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2006年07月30日
セミ
今朝、蝉のうるさいぐらいの鳴き声で目が覚めた。長い間雨が続いたなぁ・・・。 ようやく夏がやってきたのだなぁ・・・・。と、枕元でおもった。それにしても、蝉の大合唱というよりは、 なんだか一匹の蝉がソロ歌手の歌声のように、大きく反響して聞こえてくるではないか・・・・。布団から起きあがって、 蝉の鳴き声がする方向を辿ていくことにした。そして、食事室の天窓を見上げると、そこに蝉が居た。おもわず、 先日の食事室に迷い込んできた青すじアゲハのことを思い出した。 そういえば、昨日は暑かったので、あちこちの窓を開けっ放しにして、寝たなぁ・・・・。
蝉の鳴き声が反響して、かなりけたたましい音だった。手で捕まえることにした。すると、 猛烈な悲鳴を上げて訴えてきた。「掴むなぁ!」とでも言いたかったのだろう、咄嗟に捕まえた蝉を離してしまった。そしたら、 今度は私の足の上に留まった。というよりは足の上に着地したと呼んだ方が相応しいなぁ・・・・。
もう一度セミを掴んだ。今度は観念したのか、静かに、指の間に収まったが、それは死んだふりのようにも見えた。 もうこのまま元気なく死んでいきそうな、そんな雰囲気だった。虫には虫の知恵があるのだなぁ・・・・・。
指に掴んだまま食事室からデッキに出て、空に向けて放り投げた。ひょとして、このまま墜落するのではないだろうか・・・と、 ほんのコンマ何秒か心配が過ぎった。しかし、そんな心配など、あっさりと裏切りながら、 勢いよく元気に蛇行しながら夏空に向かって飛んでいった。一瞬の静寂ののち蝉の大合唱がまた始まった。
そういえば、昨日も暑っ~い一日だったなぁ。そんな中で上棟式があった。 御神酒と塩とお米を祭壇に見立てた板の上に置き、御幣に向かって二礼二拍手一礼で お参りをする。その後、 柱の四角にそれらを撒く。 全国どこでも一緒なのかなぁ・・・?
それにしてもいつもながら不思議な儀式だとおもう。先日も富士山の頂上で二礼二拍手一礼をした。昨日の上棟式でもそうした。 そういう動作が、祈りを捧げるための動作だと決めたのか、それとも発見されたのか、よく判らないけれど、 とにかくそんな様な習慣が日本という国の中にいかにして生まれそして、根付いたものなのか・・・・・・。
・・・てなことを、朝起きがけの一連の出来事の続きとして、ほんの数秒だけ頭の中を走馬燈のように駆けめぐったけれど、 蝉の暑ぐるしい鳴き声とともに一瞬にかき消された。
2006年07月23日
フジパワー
数年前に家を建てさせていただいたご主人が登山中に滑落して亡くなられた。その葬儀が今日、神戸であった。三人の方の悼辞も、 最後の奥様の挨拶も涙を誘う、心のこもった話だった。帰り道、阪神高速道路神戸線を走りながら、「人生」って一体何だろう・・・・。 「生命力」って一体何だろう・・・。と何度も頭の中をよぎった。ご冥福をお祈りしたい。
調度、その事故があった先週の海の日の連休に、小学生の息子を連れて、風雨の中、富士登山をしたものだから、 よけいに身につまされる思いがした。その日、富士山に登ることになったのは、3つほどの事情が重なったからだった・・・・。
もう7年ほど前、会社の旅行で、富士登山をした。その時も雨風にたたられた。30人近くの人数で登ったものだから、 思ったより時間が掛かってしまい、9合目から頂上までの登山者の渋滞と、帰りのバスの時間と、風雨のせめぎ合いで、結局、9合目で断念して、 下りるjとを決断した。若い社員はまだまだ力が有り余っていたのだが、まぁ、団体行動だから仕方ない。今でも、それはそれで、社内では、 思い出話として話題になるくらい、皆にとっても、私にとっても印象的な社内旅行だった。それで、なんだか、やり残したようで、 気になっていた。会社を代表して、何時かは登っておきたいと思っていた。
海の日を祝日にする実行委員会の事務局をしている人と、たまたま知り合いだった。それで、10数年前、 祝日にするための署名活動に社員の人も一緒に協力してもらって、署名をした。
その海の日の事務局の人は、何と山好きの山男だった。毎年、海の日に100名山のひとつに登って、その頂上に海の日の旗を立てるのを 「生き甲斐」にしていた・・・・。ところが、この4月に病で亡くなってしまったのだ。 海の日が制定された第一回目の登山が富士山だったらしい。以降、毎年どこかの山に出没し、頂上で、海の日の旗をバックに記念撮影をしていた。 そして今年はその11回目にあたり、追悼登山として20人ほどで、富士山に行く事になった。
最後の事情は、小学生の男の子を持つ父親だからかなぁ・・・。独りだけで行くには、いまいち、モチベーションが不足なのだ。 息子と富士山の頂上に立つぞぉ。というぐらいの負荷がないと、仕事の合間をかいくぐってまで、行く気になれなかったりする。 息子にとってはエエ迷惑な話かもしれないなぁ・・・。それでも、「登るかぁ?」と聞くと、すぐに「登りたい」と返事が返ってきたので、結構、 安堵した。
そんな訳で3つの歯車が何となくかみ合た。それに、たまたま仕事の休みも取れたので、16日の早朝、 息子と二人で車で出発することにした。ちなみに、奥方は「10万円もらっても行かへん」とはっきり言い切った。 東名高速の御殿場インターで降りて、須走口という富士山五合目の駐車場に着いたのは9時頃だった。到着してまもなく、 猛烈な勢いで雨が降り出した。車の中で、息子が「登りたくない・・・」と言い出した。私も同じように思ったが、まぁ、兎に角、 眠たかったので、寝ることにした。
1時間以上も寝て、起きると、雨は止んでいた。駐車場から富士山の頂上が見えた。 その富士山を見て、息子が「な~んや、富士山て、
近くで見たら、普通の山やな」と・・・・。確かにそうやなぁ・・・と頷 きながら、一緒に頂上を見上げた。
反対側の下界の町並みは雲の下に見え隠れしていた。
11時過ぎに20人ほどの仲間が集まって、ぼちぼとと登ることになった。 吉田口の方とは少し違って、森林があるのが、良かった。高山植物もあるようだ。天気はよくなかったが、雨は降っていなかった。 途中の祠で登山の無事を祈願して、登りだした。
その日の宿泊地、7合目の太陽館に到着したのは2時頃だった。太陽館のNさんがこの集まりの人たちと仲間だったこともあり、 いろいろとお世話になった。
山小屋といってもトイレがすごく綺麗で、簡易水洗になっていたり、清潔だった。食事だって豚汁やハンバーグなんかが出て、
それなりだったなぁ・・・。ソーラー発電や風力発電、それに天水を貯めた大きな水槽があって、こんな過酷な条件で、
何十年間も建物を維持管理する知恵を、機会があったら、もう一度訪ねて、ゆっくりと教えを請いたいものだなぁ・・・・・・。そうそう、
風力発電には鳥がぶつからないように網かごのようなものをかぶせてあったのが印象的だったなぁ。
柱も梁も5寸ほどの幅の広い材料を使ってしっかりと組んであった。金物もきっちりと使ってあった。雪と風の力っておもいのほか凄いらしい・・
・・。山の上から小屋を眺めると、なんだか、格好ええのだなぁ・・・・。
太陽館のご主人から少しだけお話を聞けた。いろいろな話の中で、「以前は壁板に檜を使っていたけれど隙間が空いて大変だったなぁ。 今度は杉板を貼った。杉の方がずっと具合がいいねぇ・・・」なんて、いう話が面白かったなぁ・・・・。夕方、下界の夜景が少し見えた。
翌朝は4時に食事だった。須走口からの登山では、頂上に登らなくても、ご来光はどこからでも拝めるらしい。生憎、天気はよくなかった。 小雨交じりだった。時折、強い風が吹いた。5時前、下界の芦ノ湖が少しだけ照らし出された。雲の合間から日の光が少し見えた。それが、 その日のご来光だということに、とりあえずしておこう。
天気は最悪だった。半分の人たちは頂上に行かないと言った。息子にどうするかと聞くと、「登る」と言う。そんなわけで、10人ほどで、
頂上に行くことにした。雨具をしっかり着込んでの登山となった。
普段の運動不足を嘆きながら登った。8合目の次が本8合目という表示だった。結構、それなりにしんどくて疲れているのだから、 そんな冗談、聞きたくないよね。こんなところで、どちらが本物かの争いはゴメンだなぁ・・・と、 くだらないぶつくさと付き合いながら登り続けた。そうこうしているうちに、9合目を過ぎたところで、風雨の影響もあって、「もう、登らへん」 と息子が下を向いたまま顔を上げようとしなくなった。ひょっとして、涙ぐんでいたのかもしれない。 それまでは全く快調で常に私より数十メートル先を歩いていたのだが、ついに、私の数メートル後をトボトボと俯いて付いて来だした。 視界が良くなかったこともあり、果てしなく登りが続いていきそうだった。
無理をする必要もないかなぁ・・・・。今回も9合目で断念かなぁ・・・。なんて、おもいがよぎりながら、ゆっくりと、 ほんとうにゆっくりと、でも止まらずに歩き続けた。後ろから、太陽館のNさんが追いついてきた。 「あそこに見える登りををぐるっと回ったら到着だから、もう少し頑張ってぇ」と息子を励ました。「何合目に到着ですか」と私が聞いた。次も、 本9合目かな、なんていうような不審の念が頭にずっとあったのだ。「頂上」という簡潔明瞭な答えが返ってきた時は、正直、嬉しかった。 それを聞いた息子は俄然張り切りだした。私を追い抜いて一気に頂上まで行ってしたまたのだ。先ほどの態度は一体、何だったのぉ。
確かに、山を歩いていると、人間の心理って面白いなぁ・・・と思う。きっと、 そんな内的に起こる、ブツクサな戯言を全く考慮しなければ、意外と物事はスムーズに運ぶのだろうなぁ・・・・。
それにしても、頂上からは全く何も見えなかった。風も強かった。 頂上にある山小屋の扉をガラガラと引くと、お賽銭箱にお社が目の前に現れた。何とそこは神社だったのだ。あとで外をよく見ると、 確かに、神社の看板があった。それほど、視界が悪かったのだ。
まぁ、そんなわけで、 頂上にて二礼二拍手一礼で感謝した富士山詣でだった。
2006年07月16日
10万アクセス感謝
ホームページがもうすぐ10万アクセスになるなぁ・・・・と思っていた。 10万アクセスをゲットした人には記念品でもさしあげようかなと考えていた。このブログでアナウンスでもしたら、ええかな。 とのんびり構えていたら、昨日の朝、気がついたら、もう既に10万を超えていたのだった。 おまけにカウンターの数値を5桁にしていたものだから、私がアクセスしたときは「00025」と「1」なしだった。そうだ、きっと、 10万人目の人は「00000」となっていたのだろうなぁ・・・・。「00000」の人って、どなた様でしょうか。よろしければ、 メールでも送って下さい。
おそらく、アクセスの半分ほどは木村工務店の関係の人たちだと思う・・・・。それにしても、 沢山の人がホームページを見ていただいたわけで、ほんとうに有り難い。ホームページを見ていただいた皆さん、どうも有り難うございました。
振り返ってみれば、1997年に2月にこの kimuko.net というアドレスを取得して、 それなりに体裁を整えたホームページを仮オープンしたのが1998年の8月1日なのだ。それから数えれば、約8年ほどになるのだなぁ・・・・ 。今の形式のホームページになったのは2002年の4月からで、だいたい、そのあたりから、本気で、ホームページで、 自分たちの会社の事を伝え、木村工務店の家造りを伝えてきた。
おかげで、ホームページを通じて、沢山の方と知り合いになり、家を建てさせていただいた。皆さん、お変わりございませんか? その節は有り難うございました。家の不具合でもありましたら、ご連絡下さい。・・・・・と、こうやって、 語りかけられるのもインターネットという新しいコミュニケーションの技術が誕生したおかげだなと思う。コミュニケーションというものが、 大切な「技術」だということを気付くことになったのもインターネットに出会ったからだなぁ・・・・。
最近、木村工務店の家造りもお客様とのコミュニケーションからプランを作り上げていくことが、ますます増えてきた。 たたき台案だけを作って、集まって話し合う。その話し合いの場は、プレゼンテーションの場というよりは、設計ミーティングの場であり、 一緒にアイデアを出し合い、プランを生み出すような場だったりするのだ。そこでのアイデアを社内で整理して、まとめる。
なんというなかなぁ・・・。インターネットを通じて知り合った人たちとフェースtoフェースで、膝をつき合わせて、 コミュニケーションをすることで、そのお客様に合った家が生まれてくる。そいうい過程が楽しかったりするのだなぁ・・・・。
まぁ、そんなわけで、木村工務店のホームページと皆さんとのささやかなコミュニケーションを大切にしていきたいと思いますので、 今後ともお付き合いのほど、よろしくお願い致します。
2006年07月09日
前世
土曜日の夜、遅くまで、打ち合わせが続いたので、家に帰るのが遅くなった。家に帰って、 服を着替えようとすると、奥方はもうすでに、寝る体制に入っていたのだった。「しゃぁないなぁ・・・」 なんて言葉には出さないけれど、「よっこらしょ」というような感じで、起きあがって、食事の準備をしだした。 主婦家業もなかなか大変だ。
食事室のテーブルに座る。部屋に影絵のように蝶の姿が映し出された。えー、なんだぁーっと、不思議に思うと、何と何と、 食事室で私の帰りを待っていてくれたのは、奥方ではなく、乱舞する一羽の 青すじアゲハだったのだ。
昼間から、入り込んで、待ってくれていたらしい。確かに、何とも身勝手な解釈だ。私を待ってくれているはずなんて、 あろうはずもないのだが、まぁ、そんな風に解釈する事にした。その方が深夜の食事が楽しいではないか。そういえば、 以前のブログに青すじアゲハという題で書いたことがある。 あの時は、居間でテレビを見ている時に青すじアゲハが突然舞い込んで、さぁっと、姿を消した。一年前の9月の事だ。きっと、 この青すじ君はその時の子孫なのだ。とそう思うことにした。
今の家をリフォームする6年ほど前まで、ミニチュアシュナウザーを13年間ほど、飼っていた。家族同然だった。 犬が死んだからリフォームをしたようなものだ。私が家に帰ると、猛烈な勢いで玄関まで走ってきて、私を迎えに来てくれた。
ちょうど、昨日の土曜日の朝に訪問した家で、ヨークシャテリアをシュナウザー風にカットしてある犬を飼っていた。思わず、以前、 我が家で飼っていた犬の事を思い出してしまった。その訪問した家には生後半年ほどの子供さんが居た。 シュナウザー風カットの小犬と小さな子供さんを見て、思わず、我が家のシュナウザーと生後8ヶ月になる息子を連れて、奥方との3人と一匹で、 飛行機と夜行列車を乗り継いで、バックパックを担いで、レンタカーで、北海道をキャンプ旅行した時の事を思い出したのだ。そして、 そんな話をそのお宅で語った。
このブログを書いている日曜日の夜の「いま」、その我が家の犬が青すじアゲハとなって、 昨日の土曜日の夜に食事室に遊びにjきてくれたのだぁ・・・と、解釈してみることにした。なんで、そんな、解釈ごっごをするのかと言うと、 先日、奥方が、ミナミで、前世占いに行ってきたのだぁと、家で食事をしながら、大騒ぎでその話をしてくれた。なんでも、 1000円で1世代前を占ってくれるらしい。真偽のほどはともかく、兎に角、なんだか不思議に「おもろい話」だったのだ。
青すじアゲハ君と犬と前世占いとそれにきっと疲れが結びついたのだろう。不思議なおもいが脳を駆けめぐっていたのだ・・・・。 そういえば、昨日の夜の青すじ君は今朝、見かけなかった。どうなったのだろうかと、ふっと青すじ君の姿がよぎった。 奥方に聞いてみることにした。そしたら、「そうそう、今日の夕方、会社の前を通りかかったら、会社の植木の前を青すじ君が乱舞していたでぇ。 きっとあの青すじ君に違いないワ。」ということらしい・・・・・?
2006年07月02日
ご挨拶
一週間があっという間に過ぎた。時には、だらだらと、長がぁぁい一週間もあるが、今週は、まるでハードル走のようだった。
仕事で奈良に行く用事があった。誘われるままに出向くと、それは若草山の前だった。何年ぶりだろう・・・。
京都とまた違う良さが奈良にはあるよなぁ・・・。ゆったりしてるよなぁ・・・・。それにしても、土産物屋さんも旅館も少し寂れていたなぁ・・
・。
夜には、兵庫県の川西で土地を見た。我が町生野区小路と違ってゴミゴミしてなくて、京都と奈良の違いと同じだというには、
エエように言い過ぎやけど、1間半とか2間の間口の長屋が並ぶ下町とは違って、このあたりはゆったりとしていてエエなぁ。
こんな土地を手に入れられるのは、やっぱり幸せと呼んでエエのではないのかなぁ・・・・て。
次の日、土壁で建てられた家のリフォームの現場に行った。土壁の「ワレ」には、何とも言えない、リアリティーを感じるのだなぁ・・・。
30年ほど前に建てられた鉄骨造の1Kのアパートを見る。
鉄骨造でモルタル塗りの壁にスチールサッシュっていう建物はメンテにしてもリフォームにしても建築屋さん泣かせのやっかいな建物だなぁ・・・
と、いつも思う。ちょっと腰が引けるっていう感覚かな。
長屋のリフォームの現場に行く。内壁をばらしてみると、こんな状態だった。さて、さて、どう補強すれば良いものかぁ・・・・。それにしても、
もっと簡易に耐震補強の補助金が出ないものだろうかなぁ・・・・。「お上」にグズグズも言いたくなるよなぁ・・・・
ミナミの難波神社の前で森田建築設計事務所設計によるドアーズダイニングのレセプションパーティーがあった。こんな家に住みたいなぁ・・・
って人が結構いた。大谷石、杉板の型枠によるコンクリートの打ち 放し、木製建具、屋上緑化、暖炉。
いわゆる木造りの家もエエけれど、こういう家もエエでぇ・・・っていうとこかな。 そうそう、
古材で作られたテーブルも味があって、パッチワーク風で良かったのだなぁ・・・・。こんな家造りに興味がある方は、是非、
森田建築設計事務所と木村工務店とのコラボレーションで一緒に家を建ててみるっていうのは如何なもんだろうか・・・
(^_^)
週末は奈良の生駒市で地鎮祭があった。細長~い土地の前には雑木林があって、その木々の隙間から生駒山が見える。素敵な土地だった。 若い人たちは、皆、苦労して土地を探しているよなぁ・・・と、つくづく思う。個性的な土地を探して個性的な家を建てる。 そういう一連の流れは、家造りとして、人生のイベントとして、それはそれで、楽しいのだなぁ・・・。「参加者求む」っということで、また、 皆さんご縁があったらよろしくね。
夜はIAT STUDIO設計による八尾・F邸の竣工パーティーがあった。
お施っさんの下駄箱を覗くとご主人のレッドウイングやコンバースやナイキやニューバランスがわんさかあった。
ちょっとした靴屋さん以上だった。それにしても、奥様の邪魔やから持って帰ってぇ。という言葉にほんとうに素直に従って、
持って帰りたくなったなぁ・・・・。
そうそう、その席で、突然、その家のお子さんから花束を頂いた。面食らって驚いた。なんでも、社長就任のお祝いとのこと。いやぁ、 ほんと有り難うございます。そういえば、そうなんだなぁ。言いそびれていたのだが、 6月1日から木村工務店の社長という役割を担うことになった。皆さん、今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。 (*^_^*)
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