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2006年12月31日
大掃除
今日で今年が終わる・・・・。というのも、考えてみれば、妙な感覚で、そんなセンチメンタルな感情とはお構いなしに、 日々は淡々と流れる・・・・。特に、近頃のまわりに漂う空気には、年末年始の独特の雰囲気は薄らいでいるよなぁ・・・・・。
会社の営業は28日で終わり、29日は朝から半日かけての大掃除だった。朝、7時過ぎ、会社に入る。いつもは、 7時頃から出入りしている、職人さん達の姿は、少ない・・・。流石に今日は、ゆっくりとした出勤のようだ・・・・。毎年、 うちのヤングダイクス3名と手伝いさん4名が大掃除に参加してくれる。
1階の作業場から2階の事務所に上がると、え、えー、普段は、ゆっくりめに来る社員が、今日は居るではないか・・・・??、まさか、 掃除をしたくて、したくて、朝早くから会社に来たぁ・・・・??、・・・・・な、ハズはやっぱりなかった。皆、二日酔いの酷い顔をしている。 髪の毛が石川五右衛門のように爆発しているヤツも・・・・・。どうやら、7人ほどが集まって、もう一度、最後の忘年会をしたらしい・・・。 その夜は、会社の3階にある4畳半の和室に5人で寝たとか・・・・。その周辺には、なんとも、酒臭い臭いが漂う・・・・。まぁ、 今日は大掃除だから、ええかぁ・・・。
日本だけの習慣だろうけれど、「大掃除」というその習慣が残っているのは嬉しい・・・・。自分の机の周りから始めて、 最後は会社や倉庫の備品を掃除する。大掃除をすると、まぁ、何と、捨てるものがいっぱいあって、会社にはムダがいっぱいあるものだなぁ・・・ ・と、つくづく思う。もの造りの過程には、ムダというのも、時には必要なのだけれど、モッタイナイ精神の観点からのムダというのは、 やっぱりムダだなぁ・・・・。何とかしたいねぇ・・・・。ついでに、心のゴミも掃除したいものだなぁ・・・・。
社員の半分が二日酔いにもかかわらず、皆、一生懸命に掃除した。中には、掃除で疲れたのか、 いやぁ、二日酔いで疲れたのか、こんな状態で、寝てしまったヤツも・・・・・・。まぁ、そんなこんなで、最後は、お昼を皆で食べて、一本締めで、会社の一年を仕舞う。 その席では、昨晩の失態の話で盛り上がり、終始笑いが絶えなかった・・・。若いエ ネルギーって、素敵だなぁ・・・・。 社員の皆さん一年間どうも、ありがとう。
本年もこのブログをご愛読頂いた、私と面識のある皆さん、そしていまだ、面識のない皆さんも、どうも有り難うございました。毎週、 日曜日がやってくると、嬉しいようでもあり、反面、ブログを書かな、あかんなぁ・・・という、ちょっとしたプレッシャーも押し寄せて来て、 複雑な心境の日曜日が繰り返されるのでした・・・・・・。もはや、こうなっては、生活の一部と化しているようですなぁ・・・・・。
今年は、木村工務店にとっては「変化」の年でもありました。私自身が6月に社長職を引き継いだのも、大きな変化でした。 この半年間ほど、初心者マークを付けながら、運営をしてみたわけですが、読み慣れない経営論の本を読んでもピーンと来ず・・・。 さしたる企業理念とやらがあるわけでもなく・・・・。社員にも迷惑をかけながら・・・、助け助けられ・・・・と。・・・・・・、まぁ、 それでも、とにかく、会社が、社員にとっては、個人の成長のための良きフィールドとなり、お客様には、 ささやかな感動のある家造りと家が提供できる、そんな工務店であれば・・・・・と。そんなことを初詣で、お祈りしてみようと思います。
それでは、皆さん、良いお年を!
2006年12月24日
静けさ
10年以上前に、建てさせていただいたワンルームマンションの横で、新築住宅の工事wをすることになった。 そのマンションのオーナは生憎、数年前に亡くなられたのだが、その息子さんとお会する機会があった。そしたら、 亡くなられたその方の記憶がバァーっと、蘇った。
その方は、あの塩爺の自宅がある近くの商店街の一角で、皮膚科をされていた。その病院に一歩入ると、 沢山の人が待合いで待っているのだが、ほんと、「シーン」としていた。誰かがしゃべろうものなら、「お静かにお願いします」 と受付から声がかかった。不思議な雰囲気を持った病院だった。待合いにいる間も姿勢を正さないといけない、そんな雰囲気だった。そして、 誰もが認める名医だった。
診察室に座ると、横のテーブルに何種類かの軟膏等が入った小さなチューブや丸い入れ物が、丁寧に並べてあったのが、凄く印象的だった。 腕の良い大工さんが、ノミやカンナを丁寧に、そして綺麗に並べている様子と似通っていると思った。そして、 そういう人たちには共通する独特の「静けさ」というものがある・・・・・。
ちょっとした縁が重なって、自宅の修繕を頼まれた。奈良の学園前までお伺いすると、何と、宮脇檀さんが関西で唯一(不確かだけど・・・ )造った、混構造の建物だった。感激したなぁ・・・・。それまで、工務店が学ぶべき建築の教科書として、 吉村順三さんの本をよく見ていたこともあり、そんな訳で、必然的な流れで、宮脇さんの掲載された本も繰り返し見ていた。 いろんな偶然が重なって、現物に触れる機会が訪れたのだった。 デッキとデッキの間の隙間の溝が木製建具の戸車の溝になっているという有名なディテールの現物に初めて接したのだった。
その時の私たちの「ミッション」は、その溝にはまっている木製の雨戸を何とか走るように、修復して欲しいということだった。もう既に、 雨戸はボロボロで使える状態ではなく・・・・、閉めることも出来ない状態だったと思う。とにかく、うちの技術者の「トミー」 と一緒にアレコレ考えて、外観を損なわないようにと、フロントサッシュを使って、「硝子の雨戸」に変更したのだった・・・・。その後、 何回かお邪魔をしたのだけれど、イイ空間というのは、な~んとなく、「静けさ」というものが漂っているよなぁ・・・・というのが、 凄く印象的な事だった。
つい先頃、これも、様々な縁が重なって、建築界の大御所の目神山のI邸にお邪魔する機会を得た。その昔、 新建築に掲載された写真を何度も繰り返し見ていたので、初めて訪れたのに、何だか、なじみのある空間に思えた。北向きの空間が、 心地よい暗さと、独特の「静けさ」に満ちていた。窓の外に見える谷の景色が素敵だなぁ・・・というのは、 現物に接しないと分からないことだった。何十年も前に造られたのに、今でも十分新鮮だなぁ・・・。あの当時に、既に、 草屋根の家だったのだからなぁ・・・・。暖炉の薪に着火すると、スパッと燃えたのには、感心したなぁ・・・。
今日は、昨年に引き続いて、教会でクリスマスを過ごした。仕事がらみもあるのだけれど、 「教会で昔ながらのそして、本当のクリスマスを祝いましょう」という誘い文句が、昨年の体験と相まって、あの、独特の「静けさ」 をもう一度、味わいたいと思った。
今年はキャンドルサービスというものも体験した。以前にブログに書いた、 かなりふざけたキャンドルサービスではなく、 そして、結婚式の、あのキャンドルサービスの雰囲気とも全く違う・・・・。 アカペラの歌声が声のシャワーのように体に降り注ぐ、 やっぱり、独特の「静けさ」に満ちた暖かい雰囲気の時間の流れだった。 一緒に参加した奥方や息子には、 どんな印象を刻んだのだろうかなぁ・・・・・。
奥方は、「ほんもののクリスマスやったなぁ・・・・」と呟いて、静かに眠りについていった・・・・・。
メリークリスマス!
2006年12月17日
構造補強
木造が大好きだなぁ・・・という、この感覚がどこから生まれてくるものか、時々、不思議に思う。「木」というものが持つ、 何かがそうさせるのかなぁ・・・・。といいながらも、鉄骨造や鉄筋コンクリート造もやっぱり好きで、施工もするし、設計もする。
リフォームで、木造の補強工事というのは、今の日本社会の中では、重要なテーマになっているよなぁ・・ ・。どのような方法で、構造補強をすれば良いのかと、大工や現場監督、現場監理者、構造設計者が集まって、 知識と経験を照らし合わせながら、知恵を絞り合う。いまだに、どれが、最適で、コストパフォーマンスが良いのか、模索中だなぁ・・ ・・・。
そう言えば、ビフォーアフターの2回目の「220歳の家」 では、「木構造研究所 田原」 の田原さんに協力してもらって、補強方法をいろいろと検討した。 硝子の手前に見える木造の斜材は横向きに通る材を通し貫という伝統的な土壁造りの壁の中に入っている工法と同じ工法で、 斜材の中を貫通させて、化粧で見せ、1階から2階までが一体の構造補強壁として成り立ち、尚かつ、 光も取り入れる事ができるようにと、考えて造った。右の写真のテーブルの奥に見えるV字型の木も横向きに通る材は通し貫として、 V字型の斜材を貫通し、壁面が光を通す構造補強壁として成り立っている。その他、小屋裏や壁面も様々に補強した。
テレビの収録時には、世の中にはそういう、構造設計者という人が存在し、そういう方と現場の人間が一緒になって、設計をし、 作業をしているのだということを、ちょっとだけ、言いたかった。それで、構造設計者の田原さんもカメラに収録してもらたのだが・・・・・。 まぁ、様々な理由で、結局は、放映されなかったのだ。その後に姉歯問題が起こったのだけれど、今となっては、構造補強の方法を少しだけでも、 放映されていたらなぁ・・・と、ちょびっと、残念に思う・・・・・・。
そんな事を思い出したのは、最近、鉄骨造の建物で、リフォームのために解体をして見ると、 鉄骨の溶接そのものが悪くて、補強をせざるおえない建物に出くわした。
鉄骨には「開先」とか「スカラップ」「スチフナ」とか・・・。鉄と鉄をくっつけるために溶接をするのだけれど、 その溶接を確かなものにするための、様々な方法があって、昔の鉄骨造には、そういうのが、きっちりと出来ていない建物が、 たまにあったりする。まぁ、最近の建物は、ほとんど、そんなことはないと思うなぁ・・。それで、木造の時と同じように、いやぁ、それ以上に、 構造設計のプロと鉄骨の鍛冶屋さんと、その他、様々な人たちが一緒に集まって、コストパーフォーマンスも踏まえて、補強方法を検討した。 いっそ、立て替えようかぁ・・・、なんて事にもなりかけた・・・・。
花火のように美しい火花は、「ガウジング」といって、鉄骨の「開先」 をとるための作業によって飛び散る火花だ。見ていて、美しいとも思うが、火の粉、大丈夫。と怖い気もする・・・・。
構造補強というのは、コストもそうだけれど、その他様々な、現実的な問題が関与して・・・・と。でも、そんなのを経験してくると、 「組織」にだって、大きな会社でも小さな会社でも、様々な、構造補強って、問題が存在してるのだなぁ・・・・、今の日本社会にだって、 そんな問題がいっぱいあるのだなぁ・・・・と思えてくる。まぁ、そんな事も含めて、「構造補強」って、個人的には、面白いし、 興味深い事だなぁ・・・・・・。
2006年12月10日
檜木と想起
吉野檜木の大木を見た。まん丸の綺麗な年輪だった。日の丸みたいだった。美しいなぁ・・・。300年以上の木だと・・・・。 真っ直ぐ伸びる木は「根」も真っ直ぐと下に伸びているらしい。良い檜木が育つ環境かどうか、まず、「土を見る」と製材屋さんが語った。 根が真っ直ぐと伸びる土壌かどうか・・・・。肥沃な土壌になりすぎていないか・・・・。肥沃な土壌すぎても、木は育たないらしい・・・・。 木を見て人を想う・・・・・。
明日香の近く、大和三山に囲まれた桜井という場所には、数年前までは、 何百という材木屋さんがあったという。今では、数少なくなってしまったのだとか・・・・。建築業界は、どこでも、 生き残りをかけて、鎬を削っているのだなぁ・・・・。檜木で太い柱になる木はない・・・。伊勢神宮に使う檜木がない・・・。 なんて聞いていたけれど、あるところにはあるのだなぁ・・・・・。檜木の大木がゴロゴロしていた。吉野檜木は構造材に適し、 木曽檜木は造作材に適していると教えてもらった。吉野檜木には粘りがあって、いつまで経っても艶が失われないとか・・・・・。 木が育った場所によって、木の色もこれだけ違うのだなぁ・・・・・。
綺麗に桟積みにされた材料。割れを防止するために、小口には和紙を貼ったり、ボンドを塗ったりして、自然乾燥により、
たっぷりと時間をかけて乾かす・・・・。秋から冬の伐採期に原木を選別して仕入れるという・・・・・。木が生えて立っている状態から、
木の素質を見極めるその眼力って凄いなぁ・・・・、財力も凄そうだなぁ・・・・、プロの中のプロの店だなぁ・・・、て、
心の中で呟きながら眺めた。
「いやぁ、実に綺麗に管理されて、きっちりと積み上げられてるなぁ・・・」と、横にいた親父に呟くと、「そりゃぁ・・、 札束と一緒やなぁ・・・、お金や思ったら綺麗に積み上げるやろぉ・・・」う~ん、何とも下品な例えだが、確かに・・・と、 妙に納得してしまった。それにしても、「スローなもの造り」だなぁ・・・。奈良の潜在的なポテンシャルって、凄いなぁ・・・。 そんな材木屋さんというか製材屋さんが存在している事に感嘆しながら帰りの車中でひとしきり語り合った。
妙な縁で、スリランカの人が我が家に来て、カレーを作ってくれた。水を全く使わない、所謂、とろーとしたルーがないのだ。
何種類かのカレーを皿に盛って、ご飯にそれをよそって食べる。カレーを中国料理風に取り皿して食べるような雰囲気だった。美味だな。
彼は日本に来て10年以上たつらしい。読み書きはできないが、バリバリの大阪弁で語りかけてくる。私以上にテレビのニュースを通じて、 日本の出来事を知っているのだ。親が子供をどうしたこうした・・・。子が親をどうこうした・・・。という悲劇のニュースに怒りを表す。 そんな事、考えられない・・・と。この10年間で日本人はすっかり変わってしまった・・・・と嘆く。それでも、日本が好きらしい・・・・。
大木の檜の原木と製材。スリランカ人の話し。それらから、「想起」という言葉を思い描いた。「日本」を想起するとか・・・・。「自己」 を想起するとか・・・、想起とは過去の出来事や体験を思い起こすこととあった。いやぁ、実は、いやぁ、きっと、昨晩見た、 硫黄島の手紙のテレビが、こんな気分にさせたのだなぁ・・・・・。
2006年12月03日
冬支度
ヒンヤリとした乾いた空気を肌で感じながら見上げる、冬の青空というのも気持ちええもんだなぁ・・・・。ようやく、 冬がやってきたなぁ・・・・・。と、感じる、そんな日和だった。最近は季節感がどんどん薄れていき、冬支度というのもピントこないけれど、 それでもやっぱり、12月になると、それなりにモードが変わる。
モードが変わると書くと、ジャズファンとしての脳味噌は、コードからモードへの変化という、その手法なぞが頭をよぎり、 工務店業界もコードからモードへかぁ・・・と、わけのわからない事を思考が宣い、マイルスの「カインドオブブルー」 なぞが耳元で聞こえてきたりして・・・、それに引きずられるように、様々なJAZZが耳元で聞こえて、冬になると、なんだか、 JAZZが聞きたくなってしまうなぁ・・・・・。
12月1日の夜には、社員総出で、会社の前の木にイルミネーションを取り付けた。 毎年のように、あーだ、こーだと言いながら取り付けた後は、これまた、いつもの年と同じように、小路駅前の、 いつものたこ焼き屋さんでたこ焼きを買って、皆で、食べた。出来上がった、「光」を眺めながら、もう少し、電球を増やそうか・・・ 。いやいや、絵柄の電飾でも買おうかぁ・・・・。 それより、会社の前の通りの全部の家に、電飾が点けられたら、 綺麗だろうなぁ・・・。高齢化に伴い活気を失いつつある町が、小路のルミナリエとかなんとか言われて、近所の老若男女で、 「綺麗だなぁ・・、綺麗だなぁ・・・」と、呟き合いたいものだぁなぁ・・・。と、たわいもないことを想像してみるのだった。
庭の木々は一足早く、植木屋さんか来てくれて、枝葉を刈って、冬モードに変わっていた。 その植木屋さんのU平さんが、一昨日、シクラメンの鉢植えを届けてくれた。真っ赤なシクラメンをみながら冬だなぁ・・・と、 奥方と会話すると、「町の花屋さんは、シクラメンで溢れているよ」という奥方の言葉を聞いて、クリスマスの赤いサンタさをはじめ、 冬の街角には「赤い色」が溢れているよなぁ・・・と、「真っ赤な色」で、頭の中が溢れた。その「真っ赤」の言葉につられて、 先日、 リフォームの打ち合わせで、京都に行った時に見た、京都の紅葉と、そのお宅での打ち合わせの最中に、 小さな男の子が口ずさんでいた「真っ赤だなぁ・・・、真っ赤だなぁ・・・、ツタの葉っぱが真っ赤だなぁ・・・、 もみじの葉っぱも真っ赤だなぁ・・・・、・・・」という歌のフレーズが、ふと、耳元をよぎった。
暖炉にも火を点けた。現場の廃材を薪にするのだが、安上がりに見えて、実際は、薪を作るのに、 手間がかかるのだ。薪造りは、自分でしろよぉ!という声が聞こえてきそうなのだけれど、前にも紹介した手伝い職の松ちゃんや淺やんに頼んで、 合間を見て、作ってもらう。「もったいない」精神には則っているのだけれど、コストという面では如何なものなのかぁ・・・・。 CO2をまき散らしているのかもしれないし・・・・。
冬支度ついでに、会社の玄関ホールの水槽を綺麗にした。照明が破損し、CO2発生装置も壊れ、 ウィローモスに覆われて、見るも無惨な状態だった。流石に、格好悪くて・・・。幸い、 ミクロソリュームやアヌビスナナという水草は強く、少しは傷んでいるものの、そんな環境のなかでも何とか耐えぬいた。 あと、魚もヤマトヌマエビとアフリカンランプアイが何とか生き残った・・・・。それで、照明器具を一つ新調し、 CO2発生装置も新たに買って、こびりついたコケを少しずつ落とした。まぁ、まだまだ、コケは残っているけれど、 何とか見られる状態になったかなぁ・・・・。
今回は、初めて、インターネットで、水草と魚を買った。ネットで注文し、宅急便で、生きた魚が送られてくる・・・。なんて事、 今までは想像できなかったことだなぁ・・・・。新鮮な魚介類が直送されてくるような感じで、発泡スチロールの箱に、 水と酸素と共に魚を入れたビニール袋が入っていた。案外、なんてことないじゃぁない。これからは、ネットで買おう・・・。と、 何でもインターネットで手に入る時代だなぁ・・・・。
水草の水槽ではCO2を強制的にまき散らすことで、光合成を活性化させて、生育を良くする。 宅急便で届いた水草を水槽にセットして、水を換えて、ガスボンベからCO2を添加すると、 パールグラスという水草の葉先から気持ち良~さそうに一斉に酸素を放出しだした。見ていると実に気持ちええ・・・。 こちらも思わず、深呼吸してしまう・・・。ビジュアルとしてこんな映像を見ると、光合成って、気持ちええなぁ・・・・と、 思えてくる。
冬支度というものの、やっぱり、地球は温暖化されていってるのだなぁ・・・・。先日訪れた富山でも、かつては、 12月には雪が積もっていたらしい・・・。そうそう、都市の中に、もっともっと、木々を植えることによって、地球温暖化の原因のCO2が、 水草水槽のように、過剰なCO2によって、木々の光合成がよりよく誘発されて、町中の草木からのいっぱいの酸素が、 一斉に放出されないものかねぇ・・・・。深呼吸できる都会になりたいものだなぁ・・・・・。
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