2013年12月22日

「まちのえんがわ」とは?

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OLAサロンというのが本町にあって、都住創とよばれるコーポラティブハウスを先導してきた設計事務所ヘキサの建築家・安原さんって方と関西大学教授の江川さんの縁で繋がりができて、そんなこんなで、そのヤスハラさんが主催するOLAセミナーで、「まちのえんがわ」セミナーをすることになった。ちなみに、ウィキペディアによると、都住創というコーポラティブハウスは以下のようで、「私」は、以前から、その、かなり面倒くさいようなコトを、数多く手がけてこられたその取り組みには、陰ながら、敬意を持っていた。

都市住宅を自分達の手で創る会(都住創) 「ウィキペディアより」
  • 1975 - 2002年の間に、主に大阪市中央区の谷町界隈にて累計22棟、約250戸のコーポラティブハウスを手がけた。
  • プロデュースと設計監理は、設計事務所ヘキサの建築家・安原秀と中筋修が担った。
  • 当初から一貫して「都市に住む」「住居の質を高める」「共同建設をする」という考え方で共同住宅の新しいビルディングタイプを試行錯誤しながら開発し続けてきた。それらの考え方は「都心部の一番いいところに住もう。・・・子供が働いている大人の姿を見ながら育つのがいいんじゃないか」「いわゆる2DKとか3LDKとかいう言い方のお粗末な集合住宅ではなく、むしろ建築家が設計する一戸建ての住宅を縦にいっぱい積んだようなものができへんやろか」「共同で発注しましょう。10軒か20軒集まって発注すれば、何ぼかでもコストは下がるのではないか」という発言にも現れている[5]
  • 設計手法としては、ルーズなジグソーパズルと語っている。「設計側が提案するいくつかのパターンに様々なニーズの形をした探知をはめこむ試行錯誤からスタートする。それを全員参加でビールを片手にゲームのように始めるのである。単位としてのニーズはその途上自ら少し変身し、全体のパターンも変形していく」[6]
  • 入居後のコミュニティについては「建物ができていっしょに住むようになれば、・・・住民主導になって、リーダー的な人も登場してくる。そうやってひとつの町のような組織がコーポラティブハウスの中にできてくるんです。それがコーポラティブハウスのおもしろさだと思います」[7]
  • 1987年、一連のコーポラティブによって、小島孜 中筋修、安原秀の連名で第39回日本建築学会賞を受賞した。

「まちのえんがわ」という名前が出来たのは、東北の震災の1ヶ月後に、温熱環境を先導する野池さんが主催する野池学校というのがあって、そのセミナーの後の懇親会で、5人ほどで、震災のコトを含めて、あれやこれやとお酒を飲みながらウダウダと会話をし、image「私」がこんなコトをこんな感じでやりたいのやけど、どうおもう?みたいなコトも酒のアテにしながら、延々と続いて、その翌日にノイケさんからメールで送られてきたのが、「「まちのえんがわ」という名前だった。ちなみにノイケさん自らは、その日から暫くして、Forward to 1985 energy Life という取り組みを始めた。

2011年の夏頃から会社の1階にある2m×6mのガレージをリフォームし初めて、その12月1日に、とりあえず、「まちのえんがわ」はオープンしたのだと宣言し、不完全なままで成長するコトを良しとして、紆余曲折を繰り返しながら、この12月で3年目に突入した。そうそう、古本というのが「まちのえんがわ」でのコミュニケーションを誘発する大切な「モノ」になっていて、それは、先日、第四回目となった木村家本舗という、オープンホームのイベントで、プロデュースをお願いしている、木村工務店の施主でもあるコトバノイエのカトウさんによるセレクトであって、当初は建築的な本をメインに置いていたが、いまは、「日本的」をモチーフとした古本が主流。

このOLAセミナーにあたって、「まちのえんがわ」って何?と、改めて考えてみる機会が巡ってきて、しばしパワーポイントの画面と対峙しながら、「まちのえんがわ」に関わるコトバを整理してみるとこんな感じになった・・・。

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かつて、日本の民家に「縁側」があって、家の内と外の中間領域であるとともに、道に面した縁側は、曖昧なコミュニケーションの場になっていたが、都市的になればなるほど、機能しなくなって「今」に至る。そんな縁側を「企業」が持ってみたら、出来れば、商品を販売する会社でなく、「ものづくりの小さな企業」が持ってみたら、どうなるのだろうか?という、「企業が町と繋がる」取り組みが「まちのえんがわ」だと語り出している。

「まちのえんがわ」には、「コミュニケーション」を「誘発」するために「縁側スペース」、 「モノとして日本的を意識した古本、プランター、雑貨」、「ネスプレッソのコーヒー」、「月1回のものづくりを意識したワークショップ」があって、それは、インターネットをリアルなスペースに置き換えたようなイメージで、ふらりと立ち寄って、眺めて、マウスをクリックする代わりに、手に取って、五感で体感し、それが、曖昧なコミュニケーションのきっかけとなればとおもうのだけれど、「まちのえんがわ」の背景にある木村工務店という、建築というものづくりの立場からしても、モノの売り買いよりも、「モノが持つエネルギー」が触媒となって、曖昧なコミュニケーションが発生し、そこから、うまれるアイデアや仕事などの方が、大切なのだとおもう・・・・。

「まちのえんがわ」は、この町の外のひとにとっては、この町への入り口としての「ハブ機能」になり、この町のひとにとっては外の町へ旅する出口の役目としての「ハブ機能」で、先日のブログにも書いた、丹波遠足や昨年の吉野遠足などを企画したのだけれど、場所と場所を繋ぐより、その土地に住む「人」と「人」を繋ぐコトの方が大切だと気付きだしたのは最近で、その繋ぐための潤滑油として機能するのが、「親切=愛情=おもてなし」なのではないのか・・・なんていう、うっすらとした気づきでもある。ちなみに「ワークショップ」も外のひとにとってのこの町への入り口の役目をはたしていて、そうそう、付け加えるのなら、「まちのえんがわ」ワークショップは、「職人さんに触れる」「材料とのコミュニケーションを体験する」「ものづくりの心に気付く」がテーマでもある。

「まちのえんがわ」の背景には、木村工務店が存在する、大阪の生野区の小路という、かつては長屋の中で、小さなものづくりをする中小零細企業がひしめく、風土があって、そこに根付く、木村工務店の企業風土と共に、「私」という、3代目としての、持続可能な企業形態を模索する立ち位置が絡んでいて、そんなこんなで、「まちのえんがわ」が持続していくためには、少なからず、木村工務店というものづくりの企業にとってのプロモーション活動として機能しているコトが必須なのかもしれない・・・。なんてコトをOLAセミナーで、お話した。

___3その後の懇親会では、建築関係の諸先輩方や若い人たちと、あれやこれやとコミュニケーションが出来て、アドバイスをもらったりし、そういえば、都住創のように「先人達の取り組み」から教わるコトも沢山あるではないか・・・と気付かされて、不完全なまま成長する「まちのえんがわ」として、多くの方々と関わりながら精進していこう・・・などと、帰り道に、ライトアップされた御堂筋を、本町から長堀までぶらぶら歩きながら、ロマンチックに考えてみた・・・。

木村工務店と「まちのえんがわ」のお正月休暇は、2013年12月29日(日)より2014年1月5日(日)までで、12月28日(土)のお昼からは大掃除、1月6日(月)は初出と新年会です。そんな訳で、来年がやって来そうですが、まずは、皆さん、素敵なクリスマスを!

投稿者 木村貴一 : 2013年12月22日 14:34 « 23時59分の秘密 | メイン | 心和む。 »


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