2015年09月13日

「広場」と「オープンスペース」

新建築2015年9月号image

今月号の新建築という雑誌の中に「Another Utopia」 という槇文彦さんの記事があって、市民参加型の「オープンスペース」の構築を提唱していて、オープンスペースがコミュニティーの核になりえるのでは、という提案で、従来の公園や憩いの場という概念を否定し、オープンスペースはもっとさまざまな知的考察の対象となり得るのではないかという提言でもあって、それが、「私」にとって、とってもタイムリーな記事で、なるほど、そうだよなぁ…。なんておもいながら読んだ。

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そもそもの始まりは「イタリア中世の山岳都市」という本を建築の相談にお越しになったお客さんが勧めてくれたのがきっかけで、廃版になっていたその本をアマゾンの古本として980円で手に入れて、食卓のテーブルの横の本棚に置いて、なんとなく眺めていた。山岳都市というのがイタリアにはあるのだと初めて知り、あのサッカーの中田が所属したペルージャも大きな山岳都市だと知って、ほぉーっとおもい、イタリアに行く機会があれば、山岳都市を巡ってみたいものだなと、おぼろげな憧れを持つようになった。

それが突然、降って湧いたようにイタリア山岳都市建築の旅が巡ってきた。長男が木村工務店の入社前にヨーロッパの建築を1ヶ月かけて廻る旅をしていて、うちのお盆休暇の始まる日がミラノに到着する予定日で、それを知った奥方が、仕事の問題や家族の問題などなど、ちょっとリフレッシュしたほうがエエよ、おもいきって、山岳都市を見にイタリアに行けば!と投げかけてくれたのが、お盆の2週間ほど前の出来事だった。もちろん、「私」のなかのさまざまな要因に基づく「躊躇」が右往左往し続けていたが、ま、取り敢えずぐらいの気持ちになったのが5日前で、奥方にエミレーツ航空をインターネットで予約してもらい、それでも仕事の都合によっては前日にキャンセルするぐらいの気持ちもあったので、ミラノのホテルとレンタカーは長男に予約してもらって、そのホテルで待ち合わせることと、ローマ空港から帰る日時だけを決めるのが精一杯だった。

そんなこんなで、あたふたばたばたしながらなんとなく旅立ち、現地午後4時前にミラノのドウオモとガレリア近くのホテルで無事に落ち合って、そそくさと街にくりだしてすぐに心を奪われたのが、広場(オープンスペース)の存在だった。この時以降、ミラノ、ベローナ、ベニス、フィレンツェ、サン・ジミニヤーノ、シエナ、アッシジ、チビタ・ディ・バニョレッジョ、カルカータ、ローマ、サン・グレゴリオ・ダ・サソッラ、ポーリ、ナポリ、これらの訪れた町の大小さまざまな「広場」で腰をかけ、ことあるごとにテーブル席に座っては、ビールを飲み、次の日の旅程を考え、インターネットで次の日のホテルを予約し、道行く人々を眺め、さまざまな思いを巡らし、これからの事を語り合ったりもし、もちろん時には食事もして、オープンスペースで意識的に寛ぐ事が、オープンハートを呼び起こしたのかどうか、とにかく広場(オープンスペース)の存在とその使い方が、次の旅を導いてくれた。

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↑ チビタ・ディ・バニョレッジョ
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↑ チビタ・ディ・バニョレッジョの広場。
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↑ シエナのカンポ広場 
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↑ カルカータ
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↑ カルカータの小さなオープンスペース

カルカータのまちは、少しだけ大きめの広場を中心に小さなオープンスペースがあちらこちらに迷路のように点在し、ある時期、ユートピアのようなコミュニティーが存在したのだろうなぁ…と想像させられて、そういえば、宮崎駿の「千と千尋」のモデルでもあるらしく、あらためて、小さな「オープンスペース」に魅了された。

投稿者 木村貴一 : 2015年09月13日 23:44 « 節目 | メイン | 「コトバノイエ」と「建築の力」 »


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