2005年10月23日
神無月
「神無月」という言葉はそれなりに美しい響きだなぁ・・・・と思う。「かんなづき」と日本語変換すれば「神無月」となるのだが、 「かみなづき」とも言うらしい。ところが今使ってるATOKで変換してみると「かみなづき」は「過水無月」となり、 日本語と日本語変換の世界も深いもんだなぁと感じたりするわけだ。前にも書いたが、 うちの便所の前に貼ってあるカレンダーに「神無月」を「かみなづき」と振り仮名されてあったから、そんな事を考えた。
そのカレンダーによると「神無月」「かみなづき」の由来は諸神が出雲の国にゆき、諸国の神々が留守になり、「神なき月」 が転訛したものとされる。別に神嘗月(かみなめづき)「神の月」が転訛した説もある。な~んて書いてあった。諸国に「神」がいて、その「神」 が「出雲」にいくらしい。何で、それは「伊勢」でなく「出雲」なのかと疑問さえ沸いてきたりする。 例の靖国問題なんてものがなければそんな神社の事など考えたりしなかったかもしれないが、どちらにしても、 学校の歴史で習ってない日本の歴史というものがまだまだありそうだなぁと感じたりする。不思議な国だなぁと思う。
まぁ、兎に角、日本の国には「様々な神々」がいて、「様々な神社」があり、その上、10月にはその神社を「留守」にまでするらしい。 「千と千尋の神隠し」という映画では諸国の神々が癒しに来る湯屋まで登場したりと、人々を癒す「神」を癒したりもするわけだ。 「山川草木悉皆成仏」何て言葉を聞いたこともあるが、山や川も含め、生き生きとしていけるもの全てに仏性が宿るらしい。何だかやはり、 日本って、不思議で面白い国だなぁと思う。多くの神々が存在すると言われる日本という国と、 ひとつの神だけしか存在しないとされる他国の人々とのギャップを埋める作業も大変だなぁとさえ思えてくる。何より、 我々日本人が日本という国をもっと知らないとね・・・。
っと、書いていたら、「だんじり」の鐘の音が町の中に鳴り響きだした。そういえば、今日は、「生野祭り」というのがあり、 生野区のだんじりが広場に集結してお祭り気分を盛り上げるらしい。当社も長年、その舞台製作に携わっていて、陰ながら、 まさしく舞台裏を支えていたりするのだ。そういえばそういえば、地元の神社の建築に関わったり、お寺の修復に関わったり、 キリスト教の教会に関わっていたり、新興宗教と呼ぶのだろうか、そういう宗教施設にも関わっていたりと、 何ら違和感をおぼえることもなく様々な宗教の仕事に従事していたりもする。
話がそれそうだ。神無月なんだ。そして、ここ大阪も今日は「寒い」と感じる日になってきた。 もう少し厚手の服でも着込もうかなぁと感じていた。そしてそして、どうやら神々が留守にしている月らしい。 神のいぬまにか世の中も様々な問題が勃発しているようだ。
投稿者 木村貴一 : 2005年10月23日 10:41 « シーンとしている。 | メイン | 一杯のかけうどん »