2013年09月22日
緑の文化
2週間前の日曜日に予定されていた写真ワークショップが雨で中止になり、雨女という濡れ衣まで着せられていた写真家タダユウコがリベンジする今日の写真ワークショップは秋晴れの快晴。いや暑いぐらいの日差し。写真家タダユウコと一緒に小路の街歩きをしながら写真を撮り、その写真の編集作業をして、それぞれの写真集を作ろうというのが、今日の「まちのえんがわ」での写真ワークショップ。
産まれてからずっと、大阪市生野区にある小路のこの町に住んでいて、この町が好きなのかと問われれば、確かに微妙。でも、この町に対する「愛」のようなものはあって、それ故に事態が少しだけカイゼンされ、良くなればそれでエエのだけれど、その、「良くなる」というのが、どんな町になれば良くなるのかが、とってもムツカシイ。
「私」が小さい頃は、長屋の2軒分を繋げ、リフォームを繰り返して、祖父母と父母兄弟の家族7人で住んでいて、隣の長屋が空くと、それを壊して庭にしたりするのが、祖父の趣味だった。植木も植えたが、そのもうひとつ隣の長屋が空くと、そこも庭にして、なによりも木々を植えるより「スペース」を造り出すコトが祖父の好みだったようだ。その時、唯一の木の好みとして植えた「楠」が今も庭で存在感を示す。
今、そのことを改めて考えてみると、長屋が密集した町並みの中で、「スペース」と「グリーン」が欲しかったのだとおもう。祖母が父から受け継いできた土地と長屋があり、この土地で祖父が工務店という商売を始めたという、その組み合わせが、長屋をリフォームして住み続けるという、素直な流れに繋がったのだろう・・・。「私」も中学生になり、妹弟も大きくなるに連れ、子供部屋が出来、リビングや応接室やピアノや数寄屋の座敷、等々、リフォーム工事が頻繁に繰り返されて、それが、「日常」だった。
内部空間だけでなく、外部空間も時には広くなり、時にはそこに建物が増築されて小さくなり、そんな外部空間のリフォーム工事が繰り返されながら今の庭に至る。父は、「庭木」の方に興味があったのだとおもう。サツキばかり植えられた石の花壇を取り払い、腰ほどの高さの枝垂れ桜を花見の宴が出来る大きさまで育て、「楠」も自然な樹形に整える剪定を指示し、草花の花壇を好み、雑木林のような庭を好んで、今に至る。
「私」の20代30代40代前半はアウトドアーを好んで、休みになると、キャンピングカーで、この町を「脱出」し、「自然」と云われるものを味わうために、またそうしないと窒息するかのような切迫感があって、何が何でも、休みごとに脱出を図ったものだ。特に木々の下でのキャンプをするのが好みだった。40代後半のある日から、平日はこの町で仕事、休日はプライベートで、この町を脱出する。などという感覚が薄れだして、いま、住む、この町を、「自然」の何かを感じれるようにカイゼンしながら、職住一体型のライフスタイルを楽しみつつ住もうとおもうようになった。それで、スペースのある雑木林のような庭の自然な樹形の「楠」が存在する大きな木の下に、食事も出来るテーブルと椅子とデッキを造り出すコトは、3代にわたる庭のリフォーム工事としての必然的な流れなのだとおもう。
たまたま建築という職業と数軒の長屋を持つという環境が、この町で、こんなスタイルになってしまったのだけれど、スペースと緑を求めて、このまちから「脱出」を図った同級生も多い。それでも、木村工務店のものづくりのスタイルは、このまちの環境だからこそ生みだされたのだと、日本を旅する度に、そうおもうようになって、それは手仕事による小さなものづくりをするのに適した独特ののんびりした空気感が漂うからだとおもう。
その小路の住人たちは、長屋続きの家々の前の「小さな」スペースで「小さな」緑をそれぞれ独自の好みで楽しんでいる姿があって、それを第三者の目で教しえてくれたのが、今日の写真ワークショップだった・・・。参加者の写真を見ていると、この町は、小さなスペースやちょとだけ大きなスペースで独特の「緑の文化」を育てカイゼンしていくのが、良さそうに思うのだ・・・・。
↑ ワークショップ参加者が撮影した一部です。
追伸
10月12・13・14に開催予定の木村家本舗では、こんなスタイルでうまれたガーデンをシエアーしようという機会でもあって、それに写真ワークショップでそれぞれの参加者が撮影し、編集して、作成したた小路街歩きの写真集も「まちのえんがわ」で展示予定なので、ご都合がつくようでしたら、遊びにお越し下さい。
投稿者 木村貴一 : 2013年09月22日 23:59 « 峠 | メイン | 収納秘話。 »