2015年01月11日
「新鮮な潤滑油」としての新年会
木村工務店の新年の初出は1月6日で、それは昔からそうなっていて、この日だけはスーツとネクタイというドレスコードが決まっていて、勿論、大工さんを含めて職人さん全員がそんな出で立ちで清見原神社にて参拝をするのが習わしで、協力会社の人たちも一緒に参拝するのも昔からのしきたりのようなもので、それだけ、さまざまな業種と共に仕事と責任を分担しながら、ものづくりのチームとして家を建てるのが「工務店」という組織なのだ。と、こんな、あらたまった儀式を通じて、何かを伝えようとしているのかもしれない。
いま、という時代が、どんな時代なのかテレビやネットで様々に伝えられているが、なんとなくイメージでは、20代30代40代の比較的若い人たちが、それも社員でない人たちも一緒に、初出の参拝に集う姿を想像出来る時代ではないような気がするのだけれど、それが不思議に、10年前より一緒に参拝する人数は増えていて、60名ぐらいが拝殿に座りきれず立ち見でお祓いを受けるという、ひとつの現象があって、ドラッカー先生が云う、「企業の目的は顧客の創造である」とするのなら、企業という組織が、社員を越えたひとつの組織=チームとして、これまでのお客さんに感謝し、また新にお客さんが出来る事を皆で一緒に願うという、「チーム」として、ひとつの祈りを「共有」する機会なのだろう。
うちにとって有難いことのひとつは、清見原神社の増改築工事に長年携わっている事で、いわゆる木村工務店にとっては「施主」でもあるわけで、自分たちが造った神社だという意識のようなものが、社員や職人や協力会社が、「ここ」に集う事に、より深い意義を見いだすのだろうし、それが建築に対する心構に引き締まった気分をもたらしてくれているのかもしれない。その参拝の後に新年会をするというのも、私が入社した時は既にそうで、この一連の流れから75名ほどで新年会をするコトで、お互いに挨拶を交わし飲んで食べて笑ってお正月気分を一気に払拭して、明日からはフルスロットルで仕事をするのが、伝統を受け継ぐ「木村工務店スタイル」としての新年の幕開けでもある。
昨年までの「私」の新年は、自社の新年会が終われば、改修工事をしている企業さんに新年の挨拶回りに行くのが通例だったが、弊社会長が不在となり、生野区の役所関係の新年会や生野区産業会の新年会に出席することが新たなシゴトとして加わった「未年」で、そんなこんなで、4日連続に中一日於いての5つの新年会が続く事になり、その後の2次会のようなものも、それぞれ違ったスタイルで発生したりするわけで、大工と激論を交わす2次会があり、議員さんと激論を交わす2次会もあり、JAZZライブを聴く2次会があったりして、それに今日は夕方5時から夜中の2時まで延々と続いた小中学校の新年会があって、そうそうちなみに、公立の小学校中学校だったのに、4クラスの生徒だけが9年間そのまま一緒だったので、ファミリーみたいなもので、小学校の時の友達どうしの関係性をそのまま維持しながら延々と話が続くのが不思議でもある。
万歳三唱で終わる宴会が連続すると、なんとなく、まぶたが腫れぼったくなっている鏡の自分を見て、笑えてきたりするわけで、ま、それにしても、考えてみれば、人と人との潤滑油としての新年会であり、企業と企業の潤滑油としての大切な役目もあるわけで、それに「マチ」と繋がる潤滑油のような役目も担ってくれるのだと新に学びながら、何よりもイロイロなコトをリセットして「新鮮」という気持ちに、なんとなくさせてくれるのが、新年会のちょっとした喜びのようなもんだろうね・・・。
投稿者 木村貴一 : 2015年01月11日 23:59 « ライフスタイルをどのように楽しむのか… | メイン | お正月気分 »