2014年03月16日
菜の花
朝6時前、NHKのラジオが、目覚まし代わりに鳴り、布団に潜り込んだまま、6時のNHKニュースをラジオで聞き終わると、もそもそっと布団から抜け出して、トイレを済ました後、レーパンを履く。自転車用のレーサーパンツで、ピチピチのズボンのお尻にパッドが入っていて、それに、肩に引っかける紐がついたやつをビブショーツというらしいが、そのタイプ。「もっこりぴちぴち」に、ちょっとした抵抗感もあったが、これで自転車に乗りだすと快適なので、街乗り以外はこれを履く。ジャージを着て、ボトルに、キッチンのシーガルフォーの浄水器から水を入れ、SPDのビンディングシューズを履き、タイヤの空気を入れ、ヘルメットを被り、手袋をして、自転車を漕ぎ出す。
「まちのえんがわ」の前から、東の方角に向かって漕ぎ出すと、東に真っ直ぐ延びる小道の両脇に建つ家と家の間に、生駒山が断片的に見えて、丁度、日の出を済ませたばかりのような、ほのかに赤い太陽が、真正面に登っていて、綺麗だなぁ・・・と見ながら走っているうちに、エネルギッシュな気分になってきて、思わず「笑顔」がこぼれる。
そういえば、昨日は建築家のヤベさんのお宅でちょっとした食事会があって、その会話の中で、シャチョウは、日曜日の朝、なるべくはやい時間に、自転車を漕いで、一週間のストレスを解消してはるんですわ。なんて話で盛り上がったのだけれど、確かに、そうで、それがランニングでもエエのだけれど、とにかく、体が長時間「振動」し続ける事で、知らず知らずの間に内部に溜まっていたストレスが、揺り動かされ、表層に放出されるのだとおもう・・・。
暫く東に進むと司馬遼太郎記念館の前に至る。記念館の前には、菜の花の鉢が沢山置いてあって、この冬から春に変わろうとする、この時期の、あの黄色い色には、「希望」のようなものを抱かせる「チカラ」があるのかもしれないと感じながら、ところどころの道にも置いてある菜の花に微笑みをもらって、東に向かう。
第二寝屋川と恩地川の川沿いを走り、東に向かって、外環状線を越えて、ゆるい登りの集落の中を通り抜けると、大竹7丁目交差点に出て、経済法科大学の横を通りながら、本格的な坂道になる。十三峠といわれる坂道で、ヒルクライムの聖地らしい・・・。その交差点から峠の展望駐車場まで、早い人は15分ほどで登るらしいが、その倍近い時間がかかって、よいしょよいしょと登る「私」。一年ちょと前に初めてのロードバイクで連れられたこの坂で、その時は、アドバイス通り、3回休憩して登ったが、1年が経過すると、ゆっくりだが、足をつかずに展望駐車場まで登れるようになっていた、55歳の春。
そうそう、つい数日前に誕生日を迎えて、ここ最近は、フェースブックでお祝いのメッセージをもらうという、生まれた時の世の中では、想像できないようなコミュニケーションの手段が誕生していて、半世紀の時の流れはオモロイなとおもう。そういえば、記念日というものを軽視するつもりはないのだけれど、ここ何十年は、特別にサプライズな出来事をする事もなく、淡々と粛々と迎える事にしていて、それでも、誕生日という、私的な記念日というきっかけを通して、家族以外の人とメッセージのやりとりをするなんて事は、フェースブックのお陰で、それはそれで、新鮮な気分でもある。
展望駐車場で少し休憩してから奈良県側に下って、フラワーロードのアップダウンを通過し、信貴山の赤い橋を眺めながら漕ぎ、のどか村に至る坂道を、よいしょこらしょと登って駐車場で、ひとり休憩する。初めてのロードバイクでもウィリエールのキタムラくんとここで休憩したが、昨年の夏と秋は、近くに住んでいたヨネクラさんと何度も一緒に汗を流しながら葡萄坂を登ってここで休憩したのだけれど、そのヨネクラさんが、アパレルの会社を辞め、奥さんの実家がある熊野の「太地」近くの下草に引っ越したのが2月の出来事。
先週の日曜日は、「まちのえんがわ」関係者の有志、むさ苦しい男5人組で、そのヨネクラさんの新居である熊野まで、日帰りドライブに向かった。なんでも、その新居で、地方で、田舎で、服や雑貨やカフェのお店を夫婦でするのだという、それに、ある種、「まちのえんがわ」熊野のような存在を目指すのだという。そんな話をロードバイクで、峠を登った後の三郷のカフェで話し込んだのが昨年の秋の事だったが、ま、そんな現実化された、「いまここ」のこの家をどのようにリフォームしたら良いのかを、アドバイスがてら、遊びとして、ドライブしようというのが、今回の熊野ツアーだった。
最近読んだ本に、「「場所」に生きる」という章があって、そこに、アメリカ先住民の長老会議での会話がこんなふうに書いてあった。
「いいかい、人間はどこでも一つの場所に長いこといれば、これは白人でも同じだが、霊が語りかけてくるものだ。そいつは、大地からやってくる。霊、すなわち太古の力は消えてしまったわけではない。長いことそこにいてくれる人間を必要としているだけだ。そうすれば地霊はその力を人間に与えてくれるようになる」
そうそう、ヨネクラさんのご両親が歓迎してくれて、勝浦にある食堂で、新鮮な、まぐろや鯨の刺身を食べ、新鮮なトロの赤身のあさりとした旨みを体験すると、「場所」に生きる良さを舌で感じて、ひょっとして、地霊に呼ばれて、「場所」に生きようとする若い世代が、どんどん出てきているのかもしれない・・・。
のどか村で休憩しながら、そんなこんなを走馬燈のように思い起こし、柏原の方に下る。岡本ガーデンの前を通過し、そうそう、先日の自然農法の畑はこのあたりかと眺め、これは梅か桜かと、「ピンク色」に咲く花を見て、春が間近にやって来ていることを感じると共に、司馬遼太郎記念館の前の菜の花の「黄色」をフラッシュバックさせながら葡萄坂を下るのだった・・・。
投稿者 木村貴一 : 2014年03月16日 23:32 « ほんまもんの暮らし省エネマイスターなのか? | メイン | 「ジャーン」 »