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2004年10月30日

小さなスペースの魔力

新潟中越地震は様々なことを考えさせられる。建築に携わるものにとって、今、耐震性能がどれだけ大切なことであるのかと・・・・・・・ 。電気・水道・ガスというライフラインが整備されているというあたりまえの事によって、どれだけ快適な生活の恩恵を得ているのかと・・・・・ ・。そして、安全で快適に寝るというスペースというのが如何に大切であるのかと・・・・・・。

エコノミークラス症候群というものがあると初めて知った。車の中の窮屈な姿勢で寝泊まりすることで死に到るとは思いもよらなかった。 初めてその言葉を聞いた時は、それが飛行機のエコノミークラスで座る姿勢から来ているとは、すぐには結びつかなかった。 小さなスペースが人の命を奪う。何人かがその症状で亡くなったというテレビを見て、ようやく私の脳の回路も繋がった。

初めてヨーロッパを旅行をした時に、長時間座ったエコノミークラスでのその姿勢と様子をなぜかハッキリと体が記憶している。 どう表現したらよいのか、肩幅の狭い思いをした。というのだろうか・・・・。窮屈な姿勢。足を組む事もままならない。やる事と言えば、 本を読むか、ウオークマンを聞くか、首だけを横に向けて隣の人と話をするか。後は、定期的に配給される食事をまるで運動のようにして、 ただただ、食べる。自分の中のあらゆるものが凝固していくようだった。そういえば、 インドを旅行した時はエコノミークラスの搭乗券でチェックインすると、ビジネスクラスにお替わり頂けますかなんて言われて、 ものすごーく徳をした気分になった。インドが僕を呼んでいる。なんて勘違いしたものだった。ちなみに帰りがけにも期待をしたのだが、残念、 エコノミークラスのままだった。

土砂崩れで生き埋めになった車から2才の男の子が助け出された瞬間のテレビは感動的だった。テレビを見た人々、その話を聞いた人々全てに、 生命力という力を伝えてくれたように思う。エコノミークラス症候群とは対照的に小さな小さなスペースがひとつの命を助けた。 ハイパーレスキュー隊の人々が自らの危険を顧みず、小さなスペースから小さな子供の命を救おうとする、たいへんな努力。

リフォームで様々なお宅にお邪魔をする。床の間という小さなスペースをそれぞれの大工さんが、アイデアと技で工夫を凝らして造り込む。 好き嫌いは別にして、同じものがひとつとしてなく、どれもがそれなりにユニークだ。 昔の大工さんたちが小さなスペースから無限のこころの広がりを感じさせる空間を造り上げようとする、ちょっとした努力。

小さなスペースには様々な魔力が潜んでいるようだ。

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2004年10月19日

もの思う秋

秋がやってきた。そんな気配があちこちで感じられるようになってきた。先週の連休、さわやかな秋晴れの空。肌触りの良い気候。 本棚を見ると買ったままで読んでいない本が10冊以上もたまっていた。それに、知り合いからうちの本棚に迷い込んできた本も数冊。 気候のせいだろうか、本でも読んでみようかという気持ちになった。 

迷い込んで入ってきた本に浅田次郎「月のしずく」という文庫本があった。何となく手にとって読み始めた。そんなたぐいの本がたまにある。  武田泰淳の「森と湖のまつり」「ひかりごけ」など友人が置いていった本を何気なく読み出したらもう夢中になって読んでしまった。 北海道をキャンプ旅行する時などは、その前にまた読んでから旅したものだった。月のしずくを一気に読んだ。 高3の長男とその本のことを話すと、僕なんか同じ作家の「壬生義士伝」を読んで泣いたヮァと言った。あぁぁぁ、既に私より先輩だったのだ。  

そうこうしているうちに、次男が大きな組み立て式の模型飛行機(グライダー)を持ってきた。組み立てて一緒に飛ばしに行こうと言う。 何でもコストコというアメリカのスーパーが尼崎に出来て、そこで買ってきたらしい。天井が高くて倉庫みたいなスーパーで・・・ と説明してくれた。1mほども長さのある主翼がついたカーボンロッドの胴体とプラスチック出来た、見るからに、かっこいいやつだった。  

それには伏線があった。2ヶ月ほど前に日本橋に行った時、学研楽しく学ぶ科学体験シリーズ「夢中になれる飛行機飛ぶ力」「夢中になれるコマ」 というのを購入した。コマは次男と一緒に作って楽しんだのだが、飛行機は1ヶ月以上も箱のままだった。そう、いっしょに遊ぼうぜ! というアピールだったのだろう・・・・。まず、アメリカ製の模型飛行機を組み立てた。組み込むだけで簡単に造れた。確かに、かっこいい。 近くの駐車場で軽く飛ばしてみた。家の中では到底、飛ばせそうにもない大きさだった。やっぱりアメリカ的なんだ。 次にA4ほどの箱に入った日本製の紙飛行機のセット組み立てた。切ったり、折ったり、貼ったり、ホッチキスで止めたりと・・・ 確かにめんどくさいが、まぁ、しかし、それはそれで面白い。「のりしろ」なんていうものがあって・・・・。そうそう、「のりしろ」 にのりをつけながら天声人語に書いてあった文を思い出した。そこにはこんなことが書かれてあった。 

------------------------------天声人語より引用------------------------ 
アニメーション監督の宮崎駿さんが、子ども時代を思い出してこう語ったことがある。「のりしろをとって画用紙を貼(は) り合わせると立体ができると知ったときには、世界の秘密にふれたような気がしました。本当にドキドキしましたよ」。  

 平らな紙からお城などいろいろな建物をつくる。のりしろをどこにどう取るかが大事だ。失敗しながら立体づくりに挑戦した。 平板に見えがちな世の中を奥行きのある世界に変貌(へんぼう)させる宮崎アニメの原点かもしれない。 

 子どもの創造力をかきたてる「のりしろ」と違って、・・・・・・・・・・ 

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なんて事を思い出したりしながら、紙飛行機を作った。 

花博の跡地にある鶴見緑地公園に飛行機を飛ばしに行った。アメリカ製の大きな飛行機を持って歩いていると、子供達が、あっ飛行機やぁ。 とか何とか言って、注目してくれた。芝生の広場で飛ばした。不安げな一投目から、ものの見事に滑空した。 25mプールの端と端ぐらいに離れて、まるでキャッチボールのように飛行機を投げては受け取り、そしてまた投げ返した。ところが、 そろそろどこかの高いところから飛ばしてみようかなぁ・・・・なんて考えて、勢いよく投げた数投目に、頭からゴツンと墜落した。よく見ると、 胴体のカーボンロッドが真っ二つに折れていた。折れ口にあの繊維質の破断面が見えていた。次男はしょげかえった。「あぁぁ。 お父さんのせいやぁ・・・ 」なんて言われてしまった。「人のせいにするもんやないでぇ。」と偉そうにたしなめながらも、 こちらもがっくりきて、それなりに申し訳なく思った。科学素材は案外もろいのだ。 

それで、どちらかと言えば、仕方なく、何種類か作った紙飛行機を飛ばすことにした。大きさは20cm程度、簡単に投げてみると、 5mほど滑空して落ちた。なぁ~んだ。という子供の声がしたのは気のせいだったのだろうか。ところが、 その紙飛行機には付属でゴムパチンコのような発射装置が付いていた。ゴムに飛行機を引っかけて、ぐい~~と引っ張り、ぱーんと、飛ばした。 予想をはるかにはるかに越えて、小さな紙飛行機はびゅーんと秋空に向かって飛び出し、優雅に滑空しながらおりてきた。 滞空時間も30秒以上はあった。子供は仰天して、はしゃいだ。俺にそのゴムと飛行機を貸せと、偉そうに奪い取った。 それからは大人げなく子供と順番争いをした。紙飛行機はしなやかだった。何回もの使用に耐えた。 その都度微妙に主翼や尾翼の角度を調整しながらも、気持ちよく飛んだ。一度など、飛びすぎて高い木にひっかかった。 あ~ぁまた父さんやったなぁ~。取ってこいよなぁ。と偉そうにぬかす・・・。 飛べなくなったアメリカ製の飛行機の1mほどある主翼を棒の代わりにして、 大きな木にひっかかった紙飛行機をジャンプしながら突き上げて落とした。何とか父としてのメンツは保つ・・・・。結果的にはそれが、 最も良く飛んだフライトだった。それ以降はじり貧に飛ばなくなり、ついには発射装置のゴムが切れてしまった。 

帰りの車の中での私の脳は日本的なものとアメリカ的なものという思考が巡り巡っていた。家に帰って、 まだ読んでいない本棚を眺めると磯崎新の『建築における「日本的なもの」』という本があった。 そういえば鶴見緑地公園内には磯崎さんが設計した建物があったのだなぁ。それに先日、新聞に中国で発見された遣唐使の碑文だったか何かに 「日本」という最古の記述が見つかったという記事があった。それにも何となく興味がひかれていた。 そんなこんなが繋がってその本を読むことにした。
あー もの思う秋・・・・・・。 

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2004年10月10日

運動会

子供の運動会だった。私もその小学校に通っていたので、学校へ行くと知り合いに沢山出会う。家を施工させた頂いた方もいれば、 同級生もいる。知り合いの方々と近況を話し合ったりしながら子供の姿を見る。 この同じ運動場で同じように走った自分の小学校時代の記憶をだぶらせる・・・・。その時の感覚がよみがえる。リレーの時や騎馬戦での歓声・・ ・。駆けっこで一生懸命走っている時に振動で頬が震える感覚・・・・。

年輩の知り合いの方と挨拶を交わした。孫さんが出ているのですか?と尋ねると、いやいや、もう大きくなって、 誰も小学校には通っていないのだけれど・・・・と言って昔話を語り出した。わしはここの一期生なんや・・・・と。確か私は2?期生・・あぁ、 忘れて思い出せない。子供は60期生ぐらいのはずだ。当時は小学生の数が多くて1学年が11クラスほどもあったらしい。近くに、 新しい学校を造ってクラスを半分に分けた。そうして出来たのがこの小学校だと・・・。今、 皆が走っているグランドはコークスが敷き詰めてあってなぁ・・・と。そんな話を暫くの間、聞いた。 私が通っていた当時は1学年4クラスだった。確か、多い学年でも6クラス、一クラスは40人ほどであった。今、息子が通う学年は2クラス、 1クラス30人ぐらいらしい。昔から小学校の規模としては最も小さいほうだったと思うが、それにしても、 高齢化と少子化が進んでいるのがはっきりとわかる。

そんな話を聞くと、一体、都市はどうなっていくのだろうかと考えてしまう。 この先この町はどうなっていくのだろうか?  高齢化の町になっていくのだろうか? 若い人達は住まなくなるのだろうか? 確かに人口密度は減っている。 密度の低下と均質化と郊外化は最近の都市の傾向であるらしい。私が住む町でも確かに人工は減ったようだが、しかし、 空家が増えたわけではない。空から見る限りは相変わらずギッシリと住宅が建っているのだ。長屋だけれど、ゆったりと住む。最近依頼される、 子供たちが出ていった後の老後の生活のリフォームの傾向だ。老人にはいい町かもしれない。市場は近い。駅にも近い。病院も近くに沢山ある。 そしてなりよりも密度が高いところが、逆に安心感に繋がっているようだ。近所の様子が何となくわかるのだ。ただ、 残念なのは散歩に適した道が少ないことかなぁ・・・。おばあちゃんたちは市場に行くのが散歩なのかもしれない。そういえば、 おばあちゃんは沢山見るのだが、おじいちゃんは案外少ないなぁ・・・やっぱり、女性は元気なんだ。

そんなことを考えているうちに運動会のプログラムはどんどん進んでいった。応援合戦なんていうのもあたりして、それは私の時代にはなかった。 紅組と白組が運動場の真ん中を挟んで左右に分かれる。まず、紅組の応援団長が紅組を応援するに当たって、白組の勝利を祈ってぇ・・・ と相手を讃えることから始める・・・。あぁ・・何だかええなぁ・・日本的だよなぁ・・・と思った。 それは今の世界情勢を見ているからなのかもしれない。知らず知らずにそんな文化を教えられたりしているのだなぁ。

そうだ。女の子が元気だという話だ。運動会を見て何より驚いたのは、かけっこで、男女が混合で走るということだ。私たちの時は男子は男子、 女子は女子で走った。それが知らず知らずの当たり前だった。だいたい女子より男子の方が速いと思っていた。 オリンピックでも最も速い選手は男子だ。しかし、考えてみれば、女の子にも速い人がいるし男の子にも遅い人はいるのだ。 別に男女が一緒に走ってもいいわけだ。実際、女の子がどんどん1等賞をとる。なんだかその光景にカルチャーショックを受けてしまった。

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