2016年01月03日

流れるままに

年末年始のルーティーンというのがあって、1月30日に黒門市場で、鯛や河豚やお造りや、なんだかんだ食材を買って、1月31日にも鶴橋市場でも、あれこれ買い足して、お昼に市場でお寿司でも食べたりして、夜は年越しそばでも食べながら、紅白からの行く年来る年を見て、新年を迎え、朝から座敷でおとそをしてから、地元の清見原神社に初詣に行くのが、ここ何年間かのルーティーンなのだけれど、そのそれぞれの中に微妙な変化があって、そんなのが時代の変化と流れなのだろう。

20151230_033033360_iOS暮れの黑門は、大阪のおばちゃんとおっちゃんが食材求めて、あわただしく歩いている市場だったが、昨年あたりからアジアからの観光客の若者や家族連れが増えてきて、ひとがいっぱいで、今年は半分以上が観光客のような感じで、それに伴い、立ち食いが出来るお店が急に増えて、wifiも繋がる休憩所もあり、食べながら歩く活気ある市場なムードに変化してきて、意外なところに観光客らしき行列が出来て、「商売」ってオモロイなぁとおもう。

お正月は、朝から、母屋の座敷で、おとそをするのが習わしなのだけれど、母屋はリフォーム中で、内部解体が終わった程度の工事現場の中に座敷だけがそのままポツンと残っていて、それでも、こんな理由で、一年にお正月の一度しか使わない座敷でのおとそを途切れさす訳にもいかず、座敷から一歩外に出れば工事現場というちょっとシュールなシチュエーションの中だけれど、DSC04944座敷でおとそをすることにした。昨年は親子2世代4人だけのおとそに長男の同級生が飛び入り参加した5人だったが、今年は、長男の奥さんと生まれて15日目の赤ちゃんが加わった親子3世代6人のおとそになり、新たな家族が増えて、そんなのを座敷の床の間が見守り続けているのだろう....。

祖父や祖母と共に歩いた黑門市場も私がお金を出して歩く順番が巡ってきて、床の間の前の席も祖父から父に移り昨年からは私が座る順番になって、ましてや孫という存在が、目の前に長男の奥さんに抱きかかえられて眠る姿を見る事になるというのは、想像もしていなかった出来事で、そうそう、心斎橋の大丸が昨年暮れで閉店したそうで、祖父は大丸が好きで、大丸の吉兆でよくお昼ご飯を食べていたが、小学生になると、月に一度、大丸のおもちゃ売り場に連れていってくれて、自分でおもちゃを選ぶのを一言も口を出さず長い時間じっと待って、買ってくれた。そんななかで、モノを見る眼とか迷いとか決断とか失敗とか後悔とか満足とか飽きることとかを学んだのだと思う。で、私もその恩を孫という存在に返したいが、その「舞台」だったレトロな大丸がなくなり、おもちゃというモノの時代性も大きく変化し、ま、そんなのが時代の流れというものなんだろう。

それはそれとして、木村工務店も、過去のご不満を真摯に受け止めながら、時代の流れと共に変化しつつも、変わらぬ何かも持ち続けたいと、そんな事を願うお正月でした。皆さん、あけましておめでとうございます。本年も木村工務店ともどもこのブログもご愛顧賜りますようよろしくお願い致します。

投稿者 木村貴一 : 2016年01月03日 23:59 « 潤い | メイン | 未年な一年。 »


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