2015年03月22日
フクロウとお彼岸
フクロウを見に来ませんか。と誘われて、それはある日の事、「まちのえんがわ」にフラリとお越しになったTさんが、小路在住で、家で宝石デザインの仕事をされていて、60歳近くに大阪府南河内郡河南町の標高250mほどの集落の古民家を購入されて、自分でリフォームしながら、別荘のように使って、そこにフクロウを飼っているのだそうで、あれやこれやと、縁側話をしているうちに、「まちのえんがわ」の横の加工場で、一日だけの「フクロウカフェ」でもやってみましょうか…と、な~んとなくの話題になった。
その日が今日の日曜日で、昨日のお彼岸の祭日は、久しぶりに良い日和だったが、お昼から来客があり、その打ち合わせが終わって、その古民家をグーグルマップで調べているうちに、明日も良いお天気で、それなら自転車で、サイクリングがてらお伺いしようかという気分になった。丁度その時、社員のシノダくんが、祭日出勤の現場から帰ってきて、机で事務作業をしていた。彼はピストサイクルで通勤していて、いつか一緒に、自転車で葡萄坂登りましょうよ。という事になっていたので、フクロウと古民家を見に富田林の方までどう?と誘うと、軽やかな行きますわ!という返事がきた。
昨日の祭日の朝は、天気も良く、打ち合わせまで少し時間があったので、自転車で柏原の葡萄坂を上がって、信貴山朝護孫子寺と龍田大社を参拝して、三郷のカフェフェンチーナでひとりモーニングをしたのが、潜在意識のどこかに、引っかかっていたのだろうが、小路在住で「まちのえんがわ」に遊びに来てくれていたヨネクラくんと、1ヶ月に2度ほど、先ほどのコースで、一緒にモーニングをしながら、あれやこれやの四方山話をするのを日曜日の楽しみにしていたが、その彼が、和歌山県熊野の下里に移住して、「compi コンピ」というセレクトショップを開業することになり、その店舗内装のアドバイスに何人かで熊野旅をした時のメンバーに、シノダくんが、ヨネクラくんの友達として、参加していた。その時が初対面で、もちろん現場監督をしていることも知らずに、一緒に遊んだのが縁で、それが、いろいろな経過の末、今年、うちの社員となったのだ…。そうそう、その旅の時に、自転車で一緒に行きましょうよ。という事になっていた。
朝の7時に「まちのえんがわ」に集合して、久宝寺緑地を通過し、八尾の寺内町を抜けて、長瀬川沿いに南下し、大和川から石川のサイクリングロードを進む。臥龍橋から竹之内街道を進むつもりが、そのまま石川沿いを進んでしまって、河南橋から東に向かうことにすると、聖徳太子御陵のある叡福寺の前に出たので、この道間違いを生かして、ついでに参拝する事にした。横穴の古墳の前に、檜皮葺の唐屋根とその後ろに瓦の切り妻屋根が2段にドッキングしているのが、とっても不思議なデザインで、振り返ると、朝8時半の誰もいない静寂の境内越しに葛城山と金剛山と穏やかな青空が見えて、一気に気分が良くなった。
竹ノ内街道の集落の中をぐねぐねしながらすり抜けて、太子カントリー沿いの道をアップダウンし、そうそう、途中上り坂で、ローディーに抜かれて、そのひとが、シノダくんがピストで走ってる姿を見て、追い越しながら、ピストで登ってるんですか、変態ですね!と声援を送りながら軽やかに抜き去っていった…。ちなみにピストサイクルとは変速機のない自転車のこと。平石トンネルを抜けて、登り坂をくねくね漕いで、河南町持尾の集落の坂に汗を流しながら、ふぅふぅいって登ってると、民家からフクロウTさんの声が聞こえてきて、ようやく到着したことを知って、ほっとするのだった。
古民家を10年近くかけて、自分でコツコツリフォームしたそうで、デザイナーでもあるのだろうが、センス良くまとまっていて、こういう「味」はプロには出せないセンスで、好感のもてるリフォームで感心したのだけれど、そうそう、フクロウは、その特徴的な目と首の動きや仕草とその姿形に独特の静かなムードがあって不思議な気分にさせる鳥だとおもう。で、話を聞くと、羽音を鳴らさずに静かに獲物を捕るらしく、羽に風を整流するノコギリ状のギザギザが細やかにあって、その構造と形態を模倣し、新幹線のパンタグラフに応用して、高速で走る新幹線の騒音を解消しているらしい。
車で5分ぐらいのところに安藤忠雄さん設計による近つ飛鳥博物館があって、そこの地下でTさんによるフクロウの写真展を開催中だというので、車で送ってもらって、一緒に見学することになった。そのついでに博物館も見学することにし、周辺の古墳群も散策したが、そういえば、これで二度目で、完成した数年後に、丹沢の山小屋の主人が、大阪に遊びに来た時に、まだ小さかった長男を連れて家族で行って以来だった。ちなみに、その山小屋の主人も、かつては、青梅街道の終点にある集落の民家を借りて、リフォームして住んでいて、そこで初めて出会った時のことを、なんとなくシンクロさせながら想い出した。
その持尾の集落の近くに、西行が没した弘川寺があり、一度は訪れたいと思っていたので、自転車でアップダウンしながら到着し、西行の墓を見学して、晩年に過ごした庵のあった周辺環境の空気感に触れてみた。桜の開花までは、今暫く時間がかかりそうだが、桜を日本人の心の花にしたのは西行らしい…。それにしても、聖徳太子の御陵にはじまり、推古天皇の墓の横を通り、近つ飛鳥の古墳群を眺め、西行のお墓を見るという、ちょっと陽気なお墓巡りになったのは、フクロウとお彼岸が招いたフォースなのかね…。
投稿者 木村貴一 : 2015年03月22日 23:59 « 足長おじさん | メイン | オモシロイ現象 »