« 2012年05月 | メイン | 2012年07月 »
2012年06月24日
クリエイティブな層
梅雨の晴れ間。一年に4回だけしか行かないゴルフ。それもコンペだけ。そのゴルフの帰りに会社に戻ると、いつも偶然遭遇する東大阪のTさん。昨日の梅雨の晴れ間のゴルフコンペでも、会社に戻ると、やっぱり遭遇し、昨年から3回連続の遭遇で、これは「偶然」なのか、それとも「縁」とよぶのか、とにかく不可思議。
そのTさんが、家族で、光る泥団子製作と左官工事のワークショップに参加してくれて、ご主人が造った泥団子が、皆さんからの投票で、一等賞を獲得し、それで、記念品として、多肉植物プランターを「まちのえんがわ」からプレゼントさせてもらった。そのTさんのお宅は、只今リフォーム中で、壁を自分で塗装するか左官塗りをする予定で、そんなコトもあって、左官塗り壁のワークショップでは、「体験」を越えて、ほとんど一生懸命な「練習」モードだった。
「まちのえんがわ」のワークショップには、親子の子供連れの参加者が最も多くて、主催者の私たちとしても、なによりも嬉しい出来事のひとつで、戦前に、大工さんたちによって造られた木造トラス組の加工場に、子供達の歓声が響く「音」は、なによりもの「元気」なのだと、こうやって今まで催してきたワークショップを振り返って見ると、そう思えてくる。そうそう、その中には「おっさん」の常連さんもいて、幅広い「年齢層」の参加者が、「一緒」にものづくりをする、そういう場として利用してもらえるコトも嬉しい出来事。
小学生や幼稚園児やそれより小さいお子さんたちをワークショップに連れて、ものづくりの何かを体験させてあげようという、ご両親の気持ち。それはいったいなんなのだろうか・・・・。日本や世界の将来を担う新しい世代の子供達。その子供達と一緒に「ものづくり」の「共有体験」をすることを通じて、「創造性」のある子に育って欲しいという願いが、潜在的にあるのではないのか・・・と、ワークショップでの「音」が、そう思わせる。
ものを実際につくる職人さんに育てたい、大工さんや左官屋さんのような職人さんになって欲しい。と考えているひともいるのだろうが、そうであるにしても、創造性のある職人さん、アイデアをもった職人さん、知識ある職人さんになって欲しいのだろうし、男の子であれ、女の子であれ、どんな職業を選択したとしても、創造性をもった人として生きて欲しい。というお父さんとお母さんの願いと、子供達の歓声が、加工場に響いているのではないのかと、ふとおもう。
先週の左官工事ワークショップの山本左官の職人さんのなかに、今年、大学を卒業し、それも女子の硬式野球部のピッチャーとして全国大会にもでた女子が、左官職人になりたいと、山本左官さんの門戸をたたいて、なかば、強引に弟子入りしたのだという。その女性左官職人Cちゃんの立ち居振る舞いを見ていると、左官職人になろうと心底努力している姿が、ひしひしと伝わってくるのだけれど、ひょっとして、その力点のポイントは、「職人」という生き方以上に「創造性のある人」として生きたいというところに実際の力点があるのではないのかと、ワークショップでの光景がそう思わす。
「まちのえんがわ」にたびたび訪問してくれる、ご近所のスヤさんが、「クリエイティブ・クラスの世紀」リチャード・フロリダ著という本を薦めてくれて、それを3分の2ほど読む。クリエイティブクラスとは「価値を新しく創り出す人たちの階級」なのだそうだ。このクラス=「階級」というコトバはいかにもアメリカ的で、とっても馴染みにくいコトバだが、価値を新しく創り出す「層」。「クリエイティブな層」が、全ての職業と職種の中を横断してありそうで、クリエイティブな層=職人の層という捉え方ではないのだろうし、職人の層のなかにもクリエイティブな層とそうでない層があるのだろう。
世界を変えるような創造性も素敵だが、誰もが持つ事ができそうな、日常に潜む、ほんの小さな創造性で充分なのだとおもう。「まちのえんがわ」のワークショップの楽しみ方というのがあって、そのひとつには、「ものづくりの不完全さと喜びを共有し・・・・」というのがあり、クリエイティビティに潜む、失敗や不完全さは大切な共有認識で、それぞれのレベルでの「不完全さ」があって、いやそうであるからこそ味わえる、ものづくりの「喜び」の共有こそが「クリエィティブな層」の本質なのかもしれない・・・・。
今日の午前中は住宅相談会に参加し、お昼からは第七回住宅風呂巡礼が喜連の家であった。晴れ男の異名を持つ温泉ソムリエぐっちのおかげなのか、梅雨の晴れ間の楽しい撮影となって、お風呂を提供して頂いた、うちのお施主さんであり、クリエイティブな層でもあるカナモリさんには感謝の気持ちをこの場を借りて、お送りしておこうとおもう。
夜になると、このブログを書くうちに、雨が降り出して、梅雨の雨音が響く、いまとここ。「まちのえんがわの人々」=「クリエイティブな層の人々」なのかどうか定かではないが、ただ、梅雨の雨音を聴きながら想起する、加工場に響く、クリエイティブな層のひとびとによって奏でられる木霊に、なぜか、感謝したい気分。
2012年06月17日
段取り
今年の2月から月に一度の日程でワークショップを催していて、そのお陰で、月に一度はそのワークショップがブログネタになるわけで、有難いのだけれど、またワークショップネタ。みたいな。2月の板金ワークショップ。3月のモビール製作と絵本ワークショップ。4月の廃材プランター製作と多肉植物ワークショップ。5月のステンドグラス製作と硝子ワークショップ。と続いて、6月の今日は、泥団子製作と左官工事ワークショップの日曜日だった。
木村工務店で左官工事がある時は、西宮にお店がある山本左官に依頼する。うちの左官屋さんは、代々、左官竹という左官屋さんが出入りしていて、もの心ついた時から、つるつる頭の左官の親方、阪井さんの姿が、とっても印象深く刻まれていて、その息子さんが、私が現場に出ている時は、左官工事のイロハを教えてくれた。つるつる頭の親方からは孫にあたるご子息たちは、皆がお医者さんになって、跡継ぎがいなくなり、左官業を廃業することになって、そのとっても上等な道具たちが、遺産として、ここにこうして残る。
阪井さんが廃業し、その後、何件かの左官工事の業者が入れ替わったが、数年前からは、山本左官と、がっちりと、チームを組んでいて、今では、その腕前に、全幅の信頼をおいている。その山本さんが、左官のワークショップをしようよ!と持ちかけた時から、積極的な姿勢で、そのワークショップを楽しみにしてくれて、「デモンストレーションに土壁を塗るでぇ!」と張り切ってくれた。
↓ 今日のワークショップの光景
それで、それに答えるために、ササキ大工で、真壁の木組みを造って、今日のこの日のワークショップがある1ヶ月も前から、土をこね、竹を組み、荒壁を塗り、裏返しをし、下塗りをし、と段取りをしてきた。ものづくりの基本は、材料と道具であり、段取りと後片付けなのだろう・・・・・・。
↓1ヶ月前の下準備
自分たちの技術以上に、皆に、左官鏝(コテ)を使って、塗り体験をしてもらいたい!左官を知ってもらいたい!という、左官職人たちの気持ちがひしひしとあって、そうそう、もともとこのワークショップを催そうとしたきっかけは、木村家本舗というイベントに、うちの広報のミカワさんの同級生の20代の女子がやってきて、「左官って何?」「見たことない?」という、そんなコトバが、このワークショップのきっかけを作ったのだった。それで、左官塗り体験壁を加工場内に製作することにした。
↓数日前の左官塗り壁製作の光景
↑ ワークショップ当日、午前中の下準備。
そうそう、今回のメインは、泥団子製作で、それはINAXのタケウチさんの協力があってのこと。INAXが製作してくれた、泥団子になる土ネタがあってこその泥団子ワークショップ。もちろん、そのための段取りもやっていて、「まちのえんがわ」で事前に、こんなふうにして、製作していた。
↓1ヶ月前の下準備
そんな様々な段取りがあって、ようやく今日の「泥団子製作と左官工事ワークショップ」
その当日の詳細は、「まちのえんがわ」ブログに譲ろうとおもう・・・・。
2012年06月10日
おとなのだんたい旅
朝起きて、10kmのランニングをし、朝風呂に入る。暫くお湯に浸かって、オッサンらしく、あぁぁエエ気持ち。とため息つきながら、ふと横をみると、小さなヤモリが、ゆで上がって死んでいて、ということは、つまり、そのエキスが入浴剤となっていたわけで、げぇっと驚きながら、お風呂から飛び出て、ヤモリちゃんを外へ放り出す。それで、体と頭を洗って、すっきりさせて、最後に、もう一度、湯船に浸かりたいと思ったものの、流石に、躊躇した・・・。
が、お湯をもう一度入れ替えるのも、たいそうな気がして、試しに、ヤモリエキス入りの浴槽にもう一度、浸かってみた。なんて話を奥方にすると、いやぁ~、鳥肌立つわ。と。確かに。!?。 このお風呂、住宅風呂巡礼の第一回シーンのお風呂で、きっと、背後の外から紛れ込んだのだなぁ。そういえば「おとなのぶら旅」のp81に、うちのお風呂に気持ち良さげに浸かる温泉ソムリエぐっちのこんなシーンが掲載されていて・・・・。
そうそう、先週の日曜日は、社員と大工と協力業者との旅行があって、皆生温泉の湯船に浸かっていて、それは、第56回精親会旅行という慰安旅行であり、研修旅行でもあり、58名の参加者がバス一台で旅をする、いわゆる「おとなのだんたい旅」。よくもまぁ56年間もこんな旅が続いているな。とおもうが、ここまでくれば、「伝統」でしょぉ?
「ぶら旅」に比べると、分単位で予定を立て観光や体験をする、「びっしり旅」で、それ故に、ここ5年ほど、80ページほどの「旅のしおり」を自ら製作し、旅のムードを高めると共に、帰ってからの旅の思い出として、強制的かつ強引に、皆に配布する。朝の出欠点検もかねていて、ま、ほとんど、「私」的趣味。
それで、今年の旅はというと・・・・
地下鉄小路駅近くにある、弊社で施工した小路会館前に集合し、その時、例のしおりが配布されるわけで、それと共に、軽トラックに乗った社員によって、大量の缶ビールや焼酎やマッコリやソフトドリンクがバスの中に持ち込まれるのでした。
姫路城の大天守閣が修理中で、3班に分けれて、ガイドさん付きで見学する。事前に、施工会社の鹿島建設のホームページを見て、その資料が、今回の旅のしおりの半分以上を占めているのだけれど、建築に携わるものの立場になると、天守閣を覆う仮設と構台の大きさとその技術には圧倒される。良い仕事をするためには良い仮設工事が必要で、完成してしまえば跡形もなく消えてしまう仮設なのだけれど、仮設の技術や美しさが、建築会社の力量をあらわすのかもしれない。
今まで、何気なく見ていて、気付かなかったのだけれど、ガイドさんの説明で気付いたことは、唐破風の盛り上がりによってできる段差を普通は谷樋で処理するのだけれど、瓦桟葺きで、直線的に瓦を葺いているのところが、屋根の美しさの秘訣なのだと・・・
お昼は、岡山で、バーベキュー。初日は、朝早く起きていることもあって、かなりの空腹状態で、いやぁ、皆の食欲の旺盛なこと旺盛なこと。
・
・
・
岡山の奈義現代美術館を見学する。磯崎新設計で、展示室「太陽」の荒川修作と展示室「大地」の宮脇愛子と展示室「月」の岡崎和郎の3つの展示室に分かれていて、そんなに期待していなかったのに、かなりエエ感じ、行って良かったな・・・。
荒川修作という現代美術の芸術家と磯崎新という建築の芸術家が、相互作用によって、丁度良い抑制が効いた作品になっているのかもしれない。荒川修作の暴走を磯崎新が、建築的にきっちりとして、抑制を効かせていたのでは・・・・と。そんな現代美術以上に、併設してある、図書館のカッコ良さに、驚く。副館長にお聴きすると、図書館へのこだわりはかなりのものだったとか。
図書館の閲覧席がカッコ良くて、その窓越しに、山を背景にするオブジェ的な展示室「太陽」と展示室「月」がカッコよく見えるのだけれど、その間に、共同住宅のようなものが、割って入いるように建っていて、それが、景観的美しさを少々台無しにしている。どうやら、町と建築家との間で、物議をかもしたらしい。町の観光資源としての現代美術館なら、あの場所に共同住宅は、なかった方が良さそうだ・・・・。
鳥取県米子にある、皆生温泉に宿泊する。温泉に入ってゆっくり寛いだ後に、ごくごく簡単な総会をし、大宴会。「私」の席から見た、宴会前の雰囲気で、こんな古くさいスタイルの宴会なんて・・・と思った時期もあったが、この歳になって、いろいろ経験してみると、このスタイルでないと生まれないコミュニケーションというのがあって、まさしく、膝と膝を付き合わせてお酒を酌み交わすコトによってもたらされる、独特の親密感と仲間意識。
翌朝、団体旅行につきものの、おきまりの大型土産店に立ち寄って、お土産を買う。.団体旅行の時は、こんなところで、気前よくお土産買うのが、気分なのだ。
・
・
その後、境港にある、水木しげる記念館を見学。その記念館の前で、集合写真を撮る。団体旅行で集合写真。というのもおきまりで、でも、それはそれなりの独特の写真としての良さがあって、何年かして見ると、やっぱり思い出として、楽しい。
さてさて、今回の旅のメインイベントは、岡山国際サーキットのミニコースを貸し切って、ゴーカートのタイムトライアルと5チームに分かれての60分間耐久レース。
まずは、スタッフの方から説明を聞いたあと、ひとり10周を走って、1周の最速ラップを争ったのですが、ゴーカート経験者の大工の鮫島さんが、流石に、ダントツに早くて、笑顔のバンザイ優勝シーン。
・
タイムトライアルの間にサーキットの本コースを見学し、管制塔の中を見せてもらう。「優勝」なんて経験が生涯訪れそうにもないので、現場監督のモリタくんと、「私」は、表彰台に登って、ガッツポーズをして、ありきたりのポーズですが、やっぱり気分はエエのです。
最後は、タイム順に5チームに分けて、60分間の耐久レースをする。いやぁ、実に楽しくて、今までに経験したことのない盛り上がりで、優勝チームは金メダルを付けて表彰台でガッツポーズ。「これで息子に自慢できるわ!」という大工の嬉しそうな姿もあって、表彰台での皆のくったくのない、おとなの笑顔は、それはそれで、羨ましい姿なのでした。
3日日曜日の朝の7時45分に出発し、4日月曜日の午後8時30分に到着するという、ハードなスケジュールで、それが、到着前に20代の女性添乗員のミワさんによる最後の挨拶があって、木村工務店がどんな家を建てているのか知らないにもかかわらず、「皆さんのチームワークと仲の良さを見て、きっと、いい家を建てておられるのだなぁ。いつか、こういう人たちに、家を建ててもらえるよう、私も頑張りたいとおもいました。・・・。」という、嬉しいおコトバを頂戴したのが、きっと、社員や大工さんや、手伝いさんや、協力業者の皆さんにとっても、何よりの励みになった、旅の締めくくりだったとおもう。
「おとなのだんたい旅」もそれはそれなりに楽しい・・・・。
2012年06月03日
300年後の金環日食。
そうそう、金環日食があった5月21日月曜日の朝のこと。毎週月曜日の朝は、午前7時20分から3分間の朝礼をしていて、それは、いわゆるシャチョウ訓辞というものをカッコヨク語るわけでもなく、「静かに考える3分間」という名目のもと、3階の会議室において、社員全員で3分間の時間を静かに共有するだけであって、それが木村工務店の一週間の幕開けというわけだった。
その朝礼が終わって、すぐが、大阪での金環日食がはじまる時間で、偶然とはいえ絶妙のタイミングで、急いで、ほぼ全員で、屋上に駆け上がる。社員全員で屋上に上がるなんてことは、もちろん初体験でもう2度となさそう・・・。大阪の生野区小路の3階の屋上から東を望むと生駒さんが見えて、その空で、金環日食がはじまることになっていて、それは、ほんの数分間のある種のお祭り騒ぎのような雰囲気で、社員間に漂う、何か今まで経験したことのない独特のムード。
そういえば、お正月に、この屋上で何度か凧揚げをしたことがあって、「私」が小学生だった頃は、弟や妹と一緒にしたし、結婚して子供が生まれてからは、長男や次男と2度か3度、凧を揚げた。こんな場所なのだが、冬は、大阪湾から生駒山に向けて、西風が安定して吹く日時があって、たこ糸を200mほど繋げて、2時間も3時間もひたすら凧を揚げていた・・・・。この屋上にあがると、そのたこ糸から手に伝わる、風の力の感覚を思い出す。それは、ちょっと、どきどきするぐらい、心地良い感覚で、それと共に、ある種の怖さも手の感覚として残る・・・・。
次の金環日食は300年後だそうだ。300年先、木村工務店は持続可能な工務店として存続しているのだろうか。この屋上で、木村工務店のまだ見ぬ後輩達が、300年後の金環日食を楽しむ。そんな姿を想像してみた・・・・・。
PS
第56回目となる、社員と大工と手伝いと協力業者による研修旅行、ただしくは慰安旅行なのですが、本日の6月3日(日)と6月4日(月)の二日間、実施いたしますので、臨時休業とさせて頂きます。
« 2012年05月 | メイン | 2012年07月 »