2013年05月19日

記憶のない記憶

冷たい液が、点滴の管から流れてきて、それが、腕からジワッと広がりだして、それはまるで、キンキンに冷えた飲み物が喉ごしを通って胃袋に入っていく様子が感じられるような感覚で、点滴の注射液から血液に広がっていく、血管の配置が解るほどに冷たい感覚が右腕から徐々に広がりだして、それを感じているうちに気を失っていた。

よくある映画の一場面のように、キムラさん手術が終わりましたよぉ!と声がして、ベットに寝た状態で、目を開けると、看護婦さんがいて、担当医がいて、照明器具がその後ろにあって、上からこちらを見下ろしている二人の姿があって、無事、綺麗に接合しましたよぉ!という医師の声があり、ありがとうございました。と、お礼のコトバを発生すると、喉に変な違和感があるのを感じた。それが、何というのか、幸せな夢を見ていたような見ていなかったような感覚があって、とにかく、気がつくほんの数秒前に一瞬だけ夢を見たのかもしれないが、なぜか、とっても幸せな気持ちで目が覚めた・・・・。

鎖骨を骨折していて、それが、先週の日曜日のコトで、そのコトはその日に行った日曜診療所で判明し、それに妹の旦那が整形外科医で、その日、ハイキングの帰りに家に寄ってくれて、全身麻酔で手術をして、ボルトで接合した方がエエでぇと進言してくれた。それで、すぐに手術の決断はついていたのだけれど、月曜日にあらためて、近くの病院で、レントゲンやCTを撮影し、医師の診断を受けて、すぐに手術の日程調整になった。

木曜日に手術だ!と言われたのだけれど、日曜日には、植栽ワークショップがあって、どうしても帰りたい旨を伝えると、水曜日の午前中に入院し、木曜日に手術し、金曜日に様子を見て、土曜日の朝に退院するという日程で行きましょぉ!と言ってくれた。それが、それでも、ちょっと我が儘なコトは承知の上で、かなり言いにくそうなコトバ使いで発生しながら、あのぉ、水曜日の昼からは、仕事の予定があって、それは暮らし向上リフォーム研究会が、うちの会社で開催される日であって、木曜日と金曜日は何とかなりますので、水曜日の昼からだけ、何とかなりませんか?と聞くと、ほんまにしゃぁないなぁ、まぁ、でも、外出許可出すので、必ず夕方には帰って来るように!という、笑いと呆れが入り交じったお言葉を頂戴し、まぁ、そんなこんなで、とにかく、こんな方向での鎖骨の手術が決まった。

入院して、すぐに外出し、また戻ってきて、パジャマに着替え、病院の食事を食べ、さまざまな説明に、看護婦や看護師や医師がやってきて、それで、仕事の疲れも手伝ってか、手術前日は、熟睡出来たのだけれど、DSC09649流石に、手術後は、もうろうとした意識の状態が続いて、とにかく眠気が続き、何度も寝て、何度も起きて、また寝るを繰り返し、夜になると、ズシンとした重しがのし掛かったような痛みを感じだして、ほとんど寝られなくなって、夜中に、座薬を入れて、寝付く始末だった。

金曜日は、まったく制止したかのように、静かに静かに過ごすと、土曜日の午前中には無事に退院することが出来て、ただ、白い三角巾を一週間付けるように指示されたコトもあって、会う人ごとに、どうしたのかと問われる始末で、それで、その都度に、「調子に乗りすぎて、横柄な態度だったために、こんな目にあってしまいました!」という言い訳話をすると、多くの皆さんから失笑をもらいながらの土曜日と日曜日にあいなった・・・・。

DSC09677
DSC09847DSC09833
DSC09807DSC09825
DSC09811DSC09801
DSC09795DSC09771
DSC09759DSC09793
DSC09788DSC09725
DSC09799DSC09751

本日のワークショップは「植物の居場所を作ろう!」というプランターを製作し、植物を植えるというワークショップで、昨年に引き続いて、家谷植景研究所の家谷さんが講師となって、自分が作りたいプランターを指導しながら自由に作るという、昨年よりもっと自由度を増したワークショップだった。

子供を交えた家族であったり、夫婦であったり、女性ひとりであったりしながら、それぞれの個性を反映したプランターを皆で一緒に作る雰囲気には、独特の楽しさがあって、ものづくりを夫婦一緒に協力しながら作ると夫婦円満になりますわ・・・。なんていう声が聞こえてきて、この、ものづくりの楽しさが宿る空気感を、いつも心の中に宿しながら、現場では、プロフェッショナルとして、ビシッとした少々の緊張感が宿る雰囲気の中で、ものづくりをするのがエエのかもしれない・・・・。

DSC09689そうそう、今回も生野区の役所の方々と、生野区のものづくりの企業の方々が、ワークショップの見学に来られて、ワークショップの合間で、あれやこれやと縁側談義をする。いろんなひとと会話をするうちに、「まちのえんがわ」とは、企業が、まちに、コミュニケーションを開いていくための機能としての「縁側」なのだろうし、別な切り口から見ると、まちの外の人にとっての入り口の役目となり、まちの中のひとにとっての出口としての役目を担うのが「まちのえんがわ」なのだ・・・・と整理されてくる。

そんな、こんなで、怒濤の一週間が過ぎようとしているのだけれど、それにしても、あの麻酔の間の幸せを感じた「記憶のない記憶」はいったい何だったのだろうか・・・。死とはひょっとして、こんな感覚なのか・・・。そんな妙な体験をした一週間だった。

投稿者 木村貴一 : 2013年05月19日 23:59 « 出雲の神々 | メイン | 結婚記念日 »


Share (facebook)