2009年06月14日
場所性(北斎と富士とB級グルメの旅その6)
むしむしする。夏が近づいてきた気配をそれとなく感じる・・・・。そういえば、数日前に、梅入りだと、宣言されたようだ・・・・・。
生野区のN邸の前を車で通過しようとすると、たまたまご主人が、家の前で、水槽を洗っておられ、 声をかける。それで、屋上に、ズカズカと上がらさせて貰って、それは、1年ぶりぐらいのことであり、その屋上緑化の成長ぶりを見て、あぁ・・・、エエ感じ・・・と、しばしの間、和む。
建て売り住宅が建ち並び、高いフェンス越しに、家々の屋根を眺めながらの、屋上の景観は独特で、生野区的でもあり・・・・。その水槽には、カメさんがいて、施主のNさんは、亀平ブログ なるものも運営している、カメ好きで、それに、この建物を設計した林敬一さんもやっぱり、そういった類の好き者で・・・・。そんな訳で、この住宅は、設計者と施主とそれに私たち工務店の三者がうまく絡み合って出来上がった家かなぁ・・・・・と、夕日を背に浴びながら、脳内が呟いていた・・・・。
堺で、タカヤマ建築事務所設計による木造住宅の上棟があり、大工さんというのは、 まぁ、なんとも軽やかに、梁と梁の間を飛び跳ねながら、渡っていくものだなぁ・・とおもう。
なんて事を書き出してみると、脈略もなく、あの「全盲のピアニスト」のテレビでの映像がよぎる。鍵盤の上を飛び跳ねるような軽やかなあの指。そして何よりも、それを支え続けている家族のあの姿。全力の全盲のあの「姿」と「音」から、その「背景」まで、なんとなく想像してしまい、少々目頭が熱くなった・・・・。
大阪の平野区の「平野郷」の中に、正業寺というお寺があり、うちの会社が建築した建物ではないのだけれど、そのお寺や家のメンテナンスに、何十年間も出入りさせて頂いている。いま、ダイニングキッチンのちょっとした、リフォーム中で・・・・。それはそうと、その門は、平野郷で一番古い門だという。いつも、そこにお伺いする度に、その門を眺める。そして、その門を造った、名もなき大工の技とセンスを見て、エエなぁ・・・・・・・・と、いつも、溜息をつく。
溜息・・・・。そう、富士山が現れない、「北斎と富士とB級グルメの旅」の話を完結するべきものなのかどうか・・・。 出発の前日に、こんな地図を作成し、10カ所の富士山の写真を貼り付け、そのうちの9カ所を廻ろうと計画した。1日目に4カ所ほど廻り、2日目のこの日には、4カ所を廻る予定だったのだが、予定外の行動ばかりが続き、せっかく見えかかった富士山も「桜えび」に時間をとられて、すっかり雲の中に隠れ、夕方近くになっても1カ所しか回れずにいて、それでも、脳の中では、取り敢えず、その場所に行き、写真だけでも撮ろうよ。と呟いていたのだとおもう。
北斎のこの絵は「東海道江尻田子の浦」で、それらしき場所に行くと、釣りをする人がいて、レジャーボートが停泊してあり、それらしき方角に人々を見守る富士山がありそうな気配・・・・・。きっと、北斎は、このあたりに出没したのだろう・・・。
そういえば、由比には安藤広重の美術館があり、今回は時間的な事もあって、見学しなかった。それは、北斎も安藤も同じような富士山を描いているのだけれど、北斎の描く富士山は「富士山を見ている人々を見ている富士山」、「富士山の絵を見えいる「私」をその富士山が「私」を見ている」、そんな描かれ方なのだとおもう。それは安藤広重にはないような視点なのかもしれない・・・・・。
車で少し行くと、「駿州大野新田」だった。それらしき場所を車でうろちょろして、探す。ますます天気が悪くなり、それらしき方角の富士山は、見えそうな気配が全くなかった。
この写真のすぐ横には、日本製紙の巨大な工場があり、煙突からモクモクと煙が噴出し、何とも言えない臭いが周辺に立ちこめていた。「この周辺の人って、この臭いをずっと嗅いでいるのぉ・・・・」と、奥方が、心配するほどの臭いが、かなり離れたところまで、臭っていた。
北斎の絵のように荷物を運ぶ馬の姿はないが、道路上には、大きなトラックが、何台も何台も走り続けている。写真撮影の背後に走り続けるトラックの音と振動を感じながら、「場所性」というものが、きっとあり、場所の持っている記憶というものがあり、それは、遺伝されるのだと、その時おもった。
生物的な遺伝をする遺伝子を「DNA」というらしい、文化を遺伝する遺伝子を「ミーム」というらしい。場所性を場所の記憶を遺伝する遺伝子は、何と呼ぶのだろう・・・。と、その臭いに辟易とし、とにかく、その場から、一刻も早く脱出したいという気持ちに、そわそわしながらも、脳内ではそんな考えが、くるくると駆け巡っていた。
日が暮れそうだった。駿河湾沿いに沼津から三島に向かう。「駿州片倉茶園ノ不二」がその目的地だった。ところが、そんな雰囲気の場所はまったく、見あたらない。富士山の方角も見当違いなのかも知れない。近くに新幹線が通過する陸橋があり、新幹線の通過する姿を見ながら、撮影をしてみる。
それにしても、この北斎の描くような、楽園的な茶園など、全く見あたらなかった。きっと、このあたりでは、その場所の記憶は遺伝されなかったのだ・・・・。いや、この絵に近い「場所」が、どこかにあるのかもしれない・・・。とにかく北斎の気配すら、富士山の気配すら感じる事が出来なかった。それに、ほとんど日も暮れて、探そうという気力も、ほとんど残っていなかった。
そんな訳で、あとひとつの北斎「山下白雨」の富士を残し、B級グルメは富士宮焼きそばを残して、日が暮れてしまった。それで、夜の三島の町をうろちょろしながら、鰻を食べることにした・・。なんで、三島で、鰻やねん、なのだけれど・・・・。
投稿者 木村貴一 : 2009年06月14日 23:51 « スペシャルな体験 | メイン | 「現地」「現場」「経験」「体験」 »