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2006年11月26日
富山
富山駅に到着すると、雲ひとつない青空に、雪を頂いた立山連峰がすぐ正面に見えて、思わず、大阪弁で「綺麗ーやなぁー」 と叫んでしまうほどの美しさだった。到着するまでにイメージしていた富山の町とは全く違って、山岳都市のようなイメージだった。
タクシーに乗って、目的地に向かう車中で、運転手に話しかけると、「これから、寒ブリの季節で、魚がおいしいよ。鮨も美味しいよ。」 「回転寿司でも鮨は十分美味しいよ」と語ってくれた。
寒ブリと聞いて、22日の地鎮祭で、ご実家から魚を送ってもらったと言って、鰹を一匹、お客様から頂戴した。それで、その夜、 近くのお寿司屋さんで、お造りと、鰹のたたきと焼き魚にして、さばいてもらい、白ご飯も用意して、社員皆で食べた。その事を思い出した。 その時の美味しかったカツオの味が、寒ブリの味と混ざり合って、ブリとカツオが舌の上と頭の中で錯綜しながら飛び跳ねていた。(川西のS& Mさん有り難うございます。)
この家の地鎮祭は、我が社でも初めての事だけれど、隣り合った敷地に姉妹の奥さんご夫婦が、隣り合わせで家を建てるにあたって、 2軒同時に地鎮祭をしたのだった。祭壇はひとつで、敷地の竹と砂山は2カ所という具合で、ちょっと、割徳な地鎮祭だったなぁ・・・・。
富山に行ったのは、富山出身の現場監督M田くんの結婚式があったからだ。現場監督の結婚式が、建物の引き渡し時期と重なると、かなり過酷だ。
その上、挙式は富山でするので、この1ヶ月間、大阪と富山を何度も往復し、現場は竣工前でバタバタし、そのため彼は何度も会社で寝泊まりし、
残業し・・・・・。と、まぁ、そんな努力を神様が見守ってくれていたのかどうか、結婚式の当日は、ドピーカンの天気で、
教会の青空の向こうに、町を取り囲むかのように連なる雪化粧の立山連峰が、この結婚式を祝福しているのだなぁ・・・・と思えるほどの、
気持ちの良い日和だった。
天気は抜群で、気持ちも晴れ晴れのはずだったのだが、、、私の心は緊張していた。というのも主賓の挨拶をすることになっていたからだ。 いやぁ、こんなに緊張したのは初めてだった。自分の結婚式より緊張した。テレビのビフォーアフターに出演した時の1回目も緊張したが、まぁ、 2回目になると少しは慣れた。でも、そんなのとは比べものにならないぐらいの緊張だった。主賓の挨拶というものが、 こんなに緊張するとは知らなかったなぁ・・・。とにかく、しどろもどろで、何とか役目を果たせたのかどうか・・・、それも怪しい・・・・・。
それにしても、結婚式に参加した時は、「祝う」とか「祝われる」というのは素敵なことだなぁ・・・と感じてしまう。 新郎と新婦から流れる素直な涙・・・・。世の中全体が祝祭に満ちあふれた世になれば素敵だなぁ・・・とまで思えてくる。
それがぁ、暫く時間が経つと、すっかり、「祝う」なんて事、忘れてしまうのだなぁ・・・。まぁ、それが、人間って事かなぁ・・・・。 でもなぁ・・・・・、「良い事を忘れない人」になりたいものだなぁ・・・・・。
2006年11月19日
ヘタウマ
手作りの良さ。ヘタウマの良さ。というのがあると思う。プロでは出せない味というやつだ。私の感じるところ、プロというのは、 「きっちりとする」「きっちりとしたことをする」というのが基本的な姿勢だと思う。
先日、リフォームの依頼でお邪魔した家では、自分たちで、手作りを楽しんでいる様子が素敵だった。
お便所の扉にシナベニヤをパッチワークのように貼り付けてあった。LDKに入る扉にシナベニヤを短く切って、板張りのような雰囲気で、
切り返しの板を付けて、貼ってあった。レトロなミシンを手に入れて、パソコンテーブルとして使ってあった。どれもが、
ヘタウマでプロに出せない味だった。
左の写真のような、こんなかわいらしい子供向けの家具を、知りあいに依頼して造ってもらったらしい。 右のようにホームセンターで買った板をプロ的な言い方をすれば、「脳天からビスを打つ」 といわれる方法でビスを見せたまま、 隙間も味として、貼ってあった。和室の柱と長押には白いペンキが塗ってあって、それはそれで、とっても、ええ感じだった。 家全体に手作りの心地良さ、きっちりとは出来ていないけれど、ハートのこもった心地よさが満ちていた。 きっちりしたことをしていないという心地良さというのもあるもんだ。
今日は子供の授業参観があった。子供達が造った作品が体育館に所狭しとに並べてあった。親達やおじいちゃん、 おばあちゃんが沢山、見に来ていた。当たり前の事だけれど、どの作品もプロのだせない味わいだった。やっぱりヘタウマというやつだなぁ・・・ ・。何だか、ここにも、きっちりとしていない心地良さがあった。いつしか成長するにつれて、「きっちりとする」事が出来るようになり、また、 「きっちりとしたことをする」という事を覚えるようになって、プロとして生きていけるのだなぁ・・・・・・。そして、それとともに、 小学校時代にもっていた「何か」を失ってしまうのだなぁ・・・・。その両方を持つ事って、出来ないものなのかね。
確かに、子供達の作品は楽しかったが、それを見ている年配の方々の暖かい眼差しが、ええなぁ・・ ・と思った。今、 子供達の身の上に起こる様々出来事には、そういった、暖かい眼差しというのが必要なのだろうなぁ・・・・・。 と、 感じたものの、 なかなか我が子には出来ないというのが、これもまた、親というものだなぁ・・・・。親として、 子供にきっちりと教える。 きっちりとしたことを教えるというのが、これまた難しいのだな。
つい、先日、家の並びのおっちゃんが亡くなった。80歳を超えていたらしい。長屋が建ち並ぶ家の前で、植木鉢に、 いつも水をやっていた。前を通る時、挨拶をかわす。「おはようございます。」とか・・・。時には、絵に描いたような大阪弁の会話をする。 おっちゃんが、私に、「どうでっか、最近、儲かりまっかぁ」と問いかけてくる。私は「まぁ、ぼちぼちですわー」と、それがお互いの、 取り決めされた、決まり文句であるかのような会話だった。会話の内容が大切なのではなかった。会話をするという、 その事が大切だったのだなぁ・・・と、亡くなった後で、水をやる人がいなくなった植木鉢を見て、そう、思った。
近所の人とすれ違ったら、お互いに挨拶をかわしあう。子供達にもなんだかんだと声をかけてくれる。というのが、 密集した住宅地の日常であった。複数の暖かい眼差しが周囲にあった。別に聞いてもいてないのに、自分の事を語ってくるのが、 大阪のおっちゃんとおばちゃんだった。今日の参観の作品展示場では、数人のかつての同級生のお母さんと出会った。「久しぶりです。」 と言うと、「木村くん、久しぶりやなぁ。」と語るまもなく、勝手に近況を話してくれる。このまま、ほっておくと、何十分間、 話し続けるかわからない。永遠と続いていきそうだった・・・・・。
今は自分のことを語り、自からが情報を発信する時代であるものの、社会欄で起こる子供が関わる出来事を見るにつけ、 自分の事を気軽に語るというのは、なかなか難しいものだなぁ・・・・・と、自分の子供を見ても、そうに思う。そんな意味では、 ちょっとだけ厚かましく、ちょとだけ下品で、ちょっとだけおせっかいな大阪のおばちゃんの良さは、 自分の事を気軽に語れる良さなのかもしれないなぁ・・・・・。
今日の授業参観を見ていると、小学校の授業って、自分の事を語る、 練習の場でもあったのだなぁ・ ・・・・と、思えてきた。かつては、大阪の先生が典型的な大阪のおっちゃんとおばちゃんで、 先生の話も面白かったに違いない・・・・。そんな中で、大阪のおっちゃんとおばちゃんが、育っていったのだなぁ・・・・・。
今、世間で騒がれている教育改革なんていうものも、先生がプロとしての意識がもっともっと必要なのだ・・・・と、言われているのかな。 まぁ、それは、建築の世界にも言える事で、「きっちり」と教える。「きっちりとしたこと」を教える。なんてことがやっぱり必要で、そして、 それがなかなか出来ないのが実情でもあるな。と、やっぱり反省する・・・・・・・。
と、締めくくろうと思うのに、なおもウダウダと心が呟き続けるのだった。やっぱり、ヘタウマの良さも捨てがたいなぁ・・・・・・・。 きっちりとした仕事をするプロの良さとヘタウマのハートをくすぐる心地良さ。その両方を持ちたいものだなぁ・・・・・と、 執拗に呟き続けるのだった。まぁ、そんなわけで、最後は、子供を育てるための環境という、「建築」の役目も、重要だな。と語ることで、 心の呟きを制止して、今日は、終わりにしようと思う。
2006年11月12日
will
建築工事には「引き渡し」という儀式があって、それぞれの工務店によって、そのやり方は違うのだろうが、 担当の設備業者から器具の取り扱い説明をした後、書類や保証書や鍵を渡す。キッチンやお風呂や洗面化粧台、給湯器やインタホン、 床暖房やその他スイッチ類にしても、毎年進化していくため、それぞれの専門の担当者でないと説明できない時代だ。
引き渡しの当日、私も一緒に説明を聞いて、へぇー、そんなふうになっているのかぁ・・・。 って、あらためて感心することが、たまにある。昨日の引き渡しでは、スイッチがリモコン代わりになってはずれる「とったらリモコン」 という便利なスイッチがあって、それが付いていた。そういえば、もう既に、施工した何軒かの家で付けていたのだけれど、 あらためて、その説明を聞いていると、最近のやつは、調光も出来るし、 数分後に電気が消える遅れスイッチというのも付いているらしい。よくよく話を聞くと、今、付いているスイッチをその 「とったらリモコン」に変更することも可能だとか。
あっ、うちの寝室のスイッチもそれに変更しようかなぁ・・・・。たまに、電気付けたまま寝てしまうことがあったり、寒くなってくると、 点けっぱなしの電気をわざわざ布団から出て、スイッチを消しにいくのが、ちょっと面倒だなぁ・・・て。そんな時、良さそうだなぁ・・・・。 と思った。
え、そんな「とったらリモコン」力に頼るより、意志力で、布団から起きあがれよ!って、声が聞こえてきそうだなぁ・・・。確かに、 「便利」と呼ばれるものが次々と造られるのだけれど、それに反比例するかのように、「意志の力」がどんど退化して・・・。私を顧みても、 う~ん、そもそも「意志」なんてものがあるのかどうかも、ちょっと怪く思えてくる。かつては、意志をもった人間がこの世に存在した・・・。 なんていうのが今の時代的な感覚かもしれないなぁ・・・・と、そんな風におもえてきたので、『ウィキペディア(Wikipedia)』で、 調べてみた。
意志(いし)は、「~したい」「~しよう」(独: wollen、英: will)という形で行為を直接にうながす意欲。法学系では意思と、 哲学系では意志と表記するがどちらも同じ原語 (独: Wille。助動詞のwollenが名詞化すると、 Willeになる)からの訳語であって、基本的に意味する所のものは変わらない。意志は、欲動を適切に制御して、 自分の行動が目的に合うように調整する。しかし意志の力が弱くなり、欲動を抑制できないと、「衝動行為」が起こる。
こんな内容を読むと、「意志の力が強まる家」っていうのが、造れないものだろうかね・・・・。子供にはええ事だなぁ・・・・・・。 特に最近の巷で起こる事件を見るとね・・・・。じゃぁ、やっぱり、ちょっと考え直して、「とったらリモコン」を付けるのは暫く、 見送ることにしようかなぁ。立ち上がって、消しにいったらおわりじゃぁないか・・・と。それとか、奥方に電気消してぇ。っと懇願するとか。 子供に電気消しナサイ。と命令するとか・・・。それは、お門違いというやつだなぁ。まま、相変わらず、ブツクサと心が呟くのだった。
さてさて、その引き渡しをした家は、阿久津設計事務所の設計によるカッコイイ建物だ。興味のある方は、連絡していただければ、近々、
見学できる日が一日だけあるかもしれない・・・・・。
追伸:本日の土地探し家造り設計相談会に、
わざわざ生野区小路までお越し頂いた皆さん、ほんとうにどうも有り難うございました。時間の都合で、ゆっくりと対応できなかった方々、
どうもスミマセン。またの機会にじっくりとお話をしをしましょう!
See you again
2006年11月05日
ゴルフ
ゴルフというのが、あまり、好きでもなく、そんなわけで、当然、得意というわけでもないのだが、かといって、嫌いでもなく、 ドライバーをガーンと振って、ボールが芯を捉えたその感覚が体に伝わり、青空に向かってギューンとボールが飛び出し、 フェアーウエーの真ん中にボールが転々と転がる様子を眺めている時は、確かに、独特の気持ち良さが体を覆う。
ボールと芝の間をクリーンにヒットしたアイアンが感じよく振り抜けて、打ったボールがグリーンにストンと乗って、ナイスオン、 なんていう言葉を聞き、グリーン上に出来たボールのくぼみを修復していたりすると、確かになんだか心地よい感覚が体を包む。
長い距離のパットをコロコロとボールが転がり、ほとんど、偶然かまぐれかで、コトンという金属音を響かせて穴に入った時は、 思わずガッツポーズも出てしまう。まぁ、どちらにしても、私の場合、それらの心地よさは、ごくたまにしか起こらないのだなぁ・・・。
協力業者の中で、電気屋さんのT野さんと鉄骨屋さんのY井さん、材木屋さんのO本さんはもう50年以上前から付き合いをしている、 祖父の代からの業者さんだ。私が社長を引き継いだのを機会にして、70回ほど続いていたゴルフの会を復活しろよ!と言う。 ゴルフ好きではない私を前にしてそう言うのだった。もともと、このゴルフの会は私の祖父のゴルフ好きから始まったのだが、 バブルが崩壊して以降、長い間、中止になっていた。
祖父のゴルフ好きは趣味を遙かに超えて、何というのかなぁ・・・人生の一部だったのかもしれないなぁ・・・。祖父は、 今から40年以上も前に突然ゴルフを始めた。ゴルフの練習をするために、借家として貸していた長屋の中を改造して、ゴルフ練習場にした。 間仕切りを全部取り、壁に古い畳を貼りめぐらし、ネットを張った。そして、床を掘って、砂を入れ、バンカーまで造った。 打席の前には等身大の鏡も貼ってあった。長屋の扉を開けるとゴルフ練習場が現れるのは、今からおもうと、ほんと、「おもろい」なぁと思う。 まぁ、いわゆる「劇的」ビフォーアフターだなぁ・・・・。今、その同じ長屋は、私たちの居間と子供部屋として、私なりの劇的ビフォーアフターが施された。
祖父は長屋の中だけのリフォームに飽きたらず、 会社の作業場の屋根の上に20メーターほどの打ち放し場を鉄骨で組み上げるという増築工事に及んだ。 よくあるゴルフ練習場のミニチュア版だなぁ・・・・。打ったボールが樋を伝って、手元に戻ってくる仕組みまであった。たまに、 屋根の上に器用に造られた洗濯物乾し場が乗っかている光景を見る。それはそれで、日本的な光景で、ある種の美しさも感じるのだが、 そんな洗濯物乾し場が屋根に乗っかっているような感覚で、鉄骨のゴルフ練習場を屋根の上に乗っけてしまった。もう、 何年も前に取り払われてしまった、その場所を見る度に、よう、こんな場所で、ゴルフ練習場、巧いこと造ったなぁ・・・、「おもろい」なぁ・・ ・と、ヘンに感心する。これも、やっぱり、それなりの「劇的」ビフォーアフターだったのだなぁ・・・・。そして、それら二つの場所は、 私の子供時代の格好の遊び場でもあった。
明治生まれの豪快で、ダンディーな気風は今の時代にはそぐわないかもしれないけれど、ともすれば、忘れがちな、 「ものづくりに対するエネルギッシュな姿勢」は、やっぱり、ものづくりの基本的スタンスなんだなぁ・・・と、自分のことを顧みて、反省して、 そう、おもう。ちなみに、祖父が日当たりの良い縁側で、パーシモンのゴルフ道具を並べて、オイルで丁寧に拭いている様子が、 何度もあった印象として残る。大工として育った祖父の、道具を大切にする姿勢が、そんな所にもあったのだなぁ・・・と、今頃、 わかるようになる・・・・。
で、そんな意味でも伝統的な?ゴルフの会を復活しろよ!、私がゴルフ、へたくそやったら、皆で一緒にゴルフ行かれへんやないかぁー! と、かつて、祖父に、無理矢理?ゴルフ練習場を造らされるはめに陥った3人の業者さんに、諭された。それで、半分渋々、いぁ、半分心から、 ゴルフの会をすることになった。1ヶ月ほど前に突然決まったにもかかわらず、27名もが、参加して、ゴルフの会を開催したのだった。 やっぱり、ゴルフって、根強い人気があるのだなぁ・・・と、あらためて、そう、思った。
今回のゴルフの会には、うちと、水道屋さん、塗装屋さん、解体屋さんが、親子として、参加した。お互い、 親子でゴルフに行くことなど滅多にない。まぁ、個人住宅をメインに仕事をする昨今の私たちにとっては、親子代々にわたって、仕事を続け、 お客様のメンテナンスが出来るというのも大変、重要なことかもしれない。そんな意味合いでも、ゴルフを通じて、 親子にわたって親睦を深めあえる機会というのも、それなりに、ええもんかなぁ・・・て、感じた。ちなみに、 私たち親子の合計スコアーは203。まぁ、これで、私たち親子が、どの程度の腕前か、想像つくでしょ!。仕事のほうが、一生懸命なんだぁ! と、ブツクサと言い訳したいのだなぁ・・・・!
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