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2005年01月13日

 昨日(1月12日)からようやく正月休暇モードのリズムを仕事モードのリズムへと転換する事ができたような感じだ。かなり、 遅い目の挨拶かもしれないのですが、「2005年新年明けましておめでとうございます」。

さて、この正月休暇はどうして過ごしたのだろうかと思い起こしてみた。12月29日(水)は例年、会社大掃除がある。 社員と職人さんが一緒になって事務所・倉庫・車の掃除をする。大掃除の習慣というのは「日本的」な事なんだろうかなぁと考えたりしながらも、 頭を脇に置いて兎に角、体を使う。上下関係など当然なく、社長も皆と一緒に体を動かし、掃除をする。掃除の後は全員で昼食をとって、 一年を終える。年末の全員参加の大掃除を通じて、道具や会社への愛着もわき上がり、皆との一体感も育まれたりするのだった。

掃除に関して、社内ではよく、こんな会話をすることがある。「(掃除)と(整理整頓)は違う仕事やでぇ・・・。」とか、 住宅の完成時にする美装作業は、通称「洗い屋さん」と呼ばれる専門の美装業者に依頼するのだが、「洗い屋さんは掃除屋さんとは違うでぇ・・・ 。掃除が出来た後から掃除(美装)をするのが洗い屋さんの仕事やでぇ・・・・。」などと話をする。 掃除と言うことをひとつとってみてもそれなりの「技術」と「文化」というものがありそうだ。他の国では「掃除」 はどのようにしているのだろうかとふと気にもなる。

そう言えば、掃除機というものは大変便利な道具だが、それでも現場での掃除の基本は「箒」なのだと思う。それもいわゆる「座敷箒」 がなぜかいい。箒で隅々まで掃いて、集めたゴミを掃除機で吸う。なんていうのが結構ええ感じだったりするのだ。まぁ、 そんな箒の機能性よりも私は床を箒で掃く時の「音」が何よりも好きだ。現場監督をしていた当時には、その音を聞きながら例えば、 ジャズドラムのエルビンジョーンズを思い浮かべたりとか、箒の音を聞きながらビルエバンスのピアノを思い浮かべたりと・・・・。 時には禅寺の僧侶の気分になったりしながら心を落ち着かせる。床を這う箒の音が不思議にも心を徐々に落ち着かせるのだと思う。そして、 工事に残る不具合(ダメ)を発見し、細部のディテールを反省し、「気づき」という事そのものを喚起するのだった。

自らが落ち着いて座敷箒で掃くことができる時間をもてるという現場は、現場監督としてはある意味、至福の時間でもあると思う。 職人さんへの感謝。そして、時には怒り。細部の収まりへの興味。木屑やゴミを眺めながら感じ取る材料、道具、技術、 そしてその職人さんへの関心。一日の反省と満足感。・・・・・なんて事を書きながら、 そんな精神状態が訪れたことなど実は希だったのではないかと・・・・。まぁそれはそれで良しとしてもらい、「箒」 は心も掃除してくれる素敵な道具だなぁ・・・・と、きっと私の中の誰かが書きたがっていたのだろう。

正月休暇の事を書こうと思ったら、なんだか箒の話になってしまった。そうそう大掃除をし。年賀状を書き。 大晦日から新年をテレビを見て過ごし。新年のおとそを両親、祖母を交えた家族でし。地元の清見原神社に初詣の参拝をし。 妻の実家でもおとそをし。子供たちと凧揚げをし。羽子板なんかもしてみたりして・・・。テレビゲーム。日帰りスキー。昼寝。 そして何もしないで過ごす貴重な時間。あぁ、それはそれなりにオーソドックスな正月休暇だったんだなぁっと・・・・・。

それでは皆さん「本年もよろしくお願い致します。」

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