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2010年11月28日
残像
ブログに書こうか書くまいか迷う時があって、静かに心の中にしまっておきたいような出来事であるのだけれど、なぜか書かずにはいられないような心境になる、今日は、そんな日。
木造3階建ての新築工事をさせて頂いた、そのお宅に、何の前触れもなく、唐突に、木村家本舗というイベントのハガキが、舞い込んで、丁度、健康状態が思わしくない、お父さんの気分転換を兼ねて、姉妹と奥さんの4人が、朝の散歩がてら、木村家本舗にお越し頂いのが、先月のこと。お父さんを気遣う姉妹と奥さんの姿が印象的だった。
5日ほど前、その奥さんから電話があり、その後、お父さんの体の調子が悪くなって、入院していたのだけれど、どうも、年内まで、もつのかどうか。そんな体調なので、29日の月曜日に病院から家に連れて帰ろうと思うので、便所に手摺りを取り付けて欲しい。よろしくお願いします。という内容だった。
差し迫った雰囲気を感じ取った、私も、弊社のトミマス部長も、メンテ担当のナカタさんも、急遽、手配をする。また、その様子を察してくれた、その家の大工工事を担当した大工のフミノくんが、今、入っている現場を抜けて、手摺りを取り付けに行くでぇ。と、快く応じてくれた。それで、施工は土曜日に決定した。
金曜日の朝一番。私の携帯に、奥さんから涙声の電話があって、折角、手配をして下さったのに、突然、逝ってしまったのです・・・・・・。と、まったく、何と答えて良いのか、コトバが見つからない状態。
待ったなしに、お通夜が、その日の夜に執り行われて、関わった社員数人と大工とで出席する。全てのお焼香が終わり、僧侶による読経も終わった後、突然、式場内に、マイクから、誰かの語り声が、聞こえてきた。近くにいた人が、いったい、誰が喋ってはんのやろ。と呟く声が聞こえる。どうやら、読経を詠んだ僧侶が、マイクを手に親族に向かって、語っているようだった。
生前○○さんのお宅に、お参りに寄せて頂いた時にな、普段は無口で温和しい○○さんが、新築まもない家を、隅々まで丁寧に、説明してくれはってな。それが、○○さんと同じように、木を使った優しい家でしてな・・・・・。と僧侶の話が続く。若くしてお亡くなりになりはったけどな、家族のために、残してくれたエエもんがいろいろあってな・・・・・と、暫し続いた。
お通夜の席で、僧侶の語りをマイク越しに聴くのは、珍しく、初めての経験でもあり、その上、家の話が出てきた事には驚いたが、設計施工した私たちにとっては、嬉しい「語り」でもあって、最後の力になれなかった心残りが、救われるおもいだった。
ご家族に会い、挨拶をすると、娘さんが、大粒の涙を流しながら、お父さんは、何かあった時は、家で、ここで、頼むでぇ。と言っていたのに、家に連れて帰れなかったことが残念で、残念で・・・・・・と涙する。家への、こういう、「想い」に接すると、先日、ブログに、自分自身で書いた、ささやかだけれど、役に立つ工務店でありたい。というコトバが蘇り、工務店としての反省も含めて、身の引き締まるおもいがした。
10月の穏やかな気候の心地良い木漏れ日の下で、コールマンのグリーンの椅子に座っていた、あの時の微笑み。その姿を囲む姉妹と奥さんの微笑み。10月11日午前11時38分と写真に記録されて手元に残る後姿。それらが、残像として蘇った。木村家本舗で過ごして頂いた、ほんの数時間の寛ぎと、そこで買って頂いて、手元にある本が、家族の良き思い出となったのであれば、幸いです。合掌
2010年11月21日
ニュートラル
「秋晴れ」、夏の青空とは、また違う、「青」。冷たさが同居したこの青空が、心地良い・・・・。誰と会話した時だったか、「パワースポットで、エネルギーをもらうというのは、ちょっと違って、それは、エネルギーがゼロの状態。ニュートラルの状態になるんやな」と、語った。そんなニュートラルな感覚が秋の青空かもしれない。
昨日、木造3階建て住宅の上棟式があって、施主の小さな娘さんが、職人さんや木村工務店のスタッフに手づくりの折り紙を、照れながら、恥ずかしそうに、ひとつずつ配ってくれた。そういう、素朴で素直な感謝の表現が、とっても嬉しかった。「私」も小さい時は、そんな気持ちをもっていたのだろう・・・・。
最近の上棟式は、施主の仕事上の都合もあり、土曜日に催す事が多い。社内的には、昔のしきたりに従って、大安の日に上棟をし、式だけを土曜日にする。上棟の日は、大工や鳶や材木屋さんやレッカーなど、沢山の人間が関わり、棟を上げるのだが、式だけをする昨日の土曜日は、職人さん達の仕事の予定が重なって、大工の棟梁ササキくんとタバタくん、木村工務店の現場監督ツジモトくんと見積、工事監理を担当するトミマスくん、それに、材木屋さんの岡房商店のシンチャンと、土地の売買に関わった、日住サービスのナリタさん、そして、設計監理のタカヤマ建築事務所のタカヤマさんと、施主家族4名。あっそうそう、それに私。で、いつもより人数は、ちょい少なめだった。
この木造住宅の木材はプレカット加工という機械加工だったが、大工の予定が2週間ほど空いたので、加工の修行も兼ねて、手加工をする事にした。もちろん、機械と人間の、その賃金や労力を考えると、ばかげた行為なのだが、ダンシングアニマルとしての人間、工務店流に言えば、手仕事を楽しむ職人としての大工は、腕の上達やその達成感のために、そのばかげた事に挑んでくれた。
施主のご主人は、プラズマディスプレーを設計する技術者であり、上棟した建物が、当たり前のように、真っ直ぐに建つ事に、感激し、それが、宴席の話題にのぼる。大工にとっての技術の基本は、真っ直ぐに切る掘る削るであって・・・・。なんて云う、うんちくを宴席の「あて」にしながら、歓談が続いたのだけれど、加工された材木を運搬してくれる、岡房商店のシンチャンは、「毎回、加工された材木を眺めるけど、どんどん腕が上がってきてるな、仕口が、かなりキレてるわ」と続ける。それを横で聴く、ササキ大工のはにかみながらも嬉しそうな笑顔。
話はぐるぐる廻りながら、カンナの話から、砥石の話に及ぶ。大工のササキくんが、砥石には、それを使う職人の癖がついて、マイ砥石でないと、ダメなんです。という話に、施主のご主人が、興味深そうに聞き返す。砥石に癖がつくなんて、想像できないですけど、へぇー、それ、凄いですね・・・。その砥石幾らぐらいするのぉ! というツッコミも横から入る。2、3万円以上はするとおもいますわ。何年使えるのぉ! 十年ぐらい使うのぉ! いやぁ、それは無理ですわ。うゎー、それやったら大工さんって、けっこう道具にお金ねかかりますよね。そうなんです。道具代にお金が消えていきますわ。なんて云う、ツッコミがあちらこちらから飛び交いながら、会話の連鎖が続いていくのが、楽しい。
それにしても、大工の世界では、ノミやカンナや手ノコを使う事がめっきりへり、電動ドライバーや電ノコを使う場面が多い。それは「木組み」という作業が機械化された事が大きな要因であって、その事そのものは、コストダウンや、ある一定の品質が確保されて、喜ばしい事であるが、その反面、手仕事を通じて、人間としての「いき」を高めようとする大工の世界が、限りなく縮小しているのも事実。
断熱材や、ペア-硝子や、国産材に補助金が出るのもエエ事だけれど、プレカット加工より、手加工の方が、CO2排出量が少なくなりそうだし、それに伝統技術の継承や、雇用創出も兼ねて、大工の手加工に、政府から補助金を出しては、如何なものでしょうか・・・と、ふと、想った。いやぁ、お上からの補助金なんて、無かっても、ワシら大工は、頑張るでぇ、というのが、大工の心意気かもしれないが、それにしても、現実は、かなり厳しい・・・。
ある時間帯、不動産業の日住サービスのナリタさんが、数学科出身で、それも東京R大学であるらしい・・・という話題。数学者が、なぜか今は、不動産の営業をしているという話で、盛り上がる。当然のごとく、なんで数学科が不動産してるのぉ!というツッコミが、あちらこちから巻き起こり、微分や積分や行列や統計などのコトバが飛び交うと、大工のタバタくんは、笑いながら、オレ、それぜんぜん解らんへん世界やわ。大工は単純な算数の世界やから・・・と、皆で笑いながら、四方山話が続くのだった。
「私」が現場監督をして、墨出しという作業をし、驚いた事のひとつが、X方向とY方向に出した「墨」が、直角であるかどうか、簡単に確かめるために、「3(サン)、4(シ)、5(ゴ)」で確かめるでぇ・・・と云われた事。X方向の寸法を300mmとって印を付け、Y方向に400mmとって印をつけ、メジャーの寸法が書いてある、ウチ側で、キッチリ計るでぇ・・・と云われながら、斜辺を計るために、メジャーの端を印を付けた位置に合わせて、もう片方の印をつけたその数値が500mmであれば直角だという按配。蛇足ながら、3の二乗+4の二乗=5の二乗という、ピタゴラスの定理を使うのだった。
大工さんは、曲尺を使い、規矩術といわれる算術を駆使して、木組みをするための墨を付け、寸法を割り出す。また、動作を伴っいながら、常に頭の中では計算しているのも、大工の特徴かもしれない。いづれにしても、大工もそれに現場監督も算数的能力がいる事は確かで、ほぼ日新聞だったかに、「数学ができるようになるのかどうかは、あたりまえのことをバカにせず、省略せずに、順番に書く練習ができるかどうか、にかかっています。」というのがあって、それは、大工や現場監督に当てはまる大切なコトバであるとおもう。
宴席のある時間、施主のご主人が、設計のタカヤマさんと現場監督のツジモトくんの会話を聴いているのが、楽しいです。と云う話題が出て、盛り上がった。設計者の意図を現場監督が汲み取って、図面化やコトバで、職人に伝えながら、建築を造っていくわけで、本来的には、現場監督が建築工事の「要」の存在でもある。現場監督は、設計者と職人の間に入って、インターフェースの役目をし、通訳の役目をする。設計者の言語、職人の言語、それに施主の言語、その上、会社の意向という言語も理解して、翻訳し通訳する万能な人でもあり、カッコエエ職業なのだが、いまのところ、かなり人気薄。
現場監督と設計者とのコトバのやりとりから、建築工事という、ものづくりのパッションが生まれ、それが、職人を動かし、エエ建築を造り上げていくように思えるのだが・・・・。
施主が現場に鍋を持ち込んでくれて、おでん、を食べた。それをマヨネーズを付けて食べるという話題で、また盛り上がる。それは、まるで、秘密のケンミンショーのような出来事であって、施主の奥さんは、愛媛県出身で、愛媛ではマヨネーズを付けるらしい。大阪では、そんな話を聞いた事はなく、それじゃぁ、という事で、全員で、おでんにマヨネーズを付ける事にした。これが、「意外といけるやん」というやつ。それが、豆腐には、ショウガ、いや、からし、いや、数学科は、バジルに、えっーと、忘れたけれど、イタリアンで食べるらしい・・。まぁ、そんなたわいもない会話が続いて、それがオモロイ。
上棟式というのは、木組みという最高に美しい、木の下で催される宴であり、ある種のパワースポットだとおもう。大工にとっては、最高の晴れ舞台であって、ある意味では最高潮の時なのかもしれない。それを、式と祝宴で、施主も、職人も、現場監督も、設計者も、感謝と共に、心をニュートラルな状態に戻して、また、心新たにし、完成に向けて頑張る機会なのだろう・・・・。
若き大工の棟梁ササキくんは、祝宴の一本締めをする前の一言をこう締めくくった。「これから完成に向けて、丁寧な気持ちで、造っていきたいとおもいます。」「よぉー、パン」おぉー、なかなか、カッコエエではないか・・・・。 施主に感謝です。
2010年11月14日
白朝行。
休みの朝になると、ランニングを続けていて、起きて、iphoneのランナー用ソフトを立ち上げて、ポケットに放り込み、玄関の扉を開けて外に飛び出す。まず、いつものように、清見原神社に立ち寄る。勿論、弊社で施工したというのが、もっとも大きな要因であるものの、参拝するという行為の中にある何かが、心地良さを生むので、強いて、何かを願うわけではないが、二礼二拍手一礼で、参拝をする。
その時は、まだ、白々と朝が明ける前で、朝6時前にも関わらず、いつも誰かが、参拝に来ていて、その人の精神状態を推し量ることは出来ないが、その姿を見ると、心の中に、ある何かの感情が湧いてくる。それがいったい、どういう感情なのか、勿論、深く考えないし、解釈している余裕もないまま、兎に角、走り出す。暗峠街道にあたる、東成の街道を走り、森ノ宮を通過して、大阪城公園を少しだけ走って、Uターンすると、だいたい4Kmほど。
帰りは、元の道をなぞりながら、長い直線が続く東成の商店街をひた走る。その商店街を生駒さんの方角にあたる東に向けて走り抜け、国道に出たところ、高井田ラーメン住吉のある交差点を、南向きに、布施の商店街に向かう。ちなみに、あの、こってり系の高井田ラーメンをうちの息子や奥方は好み、私は、ちょっと苦手。そうそう、もう少し北の方角の中央大通り沿いにあり、大阪一だという噂もあるらしい、金久右衛門は、看板も何もなく、営業時間も限られていて、また、満員だったりし、一度しか行けてないが、いやぁ美味かったな。という鮮明な記憶が残っている。
布施の商店街を南に抜けきる手前には、つんくの実家の御漬もん屋さんがあったりし、交差点を東に曲がって、万代百貨店の発祥の地を左手に見ながら一方通行の、かわいらしい商店が並ぶ道を、地下鉄小路駅に向かって進む。永和信用金庫の交差点を南に曲がって少し走り、家に帰り着くと、約10Kmほど。特に、布施から小路に至る道は、見慣れた、我が道という感覚で、その雰囲気も含めて、家路に帰る、エエ気分。
その道が、東野圭吾の白夜行の主人公が歩く道だという話を聞いたのは数年前の事。ちなみに、今から十年以上前、おばあちゃんが、いつもいつもメガネを直しに行くお店があって、そのお店は、例の道の終着点の小路駅のすぐ近くにあり、小学生の時に通っていた、そろばん塾の数件隣だった。その店から帰ってくる度に、「あそこの息子さんがな、小説書いてはりまんね、それが、けっこう売れて、かなり有名になってはるらしいでっせ。おとうさんが、いつも嬉しそうに話してはりまんね。」と、柔らかな大阪弁で語りかけてくれた。それを、「あっそぉ。」とつれない音声で、返答した記憶が残る。
それが、東野圭吾の事だと知ったのは、つい3、4年前の事で、今から思えば、もっと、愛想良く、聞き返せば良かったな。と後悔するのは、有名人が近くに住んでいたという、妙な自慢話だけでなく、この話を誰かに語ると、90を越えて、いま、病院で入院し、ろくに喋ることもできない祖母の様子をみるにつけ、あの柔らかい大阪弁をもう一度聞きたいな・・・という、妙な思い出と交錯するからだった。恥ずかしながら、白夜行をまだ、読んだことがないので、これを機会に読んでみるかもしれない・・・・・。まぁ、こじつけるのなら、私の朝のランニングは、白朝行と呼ぶのかね。
そうそう、道すがらの出来事で、ふと思い出した。それは先週の事。八尾でリフォーム工事の引き渡しがあって、その帰り道、新たなリフォーム工事の、一戸建て住宅の耐震補助金の申請をするために、八尾市役所で、設計のタナカくんが降りて、私ひとりで、車で帰る事になった。ちなみに、様々な補助金にまつわる申請作業が増えて、設計の仕事のかなりの部分に、建築行政書士的な業務が増大する一方で・・・、いやいや、愚痴ってるわけではないのですが・・・・。それにしてもね・・・・。
数年前に、その八尾市役所のすぐ近くでリフォームしたお宅があって、なぜか、ほんとうに、ふと想い、家の前の様子を外から見るために、一本手前の脇道に入って、前を通り過ぎようとすると、車で出掛けるところだった、鍼の施術をする奥さんと、偶然の、ここぞというタイミングで、鉢合わせをした。「久しぶりです。」「まぁまぁまぁまぁ・・・」などと、いう流れで、家に上がりこんで、珈琲をご馳走になりながら、四方山話。
木村家本舗の顛末をつらつらと話す・・・。時々、ネコが膝の廻りにまとわりつき、家で、ネコを飼っていないので、たまにネコに触ると嬉しい気分になって、心地良い。栗の無垢板の手入れの仕方など、あれこれと・・・・。鍼と東洋医学の話から話が発展し、ひょおっとして、来年の木村家本舗が実施されたなら、「鍼」のトークイベントをしてもらうかも・・・。あくまで、かも。ですが・・・・。そういえば、木村家本舗の続編として、施主でもあるOさんによる、クリスマスリースを製作するフラワーアレンジメント教室を12月1日(水)に開催予定です。詳しくは、ホームページで案内しますので、ご興味のある方は、お気軽にどうぞ。
話は、それたが、木村家本舗から収穫した本の中に、アメリカの作家で、カート・ヴォネガットのエッセイがあって、こんなコトバに出会う。「われわれはダンシング・アニマルなのだ。起きて、外に出て、何かするというのはすばらいいことではないか。われわれは、この地球に住んでばかばかしいことをするために生まれてきた。これに関してはだれにも違うとは言わせない。」 ダンシングアニマルとして、早朝のランニングをするという、考えてみれば、かなりばかばかしい、白朝行は、もう暫く続ける予定。
2010年11月07日
ささやかだけれど、役に立つこと
久しぶりに、ゆったりとした日曜日の朝。木村家本舗という、ひと騒動があって、人が沢山集まるのが、とっても楽しかった4週間で、感謝というコトバを大安売りしてしまったので、もはや、その出来事への、お礼を表現するコトバが残されていない状態。それにしても、この朝の静けさが大好き。と、書くと、突然、朝日に照らされたキャベツ畑の光景を思い出した。
お盆に、嬬恋にある無印のキャンプ場でキャンプをし、朝5時頃に、ブラッと散歩に出掛けると、高原の上に、突然、サッカー練習場が現れ、その先をおそるおそる進むと、一面のキャベツ畑が、突然、出現し、驚いた。朝日に照らされたキャベツ畑。静かに、せっせっと、その収穫をする農家のひとびと。
ほんとうに、見事な光景で、「高原キャベツ」が、「ほんとうに高原キャベツだった」、その事実に、あらためて、感動している私がそこに居て、朝日と労働と静けさと雄大な光景が同居している、その空気感が記憶に残った。
そうそう、11月3日、文化の日の朝が、木村家本舗騒動が終わった、初めての休日で、その上、とっても良い日和りで、静かな朝だった。その朝に、突然、このキャベツ畑の光景を思いだしたのだ。と、今、気付いた。
木村家本舗の本の引き上げは、その11月3日の午後の予定であって、まだ、本が沢山残っていた。なぜか、キャベツ畑のあの空気感が記憶の中から蘇り、きっと、同じ空気感が木村家本舗のその日の朝にもあったのだろう・・・・。それは、宴会の後の空虚な静けさとは違う、エネルギーに満ちた静けさ。
本がキャベツに見えたのか、キャベツが本に見えたのか、それは定かでないが、きっと、収穫の衝動に突き動かされたのだ。とおもう。それで、残った本の中からセレクトと収穫を試みる。もちろん、あの高原と同じように、朝日の中で、静けさを伴いながら・・・。
その中の一冊を手に取る。「ささやかだけれど、役に立つこと」レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳。もし、誰も買わずに残っていたら、収穫しようとおもっていた本だった。何気に、読み始める。玄関の本棚の右端の上にあった本で、杉板の床材の上で立ち読みを始める。短編集が10数話入っている中の第一話目。少し引き込まれたので、階段の杉板に腰掛けながら読み進む。もっと引き込まれる。それで、2階に上がって、デッキの椅子に腰掛けながら、ソトの、とっても良い日和を肌で感じながら、第一話と二話を読み終えた。
こうなれば、タイトルの「ささやかだけれど、役に立つこと」が、中程にあって、他を飛ばして、それを読む事にする。キッチンのコーナーにある座面高さ300mm、幅1000mmの「ちゃっちいソファー」に座る。この場所で本を読むのが、好き。ほんとうに、ぐいぐい引き込まれる。寝転がったり、ダラリと座ったりしながら、読み進む。そろそろラストが近づいてきた感じがして、キッチンの高さ900mmのカウンターテーブルに移動して、その座面高680mmのハイスツールに座り、背筋をただす。背後からは、秋の穏やかな日差しが差し込んできた。ラスト4ページ。少々目頭が熱くなる。あっ、左目から涙が一粒流れ落ちる。
・・・・・・
絶望的な話なのに、なぜか、暖かい読後感があって、それが一粒の涙となったのかもしれない。涙は、50を越えた年のせいだとおもうが、それにしても、なぜ、左目から、それも一粒だったのかは、なぞ。
「A small,good thing」が「ささやかだけれど、役に立つこと」と訳すのは、通常そう訳すのか、それとも村上春樹がそう訳したのか、知らないが、このストーリーとは、全く関係なく、「ささやかだけれど、役に立つ木村家本舗」であったのかどうか・・・・・。
それに、何よりも、「A small,good thing な木村工務店」で、ありたいね・・・・。
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