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2012年12月30日

市場

鶴橋の市場に長男の同級生Sくんの「あんこ」専門の魚屋さんがあって、お正月の食材を買いに朝から夫婦で地下鉄に乗って鶴橋に向かう。鶴橋と聞くと焼き肉屋さんとか、韓国系のお店がゴチャゴチャ並んでいる姿を連想するとおもうのだけれど、市場の東側にある疎開道路沿いから入ると新鮮な魚介類のお店がほんとうにゴチャゴチャいっぱいあって、十数年前に亡くなった明治生まれの祖父は、毎年の正月だけでなく、何ヶ月かに一度、そこの市場に新鮮な魚を買いにいっていた。

結婚するまでは、お正月前になると、おじいちゃんとおばあちゃんの運転手として、鶴橋の市場や黒門市場の前で食材を買い終わるまで待機して待っていた。それで、市場の中を祖父や祖母と一緒に歩いたことが一度もなかった・・・。初めてお正月前に歩く鶴橋の市場。ひとひとひとの中を押し合いへし合いしながらゴチャゴチャした通りを歩く。時折、奥方が、ここ、おばあちゃんが買ってた鰹節屋さん。ここでおじゃこ買ってた。ここで鮭買ってたわ。と聞かされると、当時の自分の内面的な状況と、皆を喜ばすために食材を買ってくれている祖父や祖母と、そして、いまここにいる「私」の心情。それらの情報が唐突に編集されて突発的に出会あったので、なぜか妙にセンチメンタルな気分になる・・・。周囲の威勢の良いかけ声と人混みのざわめきと冬の雨がそんな気持ちを助長するのだなぁ。

「まちのえんがわ」のピザを作るワークショップの1ヶ月ほど前に、奥方が食材を買いに鶴橋の市場に行くと、偶然、ピザワークショップの講師のイワオさんがお店の食材を買いに来ている時に出くわして、会話をかわしたらしい。それが、何かの引き金になったのかどうか、Sくんと長男が知り合ってかれこれ15年間、一度も行ったことがなかったそのSくんのお父さんのお店を尋ねてみようと、なぜかその日、そう想ったのだと云う。

うちの長男とSくんは仲が良かって、中学生の頃は、お互いの思春期に荒れ狂う反抗期を目一杯謳歌した仲でもあって、そんな裏事情もあってか、その魚屋さんで、うちの奥方とSくんのお父さんとが初めて会うと、お互いにあの時はねぇ・・・という、まるで戦友のように会話をしながら、あの時に戻れるのなら、「親として」もう一度やり直したいわ。と、Sくんのお父さんが語ったという。

その話を奥方から聞かされた「私」にも同じような気持ちがそれなりにあって、当時息子も大きく傷ついたのだろうが、親も諸刃の剣によって、かなりの傷を負っていたのだとおもう。そんな妙な裏事情が、荷物持ちの役割として、雨が降っていようが、槍が降ろうが、どうしても、鶴橋の市場までその店で「あんこ」を買いに行く切迫感のようなものがあって、今日、初めて会う、Sくんのお父さんとお母さんと手伝いに来ていたSくんと、しっかりと握手を交わした。そして、良いお年を!と「あんこ」と共に晴れ晴れした笑顔でお互いを労う。

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昼からは、奥方と私の母と私の弟の奥さんと4人で黒門市場へお正月の買い出しに向かう。もちろん何度も車の運転手として待機していたことがあったのだけれど、お正月前の黒門市場の賑わいは、恥ずかしながら初体験。鶴橋市場がゴジャゴジャして迷路のようで、なんともいかがわしい感じがして、でも独特の味わいがあって好きなのだけれど、流石に黒門市場は天下の台所といわれたほどの風格があって、一直線にドカーンと大道で、人人人人人っといっても心地良い混み具合で、お洒落なマダムや若者のカップルも多い。

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お正月の朝、おせちと一緒に並べる鯛と夜に食べるフグが今日のお目当てで、昔から買っている店があるらしくて、既に予約をいれてあるようだった。その他、鰻とか年越しそばの天ぷらとか、ついでにカレーとか、お味噌とかも。まぁなんだかんだ買ったわけで、とにかく店の人に活気があって、その活気が私たちお客さんと店に並べられた魚など食材との間の「通訳者」のような役目をはたしながら、食材とのコミュニケーションを促されて、この店のいま並んでいるこの切り身の魚は、海からとれた新鮮な魚やでぇ!と、「自然の恵み」を背景に感じさせられるところが、黒門市場と鶴橋市場の魅力なのだろうか・・。

前々回のブログ「カマド」で引用した大阪アースダイバーには、

(前略)
カマドはかつて家の中心におかれて、そこで食材も人生も、転換をおこしていた。
(中略)
さて、「都市のカマド」といえば、それは古来からの市場ときまっていた。マーケットともバザールとも呼ばれる市場は、実際カマドと同じように、さまざまなものの転換がおこる場所である。市場に運び込まれたいろいろな食材は、そこで交換されて、家庭の台所へ持ち込まれる。大地と海がもたらした恵み(贈与物)は、市場でお金に換算されて交換されるが、家庭の台所で調理されて、みんなの健康をささえる恵みに姿を変える。都市を大きな家に例えれば、たしかに市場はそのカマドにあたる。

年の暮れに都市のカマドたる黒門市場と鶴橋市場で、人混みに揉まれ押し合いへし合いしながら、自然の恵みたる食材を買って、お正月に家族と共にそれを分かち合う。行く年来る年の転換がおこり、お金の交換を通じて、自然の恵みが健康をささえる恵みへと転換される。そしてきっとこれら一連の行為が、心のリセットと心の転換を促進させるのだとおもう・・・。

この一年間、ブログをお読み頂きありがとうございました。

皆さん、良いお年を!

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2012年12月23日

労わる

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木村家本舗とも呼ばれているうちの庭のデッキのモミジは、今、紅葉真っ盛り。このモミジだけが、なぜか紅葉が遅い。昨年はお正月に紅葉した。階段の電球が植物時計を狂わすのだろうか。天皇誕生日紅葉、季節ハズレの紅葉と呼べばエエのだろうが、いやいや、ホワイトクリスマスならぬ紅葉クリスマスだな。時にはズレが味わい深さをうむ。

今年一年はこの庭とデッキで数々の宴を催した。

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4月は枝垂れ桜の花見の宴として、社員と大工と手伝いとが集まって催す、毎年恒例の宴会。お花見をこの庭で催すようになってから積極的に庭を活用するようになった。

DSC016285月の連休最終日にそれぞれが食材を持ち寄ってバーベキューをした。コトバノイエのカトウさんご夫妻、住宅風呂巡礼の温泉ソムリエぐっち、写真家タダユウコ、庭師のイエタニさん。

DSC05821お盆初日、ひょんなコトから、長男の同級生が、流し素麺パーティーをするというので、会社の加工場を提供した。その後の2次会をこのデッキで催すと、長男の同級生とアメリカ人とフランス人が参加。なのに、うちの長男は東京。

DSC05936お盆の前にガラステーブルを製作して、長方形の大型七輪を購入し、このスペースで宴会をやる気満々の「私」。そして夏休み子供たちが集まって花火大会。

DSC08320木村家本舗の準備の労をねぎらうために社員による前夜祭。結局、この後、4日間連続の宴会を催すコトに・・・。

DSC08426木村家本舗初日に庭で催された生け花パフォーマンス。

DSC08521木村家本舗二日目、鞍田さんによる村の茶会。椅子は「まちのえんがわ」のケンチク椅子製作ワークショップで製作した杉の椅子が仲間入り。

DSC08644木村家本舗3日目、鞍田愛希子によるアンフラージュの様子。デッキに観客が沢山。

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木村家本舗3日目の夜、非公式の句相撲がデッキで延々と続く・・・

DSC09000木村家本舗4日目昼、「ハニカミ写真館」が、白衣を着て、デッキの上で撮影会。

DSC09148木村家本舗4日目の夜、写真家ノモトヒロヒトさんによる鳥ピロ宴が賑やかに。

DSC09215木村家本舗5日目昼、grafの川西万里さんによる飲茶と道路(どうろ)のアコースティックライブの様子。とってもゆるやかな時間が流れる・・・。

DSC09291木村家本舗5日目夜最終日、小路美魔女3人によるお好み焼きパーティでした。

DSC09800このデッキでの今年最後の宴は10月30日で、NY在住のジャズシンガー古賀マリさんの帰国に併せて、大学時代のフリスビーの仲間が集まっての宴会。鰻の蒲焼きもあって、楽しい宴で締めくくった。

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木村家本舗が終わり、庭とデッキと木々にお世話になったなぁ・・・。という気持ちがなんとなく湧き上がってきて、それで、朝、庭の掃除をすることにした。まぁ、朝といっても一週間に4日ほど。

ここ数年は、朝7時頃から会社と加工場の掃除をするのが日課になっていて、別に決め事があるわけでもないのだけれど、やってみると、心まで掃除されたような気がして、なかなか心地良いので、それはある種の個人的な「趣味」としての掃除なのだとおもう・・・・。

それで、庭も紅葉が始まって、落ち葉拾いが大変な季節になってきたこともあって、会社の掃除の後、庭掃除もすることにした。こちらは仕事の都合があり、毎朝というわけにはいかないのだけれど、「土」や「葉」や「幹」に触れるのが何ともいえないエエ感覚があって、爪に土が入り込む感覚を久しぶりに味わう。まぁ、それにしても、落ち葉掃除というのは、根気がいるなぁ・・・というのが初体験の正直な感想。

そうそう、前回のブログにも少し書いた、木村家本舗でお世話になった村の茶会の鞍田さんと中沢新一さんと服部滋樹さんによるトークショーがあって、夜遅くにそれが終わり、その後の会話で、朝の掃除をしたいので、今日は早々に帰るわ。という私のコトバに対して、クラタさんが、「道元の正法眼蔵に、掃除は、大地を労わることみたいな話があったのを思い出しました。」という返答があった。「ダイチヲイタワル」というコトバの感覚に、なんだか腑に落ちるおもいがした。

「掃除は大地を労わること」かぁ。エエコトバだなぁ・・・。そうすると、「現場の掃除をして家を労わろう!」というのが工務店的コトバになるかね。

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木村工務店と「まちのえんがわ」では、
12月29日から1月6日までお正月休暇を頂戴します。

皆さん、Merry Christmas and a happy New Year

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2012年12月16日

ところで、民藝とは

写真: そしてピザ宴会。今回はカレーとナンも。本日は、住宅相談会があり、建築家のハヤシさんやヤベさんも仕事を兼ねてお見えになって、それで、前回のブログにも書いた、「カマド宴」をそれとなく催す。そうそう、そのカマド宴の合間を縫って、午後8時前に、ぎりぎりの投票に行く。本当のところは、「白票」を投じたい気分で、投票権は行使しますけど、成り行きにお任せしますわ。ぐたぐたと文句は言いませんけど、やることはしっかり見てますから・・・みたいな気分の白票。投票したくないひとの気持ちもわかるのだけれど、宴でのちょっとした選挙話題もあって、ま、その勢いと「私」といういまの立場も考えて、やっぱり投票に行くことにした、そんな今回の選挙。

こんな感じで住宅相談会とカマド宴と選挙という奇妙な組み合わせになったのだけれど、この一週間を振り返って見ると、この週全体が、とっても奇妙な取り合わせの一週間だった。

IMG_4012月曜日の夜、京都でマンションリフォーム工事をさせて頂いた、「ワサブロー」さんのコンサートに設計担当のヤマガタくんと一緒に行く。シャンソンを生歌で聴くのはもちろん初体験。最後の数曲は背筋がピンとなって対峙して聴きいった。職人芸をみたような感覚で、私たちも、それは木村工務店のことなんですけど、愛情をもってきっちりと丁寧に仕事をせなあかんな・・・と背筋が伸びた感じ。

2000年
仕事が創造性に富み、その質の高さにより、文化の
担い手としてフランス及び世界に貢献した人にフランス政府
から授与される芸術文化勲章“シュバリエ章”を 受章。
多数のシャンソンフェスティバル出演やテレビ番組への
出演等、30余年にわたって、主にフランスを中心に
活動する。

ワサブローオフィシャルサイト http://www.wasaburo-paris.com/
ワサブログ http://wasaburo.cocolog-nifty.com/paris/

水曜日の夕方、「まちのえんがわ」に近くの小学生が大勢で遊びに来て、走り回って遊ぶ。やんちゃだけれどカワイイ。何でもやり過ぎたらアカンでぇ。と、窘めるものの、内心は、どことなく嬉しいのだ・・・。

はしゃぎすぎるのを制御するために、一緒に本を眺める事にした。小学生がビジュアル的に読めそうな本を瞬発的に手元で探すと縄文土器の図鑑のようなものが目に止まって、一緒に眺める。火炎土器の写真を見て、うわー、カッコエエ・・・と歓声が出て、そんなコトが嬉しかったりするのだった・・・・。

 

IMG_4038金曜日の夜、木村家本舗で「村の茶会」を催してくれた鞍田さんと前回のブログでの大阪アースダイバーの著者である中沢新一さんと第一回の木村家本舗から関わってくれているgrafの服部さんとによる「〈民藝〉の野生と僕らの時代」というトークイベントが京都のMEDIA SHOPであった。

民藝とは、手仕事による生活道具のことですが、素材や制作には、地域の自然条件が密着に関わっています。民藝における大きなテーマ「自然と暮らしとの関わり」について問い直すことが、今回のテーマ。
ゲストは人類学者の中沢新一氏と、graf代表の服部滋樹氏。
「民藝は、3・11後の日本のひとつの灯台である」と位置づける中沢氏と、「民藝の中に時代を生き抜く可能性」を見いだす服部氏。
ふたつの対談を通して、〈民藝〉という言葉=思想をシェアすることが、自然と共存した暮らしのためにどんな答えを与えてくれるのか、そこから私たちはどういう暮らしの可能性を紡ぎだせるのか。現代の識者が語る「民藝」最終章となるトークは必聴です。

「私」の世代からすると、民藝というコトバが民芸調家具や民芸品というイメージを連想させて、かなりの拒否反応があるものの、話をじっくりと聞くと、民芸という、柳宗理によって生み出された造語を本来の思想にもう一度リセットしようよ。という事なのだろう。

トークイベント終了後、立ち話の中で、「まちのえんがわ」というのは民藝運動みたいなものやね。という服部くんのコトバがあって、本当は、京都で、夜な夜なその話について、もう少し深く話し合いたい気分なのだけれど、すでに23時30分になっていて、それに脳内では、明日の習慣になっている早朝の掃除、午前中の打ち合わせ、忘年会、翌々日の住宅相談会とカマド宴と選挙、50代という年齢、まで含めた、エエ加減な演算処理がぐるぐると回っていて、その上、後半から参加したコトバノイエのカトウさんが、家まで送ってくれるという、有難いお言葉まで頂戴していて、頭と心が微妙な躊躇と混乱を繰り返しながら、はじき出された答えが、今すぐ電車で大阪まで帰る。だった。

地下鉄の終電と京都駅からJR普通の終電に乗って大阪駅に到着したら午後1時を過ぎていて、タクシー乗り場に向かうと100人近く並んでいた。もちろんこんな事、初体験。15分ぐらいは並んだけれど、5分に1台ぐらいしかタクシーが来ず、前のひとを数えると60人近くのひとがいて、どう計算してもタクシーに乗るのに明け方までかかる訳で、冬の寒い夜中にこうして明け方まで並ぶ事を想像すると忍耐力が一気に途切れて、唐突に列から脱出し、新地の方に向かって小走りに歩くコトにする。十分ほど歩くうちに大阪駅に戻ってくるタクシーが、すっと止まってくれて、助かったぁ・・・みたいな。それにしても、あの列の人たちどうしたのだろうか・・・。

写真: 一番元気な夫婦写ってます。

土曜日の夜は、会社の忘年会。社員と大工さんと手伝いさんの総勢31名だったけ。ここ3年ほどは、がんこ寿司の平野郷で催していて、それは役員の方のお宅をリフォーム工事させて頂いたご縁で、大きな倉を改造した一棟の個室を予約してもらえて、ワイワイと大騒ぎしながらも、落ち着いた心持ちの忘年会になるのは、場所の持つ力が、大いに関係しているからだろう。

写真: これから二次会ー!!そうそう、会社から平野郷までの送迎バスの中が、宴会場より、異常な盛り上がりになるのは、大工のフミノくんの面白い「ボケとツッコミ」のお陰であって、それは、「木村工務店」の「ひと」というのが、雇用関係としての社員だけでなく、大工さんや手伝いさんも含めて「木村工務店のひと」なのだ。という、柔らかな心の繋がりがあるからだとおもう・・・・。

それで、本日の冒頭の相談会とカマド宴と選挙の日曜日。ところで、これからの「日本」というシステムの「灯台」のひとつが「民藝」なのだと云う。皆さん、どう感じますか・・・。

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2012年12月09日

加工場とカマド

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木村工務店の加工場は、戦前に建てられたらしい。「戦前」というコトバを発声すると、なんだか、いまという時代にそぐわないコトバのような気がしてくるのは、「震災前」とか「9.11以降」とか「あの東北の大震災」などなど、戦争に匹敵するような大きな出来事があったからなのだろうか。まぁ、それはともかく、加工場は、昭和10年代に祖父によって約12mスパンの木造トラス組として建てられた。

そのトラス組の下に木材の加工機械がびっしりと並んでいて、山の製材所にある帯鋸と全く同じ機械がこの大阪市内の下町の中にドカーンとあって、20年ぐらい前までは、加工場に、通称、谷やん、という加工専門の職人さんが常駐していて、加工機械たちが、堂々と現役で稼働していた。その谷やんが、高齢で引退して以降、主をなくした木工機械たちの稼働率が激減し、加工場は、ほこりまみれの機械置き場の状態となって、数年間が経過する。

幼稚園や小学校の低学年の頃は、様々な木工機械から発生する大きさの違う様々な「おが屑」が山積みになっていて、そんな加工場で遊ぶのが大好きで、そのおが屑の中にダイビングして潜り込んでは、体中をおが屑だらけにして遊んでいた。谷やんにも面倒をよく見てもらったものだ。そんな楽しい想い出の記憶が、加工場でのワークショップへと「私」を駆り立てているのだろうか・・・・。

その加工場の中で、今年の1月は、お餅つきをし、2月は、「まちのえんがわ」の正式なワークショップとして、板金ワークショップを始めて、それ以降、毎月のようにワークショップを繰り返せたのは、スペースとしての「加工場」のお陰なのだろう。そしてそれは、戦前の木工機械という「機械」が主役の20世紀型加工場から、「ひと」が主役の21世紀型加工場への「転換」がもたらしたお陰なのかもしれない。そうそう、最近その加工場に加わった脇役があって、それはピザ釜という「カマド」。

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社員とも夜な夜な、ピザ釜ミーティングと称した単なる宴会を何度か繰り返しているのだけれど、そこで社員が、シャチョウ! なんで、こんな!(それはつまりピザ釜の事なんですけど)造ることにしたのですかぁ!と、シャチョウの道楽に呆れ返った様子で聞かれる事があって、その答えに困りはてて、「なんとなーく」と、しどろもどろの歯切れの悪い返答を繰り返へす昨今。

最近読んだ本の中で、お気に入りは、「土偶・コスモス」と「大阪アースダイバー」で、土偶コスモスは、暖炉の横でゴロンとしながら何度も何度も繰り返し眺めるのが好み。もうひとつの大阪アースダイバーには、大阪の下町で生まれてこのかた2ヶ月以上この場所を離れた経験がないないこの「私」にとっても、なるほど、そうそうと、大阪の歴史的経緯に頷かされて、それで、時間ができると、たまに表題ごとに何度か繰り返し読んでいる。その中に、カマドと市場という表題があって、「カマド」に関して、そこにはこんな事が書かれてあった・・・・。

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「物事の「転換」を起こす象徴としての「カマド」という装置を造りたかったのだぁ!」
と「私」。間髪入れずに、「なにをカッコエエ事ゆうて、単なる宴会用のピザ釜ですやん!」と大阪弁のツッコミ。なんていう台詞になるのだろうが、「加工場」にある「カマド」が「暖」と「食」を通じて、コミュニケーションの誘発と転換を図る装置であることは確か。

そうそう、それはそれとして、本日は、「花を生けるとはどういうこと? 生け花ワークショップ」を催して、寒波が押し寄せる、メチャクチャ寒い日に、16組の皆さんがお越し頂いて、暴風シートと石油ヒーターとカマドで、なんとか加工場の寒さを乗り切ったのだけれど、なによりも、講師の横澤さんによるレクチャーの影響力によって、同じ材料を使っても「ひと」によって、出来上がった「モノ」に、これだけの個性の違いがでるのだなぁ・・・と、あらためて、「個性」というものの面白さとその大切さを体験したワークショップだった。詳しい内容は「まちのえんがわ」ブログに譲ろうとおもう。

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こんな訳で、本日は、「加工場」と「カマド」に感謝の意を捧げておこうとおもう。

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2012年12月02日

サイクリング

「まちのえんがわ」がオープンしたのは昨年の12月1日のコト。静かにオープンし、静かに1周年を迎えた訳で、それでもそれなりに沢山のひとがワークショップに参加して頂いて、感謝という、ありきたりのコトバだけれど、やっぱり、そんな言葉が、じわっと、わきあがってくる。

2回前のブログ「家族写真」で、オープンした最初の日曜日に住宅風呂巡礼を始めた経緯を書いて、それは木村家本舗が産んだ「縁」なのだけれど、一周年の12月の最初の日曜日の今日に「サイクリング」に行くという、とっても唐突な出来事が降って湧いてきて、それは「まちのえんがわ」が産んだ「縁」なわけ。

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今朝の8時。ヘルメットが全く似合ってない「私」で、我ながら笑うのだけれど、logo_wilierそんなコトはさておき、右のひとがキタムラさんで、イタリアのウィリエールというジロ・デ・イタリアというロードレースで優勝したロードレーサーを販売する営業マンで、かつては、自転車のプロを目指して練習していたそうな。そのキタムラくんが、自転車で生野区小路界隈を走っているときに偶然「まちのえんがわ」を見つけて、ちょうどその日が田中共子さんによるステンドグラス製作のワークショップ開催日だったので、その雰囲気を見て、唐突に参加します。なんていう感じて、突然即決のワークショップ参加者になった。

そんな縁で、その後も何度か「まちのえんがわ」を訪問してくれて、ロードレースを応援するためにイタリアに何度か行っていてる時の話題などで、話がはずんだ。ある日、「まちのえんがわ」でキタムラくんと話をしていると、「自転車貸しますから一緒にサイクリングに行きましょぉ」と軽やかなお誘いがあった。その時、一瞬、脳内をよぎったのが、一年前に、温泉ソムリエぐっちに、「住宅のお風呂をめぐりましょぉ」と軽~い気持ちで誘って、軽やかに即決の「はい」という返事がきたその場面だった。物事の因果関係の法則からすると、ここで「私」が軽やかに「はい」と答えることが、「全体の流れ」を止めない「礼儀」なのだと、なぜか瞬時に、そう思った・・・・。

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いろいろな事情が重なって、今日という12月の最初の日曜日がサイクリングの日となったのは、住宅風呂巡礼から続く「流れ」がそうさせたのだと、こじつけたい気分なのだけれど、それに気付いたのは、このブログを書き始めたつい先ほどの事。それはともかとして、こんな美しいイタリアンデザインの自転車を3日ほど前に、わざわざ持ってきてくれて、26万円ほどもするカーボン製だという、そんな高級品を、「まちのえんがわ」や会社に置くわけにもいかないので、保管のために、家の玄関に置いていたのだけれど、玄関扉を開ける度に、カッコエエデザインやなぁ・・・と、3日間、呟き続けた。

「サイクリング」というコトバで、「私」が連想したイメージは、長男が幼稚園の時に、補助車輪を付けずに自転車に乗る練習をするために、子供自転車を車に乗せて、明日香まで行って、私たち夫婦はレンタサイクルを借り、石舞台などなどをサイクリングし、長男は、夕方になる頃には、補助輪を使わずに自転車が乗れるようになっていた。楽しい想い出。津和野で家族4人でレンタサイクルを借りてサイクリングした。きっと最初で最後の家族4人揃って自転車に乗った楽しい想い出。能登の大島海岸の砂浜をわざわざキャンピングカーに自転車を積んで持って行って、早朝砂浜をサイクリングした想い出。そんな感じで、「サイクリング」というのは歩くよりはスピードが出て、行動範囲が広がる、楽しい散歩。ぐらいのイメージしかなかった。それで、軽やかな気持ちで参加表明をした訳。

紅葉の京都までサイクリングして、珈琲でも飲んで、それなりに心地良い疲れで帰ってくる。なんていうイメージだったのだが、貸し出された自転車とキタムラくんのメールから発散する雰囲気が醸し出すのは、どうも、「スポーツ」としての「サイクリング」なのだ。えっ、山を登るらしい・・・。十三峠・・・。信貴山・・・。のどか村・・・。あれっ?、大丈夫?、そんな訳で、この日が近づくに連れて、ちょっとした緊張感が、体と心のどこかに宿りはじめる。そうそう、車で走っている時に、よう、こんな坂、自転車で、登りよるなぁ・・・。って呟くときがあるのだけれど、その呟かれる側になる覚悟など、今日の午前中に自転車で坂を登って、車で追い越されるまで、まったくなかった訳ですから。

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つまるところ、こんなコースを走った。途中でIPHONEの調子がおかしくなって、距離と時間とポイントがずれているのだけれど、走行距離約50km、走行時間5時間、350mほをど登り降りしたらしい。十三峠の坂道では多くの登坂するサイクリストに出会って、会話をした。全くいままで縁もゆかりもない趣味とスポーツの世界の人たちだった。十三峠の登り口で出会った5人組のサイクリストに、キタムラくんが、このひと、初めてサイクリングを経験するんです。この坂これから登るのです。と紹介すると、全員が一斉に、えー、それはちょっと無茶ですわ。と感嘆とも非難とも応援ともとれる歓声。まぁ、初めてやったら、峠までで、3回足付いてもよろしいですよ。という、笑顔の応援メッセージをもらう。もちろん、笑顔でありがとう!頑張りますわ。と答えるものの、「私」、ほんとうに、それがどんな事を意味するのか、その坂を登るまで全く理解できていなかったわけです。

サイクリストの呪縛どおり、3回自転車を降りて休憩をし、頂上少し手前の坂ではその5人のサイクリストが峠から気持ちよさそうに坂道を下ってきて、もう少しですから、頑張って!と、励ましを頂戴する身分と状況な「私」であったわけで、皆さんの想像通りのへろへろな状態で、峠の展望台にたどり着く。兎に角、足と腰はがくがく。でもなんか、いっぱい呼吸したので、太もも以外は、不思議に元気なんです・・・・。

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奈良の三郷町方面に抜けて信貴山でお饅頭を食べて休憩し、のどか村に向かう。もう下りばっかりだと思っている時にあらわれる登り坂の憎たらしいこと憎たらしいこと。ついに自転車を降りて坂道を数百メートル歩いたりして、またへとへとで、のどか村に到着。今度は、ほんとうに下り坂だけ。それも堅下の葡萄畑沿いのかなり急な坂道を爽快に下るものの、慣れないハンドルの姿勢で、腕も、それにサドルが、なんかワタシのお尻の形に合わなくて、座るのも辛いぐらいに痛くなる弱気な状況。

しんどそうなコトバばかり表記しているのだけれど、「まちのえんがわ」に帰り着いて、終わってみると、しんどくてもメチャクチャ楽しい「スポーツサイクリング」を体験したのだ。という、とっても「ハイ」な気分で満たされている「私」で、ここは、やっぱり、大阪人らしく、キタムラくんおおきに。

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そうそう、前回のブログが「意味」の「変化」だった訳で、キタムラくん曰く、イタリアでは、「お金持ちが自転車をし、貧乏人がサッカーをする」なんていう言われがあるそうです。とか、十三峠は大阪サイクリングのメッカなのだ・・・。という話をしてくれて、とっくの前から「サイクリング」というコトバが指し示す「意味」が「変化」している事に全く気付いていなかった「私」なのでした。

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