の学校のような建物とグランド。そして小高い山の間から見える海。段々畑と教会と石垣と青い空。
やっぱり、何とも言えない、光景だった。教会の中に入った。今まで見た教会の天井と比べてみると、洗練されていないリブボールト天井だった。
これまで見た天井と比べると素朴な味わいとも言えた。別名コウモリ天井と呼ばれているらしい。まさしく、そんな雰囲気だった。
明治時代に建てられたとのこと。おなじようなことをおなじように何度もおもったのだが、明治時代に、こんな場所で、よく、
これだけの建築が出来たなぁ・・・。工務店の立場として、そのエネルギーに感心するなぁ・・・・・。
二人連れの60才はすぎていると思われる、ふつうの田舎のおじさんが教会の中に入ってきた。そして、 教会のおんぼろピアノの前に座って、いきなり、ピアノを弾き始めたのだった。 そのおじさんの容姿と流れるシンプルな音楽とこの教会の雰囲気がなんともおかしなマッチングをしていた。 (画像をクリックするとちょっとした映像が流れる・・・・・)
投稿者 木村貴一 : 08:03
五島列島の旅(その6ー2)
朝食の食パンがちょうど3切れ残っていた。パンと水筒だけを鞄に押し込んで、車を船着き場に止め、船に飛び乗った。
船は勢いよく水しぶきをあげて、対岸の野崎島の野首港に向かった。無人島に探検に行 くようで、けっこう、ワクワクした。
人は居ないのかなと思っていたら、島の船着き場には家族連れの釣り客が居た。
船着き場から島に上陸して、舗装された道を歩き出すと、目の前にダムの土手が見えた。川もないような島で、なんで、ダムなんだ。
と疑問に思っていたら、帰りの船で、船長が教えてくれた。対岸の島に水を供給するために水を貯めているらしい。対岸の島まで、
海底の中にパイプも通っているとのこと。「開発」という名の良くないイメージがよぎった。ちょっと、イヤな予感・・・・。
いきなり、ネットフェンスに囲まれた扉があった。なんでも、鹿から守るフェンスらしい。どちらかと言えば、
私たちが檻の中に閉じこめられていくようなイメージだった。ダムの坂道から十数人の家族連れが歩いて降りてきた。
皆が私たちに挨拶してくれる。どうも、キャンプか何かをしていたようだった。な~んだ、人がいるのだ。ちょっと、がっかりし、
そして、安心した。
ダムの横の公園を通過すると、また、ネットフェンスの扉が現れた。まるで、サファリパークに入るようだった。
フェンスの扉を通過して坂道を下る・・・・。 いやぁ、なんとも、かわいらしい教会の後ろ姿が・・・・・・。
この野首天主堂に至る、「道」としてのシチュエーションがあまり良くなかった。そのことが、感動を半減させたのかもしれないが、それでも、
何とも言えない、その独特の周辺環境と教会のかわいらしさが、じわじわと伝わってきた。みたこともないような光景であるのに、なんだか、
懐かしさを感じるのだった。
投稿者 木村貴一 : 08:04
五島列島の旅(その6-1)
海岸べりというよりは、曲がりくねった山あいの道をとろとろと走って、ようやくたどり着いた上五島最北端に位置する津和崎灯台は、 あたり一面を椿で囲まれた、眺めの良い岬だった。 なぜが、不思議と一輪だけ、ポツンと取り残されたように椿の花が咲いていた。きっと、 椿が咲き乱れる季節は美しいのだろうなぁ・・・・と想像していると、突然、黒澤明の映画、椿三十郎のクライマックスの場面で、 切り落とされた椿が水路からいっぱいに流れてくるシーンを思い出した。そんな、とりとめのない脳味噌を眺めながら、 すぐ対岸に見える野崎島をなにげなく、眺めた。真っ青な海と空の間に細長い姿で緑に包まれた島が浮いていた。 野首天主堂という教会があるらしい。 そうだなぁ、きっと、野首という、なんともおどおどしい名前が椿と結びついて、 侍の映画のワンシーンの記憶を呼び覚ましたのかなぁ・・・
そういえば、あの島の段々畑の中にポツンと教会が建っている印象的な写真があったなぁ・・・ 。意外とすぐ近くだなぁ・・・。行きたいなぁ・・・。と、まったく、脳天気な状態だった。
展望台から駐車場に下りる階段の景色が心地良かったので、階段を降りるという、その動作が楽しくおもえた。駐車場に着くと、 設置されてあった水飲みで、水を飲んで喉を潤した。突然、奥方が今朝、歯磨きをするのを忘れたんとちゃう・・・、なんて、 突拍子もなく言い出した。それで、家族3人で、海に向かって歯磨きをしたのだ。確かに、おかしな家族の光景だったと思う。 その写真を掲載しようかなぁとも考えたが、そんな、格好悪い写真、絶対、載せんといてぇーと、大阪弁で猛反対にあったので、 写真は止めとくことにしよう。
きっと、この陽気のせいだったと思う。津和崎港にある釣り船屋さんの前に車を止めて聞いてみることにした。 「対岸の野﨑島に行けますか」「10分ほどで行けるよ」「いくら掛かりますか」「片道1万円」「えー、高いね」「ガソリン代もかかるし」 「それだけの値打ちのあるところ?」と尋ねた。「まぁ、行ってみる価値は十分あるとおもうよ」と船屋の感じの良い兄ちゃんが答えた。片道、 といっても、あそこに置いてきぼりじゃぁ困るよな。往復で、2万円とハッキリ言てよね。なんておもいながら、車に戻って、 家族と相談することにした。息子は猛反対した。「そんなとこ、行かへんでぇー」と、朝の公園の一件が尾を引いているようだった。「そのお金、 自分で出すんやったら、行ってもええよ。」と現実的な奥方。
片道10分1万円、大阪から東京まで行ける値段だ。そんなに値打ちがあったのかどうか、 そのコストパフォーマンスは未だに疑問も残るのだが、それにしても、今回の旅行で、最も印象的な2時間の小旅行であった。
投稿者 木村貴一 : 08:05
2006年06月11日
五島列島の旅(その7)完
野崎島にいる時から写真を撮ることに嫌気がさしてきた。写真を撮っている間に 何か大切なものを逃しているような気がしてきたのだ。いまここの何かを逃しているのではないのかと思えてきた。そんなわけで、 なんだか、 写真を撮るのがめんどくさくなってきたのだ。きっと、このブログに旅の記録を載せようとする気持ちが、何とか、 写真を撮らせていたのだと思う。
旅はまだ続くのだが、教会を見て、買い物をして、温泉に入って、キャンプして、次の日また、教会を見て・・・と、写真も相変わらず、 ステンドグラスとリブボールト天井とレンガと光だ。読んでくれている人もそろそろ、飽きてきたことだと思うので、 この旅のブログもこの辺りで終えようと思う。
野崎島から冷水教会に向かった。 教会のまわりの植栽の手入れしていた信者の方が話しかけてきた。その話が興味深かった。冷水教会は木造の古い教会だった。 20年ほど前にコンクリートで教会を建て替えることがひとつのブームだったらしい。 この教会もコンクリートに建て替えようかということになったが、周囲の反対を押し切って、 この木造の教会に手を入れて修復して使うことにした。それが、今、この時期になって、修復したことを信者の方々が大変感謝し、 誇りに思っているという話だ。
別にコンクリートの教会が悪いわけではないと思うし、素敵なコンクリートの教会もいっぱいあって、憧れたりもするのだ。ただ、 こうやって何件かの古い教会を見て回ると、古いものに手を入れて修復して使い続けるという、その行為自体に潜むエネルギーによって、 教会の中に不思議な雰囲気が醸し出されるのを感じたりすると、その目に見えない力って、それはいったい何なのだろうかなぁ・・・ と思えてくる。
温泉に入って、キャンプしてという話はもうやめておくことにする。 キャンプをした海岸に十字架が立っていた。関西の海岸にこんなのがあると、少し異様な雰囲気に感じると思うのだが、 ここでは何の違和感も感じられないあたりが、五島列島の空気だなぁ・・・と海岸縁に座って眺めた。
翌日の早朝から福見教会に行った。
朝日を浴びたステンドグラスが虹のように光を放っていた。
土井の浦教会は木造の古い教会を買い受けて建てたらしい。それを最近修復したようだ。リニューアルオープンというような雰囲気で、
空気が綺麗に思えた。そんなことが影響したのだろうか、建物の寸法を知りたいと思った。建築屋さんの職業病かなぁ。
鞄に忍ばせたあったメジャーを取り出して息子に端を持たせて寸法をあたった。しばらくして、面白く思ったのか、私からメジャーを取り上げて、
寸法をあたりながら教会をぐるぐる回り出した。そんな子供が持つ、面白そうなことを遊びに替えてしまう力を見て、
忘れてしまっていた何かを感じた。
水ノ浦教会は白くて明るくてかわいらしい教会だった。
内部に入ると椿の花のモチーフがあった。
そうだ、ここは椿の島なんだなぁ。今まで見たステンドグラスも椿がモチーフなんだなぁ。
と考えながら昨日訪れた津和崎灯台からの景色を思い浮かべた。
旧鯛ノ浦教会のレンガは長崎の被爆したレンガを使用して建てたという。
レンガを見ながら「戦争と平和」を想像してみたら、
ジョンレノンのイマジンのフレーズが浮かんできた。
中は教会としては使わずに、図書館として利用しているらしい、
もったいないなぁ・・・・。
旅の締めくくりは、広場でのサッカーとキャッチボールだった。広場のベンチで横になると、
気がつけば30分ほどイビキをかいて寝ていたらしい・・・・。広場の隣に海があった。女子高生の黄色い歓声に誘われて、
私たちも足を海に浸けてみることにした。足の裏に伝わる綺麗な砂の感触と皮膚に伝わる海水の感触で、最後になってようやく、
身体が五島の海にきたのだと実感したと思う。
五島列島の旅はこれで終わるのだが、奥方の今回の旅の密やかな楽しみは佐世保バーガーを食べることだったらしい。フェリーの中で、
どの店に行くか大騒ぎをしていた。そんなわけで、フェリーで佐世保に舞い戻ると、米軍基地の近くにある「ひかり」
というハンバーガー屋さんに寄ることにした。もうすでに、午後7時近くだった。えー、なんとなんと、行列が出来ているではないか、
ちょっとした、カルチャーショックだった。奥方は並んで食べるという。流石に、沢山の教会を回ったおかげなのだろうか、素直に「イエス」
と答える私がそこに居た。1時間以上も待ってようやく食べることが出来た佐世保バーガーは、もはやファーストフードを通り越して、
スローフードだなぁ・・・・と米軍基地の前のベンチに座って食べおえた。(おわり)
投稿者 木村貴一 : 23:55
2007年04月29日
記憶の中の再訪
昨年の5月の連休に旅行した五島列島の教会のひとつに江袋教会という教会があって、木造の教会としては日本最古の教会らしい。 その時の訪問した様子をブログに書いた。
つい先日、その写真を見た人から、突然メールをもらった。「郷里のその教会が今年の2月に全焼して、落ち込んでいたのだけれど、 写真の中に、幼い頃見た光や色や景色がそこにあって、嬉しかった・・・・。」というような内容だった。
メールをもらった嬉しさと共に、えー、江袋教会が火災に・・・、全く、知らなかったなぁ・・・と驚いた。それで、 インターネットを検索すると、確かに、焼け残った教会の写真が掲載されていた。 その写真を見ているうちに、ちょっとした寂しさと共に、その日の記憶が蘇り、なんともいえない不思議な印象をもった。
江袋教会に行った、あの日のあの朝のあの穏やかな天気。真っ青な空と海。黄色い花と教会。周辺の集落と教会とのほどよい関係性。
あの独特の平和な雰囲気。あらためて、その日の写真を見ながらその日の事を思い出すと、体に、
あの時のあの場所の感覚が記憶として残っていることに気付いた。そして、焼失の空虚感を忘れて、記憶の中で再訪し、何となく、
幸せな気持ちになった。
いつか、もう一度行ってみたいなぁ・・・ と想っていただけに、非常に残念だなぁ・・・・。復元工事によって、 目に見えないあの独特のムードがどのように再現されるのだろうかと、気になるが、考えてみれば、法隆寺だって再建されたという説もあるし、 金閣寺だって、復元されたのだから、復元によって、教会としての人気がでるかもしれないなぁ・・・。復元された時には、是非、再訪して、 記憶の感覚と比べてみたいものだなぁ・・・・。
それにしても、ブログは、不思議なコミュニケーションだなと思った。あらためて、頂戴したメールに感謝。
追伸
木村工務店では、ゴールデンウィークは暦通りの営業です。家造りのお問い合わせは、5月1日(火)か2日(水)、もしくは5月7日(月)
以降によろしくお願い致します。
投稿者 木村貴一 : 04:02